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ニ章 暁の王女


 キアラはファブリスの白髪を撫でる。お世辞にも触り心地が良いとは言えなかった。
 こんなに小さいなんて可笑しい。まるで時が止まったかのように。
 それにローズは一体何を考えている。こんなファブリスに王位は継げない。ベランジェがしている事はどうかと思うが、ベランジェに継がせるのが一番だと思う。
 キアラが撫でていると、ファブリスの瞼がとろんと落ちて来た。多分、眠たいのだ。
「成長しないんだ。」
 クロードの声は小さく、低かった。
「ファブリスが初めて立ったのは五歳の時だった。」
 聞いた事がある。成長が止まってしまう病気の事を。
 その病気は、成長を緩やかにするばかりか脳の発達も妨げる。発見されている症例は数少ないが、何れも十三歳を越える事は無いと云う。
 十五歳。ファブリスの年齢がキアラの胸に突き刺さった。
「本当は、お前みたいな真っ赤な髪だったんだ。」
 気付けばクロードが一房、キアラの髪を掴んでいた。纏め上げた髪が乱れる、とかじゃない。
 キアラの胸は異常な速さで鼓動を刻んでいた。あんなに性格が悪いのに、整った顔をしているから。反則だ。
「燃え立つようなフファイアオパールローズが好きだったんだ。」
 ――この人は今、何を見ているのだろう。昔のファブリスか、それともローズか。
 キアラはクロードの手を叩き落とした。
「キモい!髪がお前の脂で汚れる!」
「少し乾燥しているくらいだから丁度良いだろ!」
「何を!?」
 クロードに殴り掛かろうとキアラは拳を振り上げるも、それは空を切っただけだった。しかもクロードに腕を掴まれる。
 キアラはクロードを睨む。だが、クロードが何と無くふざける雰囲気ではなかったのでゆっくりと止めた。
「未来から来た癖に何にも知らないんだな。」
「隠蔽されまくってたからね。」
「じゃあ、ローズが誰と結婚した、とかも?」
 キアラは首をゆっくりと左右に振った。それはどちらの意味とも取れる。
「隣国の王子。シルヴェール様との駆け落ちに失敗して。」
 その時に、シルヴェールは命を失ったと云う説もある。このクロードも、テオドールも。
「本当にシルヴェールと?」
「そうよ。絵本になるくらいシルヴェール様とローズ――、様はラブラブだったんだから。」
「でも、彼奴は――、」
 クロードは何かを言おうとして、言葉を詰まらせた。キアラを見る。
「シルヴェール様が何なの?」
「さぁな?」
「この野郎!」
 キアラはクロードの頬を抓ると立ち上がった。
「さようなら。私は帰ります。」
「おい!」
 クロードも立ち上がろうとしたが、膝ではファブリスが眠っていた為それが出来なかった。クロードは悔しそうな顔をする。
「ばいばい。」
 キアラは扉を開ける。其処には誰もいなくて、キアラはゆったりとした気持ちで部屋に帰る事が出来た。



 昔、ルーシュ家の書庫には「血の封印」が掛けられていた。それは簡単なもので、限定した血のみで開くのだ。
 キアラはベッドで身体を休めながらルーシュ家の書庫の事を思い出そうとしていた。祖母に何回もねちっこく聞かされていたのだが、何せ関係と思って聞き流していたからあまり思い出せない。
 「血の封印」は元々禁術を封じる為にルーシュが生み出したものだった。それは一人の人間に封じ込める。その封印を解く為にはその人間の血の繋がった子孫の血を掻き集めなければならない、複雑で残酷な術だ。
 そう云えばルーシュが封じ込めた或る禁術を手に入れようと一族惨殺が行われたのも今――ルイーズ=グレース=ルーシュの時代だったような気がする。それよりも何故禁術を人間に封印出来るのか、の方がキアラには気になるが。
 その「血の封印」を簡略化し、応用したのが現在のルーシュ家の書庫の鍵。予め二人の血だけに限定しておき、当主が代わればまた新たに書き換える。
