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ニ章 暁の王女


 クロードに対して嫌がらせも出来、一石二鳥ではないか。身体が震えるような喜びが沸き上がる。
 どうなるか分からない身なのだから散々楽しんでやろう。唇の端が釣り上がった。
「――キアラ?」
 ふと我に反ると、心配そうなローズの顔と少し怯えたようなテオドールの顔があった。
「大丈夫?」
「はい、ちょっと良い事思い付いただけです。」
「クロード、生きてるだろうか。」
 流石天才。テオドールはよく分かっている。
「じゃ、時間も勿体無いし行く?」
「行きましょう。」
「何処に行きましょうか?」
「遠くが良いわ。此処からずっと離れた遠く。」
「ローズ・・・。」
 ふと、キアラは思った。今の空気は駆け落ちする恋人のようだ。
「駄目に決まってるだろう?ただでさえ最近は暗殺者が多いのに。」
「ならばキアラと二人で行きます。」
「ローズ?」
 ローズは歩き出した。キアラは後を追う。
 後ろではテオドールの盛大な溜息が聞こえた。
「俺が危ないと判断したら直ぐに帰るからな。」
「はい。」
 甘い。どうしてこんなにテオドールはローズに甘いのだろう。  分かっている。それはローズがテオドールの認めた、たった一人の主君だからだ。キアラとニーナのように。
 だから、もうちょっと反対した方が良いのではないだろうか。幾ら腕に自信があってもテオドールは一人なのだ。キアラも加勢するが。まさか、それを考慮していたと言うのだろうか。
「我が姫君。お手を。」
「・・・。」
 そんな事を言えるテオドールも、それを自然と受け入れてしまっているローズも凄い。
 キアラは誰にでもなく同意を求めるよう溜息を吐き、二人の後を追った。



 綺麗な場所だ。瑞々とした木陰は涼しく、川は夕日を反射して紅く染まっていた。
 流石庶民から上り詰めただけあって、テオドールはこんな場所をよく知っている。キアラの時代、恐らく此処は美術館になっている場所だろう。
 小川のせせらぎに耳を傾けながら、木陰で休むこの時は極上。ローズもうっとりと目を細めていて寝てしまいそうだった。
「来て良かった・・・。」
「こんな素敵な所、初めてです。」
「それは良かった。」
 そう言うテオドールの声も心成しか眠そうだ。
 此処で寝てしまおうか。昨日眠れなかった分の眠気が一気に押し寄せて来る。
 置いて行かれても転移して帰れば良い。とにかく、キアラは眠たい。
 瞼が重くなる。開けようとすれば開けようとする程に。
 キアラが目を閉じたその時だった。
「――喉が渇いたわ。」
「分かりました、持って来ます。」
 身体が右へ倒れそうになるのを踏ん張ってキアラは立ち上がった。だが何者かに肩を持たれ、押し戻されてしまう。
「俺が行って来る。キアラはローズといて。」
「ん。ご苦労だ、テオ。」
「――君は何者のつもりだ?」
「別に。」
 キアラは唇を尖らせる。
「テオってさぁ、クロードと違って冗談通じないね。」
「君の冗談は本気かよく分からない。」
 それはテオドールの判断力が甘いだけだ。キアラは寝転がる。草の瑞々しい香りが心地好い。
 眠気は益々その大きな腕でキアラを包み込もうとする。キアラもそれに身を委ねたかった。
「――寝たらクロードと結婚させるから。」
「ローズがいるのにそんな筈無いよ。テオドールさん。」
 テオドール。庶民とは云え、どれだけ権力を持っているか分からない。図書館を私物化するくらいなのだから。
 キアラは身を起こし、ローズと肩を並べてテオドールを見送った。水筒を持って来ているなんて準備が良い。
 テオドールは上流の方へ消えて行った。この時代なんだから下流でもそんなに汚くないとは思うのに。
 ぼぅっ、とテオドールの背中を見送った。それが消えると、ローズがキアラの髪を触った。
「何ですか?」
 ローズは笑っていた。何がそんなに楽しいのか、とキアラが問いたくなるくらい楽しそうに。
「キアラって、好きな人いる?」
「・・・。」
 時代も身分も違っても、年頃の女の子がしたがら話は恋の話か。はっきり言って、興味無い。
「いませんけど?」
「ふふ。嘘なんか吐かなくても良いのよ。」
「・・・。」
 その時、キアラはローズが奇怪な女に見えた。何を言っているのか全く分からない。
 だが、ローズはそんなキアラにはお構い無く言葉を続ける。キアラの心情なんて、ローズには理解出来ないだろう。
「クロードが好きなんでしょう?」
「・・・。」
 消えて無くなれば良いとさえ、思った。
「有り得ないから。」
