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ニ章 暁の王女


 ――否。
 声を上げる暇も無かった。白い光がキアラを飲み込む。眩しくて息苦しい。
 暴走したのだ。白魔術でそんな前例は、理論にも適っていないのに暴走してしまったのだ。
 背中に激痛が走る。声も上げずに、キアラは堪えた。
「キアラ!」
 シルヴェールの焦った声が聞こえる。
 でも、大丈夫。暴走させるのには慣れているから。
recolligo(集!)
 やっとの思いで声を上げる。すると、その暴走した魔力はキアラを目掛けて端って来た。
 昔は一番上の兄がやってくれていた。だが、自分の後始末は自分で付けなければならぬと思い、今の形に落ち着いたのだ。
 身体中が痛い。内側から何かに食い破られているような痛さだ。キアラは膝を付く。
 魔力がキアラの中で暴れている。だが、それはキアラの魔力。落ち着くのは早い。
「ふぅ。」
「君は――。」
 シルヴェールは言葉を飲み込む。
「何て事を。」
「はい?」
 そんなに驚くような事でも、責められるような事でもないと思うのだが。シルヴェールの意図が分からない。
「その危険性が分かっているのか?」
 肩に食い込むシルヴェールの爪が痛い。その何事も見透かしているような瞳が怖い。
 危険性――。分からない。誰もそんな事、キアラに言ってくれなかった。
「それは自分を傷付ける結果にしかならないんだ。」
「キアラ。」
「何?」
「お前はそれで良いのか?」
「何が?」
「その方法は――」
 違う。誰も言ってくれなかったのではない。キアラが勝手に忘れていただけだ。
 誰もキアラの魔術を止められないから。止めようとすれば傷付いてしまうから。だから、勝手に、忘れていただけだ。
 涙が出て来た。可笑しい。欠伸をした訳でもないのに。
「お前も辛かったんだな――。」
 この歳になって泣くなんて、有り得ないと思っていた。本当に少し、少しだけれどもシルヴェールにキアラを理解してもらったような気がして嬉しかった。
 細い細い、しなやかで白い腕がキアラを抱き締める。違和感。だけど、今はそれに身を任していたい。
「私も――。そうだった。」
 シルヴェール程の魔術師が、ルイーズであっても止められるとは思わない。
 この苦しみは桁が違うと思う。だが、似たような思いをシルヴェールも味わっていた事が嬉しかった。
 キアラはシルヴェールから身を離す。いつまでも甘えている訳にはいかない。
「ローズに怒られちゃいますね。」
「キアラ――。」
 あぁ、どうしてだろう。その時のシルヴェールがとても悲しそうに見えたのは。
「さぁ、どうしましょう?」
 触れない。触れたら壊れてしまう。
「――私がキアラの魔力を抑えるからもう一度やってみてくれ。」
「はい!」
 もう一度やって、キアラは、物の見事に失敗した。
 気のせいか、その通りか、荒れ地がほんの少し広がったような気がする。いや、少しじゃないかもしれない。
 キアラは呆然とした。呆然として、シルヴェールが暴走を止めるのを見守る。
 駄目だ。何だかもう全く無理なような気がしてきた。
「キアラ。」
 シルヴェールも呆れている。だが、何も言えない。
「キアラ程黒魔術が使えれば、白魔術が全く使えないなんて有り得ない話なんだ。」
 黒魔術も白魔術も人間が別けて呼んでいるだけなのだから、とシルヴェールは続ける。
「何か原因があるんだろう。」
「その原因って何でしょう?」
「それは私も知らない。」
 当たり前の事なのに、悲しい。シルヴェールだから。シルヴェールは万能ではないかと思ってしまうのだ。
「心当たりは?」
「・・・。」
 魔術は精神面にも大きく作用する。だから、無い事はないのだが――。
「済みません。」
 シルヴェールと云えども、今は。
「言えません。」
「――そうか。」
 それだけだった。
「帰るか。」
 そう言ったのと同じだったように思われた。辺り一面が緑で埋め尽くされる。
 やはり、シルヴェールは凄い。自然と笑みが零れた。