 そんなに厳重で完璧とも思われる「血の封印」の鍵が何故キアラの時代に使われなくなったのか。それはその必要が無くなったからだ。ドュトルエル王国の衰退に伴って、ルーシュ家の書庫もそんなに価値のあるものではなくなったのである。
 ドュトルエル王国とルーシュ家は一蓮托生である。ドュトルエル王国が栄華を誇っている今は、ルーシュ家の全盛期でもある。
 その全盛期の最後の当主、ルイーズ=グレース=ルーシュ。恐らく「血の封印」を解こうとすると云う事は、彼女に見付かってしまうと云う事だ。彼女に知られずに破る自信は全く無い。
 シルヴェールの影で霞んでいるが、彼女は本当に素晴らしい魔術師だ。水不足で困っている村に遥か彼方の湖から川を引いたと云う記録もある。そして女としても恐ろしい。誰が愛した男の心が離れたからと言って殺せようか。誰が家の為に自分の子供を犠牲に出来ようか。キアラが恐れるのは其処である。
 他の清掃員に聞いた所、今彼女は二十二歳らしい。二十歳前には急激に眠っている魔力が目覚め、技術も上達する時期である。二十歳からはそれを磨く時期とされている。つまり、今の彼女は最も脂が乗っている時期とも言える。
 嫌だ。キアラは溜息を吐いた。キアラがこんなに畏怖を覚えるのは祖母くらいなものである。
 待つ時間が長ければ長い程恐ろしくなる。キアラはシルヴェールが早く迎えに来る事を祈り、またシルヴェールが来ない事も祈った。
 どうしてあの時名乗ってしまったのだろう。キアラはエメを思い出した。嘘でもクロード=ランベール=ダルシンと答えておけば良かった。そんな正直な自分が嫌で、だけどそんな所も好きだった。
 キアラはもう一度禁書に目を通す。何か良い魔術は載っていないか。
「キアラ。」
「ぁひっ!」
 声と共にシルヴェールが現れた。またまた何も無い所から唐突に。
 今日は、シルヴェールは真っ黒なローブを羽織っていた。絵本に出てくる悪い魔術師のようである。
 そして。ブローチのように、だがそれにしては艶めかしく生き生きと、毒々しい漆黒の薔薇がシルヴェールの左胸で咲いていた。
「これ――。」
 キアラは黒い薔薇に手を伸ばす。
「貰ったんだ。」
 少し、困ったようにシルヴェールが答えた。
 そうか。そうだったのか。
 キアラは納得する。
 昨日の少女の恋人とはシルヴェールの事か。クロードが今日良いそうになったのはこの事である。彼奴は他に恋人がいる。ローズの熱烈な片思いだから、後世にまで残っていたのだ。そうに違いない。
「キアラ?」
 考え込むキアラに、シルヴェールが眉を顰めて呼び掛けた。端から見ればとても怪しかったに違いない。
「いえ。行きましょう。」
「その事だが、中止だ。」
 キアラの思考回路が止まった。
 中止。それは止める事。ルーシュ家の書庫に入らなくても良い。と云う事は。ルイーズとも出会わない。
「あ、――あ。」
 嬉しさは奇妙な声となってキアラの唇から零れた。嬉しくて嬉しくて、どうしたら良いのか分からない。
「その代わり、と云う訳ではないのだが。頼みがあるんだ。」
「喜んで!」
 キアラは声を張り上げて答える。ルイーズの恐怖から開放されて、しかまシルヴェールに弟子入り出来そうな雰囲気なのでとても嬉しい事だった。
 だが、困ったようにシルヴェールの眉が下がった。しかしそれは何と無く愛嬌があった。
「――ありがとう。実は、明日ルイーズと会う事になってて一緒に来てほしいんだ。」
「――。」
 一難去ってまた一難。キアラの顔は青褪めた。
「先祖に会えて嬉しきないのか?」
 シルヴェールは首を傾げ、本当に不思議そうにそんな事を言う。
 キアラは答えようと思って口を開けた。だが言葉は出ずに喉の渇きを感じる。
 一度大きく息を吸い込み、生唾を飲み込んでキアラは答えた。
「あの人は別格です。」
 そう、ルーシュ家の中でも格別の女。
「あの人はこれから大変な事を起こすんです!」
「会うのは嫌か?」
 勿論嫌だ。絶対に会いたくない。だが。
「シルヴェール様のお供が出来るんでしたら行きますよ、はい。」
 シルヴェールを知るチャンスである。逃してなるものか。
「本当に良いのか?」
「はい。どうせ彼女も過去の人。怖くはありません!」
