
|
雨が降っている。ここはいつだってずっとそうだ。 湿気でうねり具合が増している髪を纏め上げながら私は走る。途中で何人もの魔族を突き飛ばした。 こうなった原因は全てあの男のせいだ。ここにずっと雨が降っていて、私の髪がうねるのも。 許さない。いつか絶対に殺ってやる。 私の殺気に窓が激しい音を立てて割れる。雨が降り込む――どころか滝のようになだれ込む。 「グロリア様!」 「あの雨男はどこに行きやがった!」 ジョンは私を諌めようとしたが私の殺気に固まった。ジョンごときに窘められて堪るか。 いつもいつも、自分は魔王だからって好き勝手やって面倒な後始末は全部私に任せて。 「どこ行きやがったぁぁぁっ!」 私の叫びも虚しく、どんどんと城は水に沈み始めた。 ――昔。私達の世界にも神がいた。 神と魔王の熾烈な権力争いは一億年も続いた。神も魔王も何回も傷付き倒れ、そして蘇生した。 その戦いが終わったのはつい二千年前。二千年前に、六人もいた神は全て封印した。 その神と戦った六人の魔王のうちの一人が私の上司、ハーヴェイ=レインだった。 私もナリは若いがかなりの古株で、彼に仕えてもう三千年が経つ。 最初は、よかった。神との戦いがあったから彼も真面目に働いていた。 だが、今となっては。 唯一の趣味が昼寝と云うぐーたらぶり。他の魔王みたく頑張ってほしい。神が復活するとしたら、絶対にここが最初だ。 「・・・。」 なんて幸せそうな顔で眠っているのだろう。 今回は三日かかった。まさか、私の部屋で寝ているとは思わなかったから。 薄紫のシーツに深く皺が刻まれている。洗濯してからまだ一度も寝てなかったのに。 皺一つ無いシーツ。それを彼が汚した。そう思うと、どうにもやり切れなかった。 「死ねこのボケカスッ!」 ベッドが二つに割れた。思い切り魔力を注ぎ込んで雷を落としたのに、シーツだけが煙を上げている。 「おはよう、ハニー。」 耳元で囁かれた。反撃しようにも、もう腰や腕に手が回っていて身動きすら取れない。 抜かった。 私の悔しみを知ってか知らずか、ハーヴェイはきつく私を抱きしめる。 「目覚めにハニーの顔が見れるなんて、今日は一日楽しく暮らせそうだ。」 「そう。こっちはとっても気分悪いんだけどね。」 こう云う場合焦っては駄目だ。焦ったら、この男はさらに楽しそうにする。 「何を言うんだい、ハニー。ハニーだって俺に会いたかったから来たんだろ?」 ハニーハニーって虫唾が走る。私は食べ物ですか。 「離してくれない?」 「嫌。」 どうしようか。次の手を考えていると。ハーヴェイの手が私の服の中に入って来た。 「死ね。」 やりたくはなかったが思い切り、ハーヴェイの股間に肘鉄を喰らわせてやった。高く上げなければならなかったが効果は絶大。 声も上げず、ハーヴェイは股間を押さえてその場に倒れる。 その隙に。私は茨でハーヴェイを縛り付けた。上から生えるその茨は、元々ここには生えていないものなので元気は無い。 「あのですね、貴方が忘れているようですからもう一度魔王の仕事をおさらいしますよ。」 聞いていないかもしれない。ハーヴェイはこんな状況でも寝ようとしていた。私は茨でハーヴェイを締め付ける。 「それは神を復活させない事。つまり、神が復活するエネルギーとなる人間の希望、その芽を摘み取る事です。」 「それくらい言われなくても知っている。」 知っている、と。私が馬鹿だと言うように、胡散臭い目付きでハーヴェイは私を見ている。 許せない。腹が立つ。殺してやりたい。 主な三つの感情が、私を支配していく。 「だったら……。」 黒い感情。それが黒い炎となって吹き出す。 「実行しろぉぉぉぉぉ!」 それは間違いなくハーヴェイを直撃した。だが。 「危ないじゃないか、ハニー。」 ハーヴェイに当たるには当たったのだが、吸い込まれるように私の炎は姿を消した。 分かっていた。こうなる事ぐらい、たやすく。だが、こうしないとやってられない。 「黙れ。」 「ハニーのこの初雪のように白く美しい手に何かあったら。」 ハーヴェイは私の手を取って、闇のような瞳を私に向ける。 「私は一体どうしたら良いのだ。」 寝ていたら寝ていたで仕事をしない。起きたら起きたで戯言をほざく。 こんな男が魔王だなんて。認めたくない。 「仕事を――」 この男にそんな概念なんて無いだろうけれど。 「しろぉぉぉぉぉ!」 「ハニーはいつも激しいな。」 どれだけ雷がハーヴェイを直撃しようとも雷はハーヴェイに吸い込まれるように消える。 