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三章 北へ 「下僕も良いわね。ギオルギー、どう?」 「それは遠慮しとくよ。」 笑い上戸なのか。ギオルギーは笑うのを必死に抑えていた。 「下僕と言えば、女王陛下は使い魔をたくさん持っているみたいね。」 「……。それで?」 「私も宮廷魔法使いになれるかしら?」 「なれるだろうけど、陛下は厳しい方だから止めておいた方が良い。」 「何故?」 「だから、厳しい方だから。」 「私はその厳しいを聞きたいんだけど。」 「……。」 ギオルギーは黙った。そしてグラスの中の琥珀色の液体を飲み干す。 何を考えているのは。ギオルギーはテーブルを見ている。なのに、何処か遠くを見ているようだった。 「おやっさん。」 ギオルギーは駄目かもしれない。 だから、キアラはおやっさんに尋ねた。 「オレも遠慮しとくよ。」 恐怖政治を敷いていると云う風も無い。なのに何故こんなにも口を噤んでいるのか。 氷の女王、魔女。使い魔。コンスタンチンが怖いと言う。 きっと。ルイーズみたいな性格をしているのだろう。 しかし、だったら――。 「そんなに気になるか?」」 おやっさんが出したのか、レフが酒を飲みながら問うた。 「ええ。」 「オレが教えてやろうか?」 「遠慮しとく。」 だったら戦えと彼なら言い兼ねない。 氷のように透き通った水色の瞳が獰猛に光り、キアラ威嚇する。 「だったら一つ。その男の姉はアレクセイに殺されたんだ。」 アレクセイとは誰か。問う暇も無かった。 ギオルギーがレフに掴み掛かる。それをレフが、嬉しそうに受けた。 たちまち床に転がる二人。 憎しみの篭った藍緑の瞳が、包み隠さずにレフにぶつけられた。 ギオルギーはレフを殴ろうとするが、それはレフに軽く受け流される。 キアラには分かった。それが、ギオルギーには触れられたくない傷なのだと云う事を。 また、レフと云う生き物は喧嘩をする為なら平気で傷を刔り返せると云う事を。 皆はテーブルを避けてその喧嘩の成り行きを見守ろうとする。 それがキアラにはとてつもなく腹立たしい事だった。 此処は、あまり得意な方ではないが――。 『Gemo unda!キアラの周りを薄い膜のように水が取り囲む。 生き物のようにうねり、咆哮し、水はレフを直撃した。 レフが怯んだ瞬間、キアラはギオルギーの太い腕を掴んで引き寄せた。 「え――? 何が起こったのか、理解出来ていない様子のギオルギーは呆然とした。 それもそうだろう。先程の賑やかな酒場から急に寺院の、キアラの部屋まで移転したのだから。 キアラは溜息を吐く。 「家まで送って行こうか?」 「此処は――?」 「寺院。お世話になってるの。」 ギオルギーはまだ不思議そうに辺りを見渡している。 「行きたい所を想像して。」 ギオルギーの両肩を掴み、重心を低くさせキアラも足の爪先で立つ。 キアラはギオルギーの額と自分の額を引っ付けた。レフと揉み合っていたせいか、ギオルギーの額は微かに熱を帯びていた。 そしてキアラはギオルギーと両手を繋ぐ。 キアラは右手から魔力をギオルギーに送り込んだ。そして左手から行く場所の想像を帯びた魔力が帰って来る。 赤茶けた木のテーブルと椅子、そして暖炉があるだけの簡素な部屋。所々に汚れがあって、それが放置されている。 窓すら無い。一瞬、汚れが人の顔に見えた。 キアラとギオルギーはそのままの部屋に放り出される。 「……凄いな。」 「私を誰だと思っているの?」 キアラは胸を張って笑い掛けた。 しかし、ギオルギーは複雑そうな顔をしている。 「じゃあ、私は帰るから。」 何と無く首を突っ込まない方か良さそうだ。それに、どうせキアラには関係無い。 部屋に帰る。誰もいない。 キアラはそっと部屋を出た。 寺院なので早寝早起き――こんな夜中なので当然ではあるが―が基本。もう寝静まっている。 キアラとローズは同じ部屋。なのにいない、と云う事はシルヴェールの部屋にでもいるのだろう。 足音を立てないように前に進む。 