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四章 氷の女王 ルイーズはキアラの魔力を見た。しかし、それは文献に残っていない。 何故失われたのだろう。誰が消したのだろう。 見える先には自分しかいない。でも、キアラは、じっと見る。 と。 『おぃ』折角集中しているのに。 『なぁ』キアラは勢い良く振り返った。 「黙れこの筋肉――!?」 馬鹿、と言おうとした。けれども、クロードの口は開いていない。それどころか固く結ばれている。 ならば、一体誰が。キアラは驚愕した。集中し過ぎて聞こえる筈の無い声が聞こえてしまったのだろうか。 「後ろ。」 クロードに促されて後ろを向く。すると――。いた。 氷のように透き通った蒼銀の瞳。白い月のように輝く銀髪。 雪のように白い肌は、ただ白いだけで、青みを帯びていない。 女のそれのように細い指。その細く尖った顎に当てられている。 「あんた誰?」 最初に見た、人の範囲を越えた者。 キアラは思い切り睨み付けた。 『アレクセイ、だ。』アレクセイ、だと。女王と同じ名前ではないか。 「何者なの?」 『君達異人には大帝、と言った方が分かりやすいか?』「大帝――?」 それにしても一々感に障る言い方だ。 と、クロードの口元がキアラの耳に近付く。 「ヴェルディー帝国初代皇帝だ。」 「だったら何で生きてんのよ。」 『眠っている間にこんな場所に閉じ込められてしまってね。』「ふぅん。」 綺麗なものは好きだけれど、身の上話なんか聞きたくない。 キアラの思いが伝わったのか、彼の眉が跳ね上がる。 『取引を――、しないか?』「拒否。」 キアラは即答した。 「お前なぁ、それは即答して良いような問題じゃないだろう。」 「だってさぁ、賭けても良いよ?絶対に此処から出せとか行って来るじゃん。」 『ご名答。』「ほらね。それで絶対とんでもない事になるんだよ。」 「そうだなぁ。閉じ込められてる奴は大体目茶苦茶悪人って相場が決まってるからなぁ。」 「でしょぉ。ね、こんな奴相手にしないで出る方法探そう。」 「俺には無理だ。」 『キアラ=グレース=ルーシュ。お前も自分では無理だって知ってるだろう?』「知らない。」 分かってはいるけど。 「どうなるか目に見えているのに協力する程愚かではないわ。」 白い、妖精のような悪魔――。 頭の中で声が鳴り響く。 一体誰に教えてもらったのだろう。一番怖い悪魔は妖精のような外見をしている、と。 それは彼の事ではないか。 『協力しろ。』「……。出て何がしたいの?」 『私はただ、愛する者と一緒にいたいだけなのだ――。』今度は情に訴えようと云うのか。 でもキアラは知っている。それが、冥界への扉を開く、と云う事を。 「じゃああんたが死ねば?」 『キアラ=グレース=ルーシュ。私はマリーナと――』「お黙りなさい。」 声が聞こえた。神々しく、美しい威厳に満ちた声が。 途端に鏡が割れ、クロードとクロードは暗闇の中に放り出される。 その暗闇の、一筋の光――。 「卑しき魔物が大帝を騙るのは許しません。」 『氷の魔女――!』憎々しげに彼は呟く。 こうして対比すると、二人は一枚のトランプのようだった。 そして、圧倒的にアレクセイが美しかった。 「お前は其処で眠っていなさい。」 弾ける視界。急に明るくなる。 そして、見せ付けられた圧倒的な実力の違い。 悔しい。キアラは下唇を噛んだ。 「貴方達はどうして彼処へ行ったのですか?」 責めるような口調。 傷心のキアラにとって、その答えは答えたくなかった。 「散歩をしていたら迷ったのです。」 真っ直ぐにクロードを見詰めるアレクセイ。何を考えているのか分からなかった。 「心配しないで下さい。別に、貴方の事を探っていた訳ではございません。」 「私もその方が、貴方方を傷付けないで良いです。」 そう。今のキアラでは、太刀打ち出来ない。 シルヴェールなら出来るだろうが、それは嫌だ。 