|
ニ章 暁の王女 キアラは頬に手を当てて考える。何が嘘で、何が真実か。 ちゃんとした史実が残っていないなんて。何と云う国だ。 「クロード=ランベール=ダルシンめ。」 「は?」 取り敢えず、悪い事は全てクロードのせいにしてみる。 「今さ、戦争が起きて長引くとかない?」 「終わったばかりだよ?」 「あと三年は軍備を整えないと。」 「蓄えだってもう無いし。」 「じゃあ今攻められたら負けるんだ。」 「阿呆。正面衝突だけが戦争じゃねぇよ。」 「へ?」 「テオ、行くぞ。」 「俺が迎えに来たのに。」 クロードが向きを変えた。その時。 何も無かったのに、クロードの正面にシルヴェールが現れた。転移の魔法陣も無いのに。なのに、シルヴェールは転移を使っていた。 急に正面に現れたのでクロードは驚いて身体を退け反らせる。シルヴェールはクロードの腕を掴んだ。 「カミーユ様が暗殺された。ベランジェ様はローズ様の仕業だと言っている。」 「何だって!?」 一瞬にして、クロードとテオドールの表情が固まった。そして張り詰めたものになる。 カミーユはローズの叔父で、ベランジェはローズの義兄。カミーユが暗殺されたなんて事は歴史書に書かれていたかった。敗れた後に自殺したとしか。 可笑しい。あの歴史書は、真実を記していないではないか。 「クロードの就任式も中止だ。」 「取り敢えずローズ様の所へ。」 シルヴェールは、呪文も唱えずに消えた。クロードとテオドールは走ってローズが所有する塔に向かう。 キアラは一人、取り残されてしまった。 クロードめ、と悪態を吐こうかとも思ったけれどそれはみっともないので止めた。いつの間にか落ちていた箒を拾って掃除を続ける。何か淋しかった。 これで、兄のベランジェが優位に立つだろう。カミーユの次に優勢だったローズの弟――ファブリスがやったと決め付ければ良いのだ。時期が時期だけに、易く信じる。 そうしてベランジェが勝ち、ファブリス――つまりローズ――が負け、ローズは城を後にし、ベランジェに連れ戻される。 多分、キアラの時代を救う鍵はその何処かに隠されている。確信こそ無いものの、キアラの魔術師としての勘がそう告げていた。 元の、今のドュトルエルにしようとなんか考えていない。ただ、ニーナが幸せに暮らす事が出来れば――。 「キアラ!」 庭師見習い――と言うか父が庭師――のリオネルが手を振りながらキアラの元に走って来た。大方カミーユの事だろう。だが、一応尋ねる。 「どうしたの?」 「か、カミーユ様が!」 「それは知ってる。」 するとリオネルはきょとんとした目でキアラを見た。だが直ぐに気を取り直す。 「それでベランジェ様とローズ様が今言い争ってるらしいんだ。」 「ファブリス様じゃなくて?」 ファブリスがベランジェと言い争うのは無理だろうがファブリスの代理を立てる筈だ。それがローズだなんて。明るみに出てローズはベランジェと戦う気か。 「何についてかは分からないけど。」 リオネルは肩を竦めた。 キアラも分からない。ローズが明るみに出てまで争う理由が。 もしかしたら黒幕がいるのではないか、とキアラは考える。だがローズにはシルヴェールがいるのだからそう簡単には丸め込まれないだろう。 しかしそんな黒幕に成り得る人間が存在するのか。相手はあの、伝説の、キアラが最も敬愛するシルヴェールである。 だが国の問題に首を突っ込むのは国内の人間だけとは限らない。国外の者がドュトルエル王国を手に入れようとして何らかの。 ローズが敗北してしまったから、それも闇に消えた。そう考えるのが妥当だが――。 「キアラ?」 リオネルが心配そうにキアラの顔を覗き込んだ。キアラは慌てて首を振る。 「いや、就職したばっかなのにゴタゴタするのは嫌だなって。」 「キアラは遅い方だったからねぇ。」 「あはは。」 この時代、女なら早くて十三歳、男は大体十五歳でもう働き始める。男の方が遅いのは男は学ぶ事が多いとされているからだ。 