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三章 北へ そしてキアラはローズの背中に手を置く。そして、軽く二回、優しく叩いた。 「申し訳ありませんでした。」 「いいえ。此方こそ取り乱してごめんなさい。」 ローズがキアラから身を離した。そして瞳に浮かんでいる真珠を手で拭う。 「キアラ、まだ目覚めてないのだけれど、一緒にシルヴェールの所へ行きましょう。」 毛皮を剥ぎ取る作業が。助けを求めてキアラはコンスタンチンの方を向く。しかし、コンスタンチンは笑みを浮かべてキアラに手を振っていた。 次はクロードの方。だが、クロードは一切キアラと目を合わせようとせずに魔物の方を見ていた。 「キアラ。」 「――。」 仕方無い。 「ちょっと脱いで来ます。」 「えぇ。待っています。」 キアラが部屋に帰る途中迷い、それをガリーナに発見されて保護され無理矢理ガリーナにドレスに着替えさせられ部屋に移転陣を描き、またシルヴェールの眠る部屋も分からず小一時間彷迷っていたのはまだ少し、先の話である。 シルヴェールは一行に目覚める気配を見せなかった。ローズがその手をしっかりと握り、テオドールがそれを見守っていた。 ずっと眠っていなかったらしいローズを魔術で――と見せ掛けて鳩尾に一発食らわせて――眠らせたのが三十分前である。キアラは紅茶を飲んで寛いでいた。 キアラは本当は紅茶のストレートは飲めなかった。ミルク専門である。だが、テオドールが淹れてくれたストレートの紅茶は美味しかった。今までの淹れ方が悪かったのだ。 今日の夕食は何だろう。そんな事を考えていると、毛皮を着たテオドールがやって来た。茶色の毛皮なので、派手な鳶色の瞳が目立つ。 「キアラ、飲みに行こう。」 「はい?」 「さ、行くよ。」 手に持っていた純白のキアラが魔物狩りの時に着ていた毛皮を無理矢理着せられ、手を引かれた。ささやかな抵抗は無駄であった。 「きゃー!誰か助けてー!誘拐魔よー!」 「君を誘拐してどうするんだ。」 「丸焼きにするぞ。」 「・・・。」 テオドールは黙った。無言だが、キアラを引き擦って外へ向かった。ヴェルディー帝国の夕食を楽しみにしていたのに。 しかし、飲みに行くと言ってもテオドールは町に行けるのだろうか。キアラとしては、無理だと思う。 三重の扉を越えると、コンスタンチンとクロードが毛皮を剥いでいるのが目に入る。少し、グロテスクだ。 「それではコンスタンチンさん、ローズを宜しくお願いします。」 「ゆっくり行っておいで。」 ゆっくりは嫌だ。 「テオ、帰って来れるのか?」 「帰りはキアラの魔術で帰って来るよ。」 「それが狙いかよ。」 帰りに楽をする為だけにキアラを連れて行くなんて。鬼だ、悪魔だ。 「クロード、助けて!」 「ゆっくりな。」 いつか丸焼きにしてやる。テオドール共々。 「それでは。」 「気を付けるんだよ。」 こうして、キアラは長い雪の道を延々と歩かされた。延々と。途中で休みたくてもテオドールが無理矢理引っ張る。 こんなに苦労して行ってもキアラはお酒なんて飲めないし。何しに行くのだろう。 町に着いた時、人気が全く見当たらなかった。あれなのだろうか。死ぬからなのだろうか。 テオドールは迷わず真っ直ぐ進む。この野郎、絶対にコンスタンチンと――かはどうかは知らないが――来た事がある。 そして迷わず如何にも柄の悪そうな酒場に入って行った。キアラの手を引いたまま。 真っ先に目に飛び込んで来たのはキアラの頬を掠った椅子。椅子が、飛んで来たのだ。椅子が落ちた後で、キアラは大きく避ける。 「またやってるみたいだね。」 「おぃ。」 また、と云う事は。喧嘩を楽しみにしているような輩が来る相当柄の悪い酒場だ。 掴み合いの喧嘩をしているのは二人。賭け事でもしているのか、周りの声援が半端でない。 一人は五年ぶりに娑婆に出て来ました、と云った黒髪黒眼図体のでかい男だった。クロードより身長は低いが、横幅はある。