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一章 迫る崩壊


 歩くと、少しだけ埃が舞い上がる。十分に手入れがされていない証拠だ。
 普通の王宮ならばあってはならない事だろう。普通の王宮、ならば。
 しかし、このデュトルエル王国ではそれが許された。
 一般の王城より少し広いくらいの王城に、王族の三人を除けば今いるなは百人弱。少な過ぎる。
 しかも、残っているのが他に行く宛ての無い最下級の者ばかりだった。
 才能のある者、裕福な者達は早に敵国に寝返るか他国に逃亡している。キアラの家族だってそうだ。
 キアラの家族――ルーシュ家は代々多くの魔術師を輩出する。名門だった。デュトルエル王家との繋がりも深い。魔術師なんてそうそういるものではないからルーシュ家は貴重な存在である。
 だからデュトルエル王国が傾き始めた時には真っ先に引き抜きの話があった。キアラは反対を続けたが、最後の最後になって家族は皆他の国へ行った。他の大陸に行ったのがせめてもの義理立てだっただろう。今は裕福に暮らしているらしい。
 他国に侵略されるまで秒読みでも、王家が断絶寸前でも構わない。キアラは王女を守りたい。その為だけに家族と離れてまでもキアラは此処に残ったのだ。
 キアラがルーシュ家希代の天才と言われてデュトルエル王国が滅び逝くのは止められない。だから、王女だけは。滅びるのを見守るのではなく王女だけは助けたいと思う。
 舞い上がる埃の濃度が濃くなってくる。
 口元を押さえながら埃を我慢して進むと扉が二つ、見えて来た。一つは頑丈に幾重にも鎖が巻かれた扉。一つは鎖と、更に魔術が掛けられている扉。
 一つはダミーで、一つはルーシュ家が所有する書庫に通じる言葉だった。デュトルエル王国の全ての魔術書はルーシュ家が所有するので厳重に保管されているのだ。
 この書庫に入るのはキアラも三年ぶりだった。十四歳の時に王国を救う方法を探そうとして以来である。
 キアラの家族が出て行った今、この大陸でこの扉を開けられるのはキアラしかいない。
 口元から手を離し、キアラは軽く息を吸い込む。鎖に集中して、呪文を唱えようとしたその時だった。
「キアラ。」
 鈴を転がすような、けれども弱々しい声が廊下に響いた。
「ニーナ王女。」
 柔らかな淡紅色のドレスに身を包んだニーナが廊下に立っている。ドレスの裾には埃が付いている。不安そうに大きな空色の瞳が動いていた。
 どうして彼女が此処にいるのだろう。しかも、一人で。
 キアラは不思議に思った。だがニーナの事だから何か理由があるのだろう。
「どうしたんですか?」
「コレットに聞いて――。」
 コレットはニーナの世話をしている女官だ。彼女も理由があって城に残っている。歳が近い事からキアラも仲良くしている。
「キアラがいなくて、不安だったから――。」
 キアラはニーナに向かって微笑んだ。
 三つもキアラより年下なのに過酷な運命を背負った少女。守りたいと、切実に思う。
 許されるのならニーナだけでも家族と一緒に違う大陸に連れて行ってやりたかった。ただ、ニーナの立場を考えるとそれは不可能だったが。
「だったらお部屋に帰りましょうか。」
「えぇ――。今日は一緒にいてくれる?」
「勿論です。」
 ニーナも、不安なのだ。
 この国はニーナが生まれた時から不安定だった。王族が三人しかいないと云うのも異常なのだ。ニーナが生まれて増えると思ったが后が亡くなってしまったので同じなのだが。
 そして、王族の不足に加えて他国からの侵略。前々からその気配はあったが最近になって本格的になった。今は戦争こそしていないが、敵国が行動を起こせばもう終わりなのだ。
 それに加えて現在流行っている疫病。もう何かに呪われているとしか思えない。
 デュトルエル王国も五百年前を境に徐々に衰退したと聞く。だから、これは誰にも止められない。
「ねぇ、キアラ。」
 ニーナがキアラの手を握る。細く柔らかな、繊細な手。
 これが高貴な手と言うのだろうか。キアラの畑仕事で荒れた手とは全く違う。
「あのね、新しい本が欲しいの。」
「分かりました。」
