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四章 氷の女王 その城の道は、碧色のカーペットだった。 道すがら、高位の身分を預かっているだろう者達が不審な目で見、けれどもコンスタンチンに向かっては頭を下げた。 キアラは、何だか自分だけが浮いているように思った。服装ではない。ローズやクロード、シルヴェールから醸し出される生まれながらの気品やテオドールやコンスタンチンの上品な知性がキアラには無かった。 「コンスタンチンさん。」 キアラは小声でコンスタンチンに呼び掛ける。 「コンスタンチンさんって目茶苦茶偉いんですか?」 大臣クラスと見れる者までコンスタンチンに頭を提げていた。 「まぁ、俺は今を統べる皇帝陛下の最高大僧侶だから。」 何の事か全く分からない。だが、キアラはそれ以上問わなかった。 それは、仰々しい扉に出くわしたから。きっと此処に――。 「トリナーッツァチ様、お待ちしておりました。」 護衛らしき男二人がが一斉に敬礼する。どうやらトリナーッツァチとはコンスタンチンの事らしい。 「いつもご苦労様。陛下は?」 「陛下はまだ来られておりません。」 「そう。良かった。」 本物だろう、綺麗な銀の花が彫り込んである取っ手をコンスタンチンが持つ。 「行くよ。」 其処から先に続く道、深紅の道。まるでキアラの流す血のよう。 そう。キアラの血がカーペットを汚した。 『vesica of ventus間一髪でそれが顔に行くのを免れる。それにしても、被害を受けたのがこんな高級そうなドレスでなくて良かった。 「魔法の五大元素は火、風、雷、土、雷、水。火は水に弱くまた風に強く、風は火に弱くまた雷に強く、雷は風に弱くまた土に強く、土は雷に弱くまた水に強く、水は土に弱くまた火に強い。」 「正解。時間が掛かったからもう一門追加。」 レフは思い切り顔を歪めた。 だが、今回は簡単な筈だ。 「貴方は何者?」 そう。 「レフ=ソーンツェフ。」 彼はそう云う答えなのか。 レフはキアラから一歩引いてまた剣を振り上げた。 キアラも魔法の詠唱をしようとする。 「おやめなさい!」 凜とした声だ。そして氷のように透き通っていて、雪のように柔らかい。 「レフ、あれ程城内で問題を起こしてはならないと言ったでしょう。」 キアラはその声の主を確かめようと振り向く。絶句した。 彼女が人であってはならない。キアラの鼓動が一回刻む毎に速くなる。 夜空に冴え渡る白い月のような銀色の髪。その艶やかな光が白髪ではないと言っている。 真っ直ぐで細いその髪は小振りな顔を縁取るように流れていた。 雪のように白い肌はローズと比べても白く、しかし青白くはなく浮かび上がっているようだ。 やや青みを帯びた薄紅色の唇。薄過ぎず厚過ぎず、魅力的に其処にいた。 アイスブルーのドレスは至ってシンプルなスカートに前を開けるようにフリルが付いているだけだった。なのに豊かな胸、細い腰、長い手足が豪華さを損なわせない。 そして。そして、全体的に薄い印象の彼女を引き締める、古代紫の瞳。神々しく切れ長の眼に収まっていた。 神が与えたとしか思えない完璧な美しさ。ローズと比べても全く見劣りしなかった。 ローズが太陽の元で朝露を落とす真紅の薔薇なら彼女は月の元でひっそりと咲く紫の薔薇。 キアラは言葉も出せず、ただただ彼女を凝視していた。 「剣を仕舞いなさい。」 レフは何も言わなかった。だが、剣を鞘に納める音がする。 と、コンスタンチンが恭しく彼女の前に進み出た。そして跪づく。 「アレクセイ陛下。コンスタンチン=カリーチニヴイ=トリナーッツァチ、只今参上致しました。」 そしてアレクセイの手を取り、接吻を落とす。 「ご苦労でした。急な呼び立てで驚いたでしょう。」 「いいえ。私は貴方の下僕。貴方がお呼びとあらばいつでも何処でも参上つかまつります。」 「またお世辞が上手くなりましたね。」 そうは言っても彼女の顔に笑みは無かった。 