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ニ章 暁の王女
 音が、聞こえる。優しい音が。これは――。バイオリンの音色だろうか。
 その音は、キアラを眠りから覚ますようにももっと深い眠りに落とすようにも聞こえた。
 頭の何処か一部分だけ冴え渡っているのに、他は混沌に沈もうとしている。何かを考える事を拒否している。
「■■。」
 優しい音色に重なって、声が響いた。その音色とは全く違う、不釣り合いな声。
「おい。」
 キアラを呼び覚まそうとする。
「起きろ、馬鹿。」
「誰が馬鹿だぁ!」
 跳び起きると同時に、額に衝撃が走った。思わずキアラは額を押さえる。何処かでぶつけたらしい。
「痛ぅっ!」
「人にぶつかっておいて何なんだ。」
 それは、不機嫌そうにキアラを睨み付けた。
 薄い緑の髪に、薄い青の瞳の爽やかな色彩。顔は少々キツめだがとても整っている。
 服装、腰に刺している剣から推測すると騎士だろう。
「売春婦、どうして俺の部屋で寝てやがるんだ。」
「ばっ!?」
 確かに。もし、これが五百年前ならキアラの服は露出が多いかもしれない。臍が見えてるし胸や肩だって開いているのだから。
 だが。初対面の女性に向かって売春婦とは何事か。それでも男なのか。
 キアラは彼の胸倉を掴んだ。
Saevio ventus!(風よ舞え!)
alio quisnam torqueo mihi(我に仇成す者を)
Peniculus is off!(打ち払え!)
 途端に強風が吹き荒れた。彼は風に耐え、目を閉じる。
「私はキアラ=グレース=ルーシュ!売春婦じゃない!」
「ルーシュにお前みたいな女はいない!」
「でもルーシュはルーシュなんだよ!禿げ!」
「誰が禿げだ馬鹿!」
「魔術師は馬鹿にはなれんわぁ!」
 風の勢いが増した。彼が噎せ始める。
 泣いて許しを乞えば許してやらない事も無いのだが、彼はそんな気配を見せない。それが少し癪に障る。
「騒がしい。」
 そう言って、誰か第三者が入って来た。その者に危害が掛かってもいけないのでキアラは風を止める。
「魔術って事はシルヴェールでも怒らせた?」
「ルーシュの売春婦が」
「違う!」
 キアラは怒鳴り付けた。
 入って来たのは大人しそうな顔の青年。落ち着いた茶色の髪とは対象的に、ピンクの瞳が派手で目立っていた。印象的な瞳。
「――誰?」
 彼は真っ直ぐにキアラを見詰めて言う。
「キアラ=グレース=ルーシュです。」
「――ルーシュにそんな人いた?」
「いねぇよ。」
 当然だ。未来から来たのだから。しかし、核心が持てないのにそんな事を言っても良いのだろうか。
 しかしでも取り敢えず。
「私は五百年後の未来から来ました。クロード=ランベール=ダルシンかテオドール=コーヴァンか、まぁ出来ればシルヴェール=グェルフィに会いたいんですけど。」
 途端に二人は固まった。何か、拙い事でも言ってしまっただろうか。
 キアラが不安になっていると口の悪い方が口を開く。
「クロード=ランベール=ダルシンは俺だ。」
「嘘!?」
「それで、俺がテオドール=コーヴァン。」
「・・・。」
 信じられない。何か、もう、色々と。
「蒼の騎士があんなのだなんて――。」
「は?」
「取り敢えず、シルヴェールさんに会わせてもらえませんか?」
 と、急に腕を掴まれた。クロードが、キアラの瞳を覗き込む。
 悔しい事に、胸が弾んだ。どんなに性格が悪くても、クロードはそれ程整った顔をしていたから――。
「お前みたいな怪しい女に会わせられるか。」
 前言撤回。どんなに顔が良くても性格が悪かったらどうにもならない。
「だからぁ!」
「未来から来たなんて信じられるか。」
 ご尤もで。
「シルヴェール様に会わせてくれたら分かる!」
「どうして?」
「だって時空を越える魔術はシルヴェール様が記したのよ!」
 キアラはクロードに禁書を突き出した。クロードは目を細め、禁書を受け取る。
「――確かにシルヴェールの字だ。」
「ほら!」
「でも駄目だ。」
「どうして?」
「お前は牢屋に放り込まれるからだ?」
「はァ!?」