しかも目には傷痕まである。 もう一人は、娑婆に出て来たと云う感じはない。だが、とてもこの酒場が似合っていた。燃え立つような、キアラより鮮やかな赤髪に透き通るような空色の瞳。彫りの深い顔立ちに胸板の厚い事。クロードを彷彿とさせた。 状況はたった今入ったキアラから見ても赤髪が圧倒的だった。瞳には狂気に似たものを浮かべ、嬉々として黒髪を殴っている。 よくこんな所に連れて来たな。テオドールを恨む気持ちもあるが、テオドールは庶民なので逆にこう云った場所の方が落ち着くのかもしれない。 「キアラはウィスキー、ストレート?水割り?ロック?」 「ミルクにして下さい。」 「まだまだ子供だなぁ。」 二十歳以下の飲酒は違法ですから。そっと、キアラは心の中で呟いた。 「おやっさん、ウィスキーロックとミルク。」 「おぅ。今日はコースチャは一緒じゃねぇのか?」 「さすがに僧侶だから毎日毎日行けないって。」 だったら一人で行け。キアラはテオドールの臑を蹴った。テオドールが睨む。 「しかし今日は可愛い嬢ちゃん連れてんなぁ。」 野卑な笑み。こんな脂ぎっていて下層の人間とは付き合った事がないからよく分からない。上層なら厭味の十個や二十個言うのだが。 「可愛いなんて心にもない事言わないで下さい。」 「ははは!気の強ぇ嬢ちゃんだ!オレのカカァにそっくりだ!」 否定しろ。あと、嫁さんいたのか。 話をしながらも店主――おやっさんは準備をしていて、テオドールの前にウィスキーを差し出した。そしてグラスにミルクを注いでキアラに渡す。 「ありがとう。」 「しかしテオ、嬢ちゃんみたいな子を此処に連れて来るのは危ないんじゃねぇか?」 「大丈夫。彼女は俺より強いし。」 そりゃ、そうだ。テオドールなんか一瞬で丸焼きに出来る。 「今日は運が悪いぞぉ。」 おやっさんは喧嘩している二人に目線を送る。 「レフがいる。」 「あの噂の?」 「あぁ。絡まれないようにしろよ。」 ふと、悪い予感がした。嫌だ。キアラの悪い予感はよく当たるから。 おやっさんは別の客に呼ばれてカウンターの中を移動する。その巨体がウィスキーの瓶を落としそうだった。 キアラは一気にミルクを飲み干す。息を大きく吐き出して、口を拭った。 「テオ、晩御飯。」 「ん?」 「こんな所にまで連れて来て、無しとか言わないでよ?」 「分かった分かった。」 テオドールは溜息を吐くように言って右手を上げた。 「おやっさん、ミルクお代わりと適当に食べる物頂戴。」 「今日美味しいのを出してやるよ。」 テオドールはグラスを回して音を立てる。ウィスキーが好きなのではなくてグラスと氷がぶつかる音が好きなのかもしれない。 後ろではまだ喧嘩が終わらない。五月蝿い喧騒。喧嘩なんか見て何が楽しいのか。 キアラはカウンターに肘を付ける。おやっさんがキアラのグラスにミルクを注ぎ足した。 「テオも喧嘩とかやったの?」 「キアラだって売られた喧嘩は買うだろ?」 やったのか。確かに売られた喧嘩は買って後悔させてやるが、そんな風に少し誇らしげに言われても困る。 「反則じゃないの?」 「自称魔法使い相手に勝つなんて凄いだろ?」 「だったら私とやってみる?」 「君は嫌だ。」 「はい、お待ちどう。」 おやっさんがキアラとテオドールの間に大きな皿を置く。黒いパンらしきものと何かを焼いたものが入っていた。 「今日のお勧めだ。」 「ありがとう。いただきま――」 グラスが二つ割れた。キアラとテオドールの間には、料理ではなく黒髪の大男がいる。 反射的に振り向くと、赤髪の男が剣を抜き放っていた。嬉しそうに目を煌めかせて唇を舐めている。 「弱ぇな。」 赤髪の男が剣を振り翳した。おやっさんが慌てて止めようとカウンターから飛び出る。 黒髪の男は怯えていた。黒髪の男に赤髪の男が剣を振り下ろした時。キアラは、赤髪の男の臑を思い切り蹴った。赤髪の男は体勢を崩して座り込む。 「手前っ!」 『Saevio ventus!キアラが呪文を唱えると突風が起こる。