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ニ章 暁の王女


 テオドールの言葉には、足りないものがあった。それは謝罪の言葉。
 キアラをぺったんこと言った罪は重い。キアラはぺったんこではない。ちょっと小振りで着痩せするだけなのだ。
「いや、でも俺は太腿派だから胸なんて関係無いよ。」
 そんな言葉が聞きたいのではない。キアラの炎は益々大きくなる。
「ちょっと!何が気に入らないんだ!」
「謝れば良いんじゃないか?」
 シルヴェールの一言に、テオドールは固まった。そして。
「申し訳ございませんでした。」
「――良かろう。」
 魔力の放出を止めて、キアラは炎を消した。
「其方の言葉が誰かを傷付けていると云う事。夢々忘れるでないぞ。」
「・・・。」
 その時のテオドールの表情は、心成しか呆れているようだった。でも気にしない。キアラは何もやっていない。
 テオドールは気を取り直してシルヴェールに向かう。
「それで、どうして俺の部屋?」
「テオドールがいなかったら本を勝手に借りて帰ろうと思って。」
「無駄だよ。」
 テオドールは自分の頭を指差した。それは拳銃を頭に突き付けているのに似ている。
「此処の本、三千七百五十三冊は位置まで全て頭に入っているから。」
 嫌だなぁ。天才は。これだから。
 絶対、こんな無造作にように見えて本を少しでも動かすと怒り狂うタイプだ。テオドールは。
 キアラははん、と顔を歪めてテオドールから目を話す。テオドールの顔が引き攣った。
「気持ち悪い、とか思った?」
「いえいえ。やってらんねぇよこん畜生。クロードいつか絶対ぶっ殺すと思っただけっす。」
「君は――。」
 テオドールは溜息を吐く。
「クロードが好きなのか?」
「憎悪を通り越してそんな感情を抱く程じゃありませんよ。」
「――言うね。」
「憎まれっ子は世に蔓延る。」
「憚るじゃないの?」
「いえ、蔓延るです。」
「――。」
「――。」
 不意に。キアラとテオドールは右腕と右腕を交差させた。ついでに左腕と左腕。
 奇妙な友情が生まれた瞬間だった。
 シルヴェールの溜息が聞こえる。だがキアラとテオドールの友情には関係無かった。
「それでテオ。借りても良いか?」
「どれ?」
「黒魔術、白魔術、それぞれ著者不明のを。」
「シルヴェール、全部読んだんじゃなかったの?」
「いや――。」
 シルヴェールがキアラを見る。テオドールは納得したように頷いた。
「弟子は取らないんじゃなかったの?」
「気が変わった。」
「そう。」
 テオドールは本を踏み台にして、上の方に有る本を取った。友情を交わしたとは云え、それは好きになれそうにない。
「黒魔術はこれ?」
 そう言って、テオドールは本を投げた。シルヴェールが受け取る。
「そうだ。」
「白魔術は――。」
 テオドールは本の山から下りて、また別の本の山に乗る。
 キアラはシルヴェールにそっと耳打ちをした。
「私、白魔術は滅法苦手なんですけど。」
「それは好都合。」
 何が。キアラが刺々しく口走る前に、シルヴェールが答えた。
「キアラを殺す前に慣らす事が出来そうだ。」
「――。」
 キアラは首を傾げた。
「私、死ぬ?」
「運が悪ければ。」
「テオドール君、私、死ぬらしいよ。」
「頑張れ。」
「――。」
「――。」
「――。」
「参考の為に聞きたいんだが、どれくらいのレベルを習得している?」
「黒魔術はルーシュ家の書庫に在るのを殆ど。」
「白魔術は?」
「治療系以外?」
 魔術師と云えど、黒魔術白魔術に向き不向きはある。キアラも兄と一緒に数日、祖母の元で修業したがあっさりと切り捨てられた。キアラもそう思う。
 黒魔術と違い、白魔術はとてつもない魔力の微妙な調節が必要とされる。だから性格的にもキアラは全く合っていなかった。
 だからと云って白魔術が出来るからと云って黒魔術も出来る訳ではない。黒魔術は魔力の制御が難しいのだ。実際、キアラの兄は白魔術が得意だが黒魔術はからっきしである。
