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ニ章 暁の王女 「疑ってますか?疑ってるんなら触りますか?」 キアラはずぃとローズに迫った。ローズは慌てて首を横に振る。 ローズみたいに大きな人間には分からないだろうが、大変なのだ。最大のコンプレックスなのだ。 「自分がちょっと胸板厚くてイケメンだからって。畜生め!」 「――そんなにクロードが嫌いなの?」 「はい。」 きっぱりと、キアラは頷いた。 「確かにはっきりとした性格だから言われたくない事を言われる事も多い思うけど、良い人なのよ?」 「え?それってローズも私がぺったんこだと思ってるんでか?」 「そう云う訳では――。」 ローズは困ってしまって仕方が無いと言うように、顎に指を当て、キアラから目線を逸らし俯いた。 キアラとて、今自分がやっている事は醜いと分かっている。だが。豊満なローズに対するちょっとした嫉妬の出し方だ。 「と云う訳で私はクロードが嫌いです。」 キアラは締め括った。これ以上虐めるのは可哀相だ。 「キアラは凄いのね。」 「・・・はい?」 今度は何を言い出すのか。貴族は何がしたいのかちょっと分からない。 「本当に羨ましい――。」 「ローズ?」 「ローズ!」 キアラが声を掛けるのが先だったか。誰かがローズの名を呼んだ。それは、聞いた事のある声。 反射的に、睨み付けるようにキアラは振り向く。それは本当に自然な事だった。 暗くて相手はよく見えない。だが、何と無く分かる。それは、つい先程も話していた奴。 キアラはじっと待った。それが、はっきりと見えるようになるのを。 暫く。 「今日は大事な話があるってテオが言ってただろうが。」 「だって――。」 ローズはそれから視線を逸らす。自然と、ローズの視線はキアラに流れた。 「――お前、ローズに何かしたのか?」 「あんたの悪口話しただけだけど?」 それはクロード。それにしても何故、彼が此処に。 「しかしどうしてお前とローズが知り合いなんだ。」 「秘密だよねぇ。」 キアラはローズに向かって言い、同意を求めた。ローズはくすりと笑う。 「秘密です。」 「どうでも良いが行くぞ。」 「あ――。」 クロードがローズの腕を引っ張った。無理矢理連れて行こうとする。 ローズはキアラを見る。真っ直ぐで、澄んだ瞳。キアラには、それが助けを求めているように見えた。 キアラは左足を引く。そして。 「てぃや!」 「ぅわっ!」 ローズの手を掴んでいたクロードの手を蹴り上げた。自然とクロードの手はローズから離れる。 「何しやがる!」 「そりゃこっちの台詞だ!私のローズの密会を邪魔しやがって。」 「・・・。お前、この方が誰だか分かってるのか?」 「どっかの貴族のお嬢ちゃん。」 「・・・。」 クロードはキアラから視線を逸らして溜息を吐いた。絶対に、馬鹿にしている。だが、ローズが女官だとか有り得ない。 ローズもローズで不安そうにキアラとクロードから目線を外している。また、目が泳いでいた。 「ローズ。」 「えっと、あの――。」 クロードは厳しく、まるでローズを咎めるように名を呼んだ。ローズは言葉を濁している。 クロードは暫くローズを見詰めていたが、何も得られないと判断したのかキアラに向いた。 「あのな、キアラ。」 「何?」 「王女の名前は何だ?」 「馬鹿にすんな。ローズ=アンリエット=デュトルエルでしょ?」 「じゃあ、彼女の名前は?」 「ローズでしょ?」 クロードが溜息を吐いた。絶対にキアラを馬鹿にしている。 「何とも思わないのか?」 「まどろっこしいんだよこの筋肉馬鹿。」 「ばっ――!?」 クロードは驚愕した。貴族のぼんぼんが、今まで馬鹿なんて言われた事はないだろう。馬鹿とは言っても。しかも筋肉が付けば。 「さっさと本題に入れ!」 「――。」 クロードが黙り込んだ。泣かしたか。だが、泣く気配は無い。 ローズが心配そうにキアラを見詰めていた。なのでキアラは反射的に微笑んだ。 その途端、クロードがキアラの腕を掴む。 