「詠唱破毀の仕方も教えて下さいね?」
「白魔術を使いこなせるようになったらな。」
「頑張ります。」
 まだまだ先の事になるだろう。だが、その時が来るまで精一杯頑張ろうと思う。



 厨房に行くと慌ただしく働く調理師の姿が先ず目に入った。昼時だから忙しいのだろう。
 この空気は慣れない。急がしそうなのは、何だか慣れないのだ。
「ローズ様の昼食の用意は出来ていらっしゃいますか?」
「あぁ、キアラちゃん。」
 調理師見習いのニルスが嬉しそうにキアラの方を振り向いてくれる。
 同じ新人、と云う事もあってかニルスはキアラによくしてくれる。数少ない心の支え、かもしれない。
 ニルスは社交的で誰とでも直ぐ仲良くなれる存在だ。その上あまり突っ込んだ事を聞いて来ないので楽である。
「今、毒抜きしてくれてるよ。」
「そう、じゃあ待つ。」
 だが、毒抜きをしているのはルーシュ家の者。だから、キアラはローズに出す前に――毒抜きは出来ないので――毒を破壊する魔術を掛けていた。
 面倒な事この上無い。料理もローズの口に入る頃には冷めていて、可哀相だった。料理は温かいのが一番美味しい。
「それで、キアラはお昼どうするの?」
 本当はローズもそう言ってくれているし、ローズと一緒に食べたいのだが。女官と言えども所詮使用人。無理である。
「決まってなかったら一緒に食べない?」
「ごめん!」
 キアラは両手を合わせた。
「もう予定入ってるんだ。」
「そっかぁ。」
 そんな風に本当に悲しそうな顔をされたら何か悪い事をしてしまったような気になる。
「オレの新作奢ろうと思ったのに。」
「あぁ!」
 食べたい。見習いではあるが流石に王宮に務めているだけあって美味しいのだ。ニルスの料理は。
 キアラは頭を押さえる。食べたい。なのに、テオドールとの約束だから断るのが怖い。
「・・・キアラ?」
 キアラは名を呼ばれ、ニルスの方を向く。その時の顔は泣きそうだっただろう。
「明日で良い?」
「あ、う、うん。だからそんな顔するなって。」
「ありがとう!ニルス大好き結婚して!」
「ははは!しようか?」
「勿論料理はニルスね。」
「やっぱり?」
「ニルス!」
 と、ニルスの顔の位置が変わった。ニルスの淡い金髪に拳が食い込んでいる。
 料理長だ。ごつい熊みたいな男なのだが、料理は繊細で絶品だとの噂。
「女の子と話してる暇あったら皿洗え!」
「はぁい。」
 ニルスは残念そうに戻って行く。
「何だ、そのやる気の無い返事は!」
「はい!」
 熱血である。もっと言うと、熱苦しい。特に口髭が。
「あんたもニルスの無駄話は無視して良いから。」
「はい。」
「キアラちゃん酷いよ!」
「ニルス!」
 哀れニルス。料理長の怒りの矛先は全てニルスに向かっている。
 其処で漸くニルスは皿洗いを始めた。キアラも悪いと思うのだが、遅過ぎる。
「あぁ。」
 料理長が声を漏らした。料理長の目線を追うと、料理を持ったルーシュ家の者が来ている。
「来たみたいだな。」
「はい。ありがとうございました。」
 キアラは料理師達に迷惑を掛けないよう、最新の注意を払って小走りで彼に駆け寄った。
 陰気な男だ。名前も知らないし、会話もあまりした事が無い。だが、不思議な事に朝昼晩、間食と顔を合わせていたら何と無く親近感が沸く。
「いつもご苦労様です。」
 彼は頷く。ほんの少しだが、一番最初よりは打ち解けられた――、ような気がする。
「三時にお茶をするんでその時も宜しくお願いしますね。」
 また、彼は頷いた。
 キアラは料理を受け取ると一礼して、ローズの部屋に向かった。腹を空かせていたら大変だ。
 早足に向かうと料理が音を立てる。それはまるで一つの旋律のようで楽しかった。
 陶器の旋律を楽しんでいると、ローズの部屋は直ぐ。部屋の前にいるユーグともう一人に一礼して、キアラは扉を開けた。
 先ず目に入ったのは、ローズの笑顔。その名の通り、薔薇のように艶やかだ。
 彼女をそんなに艶やかにさせているのはシルヴェール。神秘的な微笑を称えている。