「治癒くらいなら出来るだろう。」
「治療系は全く。」
「なら何が出来るんだ?」
 シルヴェールの苛立った表情。少し自分が切なくなったりする。
「封印と、その解除?」
 殆ど独学で勉強したのだが。だが、それなら結構自信はある。
「どれくらい?」
「えっとぉ。」
 キアラは困って、眉を顰めながらテオドールに視線を送る。テオドールは首を振った。
「まさか。」
 シルヴェールの顔が引き攣る。
「これも出来ないんじゃ――」
「違うんです!」
 キアラは首を振った。言いたくなかったが白状しよう。
「解除は出来るんですけど、封印が出来ないんです!」
「・・・。」
 呆れられてしまった。シルヴェールが、そのまま固まっていた。
 封印の、微妙な魔力の調節がキアラには出来ないのだ。全く。解除なら力で圧し破れるから出来るのだが。
 向き不向きがあったとしても、大体の魔術師は向かないものも、少しなら出来る。だがキアラは全く。
 魔術師としては情けない。だが、どうしても、どう頑張っても出来ないのだ。
 固まっているシルヴェールの横では、テオドールが笑いを堪えている。
 と。シルヴェールの拳がテオドールの鳩尾に吸い込まれた。
「――其処までだと、何か理由があるのかもしれないな。」
「そうでしょうか。」
「魔力が在り過ぎる為に白魔術が出来ないと云う事例も無くはない。」
 そうか。キアラの性格の問題ではなかったのか。キアラは安心した。
「シルヴェール様、ありがとうございます。」
 キアラは礼をする。少し、道が見えた。
「それじゃ、私帰りますね。」
「どうして?」
 シルヴェールが心底不思議そうな顔をした。こっちの方が教えてもらいたい。
「クロティルド様が怖いですから。」
「――そうか。」
 残念そうなシルヴェールの表情。少し、嬉しい。
「それでは、また明日。」
「頼む。」
 これでキアラの魔術の幅も広がる。嬉しい。
 心も軽く、鼻歌を口ずさみながらキアラは歩いて部屋まで帰った。



「貴方はこんな時間まで何をしていたのですか。貴方の部屋から笑い声が聞こえたと騒ぎになっていたのに。一体何故そうなってしまったのか、私にも分かりませんが、良いですか?私もこんな事をしたくないのですが、貴方が部屋にいなかったのでこんな騒ぎになってしまったのです。貴方には明日から一週間、一人で中庭の掃除をしてもらいます。しかし、これは通常の職務に含まれません。朝早く起きるか夜遅くまで起きているか。考えて掃除をしなさい。」
 と、云う訳でキアラは一週間、夜遅くまで起きて中庭の掃除をする事になった。
 何でも、笑い声が聞こえた後、クロティルドが無理矢理扉を開け部屋に入り、誰もいなかったので色んな憶測が飛び交ったらしい。誘拐だの幽霊だの。
 そんな騒ぎの中、キアラが鼻歌を口ずさみながら帰って来たのだ。この罰は当然だと言われたらキアラには何も言えない。
 しかし、何処へ行っていたか追及されなかった有り難かった。キアラも一応年頃なので、クロティルドも男の元へ行っていたとか要らない気を遣ってくれたのだろう。
 だが。
 キアラの部屋には幽霊が出ると噂になってしまっていた。女官のエメがわざわざキアラに確かめに来るくらい壮大な怪談話に。あの部屋で死んだ清掃員がいる、と云う者も出る始末だ。
 一応、キアラの部屋で起こった、キアラの知らない事になっているので怖い振りはしている。だが、夕方になるとそろそろ欝陶しくなる訳で。そして、誰かに会う度に好奇心丸出しの質問をされる訳で。
 仕事が終わり、部屋に帰った時にはキアラの苛立ちは頂点に達していた。本当は怖いから一緒にいて、とか暫く他の清掃員の部屋に入り浸ろうかと思っていたがそれも出来ないくらいに苛立っていた。
 ベッドに横になり、目を閉じると思い出す。大丈夫、とか言いながら怖い話を捏造して話す輩。性格悪いから当然だ、と訳の分からん事を言う輩。本当は部屋の中で笑っていたのはキアラ――嘘ではない――とキアラ悪魔説を立てる輩。
 だが、中には本当にキアラを心配してくれている人もいて。エメなんか、一緒に住もう、と言ってくれた。丁重にお断りしたが。