それとは対照的にコンスタンチンの顔には満面の笑みが浮かんでいる。 「我が寺院の客人をご紹介しましょう。」 厭味なくらい、恭しい。 「先程レフ様と剣を交えていたのが、キアラです。」 「はじめまして。」 何だか、反射的に言ってしまった。 「はじめまして。」 「そして右からクロード、ローズ、シルヴェール、テオドールです。」 「はじめまして。貴方のような方と顔を合わせる事が出来て嬉しいです。」 「此方こそ。ローズ王女、と呼んだ方が宜しいですか?」 知られている。 ローズの表情が固まった。しかし、それも一瞬。 「ただのローズで構いませんわ。」 「そうですか。」 彼女は少し残念そうな顔をしたように思えた。 「私が貴方達をお呼びしたのは他でもありません。キアラ、貴女に話があるのです。」 「……。私に、ですか?」 「えぇ。侍女達にお茶を用意させています。立って話すのも疲れますから其処へ行きましょう。」 長期戦になる、と云う事か。 彼女の話が何か全く想像の付かない今、彼女の掌で転がされるのも一つの手だろう。 「お気遣いありがとうございます。」 「礼を言われるような事でもありません。」 彼女は踵を返した。 今まで気付かなかったが、黒い騎士が彼女に付き添っている。後ろ姿しか分からないがとてつもなく大きい。 キアラは無言で彼女の後を付いて歩く。 彼女がいるだけで、全ての空気が引き締まるようだった。 案内された部屋にいたのは、最初にレフに出会った時にレフを迎えに来た美女と、金髪碧眼の美少女。 童顔なのに、それに釣り合わない豊かな胸に太陽のように輝くまばゆい髪。人形のようだ、と云う形容がぴったりと当て嵌まる。 黒い騎士が椅子を引くと彼女は座る。なのでキアラも座った。 キアラ達五人と、彼女とレフで囲む机。 黒髪と金髪の侍女がケーキと紅茶を出してくれる。 「私も遠回しな言い方は好まないので、単刀直入に言いましょう。」 彼女が紅茶を口に運んだ。 「貴女に仕えて欲しいのです。」 その紫の瞳が、キアラを真っ直ぐに見据えていた。 「お連れの方の実力は分かりませんが貴女の実力は確かです。このレフに強い、と言わせるくらいなのですから。」 レフは不機嫌そうにチョコレートケーキを潰しては口に運んでいた。 「これは他国の者である貴方達に言えるような話では決してありません。しかし、近年我が国では魔物の増加、それに伴い別種の魔物と徒党を組むようになっており破壊僧だけでは対処出来ません。」 クロードの後ろでコンスタンチンが大きく頷いた。 「破壊僧もコンスタンチンを含め、まともに魔物に対処出来るのは二桁。この王都は私ともう一人で対処していますが手が回りません。」 キアラは真っ直ぐに彼女を見詰めた。 「大帝がヴェルディー帝国を起こし、もう四百年が経とうとしています。しかし、此処で滅びさせるにはいかないのです。」 胸が痛くなった。キアラも、その思いを胸に抱いている。 「衣食住共に全て今までより良い物を提供しましょう。そして給金も一般の破壊僧の倍、出します。」 キアラには彼女の必死さが伝わってきた。 「どうか――。少しの間で良いのです。私に力を貸して頂けないでしょうか?」 「勿論です。」 キアラは彼女に笑って見せた。 「アレクセイ陛下。」 キアラは驚いた。いつもと同じように微笑んでいるローズなのに――、何故か違和感があった。 「私とも取引をしませんか?」 「……。」 あぁ、これは、王女のローズだ。 「内容は?」 「シルヴェールは一番の魔術師で、クロードは我が国一の剣士です。」 「……。私としても喉から手が出る程欲しい人材です。ですが、内乱に我が兵をお貸しする訳にはいきません。」 どうしてアレクセイは知っているのだろう。」 「内乱ではありません。ただ、中立の立場でいて欲しいのです。」 「分かりました。」 即決だった。 「私は魔術は使えませんが、剣技ではキアラを越えると自負しております。シルヴェールにしたって、キアラ以上の魔術師です。」 「ありがとうございます。魔物を狩る時は今暫くコンスタンチンと共に行って下さい。