それで、キアラの年齢――十七歳はかなり遅い。そんな年齢になっても働かなくて良いのは貴族の娘くらいである。もう結婚してしまっていると云う手もあるが。 「追い出される前に早く結婚したいよ。」 半分本気だったりする。それに宮殿に仕えている娘の殆どの目的はそれだったりする。 「ね、キアラは誰狙ってんの?」 リオネルは声を顰めた。まだ十四歳の坊主の癖に興味があるのか。 「シルヴェール様。」 キアラはリオネルに向かって親指を突き出す。たちまちリオネルは呆れた表情になった。 「もっと現実見なよ。」 暗にそんな美貌も地位も無いと言われているようで悲しかった。しかも十四歳の少年に。 「まだクロード様の方が可能性あるんじゃないの?親戚だし。」 「駄目駄目。あんな性格悪いの。」 「そうかなぁ?」 リオネルは首を傾げた。本当に、あんなのは全く駄目である。あんなのと結婚するくらいなら虫とでも結婚する。 ふとキアラは気が付いた。今はこんなほのぼのと話している場合じゃないのではないのか。 「リオ。」 「何?」 「私、これ終わったら早く次行かないと。クロティルド様にどやされちゃうから。」 クロティルド。それは城の掃除に人生を捧げた三十路過ぎの他の清掃員を皆纏める女性。とてつもなく怖い。 頬を引き攣らせてリオネルは笑った。リオネルもこの城の庭で育ったようなものなので、クロティルドに叱られた経験は豊富らしい。 キアラと話し込んでいたら自分まで叱られてしまうと分かっているのだろう。リオネルは手を振りながらキアラから去って行った。 「また!」 「またね。」 キアラは溜息を吐いて呼吸を整える。 さっさと掃除の続きを終わらせるとキアラは箒と塵取りを元有った場所に仕舞った。そしてトイレに駆け込む。念の為に行っておくが我慢していたのではない。 キアラが呪文を唱えると、クローゼットの中の転移陣に到着した。何故クローゼットなのかと言うと発見されたら拙いからである。転移した時に狭いのだけが難点だ。 クローゼットの中からキアラは出る。勿論キアラの部屋なので誰もいない。 キアラが転移で時間を省略してまでしたい事は唯一つ。盗み聞きだ。別に今は夜中ではないし、綺麗なお姉さんの部屋を盗聴する訳ではない。それにキアラは女だ。 クロードとテオドール、シルヴェールはローズの所へ行くと行っていた。だからキアラが盗聴するのはクロードのいる所。 化粧箱の中から口紅――キアラは使わないがこの時代で貰った――を取り出し壁の鏡に魔法陣を書く。理由は簡単。鏡に口紅で文字を書くと落ち易く、しかも早く書けるからだ。 キアラは魔法陣を書き終わると呪文を唱えようとした。だが、少しその呪文が頭に引っ掛かったので思い出そうとする。 その時。 「何をしている?」 反射的に鏡を隠して振り返ると、シルヴェールがいた。本当にこの人は魔法陣が無いのにどうやって。 「いや、ちょっと――。」 「何を盗聴する気だったんだ?」 何故知っている。キアラは自分の背中に冷や汗が流れるのを感じた。 「来い。」 シルヴェールはキアラの腕を引っ張った。そして、呪文を唱えてもいないのに、転移した。 全く。その詠唱破毀の方法を教えてほしいものである。 キアラの目の前にはテオドールがいた。茶色の髪を苛立たしそうに指に巻き付けていた。キアラを見るなり、テオドールは目を細める。 「シルヴェール?」 「テオ、ルーシュの書庫に行くぞ。」 それにはテオドールは驚いた顔をしてシルヴェールを凝視した。 だが、それよりも驚いたのはキアラであって。 「嘘でしょ!?」 この時代、あの書庫にはルーシュ家当主が次期当主しか入る事が出来ない。「血の封印」でそう施してあるのだ。 「シルヴェール様、一体どうやって!?」 キアラの胸に、シルヴェールの白い指が触れた。シルヴェールの美しい顔は、キアラの目の前に在って、言う。 「開けるのはお前だ。」 「嘘!?」 泣きたい気分、とはこの事を言うのだろう。 