 クロードに腕を捻り上げられた。痛くてキアラは思わず顔を顰める。
 性格がキツイとは書かれていたが、――キアラにとって――これ程とは。
「この時代で魔術使えるのはこの大陸でルーシュ家の人間かシルヴェール様しかいないでしょ!?」
「ルーシュでも油断ならない。」
「ローズ様の敵かもしれないからな。」
 ローズの敵、と云う事は権力争いの時期かもしれない。
 それにルーシュでも油断ならないのならルーシュ家紋章入りバッチを見せたとしても無理そうだ。
「お兄さんが勝ちます。」
「は?」
「ローズ王女の兄が勝って、ローズ王女はシルヴェール様と駆け落ちするんです。」
「・・・。」
 急に、クロードとテオドールは黙り込んだ。その顔が深刻で、キアラは何だか不安になる。
 クロードとテオドールは顔を見合わせる。アイコンタクト。それが更にキアラの不安を煽った。
「――お前が何でそんな事知ってるんだよ。」
「だから未来から来たんだってば。」
「取り敢えず斬り捨てとく?」
「あぁ。」
 クロードが剣を抜いた。刃が鋭い光を放っている。
 千年に一人の魔術師がシルヴェール。千年に一人の天才がテオドール。千年に一人の剣士がクロードと言われていた。脚色にしても、キアラの命は危ない。
 だが、キアラも殆ど自称ではあるが天才魔術師だ。
Lux lucis in meus palma!(光よ、我が掌に!)
 キアラの掌に、光が収縮される。クロードが目を細め、顔を背けた。その隙にキアラはクロードを突き飛ばす。
「待て!」
 窓を蹴り破って、キアラは外に飛び出した。今までいた部屋はかなり上の方だったらしく、浮遊を感じて落下する。
 このままでは地面に叩き付けられてぺしゃんこなので、キアラは急いで呪文を唱えた。
An apparition of a victus alio of ventus,(風の精霊よ、)
Vos servo mihi,(我を包み――)
 キアラが呪文を唱え終わる前に、キアラの身体が止まった。それ以上は落下せず、浮いている。だが身動きが取れない。
 そして、キアラが落下するであろう予定であった地面には、一人の男性が立っていた。
 暗い。暗い、それでも輝く漆黒を身に纏った男性。少年と呼ぶには大人びていて青年と呼ぶにはあどけない。
 漆黒の瞳が真っ直ぐにキアラを見詰めている。肩に合わせるように不揃いに切られた同じく漆黒の髪が風に揺らいでいた。
 美しい。キアラは目が離せなくなる。こんなに美しい男性が、存在しても良いのだろうか。クロードとはまた違う、神秘的な美しさ。
「クロード。連れ込んだ女を突き落とすとは何事だ?」
 男性にしてはやや高い、けれども落ち着いた事。
「――取り敢えず上がって来い。シルヴェール。」
「シルヴェール様――?」
 信じられない。キアラは、自分の胸が感動で埋まっていくのを感じた。
 キアラの憧れの、シルヴェールが今此処に。しかもこんなに美しい。
 ぱちん。シルヴェールが指を鳴らす。すると、キアラは今度は上に落ちていった。



「信じられない。」
 シルヴェールが自分の顎に手を当てながら言った。
 キアラは、また改めて自分の事を話した。今度はシルヴェールがいたから丁寧に。
「確かに時を越える魔術の研究はしていたが――。成功していたなんて。」
「そっちか。」
 クロードがシルヴェールの腹を叩いた。シルヴェールはそれを叩き落とす。
「しかし、どうして時空を越えたんだ?」
 本題は此処からである。
「貴方達の時代が原因で、私の時代でデュトルエル王国が滅びる寸前なんです。」
「何故?」
「だからそれを調べに着たんです。」
 クロードとテオドールとシルヴェールは、互いに顔を見合わせた。
「テオ、どうする?」
「シルヴェールは?」
「任せる。」
 一斉に三人の視線がキアラに集中し、キアラは嫌な気分になった。
 テオドールが品定めするように、キアラを見る。何と無く癪に障ったのでキアラは睨み返した。
「君はどうしたいの?」
「原因を突き止める為に貴方達に付き纏います。出来ればシルヴェール様にも弟子入り出来たらなぁって。」
 テオドールか肩を竦めてクロードを見た。その動作が何と無く気に障る。