 嬉しそうにニーナは笑みを浮かべる。キアラもまたそれが嬉しくて笑みを浮かべた。
 ニーナは城から出る事が出来ない。だから、代わりにキアラが城の外へ出てニーナの欲しい物を買う。
 大体ニーナが欲しがるのは本だった。本と言っても様々で、どんな物でも読む。最近は同じ年頃の少女が読む雑誌が気になるようだ。
 だが、キアラは全く興味無い。人生の大半を魔術に注いだキアラにとってそれは今更興味の持てない物だ。
「何買って帰りましょうか?」
「新しい雑誌と――、歴史書が欲しいです。」
「歴史書?」
 キアラは眉を顰めた。
 腐っても此処は王宮。歴史書なんて腐る程ある。
「また何で?」
「五百年前の事が知りたいの。其処の記録だけ、見付からなくて。」
「――。」
 五百年の記録。キアラはニーナが何を知りたいのか瞬時に分かってしまった。
 ニーナが知りたいのは、或る童話の元になった史実だ。
 この国には古い童話がある。お姫様が悪者に攫われて、三人の騎士がそれを助けると云う有り触れた話。
 そんな何の変哲も無い童話が何故五百年も残っているのか。その理由は簡単。史実を元にしているからだ。
 ニーナが小さい頃、キアラが何度も読み聞かせた童話。
 架空の話だけは残って史実は残っていない。何も。まるで誰かが意図的に消したように。
 否、実際に誰かが消したのだろう。王家の人間かそれに深く関わる誰かが。推測するに今の王家に余程不利な歴史なのだ。
「でも、王家に無い物が街に売ってるとも思えませんけど――。」
「探すだけで良いの。」
 キアラの手が、力強く握られた。
 ニーナは俯いている。だが、何かを堪えている事は直ぐに分かった。
 物語に、過去に縋りたいニーナの気持ちも分からなくはない。
「だったら早速明日にでも行ってみます。丁度何か魔術書が読みたいな、って思ってましたから。」
「ありがとう。」
 ニーナが微笑む。その笑顔は可愛らしいが頼りなく、今にも消えてしまいそうだった。
 その笑顔だけで良い。全てを失ってもその笑顔があれば――もっとニーナが思い切り笑えるようになれば――それで良い。
「あまり期待しないで下さいね。」
「駄目で元々だから――。」
 キアラはニーナの手を握り返す。守りたい少女。
 此処にキアラはいる。この少女の中に。



 キアラは本を眺めながら立っていた。眉間に自然と皺が寄っているのが何と無く分かる。
 最後の本屋の、最後の歴史書コーナー。此処にも、キアラの――ニーナの捜し求める本は無かった。
 見付かるとは思っていたが、不甲斐無い。
 ニーナに頼まれたファッション雑誌だけを片手にキアラは城に引き返す。
『Metastasis』(転移)
 転移魔術を使うと自分の部屋の、ベッドの脇に書かれた魔法陣の上に立っていた。確かに転移魔術は便利なのだが転移用の魔法陣が書かれた場所にしか行けないのが不便である。こんな事を言ってコレットに怒られなような気もするが。
 魔法陣から出るとキアラは部屋を出る。暇を持て余しているニーナに最も早く雑誌を届けたかった。
 唯一と言って良い程の、丁寧に掃除された廊下。王族の部屋に続いている。
 刻々と滅びへ向かう王国。王や王子は、一体何を考えているのだろうか――。
 自然と、キアラの足は止まった。
「キアラ。」
 名を、呼ばれる。
 振り返るとコレットが箒を片手に持っていた。掃除の途中だったのだろう。
「何?」
 キアラが返事をすると、コレットは辺りを見渡す。そして声を顰めた。
「敵国が、キアラを渡せって言ってるらしい。」
「――。」
 またか、とキアラは心の中で溜息を吐く。
 こんな事は前から何度もあった。キアラ程の逸材を欲しいと思うのが国だろう。
 だがキアラは今までそれを跳ね退けていた。デュトルエル王国は手の内にあろうが、キアラには下手に手を出せない。キアラは魔術師なのだから。
「それで?」
「姫が泣いて嫌がって――、それでベルナール王子も向こうを説得しようとしているらしいわ。」
「やっぱり王はまだ駄目?」
「マルセルがもう長くないって。」
「奴はヤブ医者だからなぁ。」
 マルセルは混乱に乗じて城に上がって来た独学の医者だ。だが、キアラは彼の腕が確かなのは知っている。だからそれも真実なのだろう。
