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四章 氷の女王


 キアラは悪戯っぽく笑う。
 ローズは唖然としたようにその唇を半開きにしていた。
 そう、これは気まぐれ。
「そしたら、シルヴェール様と少しは魔術についてお話が出来るかもしれませんよ。」
 魔術を使えないローズにとってそれは大変な事だろうが。
 だがローズはその名の通り、大輪の薔薇のような華やかな笑みで微笑む。

「お前は悲劇と解っている物語にどう対処する。」

 背筋が、ぞくりとした。
 そう、これは――。キアラに魔術を教えた男の言葉。キアラの兄の、フリュベールの言葉だ。
 確か、最初に魔術の論理を教えてもらう時に問われた言葉だ。あの時、キアラは何と答えたか。
 笑顔で答え、フリュベールに怒られたような気もする。
「ローズ。」
 キアラはローズに問うた。関係の無い事なのだが、どうしても問うてみたくなったのだ。
「貴方は悲劇と分かっている物語にどう対処しますか?」
 ローズは即答した。迷い無い、薔薇のような笑顔で。
「変えます。」
 変えられては困る。だが、キアラはその答えを好ましく思った。
 だがローズは困ったような顔をしている。
「これと魔術は関係があるの?」
「いいえ。」
 キアラはゆっくりと首を振る。
「じゃ、先ずは――。」
 魔術の五大因子とその相互作用から。
 そう言おうとしたが、キアラはノックによって言葉を詰まらせた。
 誰だろう。
 キアラはローズと顔を合わせ、首を捻る。
「どうぞ。」
「邪魔する。」
 そう言って入って来たのはクロードだった。キアラは顔を歪ませる。
 が、続いてテオドールとシルヴェールも入って来た。
「一体どうしたのですか?」
「あの侍女に昼飯は此処で食べるって言ったからな。」
 ご飯は大人数で食べた方が楽しい。
「それに――。これからの事も話しておこうと思って。」
 そうか。キアラはテオドールの言葉を忌ま忌ましくさえ思う。
 勝手にクロードがキアラの隣りに腰掛けて、ソファが沈んだ。テオドールとシルヴェールはその向かいのソファに座る。
 三人用と一人掛け用のソファが二つずつ。一体こんなにソファを用意しで何に使うのだろう。
「立ち聞きされるのも嫌だから昼食の後で良い?」
「折角のご飯食べながらそんな辛気臭い話したくない。」
「確かにな。」
 キアラの言葉にクロードが同意した。何だか変な気分である。
「辛気臭くはないだろう。」
「辛気臭ぇよ。そんなんだったらお前も辛気臭くなるぞ。」
 キアラはクロードに向かって拳を振り上げた。寸前で止められる。
「シルヴェール様に向かってよくもそんな口を!」
「シルヴェールと言いルーシュと言い、魔術師は何か辛気臭ぇだろ。」
「ハァ!?私の何処が辛気臭いのよ。」
「……。そうか、お前も魔術師か。だったら頭がぷっつんいってると言い直そう。」
「言い直すな!魔術師だからって頭が変みたいに言うのは差別よ!」
「俺達みたいな凡人から見たら十分変人だ。」
「そう!私から見たらあんたが筋肉馬鹿なのと同じね!」
「誰が筋肉馬鹿だ!俺だってちゃんと計算してるんだ!」
「へぇ。私にはただ馬鹿みたいに筋肉付けてるとしか思えないけど。」
「お前の俎と一緒にするな!」
「誰が俎じゃ!触るか!?あァ!?脱ごうか!?」
「誰もお前の俎なんか見たくねぇよ!」
「じゃあお前が脱ぎやがれ!」
「あぁ分かったよ!」
「待て。」
 背中から冷水を浴びたようだった。
 クロードが服を脱ごうとした動作も止まっている。
 シルヴェール。もしかして、怒っているのだろうか。
 キアラはそっと様子を伺ったが無表情で、そんな気配は分からなかった。
「そんな卑猥な喧嘩はベッドの上でやってくれないかな?」
「死ね。」