明かりの灯っていない、暗くただっ広い廊下。何故だか恐怖心を煽る。 ただ一つ、明かりの漏れる部屋――。キアラはその扉を開ける。 シルヴェールと向かい合っているローズ。キアラに気付いたローズは顔を綻ばせた。 「おかえりなさい。」 「クロードは?」 少し離れた所からテオドールが問うた。 「まだ飲んでる。」 「――少しお酒の摂取量を控えるように言わないといけませんね。」 ローズがその愛らしい顔をしかめた。 「しかしあの人達は笊ですか?飲んでも飲んでも酔い潰れる気配が全く無い。」 テオドールは肩を竦める。 「コンスタンチンさんは知らないけど、クロードは確かに笊だ。底が無い。」 テオドールの向かい側の、ローズとシルヴェールの間にキアラは座った。 「逆に直ぐ酔い潰れるのがシルヴェールだ。」 「おぃ。」 シルヴェールは顔を顰めた。 「直ぐに悪酔いする奴が何を言う?」 そう云えば。確かにテオドールは親父化していた。 キアラはベッドに横たわる。蒼い外套の掛かっているベッドに。 「じゃ、おやすみ。」 「それはクロードのだけど?」 「今日中には帰って来ないよ。」 目を閉じる。 あぁ、こんなにも疲れていたのか。 キアラは毛布包まって、直ぐに眠りの世界へと旅立った。 温かい。 そして、何と無く鼻に付く臭いがする。 キアラはうっすらと目を開けた。先ず飛び込んで来たのは真っ白な何か。 暫くして。自分の隣りに何かがいるのに気付く。 まだ身体が怠いので少しだけ後退すると。 ――クロードがいた。 どうしてだろう。同じベッドで、同じ毛布や羽布団に包まれている。 あぁ。 「てぃやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 キアラは勢い良くクロードに蹴りを喰らわせた。いや、喰らわせようとした。 先に何かに気付いたのか、クロードに足を掴まれる。 「何であんたが私と一緒に寝てんのよ!」 「ベッドが空いてなかったんだから仕方無いだろう。」 まだ眠い、と言うようにクロードは寝返りを打った。 成る程。見渡せばベッドは埋まっている。 しかし。 「私のベッドがあるでしょう!」 「男の俺が女性と同じ部屋で寝られるか。」 意外な所で紳士的である。だがやはり。 「私は!?私なんか同じベッドなんですけど!?ってかテオドールのベッドとか行けば良いじゃない!」 「お前が一番ちっさいんだよ。」 答える気が無いのか、クロードは毛布を頭から被る。 「ちっさいって何!?」」 「五月蝿い。」 テオドールが呟いた。 「別に胸の話じゃねぇよ。」 「そうやって人の胸馬鹿にばっかしやがって!」 「だからしてねぇって。」 「いつか絶対に呪ってやる!」 キアラはベッドから出た。そしてクロードの毛布と羽布団を剥ぎ取る。 「何すんだ!」 「凍死しちまえ。」 キアラは布団を持ったまままたソファで寝直そうとした、が。 「キアラ!いるか!?」 激しく扉を叩く音。 キアラが扉を開けると、顔を真っ赤にしたコンスタンチンがいた。どうやら酒のせいではなさそうだ。 「陛下が――!」 其処まで言ってコンスタンチンは息を整える。 「アレクセイ陛下がキアラに城まで来いって!」 繋がった。アレクセイこそが、氷の女王だ。 そしてキアラは急に不安に襲われる。 「私なんかした?」 「用件は知らないけど急いで!」 コンスタンチンに手を引かれたと思うと、キアラはガリーナの元へ連れて行かれる。 乱暴に食事を詰め込まれた後、これまた乱暴に衣服を脱がされ――剥ぎ取られ――る。 そして用意されたのが、驚くべき事に深緑のドレス。キアラの瞳によく似ていた。 前の物とは違い、生地も厚くフリルの少ないドレスだった。裾に膨らみを持たせ、――キアラを意識しているかのように――胸元にフリルがあしらってある。 袖を通し、鏡で見ようと思った瞬間に思い切りガリーナに腰を締められた。 「きっ、キツっ!」 「我慢してねぇ。キアラさん細いけど、この上に毛皮着ると着膨れするから。」 でも、苦しい。 