風は赤髪の男の皮膚を切り裂いた。薄く血が滲む。 「このあほんだら。喧嘩しても人殺しは駄目でしょう。」 キアラが近付こうとした時。赤髪の男が剣を奮った。キアラの髪を掠る。 「ちっ!」 もう、限界かもしれい。 『Gemo flamma!赤髪の男は炎に飲まれる――、筈だった。炎が赤髪の男を避けて消える。これは一体――。 魔術の呪縛から解けた赤髪の男はキアラに向かって斬り掛かって来た。テオドールが剣を抜こうとするが、キアラは腕を叩く。 「邪魔するな!」 間一髪で避けたが、その風圧で肩に微かな紅い線が走っていた。 こうなったら。キアラは立ち止まって赤髪の男を見据える。殺す訳にはいかないが。 『 vesica of ventus風の刃と赤髪の男の剣がぶつかった。風がまた赤髪の男を傷付け始めるが。 「レフ様!」 黒髪の女性の出現に、赤髪の男は驚愕した顔を見せて剣を納めた。キアラも魔力を止める。 艶やかな黒髪に夜空を閉じ込めたような瞳。肌は何処までも白く、端正で妖艶な顔立ちをしている。ただ、嬉しい事に胸は小さかった。 彼女はレフと呼んだ赤髪の男に詰め寄ると、その華奢な手でレフの顔を思い切り引っ叩いた。威勢の良い音が響く。 二人は暫く睨み合った。険悪な空気なのに、レフが剣を抜く気配はない。 「――帰りますよ。」 こうして、台風は過ぎた。何があったのかキアラが全く把握出来ない間に。 何があったのだろう。頭が全く追い付かない。やっとの思いでテオドールを見ても、テオドールも首を傾げているばかり。 「・・・。おやっさん。代わりのご飯下さい。」 「ぁい。」 キアラの一言で、また酒場は動き始めた。 「嬢ちゃん、強ぇなぁ。」 と、隣りに誰かが座った。薄い綺麗な金髪の男だ。男にしておくには勿体無い金髪だ。 「宮廷魔法使いかなんかか?」 「違うけど?」 「なのにレフとやり合うなんて凄ぇなぁ。」 「あいつに喧嘩売る奴なんか滅多にいねぇよ。 」 気が付けば、キアラは男達に取り囲まれていた。テオドールは我関せずとウィスキーを飲んでいる。 「今宮廷魔法使いが不足してるらしいからよぉ、嬢ちゃんなら絶対なれるって。」 「試験とかあるの?」 「そりゃ知んねぇけどよぉ。」 役に立たない。キアラは新しく出て来た料理を口に運んだ。薄味で美味しい。 「嬢ちゃん、また来るんだろ?」 「何処に?」 「此処。」 出来れば来たくない。 「来ない。」 「来てくれよぉ。」 「何か奢るからさぁ。」 酒奢られても困る。 「要らない。」 「嬢ちゃん。」 「キアラ、色男だね。」 やっと口を開いたと思ったらそれか。キアラは黒いパンを口の中に放り込んだ。甘い。 「一人で帰る。」 「キアラ?」 「十七歳もう眠いしぃ。」 「ちょ――!?」 たちまちにキアラは部屋に着く。ベッドではキアラが寝かし付けたローズが眠っていた。 暑いので毛皮を脱ぐ。ちょっと悪戯心が沸いて、キアラはそれをローズの上に掛けた。本当に似合っている。 コンスタンチンとクロードはまだ毛皮を剥いでいるだろうか。三重の扉を越えた所へ向かう。 血だらけだった。クロードも、コンスタンチンも。大量だからだろうか。毛皮と同じくらい死体が転がっている。 「コンスタンチンさん。」 「あ、キアラ。」 「手伝わせてもらって良いですか?」 「うん。ありがとう。テオはどうしたの?」 「腹立ったんで置いて来ました。」 「・・・そう。」 コンスタンチンはキアラの前に魔物の死体を一体置く。そして大きな剣を渡された。重い。 「背中を切って毛皮を剥ぐんだ。」 そう言ったかと思うと、コンスタンチンはすっと背中を切って肉と毛皮を鮮やかに剥がした。首付きの毛皮の出来上がりである。 「出来る?」 「失敗したらごめんなさい。」 「良いよ。これだけあるんだから。」 コンスタンチンは直ぐに出来たのに――。キアラは、コンスタンチンが十体で一体だった。クロードは六体である。 自分が役に立っていないのではないか。