「王女だ。」 「は?」 「彼女はローズ=アンリエット=デュトルエル。」 「王女と同姓同名だねぇ。」 「だからローズは王女なんだ。」 青い、ワトーの瞳が、キアラを覗き込んだ。キアラのカシミールグリーンの瞳と重なる。 頭の中が真っ白になる。けれども、それは目の前の美しい顔のせいではなくて。 キアラが悪女のように思っていた暁の王女。それが、まさか、この可憐な少女だったなんて。 暫くの空白。その後に、クロード以外も見えるようになった。 ローズが悲しそうに瞳を伏せながら、キアラを見ている。長い睫毛がその深い青の瞳を被っていた。 「ごめんなさい――。」 絞り出すような声。 「本当の事を言ったら、貴方、怒ると思って。それで黙っていたの。」 あの黒薔薇は、ローズがシルヴェールに送ったもの。だから本当だったのだ。二人の愛は。 別に、構わない。いつかは会うつもりではいた。それが、少し早くなっただけだ。 「でも、ローズはローズだから良いや。」 キアラは自分に言い聞かせるように呟く。 「キアラ、でも貴方は私の事を――」 「これで性格も高飛車だったりしたら張り倒してシルヴェール様奪っちゃうけどローズ性格良いし。」 ローズは目を見開いた。その瞳はたちまち潤む。そして、ローズは一歩後退った。 「キアラもシルヴェールの事を――!」 「違う違う。」 キアラは手を振りながら、ついでに首も振る。 「尊敬と云うか敬愛?魔術が使えなくなったら、用無しですね。」 「――お前、酷いな。」 そう言ったクロードの顔は酷く歪んでいた。苦虫を噛み潰したような顔、である。 「まぁそんな事有り得ませんけどねぇ。」 「はい。」 ローズが微笑んだ。やはり、此処の薔薇のどれよりも美しい大輪の華だ。 「さ、ローズ。帰るぞ。」 「――。」 クロードがローズの腕を引っ張る。ローズは縋るようにキアラを見ていた。 だが、キアラはローズに手を振る。 「私もこれから約束があるんで。」 「また――」 「私は夜なら、殆ど此処にいますから。」 ローズは微笑んだ。そして、クロードに並んで歩き始める。 さようなら。キアラは言葉にせず、唇で呟いた。 ローズは気付いただろうか。 転移すると、キアラはクローゼットの中にいた。服に埋もれながらクローゼットから脱出する。 ――ベッドにはシルヴェールが腰掛けていた。じっと、暗い瞳で月を眺めている。瞳には微かに月光が宿っていた。 女のそれよりも艶やかな黒髪が、少し開いた窓から入って来る風に揺られている。 顔には、何の表情も浮かんでいない。無表情。それでも柔らかく、端整で中性的な顔が際立っている。 神秘。その存在が、キアラの目の前で座っていた。 と、シルヴェールがキアラの方へ向く。すると、シルヴェールは少し不機嫌そうな顔になった。 「何処に行っていた?」 「――密会。」 「クロードと?」 「何でやねん。」 キアラはシルヴェールを張り倒したい衝動に駆られた。だが、相手はシルヴェールなのでぐっと堪える。 「遅れましたか?」 「いや――。ルイーズが時間を早めてほしいと言ってきた。」 「・・・。」 これだから嫌だ。金持ちは。何でも自分の思い通りになると思っている。 キアラはシルヴェールに聞こえないように、そっと舌打ちをした。だがシルヴェールの顔が歪む。聞こえてしまったらしい。 「行くぞ。」 「殺されそうになったら助けて下さいね。」 シルヴェールがキアラの腕を掴む。キアラはシルヴェールに身体を寄せてみた。 次の瞬間。 誰かに鈍器で殴られたような、そんな違和感を感じた。それは直ぐに痛みに変わる。何かに締め付けられているようだ。 キアラはその場に座り込んだ。痛い。痛くて立ち上がっている事すら出来ない。涙で視界が霞む。 「大丈夫か?」 シルヴェールが手を差し延べた。キアラは無我夢中でその手に縋り付く。 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。 「一体、どうしたんだ――?」 