ドュトルエル王国には魔物はいないと聞いていますから。」 「お心遣いに感謝致します。」 「ナジェージュダ。」 彼女が名前を呼ぶと、金髪の少女が前に進み出た。 「彼女はナジェージュダです。ナジェージュダ、彼等の世話をお願いします。」 「了承致しました。」 「そしてもう一人の侍女がリュドミーラ。そしてあの男が――、ヴィルです。」 「宜しくお願いします。」 侍女達は愛想良く笑ったが、ヴィルは無表情だった。 アレクセイには負けるが、顔の造りは良いのだからもっと笑えば良いのに。 「私は仕事があるのでお相手出来ませんが、部屋の用意が出来るまで寛いでいて下さい。」 その為のケーキか。 「本当にありがとうございます。」 「いいえ。期待していますよ。」 彼女の顔が、綻んだ。本当に綺麗な笑みで動悸が早くなる。 と。悪寒が走った。 キアラに向けられている、殺意の篭った目。 一人はナジェージュダで――。一人は。一人は。 絶叫した。喉から声は出ない。けれど絶叫した。 殺される。沸騰した鍋の中に突っ込まれて魔術の代償にされて逆さに吊されて毒薬を掛けられて風呂の中に頭を突っ込まれて頭に花瓶を落とされて本の角で頭を殴られてお気に入りだったぬいぐるみで首を絞められて冷蔵庫に閉じ込められて 「キアラ!?」 キアラは床に尻餅を付いた。クロードが背中を支えてくれる。 「一体どうしたんだ?」 「ヴィル!」 アレクセイが叫んだ。 その瞬間、身体の緊張が緩む。 「何のつもりです!」 「……。」 ヴィルは黙ったままだった。けれど、キアラに確かな殺意を抱いている。 「いえ。」 「ごまかす事は許しません。」 「――。アレクセイ様、これから会議でしょう。」 アレクセイは苦々しくヴィルから視線を外した。 「ヴィルが失礼しました。どうか私に免じて許してくれませんか?」 「――はい。」 そう言うのが精一杯だった。 「本当に、申し訳無い事を。」 「いいえ。気にしないで下さい。」 出来る事なら忘れて欲しい。 「私もちょっと寝不足でしたから。」 関係無い事は分かっていた。 しかしアレクセイも会議に行かないといけないからか、後ろ髪引かれる様子でこの場を後にする。 「それでは、また。」 でも見ている。暗い瞳でキアラを見ている。 「……。」 キアラはおもむろにフォークを手に取った。見透かされたように大好きなチーズケーキがある。 一切れ、口に運ぶ。 「美味しい――。」 また一切れ。また一切れ。 そんなキアラをテオドールが不思議そうに見ていた。 「ローズ様は一人の部屋だとご不安でしょうからキアラ様と一続きの部屋をご用意致しました。」 そうは言われても。 ただっ広い部屋はまるで一軒家を提供されているような気分になってしまう。 「寝室は別々になっておりますが浴室、トイレ、リビングは共同になっております。」 「分かりました。」 淡々と説明するナジェージュダに、にこにこと答えるローズ。キアラには全く分からなかった。 「向かいの三部屋が寝室とトイレしか付いていませんが三部屋、お連れの方に用意させて頂きました。」 「えぇ。分からない事がありましたら直ぐに聞くので、三人を案内してあげて下さい。」 「はい。また昼食の折に伺います。」 一礼してナジェージュダは去った。 疲れた。キアラはソファに深く腰を下ろす。ローズがその向かいに座った。 「あまり感じの良い方ではありませんでしたね。」 「そうねぇ。ヴェルディー帝国の人って冷たいのかしら?」 独り言のようにキアラは呟く。 「ストヴィール人は他人種に迫害された歴史がありますから、当然かもしれません。」 「そんなもんですかねぇ。」 キアラはそう言いながらお腹を摩る。 そう。お腹が空いていた。何も食べずに飛び出して来たのだから当然だろう。 ケーキを食べている間、コンスタンチンは知らないうちに帰ってしまうし。いや、帰ったかどうかも分からないが。 この城で暮らす事に憂鬱を覚え、キアラは親指と人差し指を擦り合わせる。 