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三章 北へ


 キアラはクロードの様子を伺う。クロードの頬も引き攣っていた。
「私達、女王陛下の城に行って帰る途中でしたの。それが――。」
「その話は後で聞くから、他の人がどうしたか詳しく話してくれない?」
 コンスタンチンも冷たい所があるんだ。ほっとしてしまったのは何故だろう。
「皆散り散りに逃げてしまって――。」
「クロード、キアラ。行くよ。レイラ、一人で帰れ――」
 黒い影がコンスタンチンとレイラの上に覆い被さった。
ventus, flamen(風よ、)
Valde ventus(大いなる風よ)
Vestri vis(汝の力、)
Flow in mihi(我に注ぎ給え)
 風の刃が二羽目の大きな鳥に襲い掛かる。相手が怯んだ隙を見て、クロードがコンスタンチンの肩を踏み台にして飛んだ。ごとり、と大きな首が落ちる。
 驚いてすっかり腰が抜けてしまったのかレイラは口を震わせて空を凝視していた。
「まだ仲間がいるかもしれな――!?」
 次に表れたのは、最初に出会ったあの蒼銀の狼の集団だった。十匹程いる。
「コンスタンチンさん、魔物って別の種類の魔物とつるむ時があるんですか?」
「今まではなかったけど最近はあるらしい。」
「じゃ、仲間だな。」
「そうね。」
 クロードが剣を抜き払い、コンスタンチンが構える。キアラは掌に魔力を溜めた。
 来る。
 そう感じたのは三人とも同じだったようで、クロードとコンスタンチンが突っ込んだ。キアラはレイラを抱き抱えて後ろに下がる。
「伏せて!」
 クロードとコンスタンチンにそう叫ぶと、クロードもコンスタンチンも頭を低くした。
Gemo flamma!(炎よ唸れ!)
Totus populus quisnam es scelestus mihi(我にとって邪悪なものを)
Exuro universitas is!(焼き尽くせ!)
 寒さに強いからか、魔物は熱さに弱いようだった。焼けた魔物、そうでない魔物はクロードが斬り捨てコンスタンチンが折る。
「大丈夫?」
 恐怖の為か、顔を真っ赤にしたレイラが壊れた玩具のように頷いた。
 全てが終わったのを見届けると、キアラはコンスタンチンに走り寄る。
「他の人を探すより先にレイラを安全な所に避難させた方が良いと思うんだけど。」
「それには俺も賛成だ。」
 クロードが一点を見詰めている。キアラとコンスタンチンがその方を見ると、黒い物体が蠢めいていた。
 見た事もないグロテスクな物体。蛸のようにも見えるが、頭が無く全て足――触手。
 気付いてしまえば、膨大な魔力が突き刺さるようだ。クロードもコンスタンチンもレイラも微かには感じているのか、何処か肌を押さえている。
「クロード、行って。」
「お前はどうするんだ?」
「残るって。」
「三人も守りながら戦える相手じゃなと思うんだけど。」
「・・・。」
 目の端でコンスタンチンがレイラの手を引くのが見えた。クロードも暫くは前を向いていたが、やがて後ろを向く。
 何を、ぶつけようか。何の術が一番効くだろうか。考えている間にも、時間は過ぎる。
 相手は暫く立ったままだった。もしかしたら、人間並の頭脳があるのかもしれない。
 コンスタンチンとクロードの気配が消える。それと同時に、相手が動いた。
 触手が動くそれは雷を帯びていた。雷なら、ぶつけるのは風。
apparition of a victus alio of ventus(風の精霊よ)
Tribuo mihi vis(我に力を与え給え)
EGO adficio meus rutilus unda ut mercedis(代償として我が紅き水を下す)

A alio per possibility ut Utor sententia(我は汝を行使する)
alio ut EGO incidere totus down!(我は全てを薙ぎ払う者也!)