『解』シルヴェールとはまた別の声が響いた。何処かで聞いた事がある。 その途端、頭の痛みが嘘のように消える。あまりに拍子抜けして、またキアラは倒れるようになってしまった。 だがそれをシルヴェールが受け止めてくれる。シルヴェールはとても細いのに申し訳ない。 「やはりな。」 全身の毛が、総毛立った。血の引く音までがキアラには聞こえた。動悸も早くなる。 怖い。その一言だ。 後ろを振り向いて、その恐怖を打ち払いたい。だがその恐怖が現実のものとして其処にあるようで。 キアラは動けなかった。指一本さえ。汗だけが、キアラの動くものだった。 「キアラ=グレース=ルーシュ。顔を見せろ。」 やはり、ルイーズだ。彼女に会いに来たのだから当然なのだが。 こうなってしまったら腹を括るしかない。死ぬ覚悟をするしかない。キアラは目を閉じて、精神統一した。そして、振り返ると同時に目を開ける。 ルイーズは、いつか見た肖像画と同じ姿だった。 ぴん、と伸びた背筋。頭の高い位置で結い上げられ、その背中には波打つ欝金の髪が流れている。細く、胸は無いがそれが当然のように美しい身体の線。そして、瞳はキアラと同じ色で、意志の強い光が輝いていた。 彼女は眩しい。ローズのように美しいのではない。シルヴェールのような神秘も纏っていない。まばゆい美しい光が、彼女を包んで輝いている。 キアラの恐れる、ルーシュ家最初の女当主。彼女はそれに見合った光と、意志の強さを兼ね備えている。当然の事ながら魔力も。 ルイーズは、つかつかと靴音を立ててキアラに近付いた。そして顎を持って自分の方にキアラの顔を向けさせる。 「確かにルーシュを名乗るに相応しい魔力は持ち合わせているようだ。」 何故見ただけでそんなに分かるのだ。同じ魔術師ながら、キアラは不思議な気分になった。 と、耳元で何かが鳴った。りん、りぃん、と。何が鳴っているのか。キアラは分からないままルイーズを見詰め返した。 ――そうだった。キアラは耳にピアスをしているのだ。だが、そのピアスは鈴でないのに何故鳴っているのだろう。 「どうしてルーシュを名乗る?」 やはり、ルイーズの質問はそうなるか。キアラは舌打ちをしたくなった。 未来から来たからに決まっている。キアラはルイーズの子孫なのだ。だが、彼女にだけはそんな事を言えない。 「誰かの隠し子か?」 そうしておいた方が良いのだろうか。キアラは暫く考える。そう言ったらそう言ったで、誰の子か聞かれてしまう。此処でだんまりを決め込もう。 キアラは黙ったままルイーズをじっと見返していた。それは、ルイーズからしてみたら酷く反抗的に見えるだろう。 そうして、見詰め合ったまま二人の時が流れる。ルイーズの瞳には、キアラの瞳に映るルイーズの姿が映っている。 「――。」 「――。」 「――。」 ルイーズの唇が、微かに動いた。 「気に入った。」 それもそれでちょっと困ってしまう。 「あの話をするに相応しいだろう。」 ルイーズの瞳の先のシルヴェールは少し困ったような顔をした。言っておくが今一番困っているのはキアラである。 「魔術は試さなくて良いのですか?」 「もう知っている。」 ルイーズが近くにあったソファに身を沈めた。センスを疑いたくなる程真っ赤だったが、それが反って魅力的になっていた。 硝子のテーブルを挟んだ反対側のソファにシルヴェールが座る。シルヴェールに手招きされたので、キアラはシルヴェールの隣りに座った。 「カミーユの話だが――。」 ルイーズが重々しく口を開いた。 キアラは嫌な予感がする。敵対する二人の魔術師が集まって、カミーユを暗殺する気だろうか。だが、その嫌な予感には少し違和感があった。 「いつまで続ける?」 「決着が着くまでが打倒でしょう。」 「だが、我々にも限界がある。遺体が腐るぞ。」 「ならば私が処置しましょう。」 「いや、これは我々の割り当てだ。」 「・・・。」 一体、二人は何を話しているのだろう。話の内容が分からなくて、キアラは半分夢見るように聞いていた。 でもどうやらカミーユを殺す話ではないらしい。