「だってあれは、その人を限定する魔術であって。」 それに。キアラは首を左右に振る。 「それに私が、貴方に従うと!?」 「――ベランジェはカミーユ様を殺したのはローズ様だと言い張っている。だが、そうではない。」 「それとこれとは――」 「犯人はルーシュだ。ルーシュの書庫でそれに使った魔術を見付ければ良い。」 違う、歴史書にはルーシュは中立の立場を取っていたと書かれていた筈だ。でも。これも嘘だったら。 どくん、と。キアラの胸が高鳴った。 此処で、逆にベランジェを追い詰めれば。未来が変わるのではないだろうか。ニーナに幸せな未来が。 ファブリスが王位を継げば。未来が代われば。薔薇の騎士達が生きていれば。 「出来るかどうか分かりませんけど――。」 キアラは大きく息を吸った。 「やります。」 「ならば急いだ方が良い。」 だが、焦るシルヴェールをテオドールが止めた。テオドールは怪訝な顔をする。 「今は止めた方が良い?」 「何故?」 「入れないと分かっていても、ルーシュも何らかの手を打っているだろう。シルヴェールが捕まれば逆にこっちが追い詰められる。」 「・・・。」 「ルーシュもシルヴェールは怖いんだ。」 「伝説の人ですからね。」 キアラが、ぽつりと零した。 「でも、だったらいつやるんですか?」 「テオ。」 テオドールは腕を組んだ。明らかに考え事をしていますと、眉間に皺が寄る。 シルヴェールは魔術師だが、こう云う事はテオドールの方が得意らしい。この空気で分かる。 「――明日の夜だ。」 意外と早い。 「ベランジェはやり手だ。早ければ明後日にでも覆せない状況を作るだろう。」 「そしてその中で一番警備が緩くなるのが明日の夜か。」 「明け方が良いだろう。」 と。自然と眉間に皺が寄った。そして間抜けな顔になっていたのは確かだろう。 そんな顔になってしまったキアラにテオドールは怪訝そうに声を掛ける。 「キアラ?」 「明日早朝に廊下掃除しとかないとクロティルド様に怒られる。」 「君は何しに未来から来たんだ。」 テオドールが言う事は尤もである。だがクロティルドは怖いのだ。 「しかもあのルーシュが清掃員だなんて。」 シルヴェールまでが溜息を吐いた。 「国の滅亡間近でしたからね。」 本当に。今のルーシュからは信じられない。 ルーシュの姓を名乗っているだけで大貴族のよう。立派な屋敷も幾らもあるらしい。 「本当に、信じられない。」 キアラは溜息を吐く。 仮にも自分はそのルーシュの次期当主なのだ。こんなんで良いのだろうか。 「――。怪しまれるといけない。キアラ、戻れ。」 「その代わり。」 キアラはしっかりとシルヴェールの腕を掴んだ。細い。キアラと同じくらいかそれよりではないだろうか。 「私を弟子にして下さい。」 「・・・。」 シルヴェールは固まった。 敬愛するシルヴェールの為とは云えキアラが只で何かすると思ったら大間違いである。 キアラは無言でシルヴェールに決断を迫る。断れない筈だ。 シルヴェールは額に手を当てた。答えはもう出ているようだ。 「成功したらな。それに、私が才が無いと見做したら直ぐに辞めてもらう。」 「了解!」 叶う筈の無い念願が叶ったのだ。キアラは微笑んだ。 「じゃあ、クロティルド様に怒られるので帰りますね。」 「明晩迎えに行く。」 着いた先はやはりクローゼットの中。クローゼットの外に出てみると外が騒がしい。 キアラはそっと部屋の外に出た。 「どうしたの?」 「キアラ。」 キアラは一番近くにいたエメ――女官――に声を掛ける。するとエメは困ったように振り向いた。 「困った事になって――。」 そんな事は端から見ていても分かる。キアラが知りたいのはその困った事だ。 「エメが此処にいるくらいだからね。」 新人とは云え、エメは女官。滅多に清掃員の部屋がある場所には近付かない。そんなエメとキアラが何故友人になれたかは――。秘密である。 「私、カミーユ様のお世話をさせて頂いてたでしょう?