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四章 氷の女王


 キアラは立ち止まった。シルヴェールは気付いていない。
 必死にキアラは記憶を呼び起こそうとする――。
 シルヴェールより百年程後の人物、ダミア=カローは溢れんばかりもの魔力を持ちながら、術の制御が下手だった。それはやがて愛する者をも傷付けてしまう――。
 己の手で愛する者を傷付けてしまったカローが使った手は、己の魔力を封じ込める事だった。
 長髪だった彼は髪に魔力を封じ込める事に成功し、それ依頼彼の髪の色は見事な金髪から黒髪に変わってしまったと言う。
 もしシルヴェールがその術を使っていたら。
 幾らシルヴェールが素晴らしい魔術師だからと言って全能な訳ではない。シルヴェールが足りなくなった魔力を封じ込めた魔力で補ったとしたら。
 キアラにはシルヴェールにはそれが可能なように思える。
 また聞く事が増えてしまった。
 キアラはいつの間にか離れてしまったシルヴェールとの距離を埋めるべく小走りで歩いた。
 そしてシルヴェールと肩を並べると歩く速度を落とす。
「どうかしたのか?」
「いえ。」
 これもまた、今話す事ではない。
 キアラには今、自分達が何処を進んでいるのか全く分からなかった。
 しかしシルヴェールが進んでいるのだから大丈夫だろう。
 それにいざとなったらキアラとシルヴェールは転移すれば良い。
 それにしてもこの城は拾い。良い加減、足も頭に反して休もうとしている。
 と、シルヴェールは立ち止まった。此処が何処だかはさっぱりだが長椅子が置いてある。
「此処は――?」
「魔塔と呼ばれているらしい。魔法使い達の住家だ。」
「へぇ。」
 果たしてこんな所に勝手に入って良いのだろうか。しかし、シルヴェールがそうしているので良しとしよう。
 さて。
「教えて頂けますか?」
「ローズが望まないからだ。」
 だから何だと言うのか。
「シルヴェール様、貴方は本当にローズの恋人なんですか?」
 キアラは苛立っていた。だから、言葉がキツくなってしまった。
「ローズが強姦された話は私も聞きました。だから恋人の振りをしているんですか?」
「その通りだ。」
 シルヴェールは苦しそうに胸を押さえて言った。
 やはり、愛なんて所詮そんなもの。
「だったら今直ぐ止めた方が良いです。」
 結果としてはどちらも傷付く事にしかならない。
「もう、遅いんだ。」
「何が、ですか?」
「私のせいなんだ――。」
 シルヴェールがその美しい顔を歪める。
「私が妙に優しくなんかしたせいでローズは壊れてしまった。だから私はローズの側にいて、償わなければならないんだ――。」
「馬鹿みたい。」
 キアラは呟いた。
「そんなの、意味無いじゃない。」
「私に無くてもローズには――」
「ありません。それならシルヴェール様の死体と一緒にいるようなものじゃないですか。」
「し、死体――!?」
「一緒にいるのに心が離れる程辛い事は無いと思います。」
「キアラは――。分かるのか?」
「えぇ。」
 キアラは断言した。
「私の母がそうでした。まぁ母の場合は開き直って出て行った訳なんですが。」
「……。キアラのお母さんは強いな。」
「いいえ。母は弱い人です。」
「……。」
「……。」
「――。」
 それから無言だった。キアラは言ったと思っていたしシルヴェールは何も言おうとしない。
 思い出すだけで母の記憶は腹立たしい。
 弱いお母さんを許して。ふざけるな。子供を出て行く覚悟をした時に、許されない覚悟もするべきだった。
 そしてキアラの姉も出て行くし。キアラも家族と行く事を拒んだ。
 ルーシュの女は、家とは無縁なのかもしれない。ならばそれはルイーズの業だろう。
 そんな事を思い描いても心が楽になる訳ではない。キアラは溜息を吐いた。
 キアラの家族はルイーズのせいではないのに。
 最低だ。
 キアラは両手で拳を作ってそれを額に当てる。
「――キアラ。」
「何ですか?」
「私も聞いて良いか?」