キアラは半ば安心する。 「それで、お前は?」 「問題ありません。」 「そうか。なら此方を手伝ってもらっても構わないな。」 ルイーズが、キアラを見た。キアラは固まる。 「キアラ=グレース=ルーシュ。」 「何ですか?ルイーズ=グレース=ルーシュ。」 ルイーズが笑んだ。肖像画と同じ、不敵で人を嘲るような笑み。キアラはこの笑みが大嫌いだった。 でも、それは肖像画での話。生で見ると人を圧倒するような迫力がある。これで人を魅き付けたのだろう。画家の腕不足だった。 「お前、白魔術は得意か?」 「大の苦手です。」 「そうか。ならば、教えてやるからカミーユの遺体の保存を手伝え。」 「・・・。はい?」 キアラは呆然とした。今、ルイーズは何と言った。 「中庭で言っただろう?彼が暗殺された、と。」 「・・・。」 暫くの沈黙。 「嘘!」 「嘘ではない。」 「だってローズが!」 「一部を除き私が記憶を操作している。」 この人達、頭がやられてしまっている。キアラはシルヴェールとルイーズを、まるで狂人でも見るかのように見ていた。 だって、そうではないか。死んだ者を生きているように見せ掛けて。その為に出歩くなと命令まで下して。 それに。 「ベランジェ派が殺したのにどうして貴方がそんな事をする必要があるんですか?」 「それは過激派のした事だからだ。」 他には一切、何も突っ込まずルイーズは答える。 「大丈夫だ。犯人は全て処罰してある。」 ルーシュ家で更に分かれるなんて。キアラの時代には全く考えられない。 「それで、手伝うんだろう?」 キアラの意思は無視か。だからキアラはルイーズ=グレース=ルーシュが大嫌いなのだ。 こうなったら絶対に協力してやるか、とキアラは首を横に振る。 「ほぅ?」 片眉を吊り上げて言うルイーズは怖い。 「私は白魔術はシルヴェール様に習いますし、第一私は清掃員です。」 「ならば私の専属侍女にしてやる。」 「お断りします。」 それだとダルシンの名誉に傷が付くと侍女にしようとしたクロードを脅迫してまで清掃員になった意味が無い。 それを知っているシルヴェールは少し、微妙そうな顔をしながらキアラを見ている。 「そう云う事なので。」 キアラは立ち上がった。早く帰って明日に備えて眠らなければ。 なのに。 「待て。」 ルイーズに呼び止められる。 「あの折――。」 あの折、とはエメの時の事だろうか。キアラは固まる。 「お前が呪いを解いたせいで此方に損害が生じた。」 「あれは貴方が悪いのでしょう?私は知りません。」 「あれを失敗してしまったせいでこんな事をしなければならなくなったのだ。」 「・・・。」 あの時。エメはカミーユを国葬するように願っていた。そして、ダルシン家の力を借りたがっていた。 「貴方の得にはなってもシルヴェール様の特になるような事ではないでしょう。」 「それがそうなんだ。」 シルヴェールは溜息を吐いた。その様子はとても疲れている。 「カミーユ様の母はヴェルディー帝国の三代前の皇帝の血を引く。無下に扱ってはこの国はたちまち滅ぼされるか属国にされてしまうだろう。」 ヴェルディー帝国はキアラの家族が逃げて行った異大陸の国だ。そんなに古くから国交があったのか。 確か、今はヴェルディー帝国が民族統一を果たし、国を整えた時代ではないか。人はその時代を氷河時代と呼ぶ。氷の女王に畏怖を込めて。 そんな時代にヴェルディー帝国を怒らせればたちまちドュトルエル王国なんて滅ぼされてしまうだろう。 「じゃあ何で王妃様は国葬をするなと?」 「その辺りはまた深い因果関係があってな――。」 シルヴェールは言葉を濁す。 王族の事なのだから色々あるだろう。中枢に近付けば近付く程、深く。 「でもファブリス派が勝ったら同じでしょう?」 「そうでもない。」 シルヴェールは視線を落とす。その視線の先には、黒い薔薇。ローズか。 しかし、ローズに王妃を押さえる事は出来るのだろうか。国王になるのならまだしも。 まさか。嫌な予感がする。キアラの嫌な予感は、よく当たるのだ。 |