「お前の頭が卑猥だ。」
 何故かキアラの横ではローズが顔を赤らめている。それには少し、腹が立った。
「――テオドールのようには言わないが、せめて二人の時にやってくれないか。」
「……。済みません。」
 いつの間にか浮いていた腰をキアラは沈める。
 何でだろう。どうしてこんなにクロードに腹が立つのだろう。
 だが、答えは一つ。ムカつくから。
「以後気を付けます。」
「いいえ。」
 何故かローズが恥じらいながら首を横に振る。
「喧嘩すればする程仲が良いと言いますし、」
「何処をどうやったら俺とキアラの仲が良いように見えるんだ。」
「シルヴェールと私と、キアラとクロードの四人で結婚式を挙げる事を望みます。」
「無理だろう。」
 更に畳み掛けようとするクロードの息を吸う音と同時だった。ノックが響く。
「どうぞ。」
 ナジェージュダと――、リュドミーラだ。ナジェージュダが銀色のカートを押している。
「昼食をお持ち致しました。」
「ありがとうございます。」
 キアラはナジェージュダが取った皿を受け取ろうとした。が、避けられてしまう。
 机の上に置かれた料理。なんだか、不愉快だった。
 皿が全て並べ終わった時にも、キアラの心は晴れない。
「お食事が終わりましたら外に出しておいて下さい。」
「分かりました。」
 何か、嫌だ。
 キアラは二人が去る前に食事を始める。
 シルヴェールが眉を跳ね上がらせたのが見えた。
 小さい肉と野菜の入った、冷たいスープ。
「キアラ、お前は礼儀ってもんを弁えろ。」
 クロードだ。余計に腹が立つ。
「こっちだってあんな態度取られてにこにこしてられる程人間出来てないっつーの。」
「じゃあ、これからの話でもしようか。」
 クロードが顔を引き攣らせた。
「……。どうぞ。」
 シルヴェールにそう言われてしまったらキアラに反論の余地は無い。
「ドュトルエル王国に帰る事を前提と話すけど、良い?」
「どうぞ。」
「先ず、俺達に勝ち目は無い。」
「……。」
 いきなりそう来たか。しかしキアラは気にせずにスープを啜る。
「俺なりに調べたけど、后は処刑されて、ファブリスは幽閉らしい。その他俺達の味方だった諸項も処分を受けたり寝返ったり。」
「――兄貴は?」
 クロードにも血が通っていたか。キアラは感心してパンをかじる。
「寝返ってる。」
「そうか。じゃあ味方にすんのは無理だな。」
「オーベールが味方でいてくれるだけで大分違うんですけど……。」
 クロードの兄はオーベール、か。いや、前に一度会った。
「ルイーズ=グレース=ルーシュは着々とベランジェ即位の準備を進めているだろう。」
「早くてお兄様はどれくらいに即位しますか?」
「来月。」
 早くもなく遅くもなく。ある意味予想通りだ。
「テオ、兵を起こしても勝ち目が無いのなら――。シルヴェールとキアラはどうです?」
 ローズにそんなに真剣に政治について話してほしくない。
「無理だ。」
 間髪入れずに答えたシルヴェール。
「ルイーズだけでどちらか一人が付きっきりになるだろう。」
「方法は全て思案した。けれども全て駄目だった。」
 テオドールが苛立ったように言う。
「でも私は――。最後までお兄様と戦います。」
「……。」
 時代が時代だろうか。ニーナは兄とあんなに仲が良かったのに。
「ローズは何が欲しいの?」
 どうして負けると分かっていて挑もうとするのか。
「女王の座です。」
 ローズがふわり、と笑った。薄紅色の薔薇のように美しくて――、寒気がした。
「どうして女王になりたいの?」
「ずっとシルヴェールと一緒にいる為です。」
 愚かな。キアラはその言葉を紡ごうとして、止まった。
 ローズの顔が緩んだ。
「でも本当は――。女王なんて、どうでも良いんです。」
「どう云う事?」
「ローズ。」
 ローズは首を振った。