「どうぞ。」
 シルヴェールの瞳は、真っ直ぐだった。
「キアラの姫の話をしてくれないか?」
「どうしてですか?」
 それで同等にしようと云うのか。
「キアラの事がもっと知りたいんだ。」
「――。」
 キアラは目を見開いた。
 どうしてシルヴェールは平気でそんな事が言えるのか。
「――ニーナ姫は。とても可愛らしい方です。」
 胸が苦しくなった。ニーナ。
「一番年が近いのが私で、姉のように慕ってくれていました。」
 そんなニーナの信頼を、キアラは裏切った。
「本を読むのが大好きで、小さい頃はよく私に本を読むようせがんでいて。」
 キアラなりにも頑張って、ニーナを膝の上に乗せながら本を読んだ。
「ニーナ姫は貴方達の事が大好きでした。」
「――そうか。」
 そう答えたシルヴェールは何処か寂しそうだった。
「キアラはどうして命まで賭けて守ろうとしたんだ?」
「……。」
 傷が痛む。
 キアラは胸を掴んだ。大して膨らみも無い。
 でも、これはシルヴェールなら分かってくれる。誰が分からなくても、シルヴェールなら。
「私を――。こんか私を、ニーナは凄いって言ってくれたんです。」
 畏怖も蔑みも入っていない純真無垢の満面の笑み。
「家族だって気味悪がった私の魔力を、ニーナは凄いって――。」
 泣きたくないのに涙が溢れた。
 胸が痛む。過去の痛みと今の痛み。
 そんなニーナをキアラは置いて来てしまった。どうしても償えない。
 ふと、シルヴェールはキアラを抱き締めた。細い。
「キアラにはそんな人がいて、私は羨ましい――。」
「でも私は彼女を裏切ってしまった。」
 クロードに言われた言葉が突き刺さる。見捨てた、と。
 キアラとシルヴェールは固く抱き合った。お互いにしか分からない傷。
 温かいものが流れて来て、いつの間にか涙は止まっていた。
「キアラ。」
 シルヴェールがキアラの耳元で囁いた。
「クロードは正直な男だ。」
 キアラはシルヴェールが何を言わんとしているのか分からなかった。
「私に、初対面で不気味と言ったくらいだ。」
 やはりクロードは酷い男だ。
「だが清々しいくらい真実だ。だから、尾を引かない。」
「その心は?」
「自分で考えろ。」
 キアラは忍び笑いを漏らした。何と無く、可笑しかった。
 それにシルヴェールの笑い声も重なる。
 一瞬だった。しかし充実した時間。その後、キアラとシルヴェールは別れた。
「私もシルヴェール様の事が知りたいんです。」
 キアラは不釣り合いな笑みを浮かべた。
「どうして瞳に魔力を貯めているんですか?」
「――。今は言えない。」
 シルヴェールは首を振った。
「しかし、キアラになら――。いつか言えると思う。」
「狡いですね。でも私、帰るんですから早くして下さいよ?」
 キアラは笑った。
 シルヴェールも笑った。
「キアラ。」
「これが最後です。」
 キアラは自分の唇に人差し指を当てる。
「私の事は、様付けで呼ばないでくれるか?」
 シルヴェールは照れたように頬を掻いた。
「ローズやクロードやテオみたいに。一人だけ、疎外感があるんだ――。」
 キアラは大笑いした。お腹を抱える。
「それは済みませんでした!」
「わ、私は真剣なんだぞ?」
「ごめんなさい。同じ魔術師だからどうしても敬意を示したくて。」
 キアラは片目を開けてシルヴェールに呼び掛けた。
「許してね、シルヴィ。」
「し、シルヴィ!?」
「ローズと並ぶ絶世の美女と同じ愛称よ。」
 因みに彼女の本名はシルヴィアと言い、縮める意味があるのか微妙な名前だった。
「シルヴィは止めてくれ。」
「だって様付けで呼ぶなって言ったのはシルヴィでしょ?」
「キアラ!」
 シルヴェールは顔を真っ赤にしていた。キアラはそれを可愛い、と思ってしまう。
「シルヴィ。」
「キアラ!」
 キアラはシルヴェールに背を向けて走り出した。
 こんな一時を、キアラだけ楽しい思いをしているのはいけない事だろうか。
 しかしキアラにもやらなければならない事がある。