 そっとしておきたい。そんな気にもなった。だが。
「お取り混み中の所悪いんですけど、昼食をお持ち致しました。」
「キアラ!」
 ローズはキアラの方を見て嬉しそうに微笑む。その微笑みが陰らなくて本当に良かった。
「キアラは今日のお昼をどうするの?」
「テオがどうしても一緒に食べてくれと懇願するので一緒に食べてやってもいいかな、と。」
「まぁ。」
 キアラは眉を動かし、その美しく皺一つ無かった眉間に皺を作る。それだけで此方が悪い事をしたような気になるのだからローズの効力は大きい。
 そしてローズは不安そうにシルヴェールの方を見る。シルヴェールは困ったような笑みを浮かべた。
「クロードの立場がありません。」
「ちょっと待って下さい。」
 もしかしたらキアラの勘違いかもしれない。だが、キアラの勘違いでなかったら。考えただけで身の毛がよだつ。
「クロードの立場って何ですか。」
「私の口から言わせないで。」
 分かっている癖に、と言うようにローズは頬を赤らめる。これは当たっていそうだ。
「断じて違う!」
「照れないでも良いのですよ。私だって最初は恥ずかしかったですから。」
「いや、だから違うって。そんなに言うんなら今此処でクロードを殺しましょうか?」
「――。そぅ。」
 そうは言ったものの笑顔が収まっていない。ローズが勘違いしている事は明白である。
 だがそれを訂正する気力も奪われている。キアラはローズが誰にも喋らないように願って頭を押さえた。
「それでは、いただきましょうか。」
 キアラは料理をテーブルの上に並べた。ローズによく似合う純白で天使のレリーフが彫ってあるテーブル。
「キアラ、後は私と、直ぐにクロードが来る筈だから昼食を済ましておいてくれ。」
「ありがとうございます。」
 最近女官になってからローズが食べ終わるのを待ち、全て終わらせてから厨房の片隅で盗み食うように食べていたのでそれは有り難い。
 キアラは自然とスキップになりそうになるのを我慢して、一礼してからローズの部屋を出た。可哀相に、ユーグの休憩はまだのようだ。
「お疲れ様です。」
「お疲れ様。」
 テオドールは大体昼時は図書館にいると言っていた。図書館に行って手当たり次第探してやろう。
 と。
 向かいから二人の男性と一人の貴婦人が歩いて来た。一人はよく知っている。クロードだ。
 クロードは連れの男性と喧嘩をしているようだった。そのキツイ顔の眉を更に釣り上がらせている。男性はそれを軽く受け流し、貴婦人は困ったようにそれを見ていた。
 その男性には見覚えがあった。いつぞや、キアラをじろじろと見ていた大貴族らしき男だ。やはり、クロードの親戚か何かか。
 キアラは慌てて辺りを見渡す。何処かに身を隠さなければ。だが、そんな都合の良い場所は無い。柱の影に隠れたとしても、近くに来れば分かってしまう。
 と、なれば。逃げるしかない。キアラはくるりと後ろを向いて逆送しようとした、が。
「キアラ!」
 クロードに呼び止められる。逃げても、面倒なだけだ。キアラは腹を括って三人に向かった。
「何?」
「俺の兄貴。」
 と、紹介されたのはあの男性。と、云う事は次期ダルシン家当主か。
 クロードの兄は人の好さそうな笑みを浮かべる。クロードの面影はあるがあまり似ていない。そしてキアラに手を伸ばす。
「今紹介に与ったオーベールだ。宜しく。」
「キアラと申します。宜しくお願いします。」
 クロードの刺すような視線がオーベールに突き刺さった。余程嫌われているのだろう。
 オーベールの横で柔らかい微笑を浮かべている貴婦人。着ているドレスもとても清楚なのにセンスが良い。
「それで、彼女が兄貴の嫁のディアヌ。この人はとても良い人だ。」
 地味な顔立ちだが美しい。優雅な社交界では埋もれてしまうだろう。だが。その胸の膨らみは、人より遥かに大きかった。
「宜しくお願いします。」
「此方こそ。」
 ふわり、と笑った顔が自然と安堵を与えてくれる。目尻の笑い皺が彼女の優しさを引き立てているようだった。
「それでは、私はこれで――。」
「キアラ。」