 シルヴェールは、どうしてこんな悲痛そうな顔をしているのだろう。
「私がシルヴェールと一緒にいられるなら――。誰が王になっても構いません。」
「……。つまり。ベランジェを説得すれば良いだけじゃないの?」
「それには騒ぎが大きくなり過ぎました。」
 信じられない。愛の為になら、全てを犠牲に出来ると言うのか。
 身勝手だ。ローズ程の地位があれば、シルヴェールを情夫にでも何でもしておけるのに。
 急に、虚しくなる。今までキアラがニーナを守る為にやった事は全て、無意味だったのではないかと。
 平気になる程人を殺したのに。キアラのやった事は――。
 キアラは立ち上がった。どうにも我慢出来そうにない。このままだと、汚い言葉でローズを罵ってしまう。
「キアラ?」
 その美しい声が、今はどうしようもなく忌ま忌ましかった。
 キアラは部屋を飛び出す。
「おぃ!」
 信じられない。
 キアラは出鱈目に廊下を進む、迷ってしまう、とか、今はどうでも良かった。
 何て綺麗な城だろう。今、何をしているのか忘れるくらい。
 ニーナは――。無事だろうか。
 キアラはニーナを幸せにする。呪いの正体を突き止めて、それで。
「……。」
 ふと足を止めると、キアラは鏡に囲まれていた。
 しかし鏡はキアラを映し出していたい。もっと美しい人がいた。
 緩やかなウェーブを描く銀の髪。肌は、女性のものよりも白く透き通っていて。
 小さな顔に、細いけれども立派な胸板。彫りが深くて怖い程整っている顔。――アレクセイに酷似している。
 ただ、瞳はアレクセイと全く違った。深く神秘的な瞳ではなくて、氷のような鋭い蒼銀の瞳。
 気が付いたら涙を流していた。あまりにも美しい彼。それが、傷付いたキアラの心に入り込んでいた。
「キアラ。」
 鏡から彼が消える。蒼の瞳が鏡越しにキアラを見詰めている。
 薄い薄い、ベールのような緑の髪。最初に出会った時より長くなっている。
 でも、その厳しい眼は全く変わっていない。
 キアラは振り向かなかった。そうしたら、泣き顔を直接見られるので嫌だった。
「くたばれ。」
 精一杯の大口。
「悪いな。まだ生きる。」
 クロードも、動かない。
「ローズが――、済まない。」
「どうして?」
「お前はあれしきの事って思ってるだろう。でも、ローズにしてみたらそうじゃないんだ。」
「嘘。」
 不意に。後ろから抱き締められた。
 顔が良いからと言ってそうやってキアラを懐柔しようとしているのか。
 鍛えられた胸板に逞しい腕。伝わる温かさ――。
 騙されまいと思った。けれど、心地良かった。
「ローズは七年前無理矢理犯された。」
「……。」
「口を利かなかったローズが、部屋から一歩も出なかったローズが今みたいになれたのは、シルヴェールがいたからなんだ。」
 美人は大変ね。そう言おうとしても言葉が出なかった。
 何が悲しいのか。でも、悲しくて、悲しくて。
「だからローズを責めるなとは言わない。俺も少し、お前の気持ちを知っているつもりだから。」
「どうして話したの?」
 嫌だ。声が震えている。
 知らなかったら、純粋にローズを責められたのに。
「ずっと――。お前は一緒にいるもんだと、思っているから。」
「無理よ。」
 時代が、違うから。キアラにはしなければならない事があるから。
「俺の思い込みで良い。」
「……変態。」
「変態じゃねぇよ。」
 不意に、クロードの温もりがキアラから離れた。少し名残惜しい気もする。
「帰るぞ。」
「待って。」
 キアラはもう一度鏡を見た。やはり何も映し出されていない。
 ――否。映っている筈のキアラやクロードでさえ映っていない。
「――この鏡。」
 クロードに言っても仕方の無い事なのに、キアラは呟いてしまう。
「変。」
 急に鏡が白銀の光を放った。眩しくてキアラは目を閉じる。