 そして、キアラがシルヴェールから逃げ切った時、迷ってしまっていたのはそれから二時間先な事である。



 キアラは肩を小さくしていた。
 シルヴェールから逃げて迷って助けられた相手がアレクセイだなんて。
「本当に済みません。」
「気にする必要はありません。」
 しかもあの男は一緒にいるし。
「しかしどうしてあのような所にいたのですか?」
「ふざけていたら迷ってしまいまして。」
「貴方は迷う事が趣味のようですね。」
 しかし不思議な事にそれには刺々しさが一切含まれていなかった。
「趣味じゃありません。」
 キアラは首を振った。
「この城が広いんです。」
「仕方ありません。この城を作るような命じた人物は大柄でしたから。」
 どれだけ大柄な人物なのか。キアラは辺りを見渡した。
 この城を丁度とする人物。
 キアラは身震いした。化け物であるまいし。
 それにしても、あの黒い男は何も喋らずに空気のようにアレクセイに付き従っている。
 彼の名前はヴィル。もうヴィルとして認識しなければならないだろう。
「キアラ、もう夕食は済ませましたか?」
「はい。」
 でも少しお腹が空いていたりする。
「でしたら、一緒にお茶をしませんか?」
「喜んで。」
 キアラは満面の笑みを浮かべた。
 アレクセイも微笑を浮かべると、ヴィルの方へ振り向く。
「ヴィル、お連れの方々にキアラをお借りすると伝えて下さい。」
「後でナジェージュダにそう伝えておきます。」
「今直ぐにです。」
 アレクセイは厳しい顔をしていた。
 渋々ながらも、ヴィルは顔を歪めてアレクセイを抜かす。
 ヴィルの背中が見えなくなると、アレクセイはぽつりと呟いた。
「あれは私に対して過保護です。」
「王として喜ぶべき事ではありませんか?」
「度が過ぎるから困るのです。」
 キアラへの暴言もそれの一環と云う事だろうか。それにしても許せない。
 ふと、キアラの頭に悪魔のような考えが浮かんだ。今此処で、ヴィルに言われた事をアレクセイにバラすのだ。
 しかしそれはキアラの望む事ではない。アレクセイからヴィルに何らかの制裁は下るだろうが、キアラは自分の手でやりたいのだ。
「私は結構バイオレンスな家庭に育ったので羨ましいですけど。」
 しかし本気でキアラを殺そうとしていたのは祖母とフリュベールだけ。
 姉とジョルジュは傍観を決め込んで、シャルロは助けようとしてくれたが結局敵わなかった。
「ばいおれんす?」
 アレクセイは聞き慣れない言葉に眉を顰める。
 そうだ、ドメスティックは最近の言葉で、この時代には存在していない。
「暴力的、と云う意味です。」
「それならヴィルも該当します。」
 アレクセイは悩ましげにその古代紫の瞳を陰らせた。
「暴力とまではいきませんが、いつもナジェージュダを腹立たせるような事ばかり言っているのです。」
「そうですか。」
 ナジェージュダ。嫌いな奴だが、少し可哀相な所もあるのかもしれない。
「えぇ。リュドミーラとはそれなりに上手くやっているみたいなのだけれど。」
 アレクセイは溜息を吐く。
 ナジェージュダも性格が悪いのが原因だろうか。
「いっその事ヴィルさんを旅に出したらどうですか?」
「そのような事をすれば彼は怒り狂うでしょう。」
 アレクセイは落胆した表情を見せた。
「そうですね。幾ら魔力があっても怖いですよね。」
 キアラは息を吐いた。
「ヴィルさんって人間ですか?」
 検討違いな問いを口にしているかもしれない。
 しかしあんなに直接的に殺気を遅れる者が人間として人間だと思いたくなかった。
 お陰で過去の記憶までが蘇って大変な思いをした。
「私でも半年掛かったのに――。」
 アレクセイは笑う。
「えぇ、彼は私の使い魔です。」
 良かった。
「そう言えばアレクセイ様が何頭も使い魔を使役しているって本当ですか?」
「えぇ、そうです。」
 アレクセイは扉に手を当てた。
「部屋に入ってから続きは話しましょう?」
 かわされたのか、はたまた他意は無いのか。
 失礼します、とキアラは中に入った。
 と、侍女のリュドミーラが香を焚いていた。