 嘘だ。
「それで弟子入り出来るんならお安いご用です。」
「――私に弟子入りしても良いとは思わないが。」
「シルヴェール様は私のたった一人の憧れなんですから。」
 数多い偉大を成し遂げた先人。天才魔術師。だが、何れもシルヴェール程キアラを引き付けはしなかった。
「だからクロードがシルヴェール様の邪魔になった場合はぶち殺し」
「自分自身がやりたいだけだろう。」
 シルヴェールがキアラの言葉を遮った。ナイスツッコミとでも言っておこうか。
「まぁ、それは置いといて。彼女にはいつ会うんですか?」
「明晩。」
「――晩?」
 それはあの、中庭での少女との約束がある日なのに。
 キアラは考えた。シルヴェールと、あの少女。シルヴェールの方が圧倒的なのだが、少女との約束も破る訳にはいかない。
 難しい。
「明後日の仕事に差し支えるか?」
「いや、私も一応魔術師なんで徹夜の一晩や二晩、軽く大丈夫なんですけど。」
 一日十時間くらい寝ないと駄目な子にでも見られただろうか。シルヴェールにそんな風に思われているのかと思うと少し悲しかった。
 シルヴェールは眉を顰めて申し訳無さそうな顔をする。
「済まなかった。」
「いえ。でも、晩って何時ですか?」
「そうだな――。」
 と、シルヴェールは懐から懐中時計を取り出した。お金が無い訳ではないだろう、男性に金が好まれたこの時代に銀細工。しかも蓋には細かい薔薇の細工が施してある。
 だが、納得出来るような気もした。シルヴェールにはその銀がよく似合っていた。細かい薔薇の細工も。
 銀は女性によく似合う。そして、線の細い男性にも、好まれる豪華な金とは違って清楚な銀が似合うのだ。
「何時かはまだ決めていない。ルイーズには十時にするように頼もうと思ってるのだが――。」
「十二時にして下さい。」
 キアラは即答した。
 十時は、丁度あの少女と出会った時刻。だから中庭に行かなくてはならない。
「分かった。」
 ぱちん、と音を立ててシルヴェールは懐中時計を閉じ、仕舞った。
「ルイーズにはそう伝えておこう。」
「お願いします。」
 しかしそれにしても。
「でも、どうして私も?」
 ルイーズとシルヴェールに接点がある、会う約束をしていると云うだけで驚きなのに、どうしてシルヴェールはキアラを誘ってくれたのだろう。まさか魔術師同士で語らいましょう、とかではないだろう。
 魔術師は、同じ魔術師だからと云って格別に親密感が増す訳ではない。寧ろ血統が物を言う魔術師は忌む例の方が多いだろう。
 文献で読んだだけだが、ルイーズはきっとシルヴェールを目の敵にしている。だから、あまり関わりは無いとばかり思っていた。
 それに加えてキアラともなれば。色んな事を疑うしかない。
「実は。」
 シルヴェールが小首を傾げる。
「ルイーズがキアラに会いたがっているのだ。」
「・・・。へぇ。」
 冷や汗が背中に流れるのを感じた。知られたか。エメの一件がキアラだと、知られてしまったか。
 シルヴェールはそんなキアラの様子に気付ず首を傾げたまま言葉を続ける。
「ルイーズと会うのは一週間前から決まっていたんだが、今日になって急にキアラに会いたいと。」
 絶望的だ。急激にキアラの体温は下がって、喉が渇く。
「彼女はぁ、私について何か言ってましたかぁ?」
「何も。」
 殺される。ルイーズに殺される。
 まだキアラにはやらなければならない事が沢山あるのに。ニーナだって。
 泣く事すら出来なかった。乾いた笑いが込み上げてくる。
「はっはっはっ。」
「――大丈夫か?」
 シルヴェールが心配そうにキアラの顔を覗き込む。その暗い瞳の輝きは、強かった。
 大丈夫ですよ。その言葉を飲み込んでキアラはシルヴェールの腕を掴む。
「詠唱破毀について教えてくれたら大丈夫になるかもしれません。」
「――。」
 詠唱破毀。それは呪文を短縮する事。それは本人の力量次第だが、シルヴェールの場合、一言も答えていない。
 シルヴェールは黙り込む。そしてキアラから目線を背けようとした。
 そんなに、キアラには教えられないような秘密が隠されているのだろうか。だとしたら。