『キアラ――』

 血の気が引いた。

『何処にいるの?』

 恐る恐る目を開ける。
 アラベスクタークの瞳に、アンバーの髪。頼りなく儚いけれど、幼い美貌があって――。
「姫――。」
 ニーナと全く同じ色彩をした青年――ベルナールが気遣わし気な視線をニーナに向けている。

『キアラはどうして私から離れたの?』
『ルーシュとて理由があっての事だろう』
『離れないって――、約束したのに――』

 胸が痛かった。魔術で心臓を貫かれるよりも、ずっと。

『キアラ――』

 ニーナ。

『お願い、戻って来て』

 ふつりと鏡には自分が映った。キアラは額に鏡をくっつける。
「姫――。」
「お前はどうして国を捨てて未来から来たんだ?」
 気付いたら、キアラはクロードの頬に思い切り拳を叩き込んでいた。
 しかし、クロードは全く身動きせずに、冷たい目でキアラを見下ろしていた。
「捨ててなんか――、いないッ!」
「お前程の魔術師なら、手立てはあっただろう。」
 堪えられなかったから。
「魔術で何が出来るの?」
 答えは、何も出来ない。
「やろうと思えば、邪魔者は消せられただろう?」
「……。消してどうなるの?」
 衰退したドュトルエル王国には、どんな国でも簡単に手が打てる。
「家畜や人間にも猛威を奮う伝線病。すっかり侵略されてしまった領土。脱げ出す国民。殆ど人のいない王宮。」
 涙が出そうになる。
「根本を変えなきゃ、駄目なのよ。」
「そんな事を出来るのは――。」
「過去は変えない。変えたら、ニーナ王女が産まれないかもしれないから。でも――。」
 でも。キアラは心に誓っている。
「選択肢がそれしか無かったら、私はシルヴェール様を、殺す。」
 あんな芸当が出来るのはシルヴェールしかいない。ルイーズとも会って、キアラは肌で感じた。
「――。帰ろう。」
 今度こそ。
 キアラは一歩踏み出した。
 でも。
「え?」
 四方、鏡に囲まれている。
「クロード。」
 キアラはクロードの手を掴む。
「しっかり掴んでて。」
「は?」
『Metastasis』(転移)
 一瞬視界が歪む。が、それだけ。
 キアラは愕然とした。
 鏡に映るキアラとクロードは別人のようで、キアラを蔑んでいるように見えた。
「なぁ、キアラ。」
「何?」
「もしかして俺達」
 クロードの言いたい事は分かった。
「帰れないんじゃあないのか?」
「黙ってて。」
 転移が使えないと云う事は結界が張ってあると云う事。
 しかしならば何故キアラとクロードは入れた。
 通常、結界には入らせない為のものと出さない為のものと、優れた魔術師なら両用の結界を張れる。
 しかし、出さない為のものにしてはこの中に何もいない。そして、入る時の違和感が無かった。
 魔術師ならば通常、術に入る時には違和感を覚えるものである。しかし幾ら混乱していたとは云えそれは無かった。
 だとすれば考えられる可能性は――。何者かに意図的に招かれたか、入った後で結界を張られたか。
 しかし後者だと呪文も聞こえなかったし魔力も感じなかった。呪文は混乱していたから聞き取れなかったとしても――。魔力は、絶対に気付く筈だ。
 残った可能性は前者。キアラは何者かに招かれた。しかし、キアラには思い当たる理由が無い。
 それに、そう仮定するとクロードまでもが一緒に招かれる理由が更に分からない。
 まぁ理由が分からなくても、最低出る方法が分かれば良い。
 しかしそれが一番の問題だ。キアラは白魔術が大の苦手である。
 だったらいつもそうしているように力付くでこの結界を圧し破れば良い。でも。圧し負けたら。
 この術を張った人物が、キアラより魔力を持っているか分からない。だがそれと同時にキアラより格下がどうかも分からない。
 しかし――。感じ取れ無い程空気と同化している魔力。キアラの転移を通さない強度。
 キアラより術に長けているのは確実であろうと思われた。
 だったらどうする。どうやって此処から出る。
 キアラは持っている魔術の知識を頭の中で全て広げた。
 力で圧し負けた時には、キアラの魔力がこの中で暴走する。そうなれば、クロードは疎かキアラだって死ぬだろう。
 当然のように導き出される結論は、白魔術でこの結界を解く。
 だが失敗したら。キアラの細胞はその白魔術によって壊滅するかもしれない。
 そんな事は許されない。キアラが今死んだら、ニーナは誰が守る。だれがニーナの未来を変える。
 残された方法は――。少ない。そして、薄い。
 キアラは目を閉じる。そして薄く目を開けた。
 ルイーズは見ただけでキアラの魔力を分かった。だから、キアラもどうにかすればこの結界の構造を見る事が出来る筈だ。
 キアラは鏡をじっと見詰める。鏡の中では半眼で自分を凝視する自分がいた。