そんなキアラの気持ちを察したのか、ガリーナがそっと耳打ちをする。 「胸大きく見えるんだよ。」 ぴくり、と耳が動いたかもしれない。 「もっと締めて。」 「これ以上締めると内蔵が口から飛び出すよ。」 ぱんぱん、とガリーナはキアラの腰を叩く。 確かに、何か出てきそうだ。 「キアラさん。」 ガリーナにクロードやコンスタンチンと一緒に剥いだ毛皮を手渡された。 「キアラさん勝ち気だけどぉ、陛下には逆らっちゃ駄目ですよぉ。殺されちゃいますから。」 「善処します。」 でも、キアラも思っていた。そんなに強い力を持つ人ならヴェルディー帝王に会ってみたい、と。 「陛下のお名前は?」 間違う訳にはいかない。だからちゃんと聞いておかないと。 「アレクセイ=ユリヤ様。陛下だけで十分だよ。」 ガリーナが動き始めたのでキアラは無意識に付いて行く。 「国を纏めて下さったのにはとっても感謝してるけど、厳しい方なの。」 一枚目の扉を潜る。と、ローズ、クロード、テオドール、シルヴェール、コンスタンチンが並んでいた。――恐らく――正装をしている。 ローズが来ている真紅のドレス。とてもよく似合っている。が、自分に着せられなくて良かったと思った。 クロードの青にテオドールのオレンジ、喪服のようなシルヴェールの黒。 そして法衣なのかコンスタンチンは茶色い裾の長くフードの付いた物をこれまた足しか見えないが服の上から羽織り、剣を提げていた。 「行くよ。」 外に出ると修道士達が馬車――のようなもの――の準備をしていた。 殆ど馬車なのだが、車輪の代わりに反った板が付いており、馬の代わりに馬に似てはいるが角の生えたものがあった。 キアラは一歩踏み出す。 木の枝のような角、短くふさふさした尻尾、背中の斑点。 これと同じものを図鑑で見た事がある。 「これが――。トナカイ、ですか?」 「正解。早く乗って。」 背中を押されてキアラは乗り込んだ。 既に入っていたローズ、クロード、テオドール、シルヴェール。クロードとテオドールが座っている側よりローズとシルヴェールが座っている方が空いていたので、キアラは其方側に座った。 此処からだとコンスタンチンが御者席に乗り込むのが見える。 「飛ばすから気を付けて!」 そう――。本当に物凄い速さで、馬車っぽいものは走り出した。 「きゃっ!」 ローズは隣りのシルヴェールにしがみつく。シルヴェールがローズの肩を優しく抱いた。 「どうしてこんなに急ぐんですか!?」 「いやぁ、酔って寝てたら使者の話を聞くのが遅くなちゃって。」 コンスタンチンは軽快に笑った。つい殴りたくなったので、代わりにクロードの臑を蹴っておいた。 「キアラ!?」 「一体いつまで飲んでたの!?」 「明け方までにはちゃんと着いたから良いだろ?」 キアラがもう一発蹴ろうとし、実行に移す前だった。 「クロード、今度からお酒はお控えなさい。」 ローズがにっこりと微笑んだ。何故だろう。少し、怖い。 「テオドールもですよ。前、酔ってキアラに迷惑を掛けたのでしょう?」 テオドールは渋い顔をしていた。悪酔いする癖に大好きな、一番質が悪い奴だ。 「テオドール?」 「……。分かったよ。暫くは控える。」 「そうして下さい。」 「じゃあ、俺も一ヶ月くらい禁酒しようかな?」 御者席で何が可笑しいのか、コンスタンチンが微笑んでいた。 「それは禁酒なんて言いませんよ。」 「あ、もう直ぐ蒼氷城が見えるから見とくと良いよ。」 わざとかわされたのか素なのか。キアラは苦笑いを浮かべた。 その蒼氷城とやらを見てやろうか。何処にあるのか分からないので、キアラはきょろきょろと首を動かす。 早くも腰が苦しくて倒れそうだった。 「……。あ。」 テオドールが小さく呟いた。 キアラは慌ててテオドールの視線を追う。 硝子か氷か。キアラは息を飲んだ。 聳え立つ白い、それでいて蒼い城。中は見えないのに透明度が素晴らしかった。 硝子か氷か、はたまた雪で出来ているのか。 怖いくらい美しい城だった。 「俺だけかもしれないけど――。」 雪を削る音が聞こえる。 「あの城は、陛下にそっくりだと思う。」 |