キアラだって、天才魔術師のつもりでいた。なのにこの様。 「それでは私達はまた散歩を楽しみます。」 「今度は迷わぬように祈ってます。」 クロードはキアラの腕を引っ張る。抵抗するのも虚しくて、キアラはされるがままにしていた。 帰らなければ。でも、それも怠い。 ローズと顔を合わせて、機嫌を取って――。何とも無駄で欝陶しい事か。 「力が――、」 キアラはクロードに、と言うよりも自分に呟く。 「力が欲しい。」 「止めとけ。」 「力が欲しい。私じゃ何も出来ない。」 「だから――。」 クロードは立ち止まった。 「だからお前は、自分のいた世界を――、ローズの子孫を捨てて逃げたのか?」 体が熱くなった。目の前が、無色になる。 そして。そして――。キアラは思い切り、クロードを引っ叩いた。 「私は逃げてなんかない!」 「逃げたんだろう。」 「逃げてない。」 「逃げたんだろう。」 「違う!」 キアラは頭を抱え込んでその場にうずくまった。 「私は、私は――」 「怖かったんだろう。」 体温が上がり過ぎてしまったのか、キアラは急に寒くなった。 怖かった。そう。キアラは怖かった。ドュトルエル王国は破滅して往くのを見るのを、ニーナが不幸になって逝くのも。何も、見たくなかった。 だから何だかんだと理由を付けて、この時代に逃げて来た。ニーナとの約束を破って。 「私は、呪いの正体を、知りたくて。」 「なぁ、キアラ。」 キアラは無理矢理クロードに立たされる。 「戻れるのか?」 「え――?」 「行きは成功したけど、帰りは成功するのか?」 「――。」 成功すると云う確証は無い。 これはキアラへの罰なのか。ニーナを置き去りにしたキアラへの、罰なのか。 「はは、ははは。」 キアラは力無く笑う。 「そうだよね。戻れるなんて、そんな事、分からないよね。」 キアラはクロードの胸倉を掴む。 「だったら、シルヴェール様を殺したら、最初から、ニーナは幸せ?」 ふと、兄と戦うと言ったローズの顔が過ぎった。そうしたら、ニーナもベルナールと――。 「俺は知らない。」 本当に呪いなんてあるのか。そもそも、この時代が元凶なのか。 「ただ――。俺達が此処にいれば、それは防げたと思う。」 「可笑しいよ。ローズも、シルヴェールと一緒にいたいだけなら、此処にいれば良いのに。」 ローズもキアラに嘘を吐いている。そして、シルヴェールと一緒にいたい、と云うのは表向きに過ぎないに違いない。 と、またクロードはキアラの手を引っ張って歩き始める。 そして、キアラとローズに与えられた部屋の反対側に押し込まれた。 「ローズはベランジェに復讐したいだけなんだ。」 「……。」 やっぱり。所詮、愛なんて綺麗事。 「だから、帰らせないように、協力してくれるか?」 「えぇ。」 キアラの答えは決まっている。 「帰れないかもしれないのなら、防いでみせる。」 でもやっぱり、その為にも――。 力が欲しい。力が、欲しい。 感じの悪い、ナジェージュダの夕食の汲事を受け、キアラは嫌な気分になりながらも夕食を終えた。 ローズもテオドールもシルヴェールも不気味なくらいキアラに何も言わなくて。いつも通りで。逆に罪悪感を覚える。 キアラが立ち上がると、ローズは首を捻った。 「キアラ、どうしたの?」 「ちょっと散歩に。」 「キアラは散歩が好きだなぁ。」 テオドールの厭味が指す所は分からない。 「ヴェルディー帝国の食事が余りにも美味しいから、太らない為の予防策。」 「だからキアラは俎なんだ。胸なんて、肉を付ければ自然と現れる物なのに。」 「ローズみたいにそれが胸にばかり行く人なら良いですけど。」 「そうだな。ぺたんこなのにぶくぶく太ってたら気持ち悪いもんな。」 「……。」 でもキアラはそれを相手にしなかった。キアラには目的があったから。 テオドールと、最後のクロードの言葉を冷静に無視してキアラは部屋を出る。 力が欲しい。