 だが、こうしてみると。カミーユが消えていた。いつの間にか部屋で待機する命令も消え、下の者はキアラの部屋の怪に夢中になっている者が殆どだ。
 淋しい。顔も見た事がないのに、キアラはそう思った。
 キアラはベッドから身を起こす。少し、くらりと眩暈がした。
 あの少女に会うついでに中庭の掃除でもするか。
 扉を少し、開けて外の様子を伺う。すると、何人かがキアラの部屋の前で話し込んでいた。
 出て行ったら必ずあの幽霊騒ぎの事で捕まってしまう。
 だからキアラは窓から脱出する事にした。そうしたら中庭も近いので結構便利だ。
 掃除道具を取りに行く。やはりもう其処には誰もいなくて、だが鍵だけは開いていた。もしクロティルドがキアラが箒と塵取りを返す前に鍵を閉めてしまったらどうしよう。キアラの部屋で預かろう。
 中庭へ行くと、月の光に照らされて、沢山の薔薇達が幻想的に咲いていた。その薔薇達のどれよりも美しく大輪の薔薇。他の薔薇を見下ろしながら、微かに微笑んでいる。
 キアラはその薔薇に向かって手を振った。するとたちまち嬉しそうな笑顔になる。
「キアラ!」
「ごめん。ちょっと遅かったですか?」
「いいえ。私が待ち切れなかっただけなの。」
 頬を染めて、少女は俯いた。可愛い。キアラが男だったら惚れている。
「そりゃ光栄ですよ。」
 少女は顔を上げる。
「ところで一つ、聞きたい事があるんですが。」
「何?」
 少女は小鳥のように首を傾げる。
「貴方の名前です。」
 すると少女は困ったような顔をした。そんな、人に言えないような名前なのだろうか。そして、不安そうにキアラを見る。
 少女の瞳はキアラに何か訴えたそうにしていた。なので、キアラは言う。
「はい?」
「――。ローズ。」
 その声は、消え入りそうだったがはっきりとキアラには聞こえた。
「貴方にお似合いの名前ですね。」
 キアラが微笑むと、ローズは驚いたような顔をする。
 ローズも辛かっただろう。王女と同じ名前で。
「私は貴方の名前がローズでもベランジェでもカミーユでもファブリスでも気にしませんからね。」
「ふふふ。」
 ローズが笑った。キアラも釣られて笑う。
「キアラで良かった。」
「嬉しいですよ。」
「キアラ、大変だったらしいわね。」
 途端に、ローズが困ったように眉を顰めた。
 大変、と言われれば色々大変だがローズに知られてしまうような大変な事はない。背中に、冷や汗が流れるのを感じた。暗くてあまり表情が読み取れないのが救いだろう。
 それに、キアラは確かにちょっとした問題児かもしれないが貴族のお嬢様にまで知られるような、そんな事はしていない。
「お化け。」
「・・・はい?」
 一瞬、キアラは何を言われたのかが分からなかった。お化け。それは幽霊。キアラの信じていないもの。
「あぁ!」
 キアラは叫んで手を合わせた。
 きっと、ローズはあのキアラの部屋で起こった幽霊騒動の事を言っているのだ。しかし、ローズが知る程大きな噂になっていたとか。
「いや、お恥ずかしい。」
「いいえ。あの部屋、前に他の方が首を括って亡くなられたから心配で。」
「・・・。」
 何か、聞いてはいけない事を聞いてしまったような――。
「何かあったら直ぐに言ってね。部屋を変えさせるから。」
「何も無い事を祈ります。」
 キアラは幽霊なんて信じていない。それはあまり意味の無い事だから。だが。自殺した者がいた部屋だなんて気味が悪い。
 引き攣った笑いを浮かべて、キアラは乾いた笑いを上げる。ローズにキアラの心情が知られていないのを祈るのみだ。
 こう云う時は話題を変えるのが一番だ。キアラは咄嗟に思い付いた事を口にした。
「ローズも大変だったでしょう。」
 するとローズは首を傾げる。だが、大変だったに違い無い。
「カミーユ様が亡くなられて。」
 ローズの顔が歪んだ。かと思うと本当に不思議そうな顔をする。 「カミーユ様は確かに病気に倒れられたけれど、まだ亡くなってはいないわ。」
「――。はい?」