だから、葬儀の準備も手伝っていたの。そしたら――。」 彼を国王として葬るのはどうか。そう、ローズの母が言ったそうである。 仮即位とは云え、二年も王としてドュトルエル王国を治めていたのだ。最期も王として葬ってやろうと云うベランジェ派と、仮なので王ではないと伝統や王の権威を守ろうとするファブリス派。真っ二つに別れたらしい。 「私はもう、家に返されるだろうけど、カミーユ様は最期も王として葬ってほしいと思う。」 エメが悲しそうに言った。 カミーユはよく出来た人間で人望も厚かったらしい。だから第一勢力でいられたのだろう。 「それでどうしてエメが此処へ?」 エメはぽん、と手と手を合わせた。かと思うとキアラにしがみつく。 「キアラを探してたの!」 「私!?」 こんな時にどうしてキアラなのだ。キアラは何もしていな――、否、ボロは出していない。 「キアラ、クロード様の親戚でしょ!?お願い!カミーユ様の事を――!」 「でも、クロードはローズ様にべったりだし――。」 それに、こんな話をこんな所でして良いのだろうか。今更ながら不安になる。 「それにダルシン程の大貴族の息子が一時的にとは云えベランジェ――、様の方に付いたらもうファブリス様には勝ち目無いし。」 「でも!」 「それに私が何か言ったって、聞く筈無いよ。」 「分かってるんだけど――。」 そんなエメを見るのは切なかった。だが。 多分、誰かの入れ知恵だ。エメは馬鹿ではない。だが、こんな突拍子め無い事を思い付く娘ではなかった。 エメは下流貴族の娘。だが、その家は。ルーシュに繋がっている。 未来ではルーシュ家の次期当主なのに――とは云え殆ど継いでいる――現在ではルーシュは敵か。キアラはエメに気付かれないように溜息を吐いた。 エメは恐らくその事は何も気付いていないだろう。何代か前にエメの家の娘がルーシュ家に嫁いだだけなのだから。 しかしそうだとしたらエメにそれを吹き込んだのは一体誰か。疑問に残る。 「ごめんね、エメ。」 エメは首を左右に振った。 「良いの。だったらクロード様に直接頼んでみる。」 「エメ!何考えてるの!」 エメとクロードは面識も無い。それに、そんな事頼みに行けば最悪クロードに会う前に斬り捨てられてしまう。 キアラは辺りを見渡す。幸い、いるのは三人で皆急がしそうで此方を見ていない。 キアラは、 「エメ!」 エメを殴り倒した。 三人が此方に振り向く。 「すみません!エメが倒れたので看病します!」 「クロティルド様に伝えておきます。」 キアラは自分の部屋にエメを引っ張り込む。少々手荒になってしまったのは致し方無い。 そして部屋に着くと鍵を掛けた。誰にも邪魔されたくない。見られては困る。 『Shut is ; meus tractusついでに呪文も重ねておいた。これで魔力を持たない者がキアラの部屋の扉を開ける事が出来ない。勿論窓から覗く事も。 エメには悪いが、エメはベッドに寝かせずそのままにする事にした。エメが重い、と云う訳ではない。キアラの力では不可能なのだ。 そしてエメの周りにチョークで魔法陣を書く。薄いが、他の物で書いたら絶対に落ちないだろう。それに濃い薄いは関係無い。 キアラの考えでは、エメは神経に関わる魔術を掛けられている。そうでなければあんな所であんな話を、あんな事をしようとは思わないだろう。 やったのはルーシュであると、キアラは核心に近いものを持っていた。ルーシュの者の魔術なら、ルーシュ家の書庫を漁って成長したキアラに解くのは難しくない。 キアラは思い切り親指を噛んだ。うっすらと血が滲み、暫く経つとそれは玉になる。 『Meus nomen est Chiara Grace Rouchキアラの血の玉は、エメの額に落ちた。エメに吸い込まれるように消える。これで、良いだろう。 後はエメが目覚めるのを待って、返すだけ。 もう大丈夫だ。だから扉に、鍵に、部屋に掛けた魔術を解こう。そう思って扉に向かった時。 |