その為に必要な事は、知識を増やす事とそれを試す場数を踏む事。 シルヴェールに問うてもきっと、重要な答えは帰って来ない。だから。 キアラは廊下を突き進む。 「済みません。」 「はい?」 声を掛けたのは同じくらいかやや上の年の少女。 やや緑を帯びた金髪に、緑が勝っている青緑の髪。これだけ高貴な色彩に包まれているのに、彼女からは何の威圧も感じられない。 しかし厚手の青緑のローブに綺麗な百合の花が彫られた金のバッチが、『世界の魔術師二十四選』で見た衣装と同じだった為に彼女が魔法使いだと分かった。 彼女が得意とするのは水だろうか。何と無く、そう思ってしまう。 「女王陛下が何処にいるかご存知ですか?」 「あぁ。陛下なら今、執務室でお見掛けしましたよ。」 「ありがとうございます。」 しかし――。他者を排除したがるヴェルディー帝国の人なのに、何でこんなに友好的に、しかも何の疑いも無く答えてくれるんだろう。 少しの不安は抱いたが、キアラは深く考えないようにした。人の親切を疑ったら人間として駄目になってしまう。 ところで、執務室とは何処だろう。 しかし彼女が見掛けたと言い、向こうから歩いて来た筈だから向こうにある筈だ。 また歩いて行くと、今度は女官を見付ける。 「済みません。」 「――。」 すると今度はさっきとは打って変わっての不審そうな態度。睨み付けられてしまう。 「何でしょうか?」 「執務室は何処でしょうか?」 「――。」 嫌そうな顔はしない。しかし、空気が嫌だと言っていた。 「次の角を右へ曲がり、三つ目の角を左へ曲がった左側の七番目の部屋が執務室です。」 「ありがとうございます。」 例だけ言うと、キアラはまた歩き始めた。あの女官だって、ナジェージュダよりはましだ。 次の角を右で、それから――。 こんな時に魔術を覚えるのに鍛えた記憶力に感謝する。短いとは云え、人の記憶はすぐに曖昧になる。 長い。角と角の間の距離が、長い。エドゥアルド王国のものと比べると、遥かに。裕に二倍は必ずある。 転移出来れば良いのだが、全く知らないし、知る人もいないのに無理な話だ。 シルヴェールならば出来るだろうに。今は無意味な事を考えながら、キアラは進む。 客人が滞在しているのを知らないのか、不審な目でキアラを見る行き交う人々。 。否、知っているに決まっている。何もして来ないし、何も言わないのだから。 気分が悪くてついつい足が速まる。これではキアラが悪い事でもしているみたいだ。 そして、執務室だと言われた部屋に着いた時、キアラは唖然とした。 護衛が、一人として扉の外に控えていない。 もう去ってしまった後なのだろうか。 キアラは一抹の不安を覚えながらも、扉をノックする。 「どうぞ。」 返って来た透き通り凜とした声は、紛れも無いアレクセイのもの。 「失礼します。」 キアラが中に入ると、資料の山に囲まれているアレクセイの顔が、少しだけ緩まった気がした。 「何の用ですか?」 「魔法について勉強したいんです。」 「……。」 アレクセイはその白く滑らかな指を細い顎に当てる。陰った紫の瞳が切なさを醸し出していた。 キアラは何も考えずにただアレクセイを見詰める。 「何故ですか?」 不意に紫の瞳が上がり、真っ直ぐにキアラを捉えた。 「力が欲しいんです。」 下らない理由だと、アレクセイは一蹴するだろうか。 アレクセイは動かない。アレクセイも、ただキアラを見詰めている。 「貴方がそれを己の為だけに使うのであれば協力出来ません。」 「確かに――。それは自分の為です。」 それは全てキアラのエゴ。キアラの我儘。 「でも、守りたい人がいるんです。」 「誰を?」 「大切な人です。」 「……。」 アレクセイは立ち上がった。キアラを見捨てて、何処かへ行くのか。 紙とペンを取り出して何かを書く。言葉は彼女が統一していても、言葉は分からない。 そしてその紙をアレクセイはキアラに差し出した。 