黒猫より愛を込めて
 ― Valentine Day Special ―

From くろねこ様

 なぜ彼氏いない暦イコール実年齢分の私が、しかもそれがなお更新中の私が、今、恋人同士のいちゃいちゃイベントのためにチョコレートを作っているのかと言えば、彼氏持ちの友人Aが破壊的に料理音痴でその代行をやってるからに他ならない。決して義理チョコなんていう親切なものを作っているわけでも、友チョコなんていう女同士の楽しみのためでもないのだ。……ああ、どうせならその方がどんだけ良かっただろうか。他人のアツアツぶりを高めるために独り身の私が慣れない菓子作りに苦労しなきゃいけないなんて、世の中全くの不条理だ。
 そんなふうに半分泣きそうになりながら、火加減に注意しつつチョコレートを鍋で溶かしていると、足元に柔らかい毛並みの愛猫が擦り寄ってきた。私の方を見上げながら文字通り猫撫で声で鳴くその様子は、無意識のうちに頬が緩むほど愛らしい。一人暮らしの女性はペットを飼い始めたら終わりらしいんだけど、そんなものはこの無条件に愛らしい姿を見れることに比べれば何てことはない気がする。良いじゃないか、女性としての終わりなんて死ぬ時だけで充分だ、なんて思う時点でもう終わってるのかもしれないけれど。
 この愛猫はこの家に来てもう3年くらいになる。決して広いとはいえないアパートだけど、ペットを飼っても良いという条件だけで決めた。実家から連れてきたこの猫には未だに名前をつけていなかった。真っ黒で艶やかな黒い色をしているからクロと呼ぶときもあるけど、母はクーと呼ぶし父はネコと呼ぶし妹はキラと呼んでいる。なぜキラなのか聞いたことはないが大体想像がつく。――とまぁ、そんな感じで私も気分によってはクーと呼ぶしネコと呼ぶしキラと呼んでいたりする。そして彼は私の彼氏であったり友人であったり家族であったりしてくれる存在なのだ。
 クロがナァと鳴く。こんなふうに甘えた声で鳴く時はたいてい餌がなくなったときか水がなくなったときだ。しかしクロよ、今は友人A子のためにチョコレートを作っているから、お前の相手はできないのだよ。心の中でゴメンと呟きながら彼の擦り寄ってくる動作を無視して鍋をかき回す。
 ああ、今頃彼女はラブラブの彼氏とデートでもしているんだろうか。悲しい。私は悲しいよ!
「やめちゃおっかな」
 そんな不埒な考えが生まれてくる。彼女も私が普通の食事は作れてもお菓子作りの経験が少ない(というか皆無に等しい)ことを知っているのだから、失敗したって責めてこないだろう。何より作らせている立場から責めるにも責められないと思う。でもそれは私が嫌だった。頼まれて承諾したことを途中でやめるなんて、なけなしのプライドが許せない。だからこうして愛しいクーの要望にも応えず、焦げ付かないように慎重にチョコレートを掻き混ぜているのだ。甘ったるい香りが狭い部屋中に広がる。
 そこへ突然インターフォンが鳴った。予期せぬ来客だ。途端に人見知りの激しいクロは私の足からするりと離れ、部屋の奥へ引っ込んでしまった。1Kのこのアパートは台所と玄関が隣り合わせになっていて、開ければ否応なくこの甘い空気が外へ出てしまう。どうしようか迷ったけれどとりあえず火を止めて応対するしかないだろう。どこの誰だか知らないが待たせては失礼ってもんだ。
「はい」
 一応チェーンだけは掛けて玄関のドアを開ける。これで新聞か何かの勧誘だったりしたらすぐに帰ってもらおうと決めていた。チョコレートは溶けるのは遅いが固まるのは早いのだ。
「よっ」
 なのに、そこに居たのはなぜかバイト仲間の諏訪[すわ]さんだった。バイト仲間と言ってもお互い既にやめて、今は別々のところで働いているからほとんど会うこともなくなっていたけど、たまに呼ばれる飲み会で一緒になるから、全く会わなくなったわけではない関係。言うなれば飲み友達ってところか。そんな彼がこんな真昼間から私の家に来ることは今までになかった。というかむしろ、私の家に誰かを呼んだことはなかった。A子ですら呼んだことがないのだ。