「だってテオもそう言っているし、シルヴェールは二人が密会してたって――」
「してない。」
 あんなのと密会するくらいならローズとレズってた方が大分良い。クロティルドだってどんと来いだ。
「でもオーベールもキアラと結婚させるって張り切ってたし――。」
「何処の何奴(どいつ)だ?」
「クロードの兄よ。」
「・・・。」
 この時代の者は皆してキアラを陥れるつもりか。皆キアラの敵なのか。よりにもよってクロードだなんて。
 キアラは膝を抱える。こんな屈辱的な気分は久しぶりだ。
「そんな事ばかり言ってたらシルヴェール様寝盗っちゃいますよ。」
「キアラ!」
「ははは。半分冗談ですよ。」
「半分!?」
 ローズをからかうのは意外と面白い。キアラはへらへらと笑っていた。
 危機を感じたのだかどうだか知らないが、ローズは頬を膨らませてキアラの肩に頭を置く。

魔力が膨れ上がった。

 キアラはローズを突き飛ばした。ローズは驚いた表情を浮かべて川に暁色の髪を浮かばせる。
 ローズも無事、とは言い難いが逃がした。キアラもその威力に身を預けて転がる。
 振り返りながら止まると、二人が先程までいた場所の土は大きく刔れていた。
 キアラは急いでローズの元に駆け寄って抱き起こす。ローズの顔面は真っ青になって、指先が震えていた。
 当然だ。相手は魔術師なのだ。しかも、相手もローズも何の力も持たない小娘二人だと思っている。
「キアラ――。」
 震えるローズの声。ローズはキアラの腕を強く握った。
 だが、今はローズを安心させるよりも先にしなければならない事がある。相手の力量はどれ程か、人数は、いる場所は。
 あれで殺そうとしたのなら大した魔術師ではない。しかも、キアラと同じ黒魔術専門。そして避けた時に次の攻撃を仕掛けて来なかった事から一人だと伺える。
 それならば。キアラはほくそ笑んだ。久々に本気を出せるかもしれない。
「ローズ。」
 キアラは耳元で囁いた。ローズは怯えた子犬のような目でキアラを見詰める。
「目を閉じて、何があっても動かないで下さい。」
「え――?」
 ローズの目を手で閉じさせて、キアラはローズから手を離した。
ventus, flamen(風よ、)
Valde ventus(大いなる風よ)
Vestri vis(汝の力、) Flow in mihi(我に注ぎ給え)
 言葉を放つと強い風が吹き荒れた。耳のピアスが五月蝿い程鳴り響く。
 そしてやがて表れたのは竜巻。物凄い勢いでキアラの髪を乱す。
 その風に耐え切れなくなった相手は光の壁を作り――雷を下から上げ――風を遮った彼処か。
Energetic terra!(躍動する土よ!)
Effor instar pro mihi!(その姿を我に表せ!)
Amo obscurum(闇の如く)
valley quod est profundus in humus!(その地に深き谷を!)
 土が蛇のように動く。かと思えばその光の壁を目掛けて亀裂が走った。
 相手がキアラの前に姿を表す。それは、少年だった。そのふくよかな頬を大量の汗が伝っている。
Gemo flamma!(炎よ唸れ!)
Totus populus quisnam es scelestus mihi(我にとって邪悪なものを)
Exuro universitas is!(焼き尽くせ!)
Uber terra,(豊かなる土よ、)
Ostendo is pro mihi(我の前に表せ!)
Ostendo vestri vis(汝の力を示せ!)
Totus populus quisnam es scelestus mihi(我にとって邪悪なものを)
Plumbum is ut universa obscurum(完全なる闇へ導け!)
 呪文が重なった。キアラは炎。相手は土。関係は相殺。魔力の多い者が勝つ。
 キアラは魔力の放出量を一気に増やした。押している。
 目の端ではローズに駆け寄るテオドールが見えた。
「飛び込め!」
 瞬時に理解してくれたのかテオドールはローズを抱き抱えて川の中に飛び込んだ。それを確認するとキアラは魔力を放出するのを止めて転がり避ける。迫り来る土がキアラの横を通り過ぎて行った。
In meus vox manus manus an bacchatus incendia!(我が右手に烈火よ!)
Ut meus left manus manus levitas!(我が左手に稲妻よ!)
; est fervens ; per a flare(その熱く輝く光持て)
EGO tribuo vos rutilus unda(我、汝に紅き水を下さん!)