 だからと言ってキアラは諦めない。そんな易い気持ちではない。
 シルヴェールが目線を逸らせても、キアラは真っ直ぐと見据える。何もしない。ただ、ずっと、待って。
「――。私は貴方の思っているような人間ではない。」
 その声は、風に溶けて消えてしまいそうだった。
「だから、明日ルイーズに頼んだ方が良い。」
「待てよ。」
 キアラは、しっかりとシルヴェールの手を掴んだ。転移されたら終わりだが、掴んでいないよりはましだ。
 シルヴェールはその目を大きく見開いてキアラを見る。
「貴方がどんな人間でも私は構いません。」
 そう。
「貴方が凄い魔術師だと云うのは事実でしょう?だから貴方の人間性が酷くてクロードのようでも変な性癖があっても私は全く気にしません。」
「その言葉通りだと。」
 シルヴェールが微笑んだ。それは始めて見たシルヴェールの笑顔。最初出会った時からは想像が出来ないくらい、可愛らしかった。
「キアラは最低な人間だな。」
「それが何ですか?自分が良ければ全て良いんですよ。」
 魔術師を習いたいのも自分の為。ニーナを救いたいのも自分の為。
 キアラはずっと、生まれてから自分の為だけに行動した。自分の自分を、自分の為に。
「私、妙に自己犠牲の精神が在る人って苦手なんです。」
 キアラは肩を竦めてぺろりと舌を出した。
 誰かの為に生きている人間。それは美しい生き方とされるが、キアラは嫌いだった。
 所詮は偽善。慈愛に溢れる人間と思われるのが嬉しい。キアラにはそんな風にしか思えない。
 シルヴェールは、声を上げて笑い出した。腹を抱えて笑う。
 何がそんなに可笑しいのか。
 だが、気付けばキアラも声を出して笑っていた。何も可笑しくないのに、とても楽しい。
 これを、箸が転がっても可笑しい年頃、と言うのだろう。シルヴェールはともかく、キアラはまだうら若き乙女なのだ。
 と。
「キアラ=グレース=ダルシン!」
 クロティルドだ。
 キアラは勝手に笑顔が引き攣るのが自分でも分かった。
「誰といるのですか!出てきなさい。」
 拙い。今は、シルヴェールと一緒にいるのに。
 と、シルヴェールの腕がキアラの腕と絡んだ。シルヴェールは人差し指を唇に当て、妖しく笑む。
 一瞬の浮遊感。
 気が付くと、キアラは見た事のない場所にいた。四面が本に囲まれていて、妙に黴臭い。
「シルヴェール。」
 声の方に振り向くと、テオドールがいた。積み上げた本に腰掛けて、不機嫌そうな顔をしている。
 本人の本のようだから何も言わないが、キアラはそう云う本を大切にしない好意が許せなかったりする。これは魔術師の職業病だ。その証拠に、横ではシルヴェールが難しい顔をしてうた。
「急に現れないでくれ。しかもキアラを連れて。」
 キアラは頭に手を当てて舌を出した。どじっ子のポーズである。相手にはどう映っているか分からないが、一応媚びなんか売ってみてる。
「色々あって。」
「だったらクロードの部屋に行け。」
「――。」
 急に、シルヴェールは押し黙った。そして、外方を向く。
 するとテオドールが気付いたように手を合わせた。そして肩を竦め、首を振る。
「行けないな。」
「どうして?」
「・・・。大人の事情?」
 テオドールがシルヴェールに意見を求めようと疑問形にするが、シルヴェールは答えない。
 何と無く事情は把握出来た。要するにあれだ。大人の事情。
「まぁぺったんこの君には関係無い話だろうけど。」
「燃やしたろか?」
 その言葉にテオドールは首を振る。
「これだけ集めるのに一体何年掛かったかと思ってる?」
「その何年が何秒で燃えるか試してみたいと思わない?」
 腹の底から笑い声が漏れた。先程の笑いとは違う、不気味な、怒りから来る笑い。
flamma()
 キアラが呪文を唱えると、掌にはマッチで点けたような、小さな小さな炎が灯る。
 其処でやっと、危ないと気付いたのだろう。テオドールを慌てたように首を左右に振った。
「勘弁してくれ。」
 キアラは、魔力を増やして炎を大きくしながら、ゆっくりと首を横に振る。