「どうしたんですか?」
 だから私がイの一番にそう聞いてしまったことは自然だと思う。だけど諏訪さんはそれには答えず、相変わらず人好きのする笑顔を浮かべていた。
「うん、まあ、とりあえずコレ外してくれる? 俺、不審者じゃないしさ」
 コレと指したのは掛かったままのチェーンだ。確かに知り合い相手にチェーンを掛けたまま話すのは礼儀に反する。私は慌ててチェーンを外して彼を家の中に入れた。でも諏訪さんは玄関から上がろうとせず、そのまま鍋の方に視線をやった。
「あ、それ、今チョコ作ってたんですよ。と言っても私のじゃないんですけど」
 すると何となく諏訪さんの表情が変化した。それが負の感情な気がしたのは思い過ごしだろうか。何にしても諏訪さんの考えることは私には分からない。バイト時代から彼の考えることはよく分からなかった。今ではもうなくなったけれど深夜に突然飲もうと誘われることは日常茶飯事だったし、バイト中でも客足が少ない暇な日は突然心理ゲームを始めてしまうこともあった。それでも仕事しろよと注意を受けることが無かったのは諏訪さんの要領の良さのおかげかもしれない。
「自分が食べるために手作りなんてしないと思うけど」
 不機嫌そうな声で諏訪さんがそんなことを呟いた。……まあ、食べるだけなら買ったほうが早いしね。
 ん? ――でも。
「いや、そういう意味ではなくて」
「俺、樋上[ひのうえ]はずっと彼氏いないんだと思ってた」
「ああ、まあ、そうなんですけど」
 そういえばバイト時代での飲み会ではしょっちゅう彼氏いないのかどうか聞かれていたっけ。何なら俺が紹介してやるよとかも言ってくれてたけど、結局その言葉が現実になることはなかった。なんてことを思い出した。
「だから安心してたのに」
「はい?」
 何だか話が見えない……と思ってたらいきなり腕を捕まれた。思ったよりも力強く握られて驚くよりも痛いという感覚の方が先に走ってしまった。なんだ、この状況は。部屋の空気は相変わらず甘ったるいけれど、諏訪さんの周りだけなんだかすごく――怖い。
「好きなやつ、できたのか?」
「え」
「俺の知らないやつなんだろうな、やっぱり……」
「え、あの」
 いやだから、話が見えないのでちゃんと説明をしてほしいのだけれど。あぁそれよりも、勝手に話を続けないで欲しいのだけれど。
 なぁ、ネコよ。いい加減奥に隠れていないでこの状況をなんとかしてくれないだろうか。
「そいつとはどこまでの仲なんだ? まだ友達か? それとも、もう……」
「え、あの、諏訪さん」
 私は一言も彼氏がいるとも好きな人ができたとも言ってないのだけれど、いい加減自分の世界から抜け出してくれないでしょうか。ねぇ諏訪さん。
 すると私の思いが愛猫に通じたのか、奥からニャーニャーと鳴き声が聞こえた。まさか猫がいるとは思ってなかったのか、それとも諏訪さんの専売特許である「突然」のことに驚いたのか、諏訪さんの腕から私はやっと解放された。そして何事かと振り返ってみると、テーブルの上に置いていた私の携帯電話が震えていることに気づいた。ああ、そういえばクロは携帯電話のバイブ機能が嫌いなんだっけ。
 急いで電話を取ると、私にチョコ作りを任せたまま彼氏に会いに行ったA子からだった。なんというタイミングなんだと少し感動してしまった。どうせならもうちょっと早くても良かったのだけど。
「もしもし。どうしたの?」
 私が聞くとA子は少し言い難そうにもごもごと口を開いた。
「あーうん、チョコのことなんだけどね。頼んどいてアレなんだけど、キャンセルして良い?」
「……はい?」
 人を散々悲しい気分にさせた上にキャンセルとはいったいどういう事なのかと、私は諏訪さんのことも忘れて問い詰めた。すると彼女はやはり言い難そうに、でもどこか嬉しそうに話し出した。