「でも君の言う事を全て信用する訳にはいかないし。」
「堂々巡りかよ。」
「ん?」
 キアラが吐き捨てるように言った言葉にテオドールが反応した。
「いえ。信じてもらえないんなら私はシルヴェール様に弟子入りしますから。」
「生憎弟子は募集していない。」
「だったら毎日押し掛けます。」
「・・・。」
 シルヴェールは黙り込んで頭を押さえた。そんなに困らせるような事を言ったか。
「食う寝る所に住む所。どうする気だ?」
「あ――。」
 一番基本を忘れていた。
 シルヴェールに弟子入りしたら、シルヴェールの所に住み込まねばならない。キアラはそれでも全く構わないが。貧乏生活には慣れてるし、家事もお手の物だ。
 だがシルヴェールに断られている今の状況では。野宿しか道が残されていない。
「此処に住もうかな?」
「俺の部屋だ。」
「ケチぃ。ダルシンの次男坊だから部屋なんて幾らでもあるんでしょお?」
「だからって何でお前に譲らにゃならんのだ。」
「だって私は魔術師だもん。」
「どう云う理屈だ。」
 そんな事言われたってキアラにも分からない。適当に言っているのだから。
 ついでに可愛らしく頬を膨らませてみる。
「気持ち悪い。」
「分かってる。」
 思い切り背中を叩いてみた。クロードに手を捻り上げられる。
「女の子に気持ち悪いって言ったんだから泊めてね。」
「はァ?」
「この時代の服とかも欲しいし、やっぱ食べないといけないから仕事、紹介してくれる?」
「――。」
 人間、図々しいのが一番。図々しくないと何も出来ないのだ。
 キアラはクロードににっこりと微笑む。
 クロードは何も言えず、馬鹿のようにキアラを見詰めていた。



 キアラはクロードの紹介で、宮殿の清掃員として働く事になった。所謂メイドである。
 住む場所もメイド用の部屋を与えられた。クロードの紹介で、クロードの親戚として働いているので勿論個室である。苗字がルーシュだと拙いので苗字はダルシンと名乗らせてもらっている。
 此処に来た目的を忘れてしまいそうな程に良い生活だった。だが、ニーナを出来るだけ多く思い出して忘れないようにする。
 そして今はどう云う時か調べた所、元王弟とローズの兄弟達が争っている所だった。現時点では元王弟がかなり優勢らしい。どう転んで兄が勝つのか少し楽しみである。
 その次に兄が優勢かと思いきや兄よりも弟が優勢だった。兄は庶子の為有力貴族の後ろ盾が得られなかったらしい。
 同じ母の弟の為か、ローズに仕える薔薇の騎士達は弟に味方をしているようだった。だがそれに敗れて追われてしまうのだろう。ついでに恋愛も成就させようと言うなら立派な駆け落ちだから事実だろう。
 それにしてもローズは絶世の美少女らしい。吟遊詩人によると、髪は暁を凝縮した色で瞳は深海がどうのとか。彼女が微笑めば花も恥じらい宝石も輝きを失うらしい。おめでたい事だ。
 平和ボケしてしまってもいけないので、キアラは呪いについて整理してみた。キアラの中で一番有力なのは呪ったのはシルヴェールと云う説。そして、後で後悔してローズの子孫ならこの土地を治められるとした。ならば何故滅びへ向かっているのかと云う矛盾も生じる。
 仮説は幾らか立てたが、どれにも矛盾ばかりが存在する。とにかく何かが起こるまで付け回してやろう。
「キアラ。」
「はい?」
 キアラは先輩清掃員に呼ばれて振り向いた。困ったように顔を顰めている。
「何ですか?」
「終わったら中庭も掃除しておいて。」
「分かりました。」
 キアラがそう返事をすると、彼女は安心したように胸を撫で下ろして元来た方に帰って行った。
 毎日隅々まで、しかも清掃専用のメイドが掃除して。キアラの時代では考えられない。王宮はこうあるべきだとは思うが、何だか嫌味な気がする。
 キアラは力一杯窓を擦り、窓拭きを終わらせた。次は中庭だ。バケツに雑巾を放り込むとキアラは倉庫に箒を取りに行こうとする。
「キアラ、終わったならこっち手伝って。」
「ごめん、他の場所頼まれたから。」
「そんなぁ。」
 倉庫は薄暗いが、綺麗に掃除されているので不快ではない。箒と塵取りを手に取ると、今度は中庭に向かった。
