イブリースを待ちながら
From 鳳真幸様
青い?そうではないかもしれない。
崩れ掛けた家の辛うじて残った玄関、そしてほぼ完全な形で残った石畳に、彼女は腰を下ろしていた。
空と同じ、色のワンピースの裾が、風に煽られている。
サンダルのヒールを石畳にぶつけて、膝に顔を埋めている。
長い指が石畳をなぞる。
指に付いた砂を擦る。
長い髪が宙に舞う。何度も何度も。
そしてやがて、落ちてきた。
「おい、」
不意に声を掛けられて、彼女は顔を上げた。
赤い鼻緒の下駄、白い足袋、真っ赤な生地に紫色の花を散らした着物を着て、腰に刀を差している、のが順に見える。
「何してるんだ、あんた。そんな処で」
声を掛けてきたのは女だった。
短い髪をうっとおしそうに掻き上げる際に、指の真っ赤なマニキュアが光った。
きれいなゆび。
「わたし?」
「そう、あんた」
「わたしはイブリースを待ってるの。ずっと」
「ふうん」
女も石畳に腰を下ろした。
「私は櫻姫・仁式。職業は侍で属性は『最後の最凶』。あんたは?」
「閼伽=バビット。職業は娼婦。属性は『原始の欲望の体現者』」
「そ。閼伽=バビット、いつから此処に?」
「忘れた。忘れた。ずっと昔か昨日のどちらか」
仁式はそう、と頷く。
閼伽は再び膝に顔を埋める。
空が黄色くなった頃、櫻姫・仁式は立ち去った。
ああ、どうしてこの男はこんなに乱暴なんだろう。
これで彼は気持ち良いのだろうか。
揺さ振られながら閼伽=バビットは考える。
背中が痛い。頭が痛い。下半身が重い。
イイ事なんて一つもない。
閼伽=バビットにとっては。辛いだけ。
「なあ・・・なあ、イイんだろ?」
「ああそうね、痛いのが好みならそうかもね。それも良いかもね」
閼伽=バビットは御座なりの返事をするが、男は聞いていなかった。
勝手に揺れて勝手に絶頂を目指している。
ああ、と御座なりの呻き声を上げれば、揺れる速度が速くなる。
どうでもいい。こんな男は。
そう思いながらまた呻いていると、今日は足音をさせて、櫻姫・仁式が姿を現す。
返り血を浴びて、紫の花がどす黒く染まっている。
「お帰りなさい、仁式」
「ただいま」
「終わったの?」
「終わった。世界は滅んだ」
「そう。お疲れ様。大変だったでしょう」
「別に、慣れた。そっちも早く終わらせろ」
「うん、頑張る」
閼伽=バビットは娼婦。
男にさっさと逐情させて、さっさと帰らせる。
乱れたワンピ−スもそのままに膝を抱える。
「イブリースは?」
「まだ」
「そうか」
「ねえ、ここも滅びるの?」
「ここは元元滅びてる。私が手を出すまでもない」
「そう、ヨカッタ。目印が無くなったらイブリースが来られなくなっちゃう」
「いい天気だな」
「空が緑色だから、明日は晴れるわねえ」
閼伽=バビットは膝に顎を乗せて空を見る。
「いい天気いい天気いい天気いい天気」
唄うように言って、欠伸。
眠い。いや、眠りたい。
「飯は食ったか」
「まだ」
「やる」
白いパンを半分渡す。
二人でもそもそとそれを食べる。
白い。マズイ。ウマイ。柔らかい。甘い。
何だかどうしようもない味。
「イブリースはどこにいるんだ」
「どこにもいないけどどこにでもいる。私の前にはいないだけ」
「腹減らないか」
「減った〜」
「肉が食いたいな」
「イブリースー」
「どこかにいないかな」
「あなたの前にはいるかもね」
滅んだ世界の石畳の上で、明日が来る夢を見る。
「あはははははは」
悪戯を見付かった子供のように、閼伽=バビットは笑った。
仰向けに、石畳に足を乗せて倒れている彼女を櫻姫・仁式は見下ろしている。
冷やかに。
おかしな情事を強要されたらしい閼伽=バビットは腕や足、顔にも痣を作っていた。
「痛いか?」
「うん、とっても」
「痛み止めしかないぞ」
「それでいいわ」
櫻姫・仁式は瓶入りの軟膏を落とす。
「いつも持ち歩いてるの?」
「刺されたり斬られたりするからな」