 首が裂けた。小さい傷だが、大きな血管が通っている為出血は多い。
 キアラは風を放つ。それが魔物に向かって吹き付けた。放電され、少しずつ雷が溶けるように無くなる。
 あともう一つで畳み込むか。キアラは更に大きな術を叩き込もうとした。
 しかし。キアラの術が負けた。風が消え、魔物の放電している雷の威力が増す。
 ヤバイ。キアラは後退る。
 雷が土を伝う。来る。無駄な事は分かっているが、反射的にキアラは身を丸めて雷をやり過ごそうとした。

「キアラ!」

 クロードの声か。身体中に電気が走る。
「キアラ!キアラ!キアラ!」
 誰だろう。酷く柔らかくて心地好く冷たい。
 うっすらと開いた目からは真っ白なものが見える。そして漆黒の――、瞳。
 シルヴェール。
「息を吐け!呼吸を続けるんだ!」
 呼吸が、止まっているのか。キアラは息を吸おうとした。
 苦しい。息が吸えない。吐きそうになる。
「キアラ!」
 何かが出て来た。何かは見えないが、楽になる。
 シルヴェールの悲観した顔。でも、これだけ楽になれば大丈夫だろう。
Ventus ut saevio(吹き荒ぶ風よ)
Quis does sententia recordor?(汝は何を思うか)
Operor vos mens turpis universitas talis ut mihi?(醜い我等の世界を厭うか)

Tribuo mihi vis si EGO reputo sic(ならば我に力を与えよ)
EGO mos effrego is me(我と共に壊そうではないか)
Take meus manus manus(我の手を取り給え)
EGO mos vado una(行こうではないか)
Ut ut loginquitas(あの彼方へ)
sententia lugeo super quis(さあ、汝は何を嘆く)
Tribuo mihi vis(我に力を与え給え)
 風系最強の呪文。風がキアラの肌を撫でていた。心地好い。
 魔物はどうなったのだろうか。いなくなっていると良いのに。
 シルヴェールが何かを必死に伝えようとしている。だけれども、もう、良い。疲れた。
 おやすみなさい。シルヴェールがいるから大丈夫。
 キアラは意識を手放した。



「・・・。」
 外が騒がしい。寝疲れた為か頭が痛く、響いてくる。  心成しか胸も痛い。成長痛だろうか。否、寝疲れたてしまっただけだ。悲しい。
 今度は何日眠っていたのだろう。ふらふらと真っ直ぐしない足でキアラは扉を開けた。
「キアラ!」
 あれは――。レイラだ。レイラが、キアラ目掛けて走って来ていた。
 それを何故だかクロードが追っている。どうしてだろう。
「キアラ様、良かったわ。一日で目覚めたのね!」
「あのなぁ、キアラもこう見えても疲れてるんだ。」
「あら?貴方に分かるの?」
「分かる。」
「・・・。」
 どうして二人はこんなに険悪な雰囲気なんだろう。キアラが寝ている間に何があったのだ。
 眠い。シルヴェールはどうしているのだろう。
「クロード、シルヴェール様は?」
 キアラは何も考えずにクロードに問うた。レイラのクロードを見詰める目線が鋭いのは何故だろう。
「あぁ。キアラを此処に運んでぶっ倒れた。」
「・・・。私も其処で倒れて来る。」
「案内するよ。」
「ご苦労。」
「お前は偉そうだな。」
 キアラはレイラを置いてクロードとシルヴェールの元へ向かった。レイラはコンスタンチンを追い掛けていれば良いのに。
 部屋に着くと、ローズが安心したような笑顔を浮かべる。そして走り寄りキアラの手を取った。
「あぁ。良かった。」
「いやぁ、多分シルヴェール様のお陰ですよ。」
「いいえ。」
 ローズはシルヴェールを見る。人形のように、呼吸もしていないように見える。
「シルヴェールがキアラが魔物を追い払ったって言っていたわ。」
 あの魔術が成功したのか。何だか嬉しい。でも。
「だったらどうして?」
 シルヴェールが倒れていると云うのか。
「分からないけれど――。少しお話していたら倒れたの。」
 折角目覚めたのに、また眠らせてしまって。
「申し訳ありません。」
 だけれども、ローズはふわりと微笑んだ。暁のように見る者を赤く照らす。
「私もシルヴェールもキアラが無事でいてくれて良かったと思っています。」
 そんな嬉しい言葉を掛けてもらったら。キアラは微笑んだ。
「ありがとうございます。」
「でもキアラ。シルヴェールは今度はいつ目覚めるのかしら?」