しかし、十体やるのと十一体やるのは違う、と自分に言い聞かせて頑張った。 全て終わった時には周りの雪が何かに反射して明るくなっていた。日の出だ。 「――テオ、遅いね。」 ぽつり、とコンスタンチンが言う。 「お前まさか殺してないだろうな。」 「殺しちゃいないよ。」 キアラはクロードの頭にチョップを食らわせた。徹夜で参っているらしい。頭が。 「酔い潰れてんじゃないの?」 「あぁ。あいつ、飲む癖に弱いからな。」 だったらあの時、無理矢理引き摺り帰っていれば良かった、と後悔してしまう。 「仕方無い。迎えに行くか。」 「歩いて?」 コンスタンチンが大きく目を見開いた。そりゃそうだろう。 「帰りは魔術使いますから。」 「大変だね。」 「頑張れよ。」 だが、キアラはクロードの腕を掴んだ。逃がさない。 「行こう。」 「・・・。」 コンスタンチンの案内もあって、日の出が見える頃になってやっと酒場に辿り着いた。 やはりコンスタンチンは酔い潰れていて。キアラとクロードが制裁を加えたかどうかは想像に任せよう。 叩き起こすだけ叩き起こして、キアラは結局テオドールを連れて帰らなかった。人数に限界を感じたからだ。 町の片隅に転移陣を描き、日が暮れても帰って来なかったら迎えに来よう、と思った。 ヴェルディー帝国に来てから一週間が過ぎた。シルヴェールは全く目覚める気配がない。 脈も呼吸も正常で、ただ眠っているだけなのだ。コンスタンチンも診てくれたが理由は分からないと言う。 だが、キアラには何と無くその理由が分かった。魔力が無くなってまたそれを蓄えているのだ。これは同じ魔術師の勘としか言えない。 シルヴェールを心配する余り、ローズは少し痩せていた。シルヴェールな身体には変化が見られないのに。 心配してもどうにもならない。だから、キアラは魔物を使い魔にする方法を調べていた。早く使役したい。 ローズと兼用の部屋に篭って禁書を読んでいるとノックが三回響く。 「はい。」 毛皮を身に纏ったクロードが表れた。因みにガリーナに教えられてキアラが試しに作った毛皮である。寒くないみたいなので今度は自分用を作るつもりだ。 「魔物狩りだ。」 「うん。」 自分の毛皮が出来るまで、とまだ女王のお下がりの毛皮を使っている。キアラはそれをクローゼットから出した。 それを着込むとクロードの横に走り寄り、扉を閉めて歩き始める。 「商人が六人、襲われている最中らしい。」 「場所は?」 「この近く。だけど急を要するからソリで行くんだとよ。」 「ソリ?」 それは大きな箱のようなものだった。コンスタンチンがもう乗っていて、大きな犬――恐らく魔物ではない――が六頭繋がれている。 「早く乗って。」 コンスタンチンに急かされてキアラとクロードはソリに乗り込んだ。声を上げる暇も無い。乗り込んだ瞬間に、物凄い速さでソリが動いた。 白銀の世界だが分かる程早く景色が流れた。急げと言わんばかりにコンスタンチンが犬に鞭を打っている。 「大きな鳥の魔物が一羽らしい。商人の一人が逃げて来たんだ。」 「焼鳥にしましょうか?」 「頼む。俺とクロードは仲間がいた時の為に待機。」 ただ、酔いそうである。 キアラは掌に魔力を集中させた。掌だけでなく、身体中が温かくなる。 黒い物体が見えた。と、キアラは言葉を放った。 『flamma』黒い物体が炎に飲まれる。炎の球体を放った後だったが、助ける筈の商人が大丈夫か不安になった。 キアラは着くのを待つ。大きな黒鳥な死体の側に着く、だが人間はいなかった。 まさか焼いてはいないだろうか。キアラは不安になって辺りを見渡す。 「誰かいませんかぁ?」 「コンスタンチン様!」 急に、一人の女がコンスタンチンに抱き着いた。泣き黒子のある黒髪の妖艶な女性だ。 一体何処から出て来たんだ。キアラがきょろきょろと辺りを見回しているとクロードが雪の山を指差した。あれか。 「レイラ。他の人は?」 「分かりません。」 レイラは悲しそうに首を振った。なのに、寒気が走るのは何故だろう。 |