 しかし口でそう言っておかないと不安になる。王が亡くなれば、いよいよこの国は。
「それで私が行かないとどうだって?」
「それは分からないわ。」
 コレットは肩を竦めて首を振った。
 どんな条件を出されてもキアラはニーナの側を離れない。絶対に。
「コレット、これ。」
 キアラはコレットに雑誌を渡した。買ったばかりなのでまだ茶色い袋に入っている。
「ニーナ姫に渡しておいて。」
「キアラはどうするの?」
「書庫。」
 滅亡は目と鼻の先まで近付いている。だからと言ってキアラは諦めない。
 諦めない、では語弊がある。諦められないのだ。最後の最後まで悪あがきをしてやる。家族と別れる時から決めていた事。
 最後の悪あがきが出来るとしたらヒントは書庫に隠されている筈だ。「デュトルエルにルーシュ在り」と言われた名家の書庫に。
 ニーナを、ニーナやベルナールを救える魔術だって見付かるかもしれない。
 もっと早く行くべきだった。違う。誰が何と言おうと、今が一番良い時なのだ。
『A key , exsisto infractus』(鍵よ、壊れろ)
 開いた扉の向こうには懐かしい景色が広がっている。本で埋め尽くされた壁。中央の丸テーブル。大人一人が通るのがやっとの本棚と本棚の間――。
『Ostendo is pro mihi ; history libri』(我の前に示せ、流れの書を)
 何かをぶつけたような鈍い音がしたかと思うと、キアラの前に無数の歴史書が並んだ。綺麗に古い歴史から新しい歴史に並ぶ。
 キアラは魔術にしか興味無かったのでこんなに歴史書がこの書物に眠っていたのは始めて知った。
 そして丁度五百年――イージス歴1250年頃に目を止める。あるではないか。分厚い物が。
 デュトルエル王国が衰退する境と言われた時代。時の流れならそれまで。
 キアラはその本を手に取った。ずっしりと重い。
『Redeo』(戻れ)
 何かある筈だ。デュトルエル王国が衰退するに至った原因が。
 隠された歴史の中にそれがある、と思うのは自然である。
 本を開くと最初に飛び込んで来たのは紅い文字。血のように紅い。魔術師が呪文の詠唱に使う古代語で書かれている。
  history ut eram hushed sursum.(葬られた歴史。)
 やはり。童話の時代。何者かに隠されていたのだ。
 それがルーシュ家の書庫にあると云う事は、ルーシュ家が隠したか他の何者かが隠した歴史をルーシュ家が守ったか。

 その歴史書に書かれていた内容を要約するとこうだった。
 後に言う大陸戦争で当時即位していた王が戦死した後に、王弟が仮即位し戦争を続ける。そして、和平の条件として王女――童話の王女――と敵国の王子の結婚を要求された。彼女の名前はローズと言ったらしい。キアラは『暁の王女』と言う愛称しか知らなかった。
 和平の条件はそれだけだったが、それは長引いた。ローズには恋人がいたのだ。童話でもローズの恋人として語られる、宵の騎士――シルヴェール=グェルフィ。彼は名を残す魔術師でありながら騎士の称号も授かったキアラの憧れである。
 それで結婚の事で色々揉めていると後継者争いが勃発した。即位は仮即位でしかなかったからだ。
 争ったのは仮即位していた王弟と、二人の王子。二人はローズの異母兄と同じ母の弟だった。
 その間にローズに俗に言う駆け落ちをしようとする。その時に供をしたながシルヴェールの他に蒼の騎士――クロード=ランベール=ダルシンと、風の騎士――テオドール=コーヴァンである。語り継がれる薔薇の騎士達だ。
 兄に連れ戻され、ローズの駆け落ちは失敗に終わった。その時にその兄が正式に即位したらしい。
 そしてまたローズは駆け落ちを実行する。今度の追っ手は兄ではなく、敵国の王子。その時に薔薇の騎士達はローズの為に散った。
 だがローズはあっさりと捕まり敵国の王子と結婚したと言う。

 隠す程のものではない。これがキアラの素直な感想である。
 ――この国が傾いたのは薔薇の騎士達の呪いではないろうか。キアラは少し、そう思った。だが、ならば敵国も一緒に呪われている筈だった。