「さぁ?息をしているのなら心配はないと思うんですけど――。」
「そう。」
 ローズは悲しそうだった。思わずキアラはローズを抱き締める。
「大丈夫ですよ。きっと、ちょっと疲れているだけですから。」
「――そうね。」
 ふと、ローズがキアラの首筋をなぞる。その指があまりに華奢で、キアラは動けなくなってしまった。
「――ローズ様?」
「昨日はあんなに血を流していたのに――。もう治っているのね。」
「あぁ。魔術師は身体の中に魔力が循環するから治りが早いんですよ。」
 魔力が自己治癒力を高めているのだ。それに、そうでなければやり切れない部分もある。大技に血を代償とした時なんてもう。
 キアラの一番上の兄なんて、何をしたのか全身血塗れで引きこもっていた部屋から出て来た事がある。あの時なんてキアラは一日寝込んだ。
 今思い出しただけで血の気が引く。あれこそホラー超大作だろう。
 と、その時ノックをする音が聞こえた。テオドールだろうか。
「はい?」
 キアラが扉を開けると、其処に立っていたのは、レイラだった。
「キアラ様、昼食をお持ちしましたわ。」
「あ、ありがとう。」
 あの時は気のせいかと思ったが――。様って何だ。
「あの、宜しければご一緒したいんですけど――。」
 危ない。キアラは身の危険を感じた。キアラの理解出来ない生き物が、目の前にいる。
「ごめん、まだちょっと具合が悪くて一人でゆっくり食べたくて――。」
「そうなんですの?また夜に誘って下さいね。」
「気分が良くなってたら。」
 キアラは扉をレイラから料理を受け取って閉めた。深い皿の中には赤いスープらしきものと具が入っている。
「キアラ。」
 不安そうにローズがキアラを見る。知っていたのか。
「ローズ、あの人どうしちゃったの?」
「クロードの話では――、キアラが運命の人と言っているらしいです。」
「私達女同士だよ。」
 ははは、とキアラは渇いた笑い声を上げた。あの人はいつこの寺院を去るのだろうか。
「キアラ、頑張って。」
「何を?」
「ふふふ。」
 本当に、何をどう頑張って良いのか分からない。
「それでキアラ。お願いがあるのだけれど――。」
「何ですか?」
 微かにローズが頬を染めた。レイラの後ではキツイ。
「私、キアラと一緒にご飯を食べたかったの。」
 何だ、そんな事か。
「クロード捕まえて持って来させますよ。」
「――だったら、私のもお願い出来るか?」
 テノール歌手顔負けの甘い声。ベッドの上ではシルヴェールがその白い身体を起こしていた。
「シルヴェール!」
 ローズがシルヴェールに抱き着く。本当に嬉しそうに素敵な笑みを浮かべていた。
 邪魔をしては悪い。キアラはそっと扉を開けて部屋を出た。が。
 どうしてレイラがまだこんな所にいるのだ。
「キアラ様!」
 そんなに嬉しそうに駆け寄らないで欲しい。
『Metastasis』(転移)
 着いたのはキアラとローズが寝泊まりしている部屋のクローゼット。なのに、クローゼットから出るとクロードとテオドールが一服していた。
 真っ昼間から酒を飲みながら、テオドールに至っては煙草まで口に咥わえている。二人とも予想外の事らしく、呆然としていた。
 腹立つ。キアラがあんな恐怖を体験して逃げて来たのに。
「馬鹿野郎!」
 キアラは叫んだ。悔しくて悔しくて、涙が溢れる。
「クロードとテオの馬鹿ぁ!」
 クロードは持っていたグラスを落としてキアラに寄る。けれどもキアラはその手を振り払った。
「クロードの阿呆ぉ!禿げぇ!」
「き、キアラ落ち着け!」
 キアラは首を振る。
「何で私がレイラに追い掛けられてんのにあんたらは酒飲んでんのよぉ!他の商人はどうなってたの!」
「――遺体で見付かったよ。」
「だったら酒なんか飲むな!」
「寒いんだから仕方無いだろう。」
「だったら腹筋でもしとけ!」
「いや、身体を温めるのはウィスキーが一番だよ。」
 コンスタンチンもグルだったのか。
「これはね、弔い酒って風習なんだ。」
「風習――?」
「そ。初代ヴェルディー帝国帝王が魔物に襲われ妻を亡くした時にその遺体に酒を掛け自分もその余った酒を口に含むと魔物に襲われ繿褸繿褸だった遺体が光り、天に昇ったと云う伝説から来ているんだよ。」
 コンスタンチンが持っている二つの酒瓶。
「レイラが飲めないし五人分だから五升の半分を三人で飲んでるの。キアラも飲む?」
「いえ、遠慮しておきます。」
 最初からそんなにアルコールの高い酒なんか飲んだら急性アルコール中毒で死んでしまう。