 やはり、逃げられないか。
「何でしょうか?」
 一応敬語を使ってはみる。
「実は、この馬鹿兄貴がベランジェに付くと言っている。」
 そんな話をされても困る、この筋肉馬鹿。そう言いたいのを堪えてキアラはクロードを見上げた。
「ダルシンが生き残るにはそれが一番だと思いますが?」
 それが正解だ。オーベールは先見を持っていると言えよう。それに、面の皮の厚さも持ち合わせているようであるし、当主には相応しい。
「だからダルシンとは縁を切ろうと思う。」
「家の事を思ってだろうとは私も思うのだが。説得してくれないかね?」
 あぁ。この男はこんな状況であるのに楽しんでいる。目が、それを隠し切れていなかった。
 どうせダルシンは滅びる。だが、その要因はクロードに無い。
「切ったら――。ファブリス様が負ける、と貴方も認めている事になります。」
 失礼します、とキアラはその場を去った。今度は誰もキアラを止めない。
 キアラはテオドールの元へ行かなければならないのだ。クロードには構っていられない。
 もう、見る者が見ればファブリスの、ローズの敗北は目に見えているのだ。だが、それをクロード自らが認めていると思うのは少し悲しいような気がした。
「テオ!」
 図書館に入ると声を張り上げる。司書が物凄い目でキアラを見た。
「君は、図書館ではお静かに、と云う言葉を知っているか?」
「知らん。」
 キアラの言葉が気に障ったのか、テオドールの眉が釣り上がった。キアラだって当たり散らしたい気分なのだ。
「行こう。美味しい物食べさせてくれるんでしょう?」
「僕が食べさせてやるのにその態度?」
「テオが誘ったんでしょ?」
 テオドールが、もし、本気を出していたらキアラは言い負かされていた。だがテオドールはそうしなかった。
 少し怒ったような顔をしてテオドールは歩き出す。キアラはその後に続いた。
「クロードと喧嘩でもした?」
「どうしてそんなクロードの名前を出したがるの?」
「面白いから。」
 やはり、報復されてしまったようだ。キアラは下唇をそっと噛み締めた。
「それよりも、何食べさせてくれるの?」
「城下にでも行こうか?」
「時間短縮する?」
 ほんの気まぐれだった。いつもならそんな事を言ったりはしない。
 テオドールの目が一瞬、きらり、と輝く。
「出来るの?」
「前お使いに行った時に美味しそうなお菓子のお店見付けて近くの路地裏に転移陣を。」
「中々やるね。」
「だからこっちにも転移陣を描けば二人くらい大丈夫だと思う。」
 キアラはテオドールをリネン室に引っ張り込んだ。糊の効いたシーツが山積みにされている。
 此処に転移陣を描いておけば薄暗いのであまり見付からないだろうし、人も少ないから帰っても大丈夫だろう。
 キアラはポケットから口紅を取り出した。そして床に転移陣を描く。
「鮮やかだな。」
「魔術師はこれが出来て一人前。」
 だから大体の魔術師は手先が器用で模写に優れていたりする。
 詠唱は破毀でもしようか。それくらいならば大丈夫なような気がする。
 転移陣を描き終わると、キアラは口紅を仕舞った。中々上出来だ。
「テオ、この中に入って。線踏んだらぶっ飛ばすよ。」
「物騒だなぁ。」
 テオドールがちゃんと、線を踏まずに中に入るのを確認すると、キアラも転移陣の中に入った。
 キアラはテオドールの手を握る。不審そうではあったが、テオドールはそれを離そうとしなかった。
「手、離したら死ぬかもしれないよ。」
「はいはい。」
 キアラは全神経を集中させて魔力を心臓に集めた。ただ、手を繋いだ場所だけが気になる。
『Metastasis』(転移)
 花瓶で頭を殴られたと思った。布団で巻かれて上にのしかかられたとも思った。
 路地裏の暗い景色が見えると身体の力が抜ける。これが、魔力の無い者と一緒に飛んだ結果か。魔力の消耗が激しい。
 崩れ落ちそうになった所を、不覚にもテオドールに支えられてしまった。
「大丈夫?」
「何とか。」
 にやり、とキアラはテオドールに向かって微笑んだ。
「これくらいならお昼食べたら直るから。」