「他の魔王は皆人間を恐怖に陥れているのに!なのになんで貴方は!」 するとハーヴェイは眉を顰めて思い切り嫌そうな顔をした。それが一々腹立たしい。 「アイザックは多少使命感のためかもしれないが――。他のは己の趣味だろう。」 「昼寝が趣味の魔王が恐怖の対象になるかぁぁぁぁ!」 こんなに怒鳴っていたら喉がもたない。悲しくなって泣きそうになってしまう。 本当の私はこんなのじゃない。もっと冷静で、落ち着いていて――。 「全部おどれが悪いんじゃあぁぁぁぁぁぁぁ。」 初めて直撃した、特大の雷。吹き飛ばされたハーヴェイは大きく目を見開いて私を見ている。 嫌いだ。ハーヴェイなんて、大嫌いだ。 「破壊活動でも何でも。とりあえず、していただきますからね。」 私はハーヴェイの襟首を掴む。いつもの事ながら、それは湿っていた。 「……面倒臭い。」 「貴方がサボっていたからでしょう!」 いつか絶対にぶっ殺して私が魔王になってやる。 「ハニー、それで俺は何をすれば良いんだ?」 「お得意の雨で洪水とか反乱起こせば?」 「それだけでいいのか。」 「ちゃんと貴方の仕業だと分かるように。」 「……。」 考えている。その眉間には深い皺が刻まれていた。 やる気になってくれたか。それは素直に嬉しい。 「フハハハハ!我は魔王なり!とか言えば良いのか?」 「貴方が恥ずかしくないのならどうぞ。」 「ハニー、冷たいではないか。」 誰のせいだと思っているのだ。眉一つ動かさないハーヴェイが憎らしい。 「俺が豪雨を起こすからハニーが魔王の仕業だと言ってくれないか?」 「……。それなら協力しなくもないですけど――。」 「ハニー、ありがとう。」 ハーヴェイは恥ずかしげもなく我を抱きしめた。湿っているから気持ち悪い。 「止めていただけますか?」 「ハニーも嬉しいくせに。」 私は思い切りハーヴェイの胸を押す。 やっていられない。 「ハニー?」 「豪雨を起こすのなら早くしていただけませんか?」 「やったら褒美をくれるか?」 「安眠枕でも安眠タオルケットでも何でも差し上げますよ。」 私はハーヴェイに背を向けて歩き出す。 やるべき事をやるだけで褒美をねだるなんて、なんて図々しい。 ハーヴェイが豪雨を起こしたその後。豪雨を止めてほしければ娘を百人寄越せと言っておこう。そしたらきっと、魔王に対する恐怖心が芽生える。 人間は単純だ。不明瞭な事をするより、明瞭である方が恐怖を育ててくれる。 と。窓の外ではまるで水の中にいるように激しく雨が降っていた。 ハーヴェイも出来るのなら早くやってほしい。 「グロリア様。」 目の前には、ジョンが立っていた。たぶん、私がやったのだろう。左腕の肘から先が無い。 「レイン様が目覚められたのですか?」 「人間にこれは魔王の仕業で生贄を出せって言っておいてくれる?」 ジョンはトルコブルーの瞳を伏せる。はらりと金色の髪が横顔を隠した。 「あの方がこんな意欲的に活動するなんて――。」 「困るのは貴方じゃないでしょ?」 「……。」 そう、どちらにしたって困るのは私。ジョンに被害は及ばない。 「グロリア様。」 ジョンは上目使いに私に呼び掛ける。 次の言葉を促すように私は軽く首を捻った。 「ここ三百年、そう云う活動をしていなかった訳ですから――。あの、人間が信じなかったら――?」 「雨を止ませなければ良い事。あと、貴方のお友達のクリフに言っておいて。」 「クリフは友達ではありません。」 ジョンは苦虫を噛み潰したように言った。 元々ジョンとクリフは折り合いが悪い。だから、からかってやるのがどうしよもなく面白いのだ。 「そう?」 「そうですよ!」 白かった肌がまるでトマトのように赤くなる。 ハーヴェイにセクハラされた後はジョンを虐めるのが一番。 「私とあんな野蛮生物が!友達な訳ありません!」 「ジョンはそう思っていてもクリフはどう思っているか。」 「そんな訳――」 「無い。」 そう言い切ったのは面白くない事にクリフ。内心、私は舌打ちをする。 クリフはジョンと違ってからかい甲斐が無い。 「じゃあジョン、後はよろしく。」 「グロリア様ぁ。」 「グロリア様、レイン様が目覚められたのですか?」 「それはジョンに聞いて。」 威嚇をするようにクリフを睨み付けるジョン。 肩に巻いた狼の毛皮の尾を指で玩びながらクリフはジョンを睨み付ける。 もっと二人を見ていたかったが放っておく方が楽しそうだったので私は二人に背を向けた。次にどうなっているか楽しみだ。 