「これを皇立図書館の司書に持って行けば、貸し出しカードを作ってくれるでしょう。」 「……良いんですか?」 つい言葉に出して言っていた。 「後悔するかもしれませんよ?」 一国の、しかもヴェルディー帝国の氷の女王が直ぐにキアラを信じてくれるなんて俄かに信じ難い。 だが、アレクセイは、笑った。氷のように冷たくなく、初雪のような柔らかな笑みで。 「そうだとしても私の見る目が無かっただけの事。私は決して後悔しません。」 「……。」 キアラは唖然とした。何と、素晴らしい。 この思い切りの良さに心の広さ。言葉では言えない種類の清々しさ。 「貴方とは――、良い友達になりたいわ。」 「私も、そう思います。」 キアラは握手を求めようと手を伸ばして反射的に引っ込めた。そうだ、ヴェルディー帝国でそれは失礼に当たる。 しかしアレクセイはキアラに手を伸ばした。そして、キアラの手を握る。 冷たい。しかしそれは決して不快ではなかった。 「宜しくお願いします。」 どうしてこんなに美しく紫に煌めくのだろう。 「此方こそ宜しくお願いします。」 温かい。手は冷たかったのに心は温かかった。 「私はとても嬉しいです。」 「私も、やっと出会えた気がします。」 それから暫くは言葉も無かった。 神秘的な古代紫の瞳、月の光のような白銀の髪。陶磁器のように滑らかな肌。 どちらからでもなく手が離れる。 「お忙しい所、お時間を取らせて申し訳ございませんでした。」 「構いません。」 素っ気無い返事だが、それには温かさを感じた。 そしてキアラは紙を受け取る。 「失礼します。」 「また、ゆっくりとお話したいですね。」 キアラは外に出た。すると、あの男が立っていた。 暗い目だ。黒いのに、紅を感じる。 「図に乗るな。」 一気に全身の熱が顔に上がった。 頭が真っ白に近くなる。見下げると、真っ白な拳が出来ていた。 抑え切れなくなってキアラは掴み掛かろうとする。が、もう彼はいなかった。 悔しい。どうして、キアラがそんな事を言われなければならない。 まだ顔を見た事しかないのに。キアラが一体何をした。 「キアラ――?」 暗い髪に暗い瞳。キアラの心の師匠。 「シルヴェール様――。」 余程キアラは酷い顔をしていたのだろうか。 シルヴェールのその細い指がキアラに伸びた。 「そんな顔をしないでくれ。」 シルヴェールの指がキアラの頬をなぞる。冷たい。 「お前にそんな顔をされると――」 「シルヴェール様。」 キアラはシルヴェールの言葉を遮った。 「ずっと此処にいましょうよ。」 「それは出来ない。」 シルヴェールは直ぐ様断言した。 「どうしてですか?」 「――場所を変えよう。」 キアラは頷いた。そうだ、こんな話は此処でする話ではない。 此処は執務室の前。 アレクセイは良い人だが、プライベートな話は聞かれたくないものだ。 シルヴェールは歩き出す。その歩調でキアラも歩き出した。 「部屋に、戻りますか?」 「いや。」 シルヴェールは首を振った。 「ローズには聞かれたくない。」 「……。」 知れば知る程、二人の関係は奇妙だ。そして考えれば考える程、二人の関係は分からない。 キアラは黙っていた。今は何も話すべきではない、と考えたから。 半歩下がってシルヴェールの後を付いて歩いている訳だが、キアラは羨ましく思った。 キアラより白く滑らかな肌。細いウェスト。女性のような美しい顔立ち。 ローズやアレクセイのように決して派手ではない。寧ろ地味な方だ。 三人で並べば間違いなく見劣りしてしまう。しかしシルヴェールの神秘性は一対一では大き過ぎる。 男性に言うのは可笑しいかもしれない。しかしシルヴェールは本当に綺麗だった。 ふと、キアラの頭を掠める。 あの時、確かにシルヴェールの瞳は紫色だった。アレクセイのものよりもくすんでいて、青に近い。 キアラは必死にその時の状況を整理する。 あの時はヴェルディー帝国に着いて直ぐだった。そしてシルヴェールは力を使い果たして気絶して――。 |