「そんな事なんか言わずにさぁ、飲めよ。」
 テオドールの手がキアラね肩に回された。此奴――。もしかしなくても、酔っている。
「要らない。」
「俺の酒が飲めねぇっつぅのか?ぁ?」
 完全におっさんになってる。息も臭いし。
 クロードとコンスタンチンを見ると黙々と酒を飲んでいた。助ける気無しか。
「キアラ、飲めって。」
 テオドールが無理矢理キアラの口にグラスを押し当てる。キアラはそれを押し戻した。
「だから、要らない!」
「そんなんだから俎板のまんまなんだよ。」
「・・・。」
「俺が太腿派だってさ、さすがにその小ささは引くっつーの。」
 ぷちん、とキアラの中で何かが切れた。
 どがっとキアラはテオドールの股間を蹴り上げる。テオドールは股間を押さえて倒れ込んだ。
 目の端で、クロードとコンスタンチンが青褪めている、ような気がした。だが気にはしない。
「くたばれ。」
「・・・。」
「・・・。」
 クロードが歩み寄り、テオドールの肩を揺すった。
「おい、生きてるか?」
「自業自得よ。」
 ふん、とキアラは鼻を鳴らす。しかしクロードは眉を顰めた。
「あのなぁ、どれだけ痛いか分かってんのか?」
「じゃあ私の心の痛みは?」
「・・・。」
 悪かった、とクロードは小さな小さな声で呟いた。
「ところでコンスタンチンさん、シルヴェール様が目覚めたので、シルヴェール様のとローズの食事を持って行きたいんですけど――」
「あ、あぁ。それだったらガリーナにでも持って行かせるよ。」
「ありがとうございます。」
「うん。だからゆっくりして、気持ちを落ち着かせて。ね?」
「分かりました。」
 キアラはにっこりと微笑んだ。
「それでは。」
 キアラは部屋を出る。もう、レイラはいないだろうか。いたらまた逃げよう。
 それよりも。テオドール。人が気にしている事をぐちぐち言って、何が楽しい のだろうか。  あんな屈辱的な事を言われたのはフリュベール以来だ。思い出しただけで腹が立つ。
 どちらも風呂場で足を滑らせて昏睡状態になるば良いのに。キアラは舌打ちをした。
 だが、これからローズとシルヴェールと初めての食事だ。気合いを入れなければ。
 テオドールにした事がどうかローズに知られませんように。キアラは心の中で祈って扉を開けた。
「キアラ。」
「おかえりなさい。」
 ローズが笑みで出迎えてくれる。
「只今戻りました。ガリーナが運んで来てくれるらしいですよ。」
「そうなの?それよりキアラ!」
 何事かと思ったらローズがシルヴェールと腕を組んだ。シルヴェールが困ったような顔をする。
「あのね、シルヴェールがキアラを褒めていたのよ。」
 それは嬉しい。自然と笑みが零れる。
「何ですか?教えて下さいよ。」
「それは・・・。」
「シルヴェール。」
 ローズがシルヴェールを急かす。キアラも目でシルヴェールを急かしていた。
「魔力も膨大な事ながら――、あんな大術を使って暴走もさせずに、凄い、と思ったんだ。」
 ――シルヴェールに褒められた。嬉しくて嬉しくて、キアラは両頬を押さえる。
「しかも。あんな状態で。」
 シルヴェールに褒められるなんて。キアラはこの言葉を一生忘れないだろう。
「それで、彼がキアラの使い魔になりたいと言って、困ってるんだ。」
 この言葉も。
 キアラは、確かに使い魔が欲しかった。欲しかったがあんなグロテスクな風貌の魔物は想定外で。
 嫌だ。使い魔は、贅沢は言わない。生理的に受け付けられるものが良い。
「ってか言って来てるって。」
「キアラと話したいと五月蝿くて、中々目覚めさせてくれなかったんだ。」
 魔物って。やっぱり凄い。
「で、キアラ。どうする?」
「お断りします。」
 あの魔物なんて論外だ。それに。
「申し出てくれたんならもっと上の魔物を目指します。」
「――中々いないとは思うが。」
 それは、キアラ如きに捕まる魔物は早々いないと云う意味か。キアラは答えが怖くて聞くのを止めた。
 と。ノックが響く。この控え目なノックの仕方はガリーナだ。
 扉を開けるとガリーナがお盆に赤いスープらしきものを二つ、乗せていた。
「ガリーナ、ありがとう。」
「いえいえ。キアラさん、頑張って下さいね。」
 それがレイラの事を指しているだろうと、容易に想像出来た。
「開いたお皿は手間じゃなかったら食堂に持って来て下さい。食堂は玄関を入って直ぐ右です。」
「うん、分かった。本当にありがとう。」
「礼を言われる程ではありません。」
 そう言いがら、ガリーナは身を乗り出してキアラの耳に唇を寄せる。