ハーヴェイが目覚めているうちに。勇者が来るように仕掛けよう。 続々と勇者が来ればハーヴェイだって呑気に寝ている事が出来なくなるはずだ。 何でも良い。ハーヴェイに魔王らしい事をさせられるのであれば。 ハーヴェイの仕業に見せ掛けて。私は堪まったストレスを人間の村にぶつけた。 「グロリア様。」 音も立てず、クリフが私の後ろに立っていた。この男はこれが気持ち悪い。 「何?」 私は答えながら腕を組んで振り向く。少し胸を寄せるのがポイント。 「勇者が来ました。」 「そう。魔王の出番ね。」 胸が跳びはねる。やっと、この百年私の目指していた事が実現する。 もう魔王が魔王なら部下も部下なんて言わせない。 「それが――。」 眉間に寄る眉。クリフの眉が動くのなんて、ここ何百年もなかったのに。 おかしい。そう思ったら、最後。 「レイン様が、その――。」 クリフが言い淀む。大体予想は出来た。 「寝た?」 「勇者の目の前で。」 「……。」 殺したい。これ程明確に殺意を覚えたのは久しぶりであって、いつもの事のような気もする。 「生かして帰すな。」 「ジョンが応戦中です。何せ、数が多いもので。」 「私が行く。」 一人として、生かす訳にはいかない。 「場所は?」 「お連れいたします。」 ジョンと人間どもが戦っていたのはジョンに用意させた人間から見ていかにも魔王がいそうな洞窟。断じて本拠地に人間を上げたくなかった。 戦っているジョンと人間。一番奥で眠りこけている憎いハーヴェイ。 なるほど、確かに人間の数は十に及んでいた。ジョンは攻撃を防ぎながら逃がさないようにするのが手一杯に見える。 「退きなさい。」 と、ジョンが固まった。余程殺気に満ちた眼をしていたのかもしれない。 ジョンはすごすごと人間に背を向ける。 逆にいきり立ったのが人間。その熱苦しい偽善に燃える目を私に向けた。 「お前は――!?」 たかが人間ごときにお前呼ばわりされる筋合いは無い。 「死ね。」 炎が全てを焼き尽くした。人間の、全てを。残っているのは眠るハーヴェイだけ。 「クリフ、貴方の手下に食べさせておきなさい。」 「――分かりました。」 だが、その目は食べさせられるものか、と言っていた。 「勇者はもう問答無用で殺って。」 生かして帰さなければ、魔王がやったも同じ事。 「ただし、一匹たりとも生かすな。」 「了承しました。」 その足でハーヴェイの元へ向かう。そして思い切り、横腹に蹴りを放った。 ハーヴェイにそれが当たる事は無かったけれど。 思い切り、息を吸い込んで。 「起きろぉぉぉぉぉぉ!」 久々にグロリアに起こされる事なく目覚めた。 ハーヴェイは辺りを見渡す。そこは自分の部屋で。寝た時と同じ椅子の上だ。 グロリアに結界が破られた様子はない。 ハーヴェイは部屋から出る。大きな窓ガラスの向こうには、断罪の塔が見えた。 雨で霞んではいるが、ずっと変わらずに建っている塔。あそこには彼女が住んでいる。 昔はちゃんとこの城に住んでいたが、ハーヴェイのセクハラに耐え切れずあそこに棲家を移した。 しかし。ずっとハーヴェイに仕えてくれているのは、グロリアがハーヴェイを好きだからだ。と、ハーヴェイは信じている。 寝起きに彼女の顔が見えないのはどうも気分が悪かった。 逢いに行こう。 顔を真っ赤にして怒る彼女も、ハーヴェイには堪らなく愛おしかった。 断罪の塔の最上階に彼女はいる。階段を上がるのが面倒臭かったのでハーヴェイはいつも通り空間を渡った。 黒い大理石で出来た床。その上の真紅のカーペット。また、窓際に飾られた黒い花瓶の深紅の薔薇。 見慣れぬベッドに薄紫のシーツ。そこにはいない。 黒いドアを開ける。寝室にいないのなら――。 書斎。黒いドアの向こうは全くの異空間だった。 広い広い空間。その片隅に、大きすぎるくらいの机が置いてあった。それとドア以外を埋め尽くす本の山。天井にまで届いている。 机にも椅子にも本が山積みにされているその隣り。そこに彼女はいた。 雪のように白く細い腕には分厚い本が抱えられていた。柔らかく緩いウェーブを描く髪が小振りな顔を縁取りそれに流れている。 今は閉じられているが、目を縁取る豊かな長い睫毛。ふっくらとした、薄紅色の小さな唇――。 ハーヴェイはその唇に接吻した。いつもと違って怒鳴る声はない。 ゆっくりと上下する豊かな胸。ハーヴェイは段々と接吻を顎、首筋、鎖骨、と落としていく。 その時。 紫水晶のような神秘的で大きな瞳が、ハーヴェイを見下ろした。 |