Insisto mihi(我に遵え)
Meus fervens lux lucis!(我が熱き光よ!)いざ!』
 右手に宿った炎と左手に宿った雷。キアラはそれをゆっくりと近付け、合わせた。
 相手の明らかな動揺が見受けられる。だが、もう遅い。キアラはそれを相手に向けて放った。
 天地を揺るがす大轟音。目の前の大地が揺れる。様々なものが一瞬にして消し飛んだ。
 代償に捧げたのだから仕方ないが両腕から血が滴り落ちる。綺麗な鮮やかな紅だ。少し腕が怠い。
 と。
 水だ。キアラの苦手な水が、押し寄せてくる。まだ生きていたのか。
 それよりローズを。ローズとテオドールを。
 キアラが駆け出そうとした時、二人の姿が目に入った。土の要塞を作り、二人を守っていれシルヴェールがいた。素早い。
 ならば。
 キアラは辺りを見渡した。何処かに、いる筈だ。残りの魔術師が。
 ――見付けた。
Thunder flagro iratus ,(怒りの雷よ、)
Illuc thither sanctio!(彼の者に制裁を!)
Tribuo a res pestifer mihi ultio ultionis!(我に仇成す者に罰を!)
EGO sum a alio per possibility ut utor vos(我は、汝を使役する者成り)
 それに向かって雷が落ちる。それが、一体どんな誰なのかも分からぬままにそれは灰になった。
 キアラは溜息を吐く。久々に暴れたら、疲れた、どころかもっと暴れたくなっていた。
 魔力が渦巻く。丁度臍の辺りで。出たい、と言うようにキアラの腹の中を掻き乱していた。興奮。血が、騒いでいる。
「キアラ!」
 佇んでいるキアラに向かって走って来たのはキアラだった。そして、レースの美しいハンカチーフでキアラの腕を拭き始めた。
 何事か、と思った。だが、目を腕に落としてみると腕が血に塗れている。慣れているのに。
 失礼だとも思ったがキアラはローズの腕を掴んでローズの胸の辺りに押し戻した。そして微笑む。
「ハンカチーフが汚れますよ。」
「な!?そ、そんな事より、キアラの腕が!」
「慣れてるから大丈夫ですよ。」
 精霊の気遣いか、流れている血の量は結構なのだが全く痛くない。感覚が麻痺してしまっているだけかもしれないが。
 それでもその眉を顰めて心配そうな顔をしているローズの為に、キアラは右腕を振り回す。
「ほら!精霊召喚した時には持って行かれそうになりましたけど、ちゃんと繋がってますし。」
 あの時は酷かった。召喚したは良いが、その代償として腕が骨が見える程切られてもう使い物にはならないかと思ったが。
 だが、ローズは泣きそうな顔をして首を振る。何がそんなに悲しいのか、全く分からなかった。
「私のせいで、キアラがこんな――。」
「でもこうしなければローズもテオも私も死んでいましたよ?」
 幾らテオドールの頭脳が優れていて剣が使えたとしても、魔術師二人を相手にしてはただ死ぬしかない。
「でも――。」
「何の代償も無しにあんな大術をやってのけるのはシルヴェール様くらいなものです。綺麗な髪飾りが欲しければお金を出して買う。それと同じです。」
「・・・。」
 魔術師は常に何かを犠牲にしている。それが魔力だったり身体の一部だったり。それだけの話だ。
「ローズ。」
 柔らかい声。シルヴェールはローズの肩に手を置く。
「魔石も何も使わないで、血だけで済んだのはキアラの魔力が膨大だったからだ。それも十分喜ばしい事。」
 そうなのか。身体の一部以外にも犠牲に出来るものがあったのか。それは初耳だ。
 必要が無いからキアラも聞こうとしなかったのだが、そんな便利な物あったのならあったで言ってほしかった。
 そして、シルヴェールにあんな事を言われて、褒められているようで嬉しかった。シルヴェールに他意は無いのだろうが。
「それにしても。」
 うちひしがれているローズとシルヴェールの間にテオドールが口を挟んだ。
「予想していたより遥かに早い。」
「あぁ。意外と早くルーシュが動いたようだ。」
 やはりルーシュだったと言うべきか。だが何と無く嫌な気分になる。同じ一族なのだから、当然か。
「魔術師を送り込まれると厄介だな。俺とクロードでは対処出来ない。」
「私もいつもローズに張り付いているのは難しい。」
「その面はキアラがいるから大丈夫だろう。だが――。」
「毎回血塗れになられては私の心臓が止まってしまいます。」