 今度は、キアラが呆然とする番だった。カミーユは確かに死んだ。その為に、キアラは色々と――。
 は、とキアラは気付く。まさか全て夢だったのではないか。だとしたら、今日ルイーズに会いに行くのも夢だ。それは嬉しい。
「いや、夢、見てたのかな?」
「不吉な夢。」
 ローズの瞳が陰った。悪い、事を言ってしまった。
「あ、えっと、大丈夫ですよ!」
 根拠の無い慰め。だが、ローズは曇りの無い真っ直ぐな瞳でキアラを見詰めていた。だから、何か言わなければ。
「私の夢で一回死んだからもう死にません!」
「・・・。」
「・・・。」
「――。」
 二人の間に、不思議な空気が流れた。キアラは引き攣った笑顔を浮かべて、ローズは不思議そうに首を傾げたまま、見つめ合っている。
 スベった。坂から滑ったのではない。スベった。
 それは、お笑い芸人ならば誰でも恐れる悪魔の呪文。スベった。事実、キアラは、この言葉で泣かした事があった。
 その呪いか、またキアラにその呪文が返ってくるとは。こればかりは魔術師にもどうにも出来ない。
「――ぷっ。」
「え?」
「ふふふふふ!」
 奇跡だ。ローズが笑っている。腹を抱えてローズが笑っている。
「キアラは楽しい人ね!」
「よく言われます。」
 本当は時々だけど。
「ローズ――、様?」
「ローズで良いわ。」
「じゃ、ローズはカミーユ様の派閥なの?」
 途端にローズの表情が陰った。そして俯く。
 普通はこんな事、他人と話したりしない。自分の命にも大きく関わるからだ。
 だからローズの反応は至極当然。だがキアラは、ローズの思想を聞いておきたかった。
「――キアラは?」
 ローズは上目使いに、不安そうにキアラに問う。
「カミーユ様ですね。」
「・・・。」
「カミーユ様が一番良い方向に国を導いてくれると思います。」
 と、ローズがキアラの腕を掴んだ。微かに力が入っている。
「ベランジェ様は?」
「臭い。」
「臭い?」
「はい。」
 キアラは頷く。
「だって色々と、臭う。何やってるかも不透明だし。有力な味方もいないのに、――あれだし。」
「じゃあファブリス様は?」
「姉のローズ王女が臭います。」
 ローズの手が離れた。
「臭うって?」
 此処から先も、果たして言ってしまって良いものだろうか。キアラは少し迷った。
 だが、ローズがその真っ直ぐな瞳でキアラを見ている。まるで縋り付くように。
「――彼女は。」
 暁の王女は。
「自分が政権を執るつもりなんだと思います。」
 ファブリスに政治をさせるのは不可能だ。傀儡にするにしても、足らない。国民に見せる時は立派な国王でなくてはならないのだ。
 そんな勝ち目の無い状態で何故沢山の貴族がファブリスに付いているか。その影に見えるのは、ローズ。
「――キアラはとても賢いのね。」
「ありがとうございます。」
 キアラは違和感を感じた。それはとても可笑しい。何故、そんなに切なそうな顔をしているのだろう。
「貴方は彼女の事が嫌い。」
「別に。」
 するとローズは目を見開く。笑ったり悲しんだり驚いたり。本当に忙しい。
「どうして?」
 ニーナと祖先だから。それが一番の理由だ。だが、それを言ってしまう訳にはいかない。
 キアラは言う。もう一つの理由を。
「一生懸命生きている人、嫌いじゃないんです。」
「・・・。」
「クロード以外は。」
 そう、あの男以外は。何と云うか、腹が立つ。今までに無かった訳ではないのだが。腑が煮え繰り返る。
 思い出しただけで掌を握り締めていた。顔も引き攣っているかもしれない。
 ローズが心配そうにキアラを見詰めている。笑顔を作りたいのだが、上手くいかない。
「――何があったの?」
「私ぺったんこじゃないですよねぇっ!」
 ローズが固まった。恐らくキアラが何を言っているのか分からないだろう。
 胸の前で交差させるように、ローズは前髪を整える。そして、目を泳がせた。
「何の事かしら?」
「胸。」
 ローズの顔が凍り付いた。
「女の子に向かってそれはないですよね。私だってちゃんとあるんですから。」
「・・・。」