「そっか」
櫻姫・仁式の穴の開いている左手、空に透かせば丸く赤い空が見える。
「顔には痕を付けさせるな。娼婦だろう」
「気を付けてたんだけど〜」
「じゃあ殺せ」
「それはいやー」
軟膏を塗りながら閼伽=バビットは笑っている。
「今日もイブリースは来なかったわ」
「そうか」
「明日も来ないかもしれない」
「そうか」
「明後日も明々後日もずーっとずーっと」
「でも待つんだろう」
「待つのよ」
閼伽=バビットは起き上がり、櫻姫・仁式を手招きする。
「ここ、座って」
言われるがままにすると、閼伽=バビットは櫻姫・仁式の太股に頭を乗せた。
「斬るぞ」
「どうぞ」
「嘘だ」
「そうでしょうね」
閼伽=バビットはくすくすと声を上げる。
さらりと、長い髪が零れ落ちる。
「アイシテルのか」
「ええ、とても」
櫻姫・仁式も笑う。
「櫻姫・仁式、笑うと可愛い」
「じゃあもう笑わない」
「捻くれ者〜」
閼伽=バビットはむくれて頬を膨らます。
「空が黄色いなあ」
「そうねえ、キレイねえ」
「明日も世界を壊しに行くよ」
「行ってらっしゃい」
「殺したらごめん」
「別に、平気」
笑い顔が交わる。滅びていく世界。
きらりと銃口が光る。持ち主の歯も光る。
サングラスの奥の目が笑う。
「ねえ、死んでくんない?ノルマがやばいんだよね〜」
閼伽=バビットはぼんやりと銃口を眺めている。
「それは困るわ」
「ぼくも困る」
にこにこと笑いながら彼は閼伽=バビットの頭に銃を当てた。
しかしそれが発砲される事はなく、彼は崩れ落ちる。
「だから殺せと言ったのに」
刀を鞘に納めながら、櫻姫・仁式が言う。
返り血さえ浴びず、男の死体を踏み越えた。
「こいつの職業は殺し屋で属性は『殺人快楽者』だから危ないって教えたのに」
「だってお客だもの」
それに寝れば分かるのよ、と閼伽=バビットは言う。
「どんなに姿が変わっていても、イブリースなら寝たら分かるの」
「惚気は良いよ。あんたが死なないように忠告してるんだ」
「ああ、死んだら悲しいもんね」
「悲しいさ。死んだら終わりだからな」
「気を付けるわ。せめて、世界の端っこを見るまでは」
「ここもある意味端っこだけどな」
「そうね。イブリースもまだ来てないし」
「早く来るように照る照る坊主でも下げろ」
「そうする」
櫻姫・仁式は閼伽=バビットに御握りを一つ渡した。中身はビターチョコレート。
苦いのか甘いのかしょっぱいのか。
「私、時時あなたの味覚が正常なのか心配になるの。御握りには黒蜜だと思うんだけど」
「嫌なら返せ。私が食う」
「それも嫌」
「私の心臓は壊れたのかもな」
「それなら私のは最初から。イブリースは生まれる前からだって」
「じゃあ、気にする必要もないか。悩んで損した」
「櫻姫・仁式でも悩むの?」
「あんた、私を何だと思ってるんだ」
「鉄人」
「斬るぞ」
死体が腐り始めた。硝子玉のように、細胞が弾けてどこかへ転がっていく。
そうしてまた新たな命の糧となる。
どこかで。近くで。遠くで。今日。或いは明日。
混ざり合い溶け合いながら、境目が消える。
血の匂いとチョコレートの匂いは似ている気がする。
石畳にサンダルが揃えて置いてある。
閼伽=バビットは居ない。
一人分の足跡がどこかへ続いているが、櫻姫・仁式にそれを追う気はない。
彼女は彼女の仕事を全うするだけ。
何故なら彼女は『最後の最凶』。
抜いた刀で世界を壊す。
そのどこかに閼伽=バビットはいるだろう。
イブリースを見付けて、或いは一人で。
サンダルが逃げていく。
向こう側へ。
世界が一つ壊れた。
閼伽=バビットは切り離せない。
キリリクに不思議な女の子をねだったら本当に不思議な女の子がやって来ました!
いや、不思議なのは女の子じゃなくて世界?
私がこんなの書いたら無茶苦茶になって終わるよなぁ、とちょっぴし思ってたり。
「櫻姫」を見ると最近、(漢字違うのに)「嬰ハ長調」とか思ってしまいます。