 それにしても面白いのは敵国だ。隣国と云う事もあるだろうが、敵国が五百年前も今も同じと云う事だ。和平はこの記述だと結ばれた筈なのに。
 結局、歴史にもこうなった理由は書かれていなかった。理由が欲しいと、キアラが願っているだけなのだろうか。
 薔薇の騎士のように――、ニーナを助けてくれる騎士が表れないだろうか。結局彼らもローズを守れなかったが。
 ニーナには見せたくないが、部屋に帰ってもう一度読み返そう。
 キアラは部屋に転移した。途端に激しくドアを叩く音が聞こえる。
 緊張が走った。嫌な予感が、する。
「何?」
 ドアを開けると真っ青な顔をしたマルセルが立っていた。微かに唇が震えている。
「王が――。」
 王が何だと言うのだ。
「もう、最期だ。キアラを読んでいる。」
 キアラはマルセルの言葉を最後まで聞かずに走り出した。王が、とうとう。
 一分一秒が、今までとは比にならないくらい、長く感じる。
 王の寝室の周りには殆どの使用人達が集まっていた。皆涙に頬を濡らしている。
「どいて!」
 使用人を押し退けて王の寝室に入る。泣き腫らした目のニーナと、神妙な面持ちのベルナールが王を囲んでいた。
 キアラに気付くとベルナールはニーナの肩を叩く。ニーナはキアラの方を向くと、一層激しく泣き始めた。ベルナールがニーナの肩を抱く。
「ルーシュ――。」
「ベルナール様。」
「父上を、頼んだよ。」
 まるで風が通り抜けるように、ニーナとベルナールはキアラの横を擦り抜けた。ニーナが縋るようにキアラを見ている。
 キアラは王に歩み寄った。膝を着くと丁度王の顔を覗き込むのに良い高さになる。
 目は閉じられていた。苦しそうに眉間に皺が寄って、脂汗が浮かんでいる。
「王。」
 薄うっすらと、王の目が開いた。
「ルーシュ――。」
「はい。」
「妻の部屋に――、禁術の、魔術書がある。」
 禁書か。何故それが。
「私にどうしろと言われるのですか?」
 禁術には出来るだけ関わりたくない。
「見える。」
「王?」
「あの書には、真実が――!」
 少し黄ばんだシーツに、鮮血が飛び散る。王が激しく咳き込んでいた。
「マルセル!」
 キアラは力の限り叫ぶ。少し喉が痛くなって咳き込んだ。
 痩せ細ってしまった王はキアラにも楽々抱き抱えられた。背中を摩ると王の突き出た骨が手に当たる。
 激しく開いた扉からマルセルが駆け込んでくる。しかし、もうマルセルは必要でないだろう。
 王の体重が、キアラの腕の中に全て掛かった。力無い王。しかし、キアラが最近見た中で一番安らかな顔をしていた。
「キアラ――。」
 マルセルも察したのだろう。王に近寄ろうとはしなかった。
「ニーナに、――伝えて来る。」
「待て!」
「離せ!」
 ニーナを守るものが、また一つ崩れ落ちた。
 それだけでなくて、キアラの胸から熱いものが込み上げてくる。息苦しくなった。
 キアラの家族が他国へ行っても、仕方無い、と許してくれた。キアラを責めなかった。
 優しかった王。
 王の寝室から出ると、使用人達が一斉にキアラを見た。知りたそうな顔をしている。王の事を。聞くまででもないのに。
 使用人を押し退けてキアラは歩く。ニーナてベルナールに知らせなければ。本当は、嫌、だと思う。ニーナの泣き顔なんてもう見たくない。
 ニーナの部屋の前に着いても、躊躇していた。この扉をノックして、知らせるべきか、どうか。
 キアラが、伝えなくても、誰かが伝えてニーナは知る。それなら――。
「ニーナ姫。」
 直ぐに扉が開いた。
「お父様は?」
 キアラは首を振る。分かっていた事だろうが、辛い。
 ニーナはその場に泣き崩れた。どんな言葉も今は相応しいと思えなくて、キアラはニーナを抱き締める。
 薔薇の騎士なら――、クロード=ランベール=ダルシンなら、テオドール=コーヴァンなら、シルヴェール=グェルフィなら。何とか出来たかもしれない。彼らがいたならば、ニーナだって喜ぶだろうに。
 今度はニーナの命だって危ないのだ。キアラには守る自信はある。だが、それに政治が絡むと。
 キアラの胸の中で泣きじゃくるニーナは本当に弱い存在だった。何も、出来ない、鳥篭の鳥。