 中庭には人工の池と樹木、季節の花壇がある。今、花壇には赤や白、オレンジの薔薇が咲き誇っていた。キアラの時代には見る影も無くなっていたが。中庭があった事すら知らなかった。
 中庭の掃除は落ちた葉や枝を集めるだけで良かった。花の手入れは当然だが、庭師がやる。
 此処は王族表れる場所なので綺麗にしなければならないらしい。王宮なのだから当然と言えば当然である。
 それにしても、何もせずとも綺麗な庭を掃除するのは腰が引けた。落ち葉でさえ美しい、とキアラは思う。
「一丁やりますか。」
 キアラは箒を手に持った。
「やってるな。」
 クロードが表れて、チェックするように辺りを見渡す。一気にやる気が落ちた。
「クロードぉ。」
「ルーシュのお嬢様の割りにはちゃんとやってるじゃないか。」
「――。」
 一瞬、何を言われているのか分からなかった。ルーシュとお嬢様が繋がらなかったのだ。
 暫くして、二つの言葉が繋がるとキアラは手を叩く。
「おぉ!」
「おぉってお前。どんだけ極貧生活送ってたんだよ。」
「家に有る物一切合切売り払ったり自分で大根作ったり魔術で井戸作る代わりに大根貰ったり?」
 クロードと話していてもキアラは手を休めない。話していると、少しだけ大根がまた作りたくなった。
 少し和んでいるキアラとは違って、クロードは神妙そうな顔をする。
「お前、本当に未来から来たのか?」
「じゃあ聞くけど、そうじゃなかったら何だって思ってんの?」
 キアラは真っ直ぐにクロードの瞳を見据える。クロードの蒼い瞳が輝いたような気が、した。
「――。今晩、空いてるか?」
 そのクロードは真剣だった、ような、気がする。が。
「えっちなお誘いはお断りですぅ。あたしは身持ちが堅いんですぅ。」
「馬鹿!お前みたいなぺっちゃんこ、頼まれたって誰が襲ってやるか!」
「ぺっ!?」
 キアラは言葉を失った。顔が真っ赤になる。
「私はべっちゃんこじゃありません!着痩せするだけですぅ!」
「何処が!?」
「だったら触って確かめやがれ!」
 キアラはクロードの腕を力一杯掴んだ。クロードは放れようと暴れるが、しっかりとキアラは掴む。執念で逃がさない。
 にたり、とキアラは不気味な笑いを浮かべる。クロードの表情に、一瞬の怯えが走った。
「ほらほら、触れ!」
「止めろ!この変態!」
「変態で結構!」
「未来の女は皆下品なのか!?」
「下品なのは私だけですぅ!ニーナ姫を一緒にするな!」
 キアラは更に力を込めた。なまじに女だから、クロードは下手に力付くで振り払えないようだ此処ぞとばかりに胸に手を当てようとする。
「・・・。お前達は何をやっているんだ。」
 キアラとクロードが同時に声の方へ振り向く。
 と。其処にはテオドールが立っていた。最初に見た時よりは幾分も立派な服を着ている。騎士の正装だ。
 そして立派な服とは別に、呆れて物が言えないと云う表情を浮かべている。原因は明か。
「それにしても、副団長ともあろう者が正装で痴漢を働くだなんて。」
「テオ。」
「友人として俺は恥ずかしい。」
「誰がこんなぺちゃ――!」
「はい!」
 キアラの上段回し蹴り。クロードの頭にスクリーンヒットした。クロードは百のダメージを受けた。クロードはその場に倒れ伏した。
「こんな胸の膨らみも無い女の子を。」
「――貴方も酷い目に遭わされたい?」
「相手は魔術師だから遠慮しとくよ。」
 テオドールが首を振った。少し、本当に少しだけ残念だ。
「それよりクロード。主役がいなきゃ式も出来ない。」
「面倒臭っ。」
 舌打ちをした。明らかに舌打ちをした。
「式って?」
 でもキアラは敢えて無視する。
「クロードの副団長就任式。誰かに聞かなかった?」
 そう言えばそんな事を言っていたような気がするが――。クロードの事だから聞き流していたような気がする。
「じゃ、クロードは二十二歳?」
「まだ二十歳だよ。」
「え?」
 確かに、文献にはクロードが副団長に就任したのは二十二歳の時だと書いてあった。だとしたらこのクロードは偽物か。いや、こんなに条件の揃った偽物はいない。
 だとしたら嘘か。五百年前に一体何をそんなに隠すような事があったのか。