「しかしあれでは女王陛下に恥を掻かせるようなもの――。」 「確かに、教育が行き届いてないって思われますね。」 ローズは悩ましげに頬に手を当てる。 「キアラはどうしてだと思う?」 分かっているのか。もしそうだったら、底意地が悪い。 「私が嫌いだからでしょう。」 ローズはその大きな目を更に大きくする。 演技だとすればたいしたものだ。 「一気に二人にも嫌われちゃいましたよ。」 「……。キアラはこんなにも素敵なのに。」 ローズにそう言われても切ないだけだった。 「ねぇ、キアラ。」 急にローズが改まった。 キアラも驚いて背筋を伸ばす。 「キアラはシルヴェールの事、好きじゃないわよね。」 一体ローズはいきなり何を言い出すのか。 キアラは苦笑した。 「大好きですけど。」 「そうじゃないわ。」 ローズは首を横に振る。 「恋愛対称として好きなの?」 シルヴェールには悪いと思ったが――。キアラは腹を抱えて大笑いした。 するとローズがその形の良い眉を歪ませる。 ローズにも悪い事をしてしまった、とキアラは今頃になって思った。 「だ、だって、し、シルヴェール様を、男として見ろって!」 「だってキアラってばシルヴェールには良い態度だし……。」 そしてローズは更に顔を歪ませた。 「シルヴェールってばキアラと話している時に本当に楽しそうなんですもの。」 「そ、それは!」 キアラは必死に呼吸を整えようとする。喉笛がひゅうひゅうと鳴っていた。 「私達が魔術師だからですよ。」 まだ可笑しかった。 「どうして魔術師である事が関係あるの?」 「魔術師は魔術師にしか理解出来ない。また、魔術師は魔術師にも理解出来ない。」 ローズは首を捻る。 そう、この言葉は魔術師でない限り十代の小娘が誠に意味を理解出来るものではないのだ。 「魔術を確定させたと言われるクリストファー・マーローの遺した言葉です。」 本当はクリストファー・マーローの前にも魔術師は沢山いた。だが、クリストファー・マーローが魔術と云うものを世に知らしめたのだ。 「ローズはこの意味が分かりますか?」 「何と無くしか分からないわ。」 「言葉のままです。魔術師を理解出来るだろう可能性を持つ者は魔術師しかいない、けれどもその可能性も殆ど有り得ない。」 にっこりとキアラは笑った。 「魔術師とは孤独な者です。誰からも理解されない。」 「……。」 「魔術師でなくてもそう。自分を本当に理解してくれる人間なんていないんです。自分ですら自分が理解出来ないのですから。」 「……つまり、私はシルヴェールを全く知らないと云う事?」 「魔術師としてのシルヴェール様は知らないんじゃないですか?」 「……。」 そのアラベスクタークの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。 泣かせてしまったかもしれない。なのに、キアラの心は痛まなかった。 「私達は言葉には出来ないけどどうして魔術が使えるのか分かっています。けれども、貴方達には分からない。それは、私達が言葉に出来ないから。」 「私は――。」 ローズが言葉を発する。キアラを見ているようで、何処も見ていなかった。 「ルーシュは当然、シルヴェールでさえ、違う生き物だと思う時があるの――。」 「当たってもいませんけど、外れてもいませんね。」 魔術師は人間であるが、人間ではない。明らかに別なのに、同じ。 「キアラは――。」 その目に溜まった雫が落ちれば、ローズは泣いてしまう。 「それで平気なの?」 「――。」 欲望は、ある。分かってもらいたいと。 魔術師以外とも魔術についての五大因子について話したり、術を高め合いたい。根本的なキアラの奥底を分かってもらいたい。傷付いてる、と知ってもらいたい。 なのにどうしてだろう。 笑いたかった。笑って笑って、笑いたかった。 可笑しい。可笑しくて可笑しくて腹の底から何かが込み上げてくる。 人間、追い詰められると笑いたくなってしまうものだうか。 しかしそれにしては愉快だ。 「魔術について、教えましょうか?」 |