 キアラも驚いたが、リュドミーラの驚きも一塩。何をするべきか迷っている。
「リュドミーラ。」
 と、アレクセイも中に入ってキアラは安心した様子を見せた。
「キアラをお茶をするので用意をして下さい。エドュルアルド式で。」
 そんな気を使う必要も無いのに。けれどキアラはその心遣いが嬉しかった。
「ありがとうございます。」
「礼を言われる程の事ではありせん。」
 アレクセイはキアラに座るようパステルオレンジのソファに向かって手を差し出した。
 柔らかい。
 キアラが座るとアレクセイも座る。
「そんなに使い魔ってどうやったら使役出来るんですか?」
 それ以前にどうしたら使い魔が使役出来るのか聞きたい。
「……。ヴィルが――。彼に殺されそうになった魔物が助けを求めて来るので傘下に入る事を条件に保護してやるのです。」
「あの、機嫌を損ねられるかも一つ良いですか?」
「どうぞ。」
「最低ですね。」
 最低と云う言葉だけでは表す事が出来ないくらい最低だ。
 と、アレクセイが深い溜息を吐いた。
「私もあれにはほとほと手を焼いているのですか、中々。言い聞かせようとしても彼に聞く気が無いものですから。」
「だったら契約解除したら何如です?」
「それも出来ないのです。」
「そうですかぁ。私だったら後ろから不意打ちして丸焼きにするんですけど。」
「……。」
 アレクセイは人差し指を丸め、顎に当てた。
「それは良い考えですね。」
「陛下の場合、氷漬けにしちゃって。」
「残念ですが、私の氷はヴィルの相性が悪いのです。」
「私も何かレフとは相性悪いんですよね。」
 キアラが最も得意とする炎は効かないし。
「いえ。そうだとしてもレフは貴方を認めています。」
「あの人、何者なんですか?」
 炎の件は勿論、あんな乱暴者なのに女王の傍にいるしリュドミーラが迎えに来る。
「私の従兄妹であると云う事以外は私にも確証を持って言える事はありません。」
「ちょっと待って!」
 キアラは立ち上がった。
「あれが王族!?それに彼、ソーンツェフって名乗ったわよ?ヴェルディー帝国の王族には苗字が無いんじゃないの!?」
「それは直系だけです。」
 それはぞっとする程冷たい声だった。
「ソーンツェフとは太陽を指す言葉です。大帝の血を引く者にのみ、その名を名乗る事が許されます。」
「……。ごめんなさい、口が過ぎました。」
「いいえ。」
 ふわりとアレクセイは笑う。
「私も話し相手が出来て嬉しいですから。」
「話し相手なら、シルヴェールもどうです?同じ魔術――、じゃなかった、魔法使いですよ?」
「そうですね。」
 そうは言ったもののアレクセイは困ったような顔をする。
「しかし私と近いものを感じるのです。」
「そうですか――。それは残念です。」
 と、アレクセイは言葉を紡がなかった。
 奇妙な沈黙が訪れる。
 それが嫌でキアラは何か喋ろうとしたが言葉が見付からない。
 誰かにこの沈黙を破ってほしい。
 キアラは考えるのを止めて、ただ祈っていた。リュドミーラが帰って来るのを。
 と、誰かが扉を叩く。
「どうぞ。」
「失礼します。」
 現れたのはリュドミーラではなく、ナジェージュダだった。
 持っているトレイにはティーカップとティーポット、それからクッキーが入っていた。
「リュドミーラはどうしましたか?」
 アレクセイは訝し気に問う。
「はい、リュドミーラはまたレフが酒場で問題を起こしているようなので止めに行きました。」
 アレクセイは人目も憚らず頭を抱えた。余程レフは問題児らしい。
 そう言えば、初めて会った時も喧嘩をしていた。
「リュドミーラとレフが帰って来たら、此処へ来るように言って下さい。」
「はい。」
「そしてそれ以外ではあまり此処に近付かないようにしてください。」
「どうしてですか?」
 ナジェージュダの右眉が跳ね上がった。
「キアラとゆっくりと話がしたいからです。」
 ナジェージュダは不服そうな顔をしていた。しかし、ナジェージュダは侍女。
 テーブルにトレイの物を移すと、一歩下がって礼をした。