「それは術を二つ同時に発動させなければ大丈夫だろう。」
「ですが――。」
「今度はその前に駆け付ける。」
 シルヴェールはローズの前に跪づいた。輝く黒髪が揺れ、白い肌に舞う。そしてローズの柔らかな真っ白い手を恭しく取り、そのまま接吻した。
 騎士の誓い。見ている此方が息を飲む美しい光景。そのお陰か、ローズの表情が柔らかくなった。
「分かりました。信じています。」
 その二言でローズがどれだけシルヴェールに信頼を寄せているかが分かる。愛し愛されているのだ、と思った。
 居場所を無くしたのか、テオドールが肩を竦めてキアラを見詰めた。同じような思いだろうと、キアラも肩を竦める。
 やるのなら自室でやってほしい。見せ付けられた方は、見せ付けている方よりもっと恥ずかしい思いをしているのだ。
「テオ。」
 シルヴェールは急にテオドールに向かう。テオドールを眉を顰めた。
「何?」
「ローズを連れて先に帰っていてくれ。」
「シルヴェールは?」
「キアラと此処の復旧作業を行う。」
「は?」
 シルヴェールは今、何と言った。キアラが正しく聞いていたならば、この刔れて色々と酷いこの場所を、キアラと直すと言っていなかったか。
 キアラには無理だ。シルヴェールには出来るだろうがキアラには不可能だ。白魔術の苦手なキアラには。
「丁度修業にもなるだろう?」
「跡形も無く壊す方が良いな、なんて。」
「何を言っているんだ。破壊で生み出されるものは何も無い。」
 分かってはいるが。どうしても畏縮してしまう。
 と、シルヴェールの手がキアラに伸びて来た。反射的に避けようとするとシルヴェールの手はキアラの耳を掴む。
「多分、これが原因だ。」
「止めて!」
 シルヴェールはキアラのピアスを取ろうとする。キアラはその手を跳ね退けた。
 目を大きく見開いて、シルヴェールは固まる。ローズもキアラを凝視していた。キアラは自分の耳を掴む。
「止めてよ、」
 違う、こんな事が言いたい訳ではない。」
「お祖母ちゃん――!」
 違うんだ。
 目を閉じても分かる程に、痛い空気が漂う。誰も一切口にせず、その沈黙が痛かった。
 キアラは、ゆっくりとピアスを外す。一つ、二つ。両耳を外し終わると、キアラはそれをポケットに捩込んだ。
「――済みませんでした。」
「いや、私も悪かった。」
 何が悪かったのか、シルヴェールは分からない。なのに。胸の奥が熱くなる。
「やろうか。」
 シルヴェールが呟くように言う。キアラは頷いた。
 不安そうなローズの手を引いてテオドールは歩き出す。そして、何も言わないまま去った。
「あの――。」
「言わなくて良い。」
 シルヴェールはキアラの言葉を遮る。そして、悲しそうに微笑んだ。
「誰にだって言いたくない事くらいあるだろう?」
 そう。それは言いたくない事。キアラはそれが暴かれる事を望まない。
「心象は魔力がこの地に浸透し癒す心象だ。」
 素早い会話の切り替え。無言が無いので清々しい。
「治癒魔術になるんですか?」
「そうなる。だが、自然のものは生物より簡単だ。構造を頭に入れる必要は無い。」
 魔術も、勉強と同じで理解しなければならない。早い話、治癒魔術の場合は医者が使うメスの代わりに魔力を使うと云うだけだ。
 だが勿論、心象――つまりイメージ――だけで行える魔術も多数存在する。例えばキアラの行使する黒魔術が多数そうだ。
「呪文は?」
「そうだな――。荒れ果てた其が心、其が身体。我が魔力を持って癒し給え。流れる水よ、吹く風よ、眠る土よ、彼の者に栄光を。」
 自然治癒力を高めるのか。キアラは口の中で三回、現代の言葉で呪文を復唱した。
 そしてイメージする。キアラの魔力がこの大地に行き渡り、全ての命が息を吹き返す事。
 息を吸い込んだ。目を半分閉じると何も聞こえなくなる。良い状態だ。
Is went sepelio(荒れ果てた)
Vestri pectus pectoris ,(其が心、)
Vestri somes(其が身体)
我が Operor is per meus veneficus vox(我が魔力を持って)
Vigoratus is(癒し給え)
Liquidus unda ,(流れる水よ、)
Ventus spiro ,(吹く風よ、)
Unexploited soil ,(眠る土よ、)
palma, laus, gloria, doxa(彼の者に栄光を)
 静寂が訪れた。魔力と呪文を放った筈なのに何も起きない。小川のせせらぐ音だけが聞こえる。