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ニ章 暁の王女


「怖いなぁ。」
 いっぱい食べてやろう。それがテオドールには見破られていたようだ。
「早く食べに行こうぜ。」
「待って。」
 テオドールがキアラの唇に指を当てた。キアラも年頃の女の子なのだから、そんな事されたら胸が弾むではないか。
 それからテオドールはキアラの身体から手を離して、剣を抜く。
「見られてたのくらい、良いのに。」
「でもちょっと知り合いだから。」
「ふぅん。」
 表れたのは青年。髭は全く手入れされず、目は虚ろ。
「北へ行ったんじゃなかったのか?」
 青年はテオドールに両手を差し出す。その手首から先は、失くなっていた。
 凍傷で切らざるを得なかったのか、それとも無理矢理斬られてしまったのか。
「わたしはもうけんがもてません。」
「そのようだね。」
「テオドールさん。きたには、ベランジェさまのぐんじしせつがあります。」
「軍事施設?」
 私営騎士団でも設立して、この国を転覆させるつもりか。
「もう、じかんはありません。」
 それが何を示唆しているのか。嫌でも分かった。
 頭の良いテオドールはもう分かっている。ベランジェが勝つ、と。だから逃げる手配もしているだろう。
「――キアラ、何か買ってローズの部屋で食べよう。」
「何か買って来て。私疲れたから待っとく。」
「――あぁ。」
 テオドールが去る。その後ろ姿を見送って、キアラは青年に駆け寄った。
 手を取る。傷口から腐っていた。それは前にも分かった。裾をめくる。腐敗は肘を越えていた。もう、長くない。
Meus apparition of a victus alio(我が精霊よ)
Owen ut est an apparition of a victus alio of flamma(炎の精霊オーウェンよ)
Vos ostendo him is(彼の者に魅せ給え)
Somnium penitus indulgens fervens(熱く甘く激しい夢を)
Suus vita pro mercedis(彼の者の命の炎を代償に)
Ostendo him somnium of infinitio(永遠の夢を見せ給え)
 虚ろな彼の目に光が宿った。失われた手を見詰めて、狂乱の叫び声を上げる。
 夢、を見ているのだろう。綺麗な夢を。死ぬ前の、一時の夢を。
 今日は張り切り過ぎてしまった。身体中が怠い。キアラは誰にでもなく笑みを向けた。
 キアラはその場に腰を下ろす。ニーナ。元気にしているだろうか。急にそんな事が気に掛かる。
 もう直ぐ。もう直ぐで答えは見付かる。だから待っていてほしい。
「キアラ。」
「行こう。」
 声を掛けられるとろくに顔も見ずに返事をしてしまった。だがテオドール。キアラはテオドールの手を握って転移陣に引き寄せる。
「お客さん、リネン室とローズの部屋、どちらに行きますか?」
「君はローズの部屋にまで――。」
「了承済みっすよ。」
 何かあったら直ぐに駆け付けてほしい、とローズに言われてシルヴェールに了承してもらって描いておいたのだ。クローゼットの中に。
「で、どうする?」
「ローズの部屋に。」
「了解。」
『Metastasis』(転移)
 キアラだけなら未だしも、テオドールや食料まであったのでクローゼットの中から飛び出してしまったのは言う間でもないだろう。
 ローズがとても驚いた顔をしてシルヴェールの胸に飛び込んだ。クロードは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「――リネン室を経由した方が良かった。」
「終わった事を言うな。」
 キアラはテオドールを助け起こさず、食料を拾う。良かった。無事のようだ。
 テオドールはクロードが助け起こした。そしてキアラの耳を掴む。
「何すんの!」
「普通テオを助けるだろ。」
「食べ物拾ってやろうとしたらクロードが先に助けたの!」
「――俺、食べ物以下?」
 答えはテオドールの名誉の為に伏せておこう。
「それで、キアラとテオはどうして私の部屋のクローゼットから飛び出したのですか?」
 ローズは何があったか把握出来ていないようだ。直ぐに把握出来る人間なんていないだろうが。
「ベランジェが直ぐにでも内乱を起こすかもしれない。」
「・・・。」
 クロードとシルヴェールの顔が強張った。騎士の顔をしている。
「それを何処で?」
「イニャスと町で偶然会って。」
「待て。イニャスは北へ逃がしてやっただろう?」
「それが両手首を切られて戻って来てたんだ。」
 テオドールが自分の両手を前へ突き出し、手首をだらりと垂らす。ローズが眉を顰めた。
「詳しい話は聞けなかったけど、ベランジェの軍事施設がある、と。」
「――私達には、戦力なんてありません。」
 悲しそうにローズは俯いた。まるで牡丹のようだ。
 戦力と言ってもシルヴェールの力があれば魔術で全て飛ばす事が出来るだろう。だが、それをしようとはしない。
「ファブリス様は?」
「ファブリスは、ずっとあのままです。」
「・・・。」
 幼いファブリス。このままベランジェに殺されてしまうのだろうか。
「キアラ。」
 シルヴェールに呼ばれる。
「はい。」
「君はどうする?」
「何がですか?」
「もしこのまま――。敗れてしまったら。」
 もし。確定しているのに。ローズを気遣っていた。
 勿論付いて行く。その為に来たのだから。答えは決まっている。
「付いて行くに決まってるじゃないですか。」
「・・・。」
 シルヴェールの困ったような、それでいて表情の読めない顔。
「そんな嫌そうな顔しないで下さいよ。それに、女がいた方が便利でしょ?」
「そうだね。」
 答えたのは、シルヴェールではなくテオドール。それで良い。
「シルヴェール様、手が空いたら魔術教えて下さい。」
「あぁ。」
「黒魔術。」
 人生初体験だった。シルヴェールに肩を叩かれたのは。