 要約するとこういう事らしい。A子は破壊的な料理音痴ながらもやはり手作りチョコに挑戦したらしいのだ。私のはつまりいわゆる保険というやつで。だけど案の定失敗に終わり、やはり私の作ったチョコしかないかと諦めた時、運悪く彼氏さんが家に来てしまったらしい。そこで失敗のチョコを見つかったんだけど、なんと彼氏さんはその失敗チョコを口にしたらしいのだ。私から言わせてもらえばよくも彼女の作ったものを口に入れる勇気があったもんだと賞賛すべき行動なんだけれど。また同時にやってらんないよという空しい気持ちにさせる行動でもあったんだけれど。――まぁそんなわけで二人のアツアツ度は私のチョコじゃなくても、彼女の破壊的味のチョコで充分上がったらしく、私のチョコは用済みなんだそうだ。
 なんて勝手な言い分だと思った。そしたら私のあの作りかけのチョコレートはどうするんだよ。あげる相手もいないのに、自分で食べろってか?
 私は電話を切ると泣きたくなった。全身の力が抜けて、おまけに何をする気にもならなくなってしまった。どうしてくれるんだよ、このやるせない感情を、どこにどうぶつければいいのか分からないじゃないか。
「樋上?」
 後ろから遠慮気味に諏訪さんの声が聞こえた。そうだ、まだ諏訪さんが居たんだ。こんなところで座り込んでちゃ失礼じゃないか。私はそう思って立ち上がろうとしたけれど、ダメだった。クロが私の膝の上に乗ってゴロゴロと喉を鳴らしている。こんな時になんて可愛いことをしてくれるのだ、このネコは。
 うう。こんな愛らしいクロを無下に降ろせない……。 「すみません、諏訪さん。今動けないんで、勝手に上がってくれていいですよ。それとももう帰ります?」
 知らず、声が泣きそうに震える。だけど幸いまだ涙は出ない。そのことに少しだけ安心していると、後ろからごそごそという音がした。ああ帰ってしまうんだな、なんて思っていると誰かが私の後ろに立つ気配がした。こんな状況の中でそれは諏訪さん以外の誰でもないことは明らかなんだけれど、私の背中のところで止まったまま動かないから不思議に思った。でも振り返るのはなんだか怖くて、部屋の中はやけに静かだった。一人で居るよりも静かに感じるなんて可笑しいかもしれないけれど、この静寂さは涙が出なかった安心感をいとも容易く壊した。
 ふわり、と温かさを感じる。
 気づけばなぜだか私は後ろから諏訪さんに抱きしめられていた。
「どうした?」
 それは諏訪さんに言うセリフのはずなのに、なんで諏訪さんが言っちゃうんだろう。
「あのチョコ、もう用済みみたいです。だから、なんか、力抜けちゃって」
「……そっか」
 それから諏訪さんの腕が離れて。でも諏訪さんの気配は全然動かなかった。
「良かったら……俺にくれない? ほんとは、そう言うつもりだったんだ。樋上からの本命チョコ、なんて贅沢は言わないから、せめて義理でも愛のカタチがほしいなって」
「え――?」
 それは、つまり。
 頭の悪い私でもその先はなんとなく分かってしまった。それは、つまり。
「けっこう前から好きだった。樋上のこと。まずは樋上のチョコから欲しいんだけど」
 そう言って照れたように笑う諏訪さんの表情が見たくて、私はやっと振り向くことができた。
 そこには思ってた通りの人好きのする笑顔が浮かんでいて。年よりも幼く見える諏訪さんの笑顔に、私もつられて微笑む。
「ニャア」
 私の気持ちは愛猫が代わりに伝えてくれた。


― fin. ―

にゃー。
と、云う事でくろねこ様から頂きました。
ねこちゃんが可愛いです。
私にはこんな可愛らしくて素敵な恋愛ものは書けないなぁ、と再び確信しました。
ちなみに私がお返しに送り付けちゃったのがこちら

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