|
四章 氷の女王 「畏まりました。」 「ありがとう。」 ナジェージュダは踵を返す。その時には嬉しそうな顔をしていたのは何故だろう。 完全にナジェージュダが視界から消えると、キアラは紅茶を注いだ。エドュルアルド王国でしていたのとは多少違うが、国が違うのだから仕方無いだろう。 「ありがとうございます。」 「どういたしまして。」 アレクセイはカップに口を付ける。カップからは湯気が立っていた。 「陛下も大変ですね。従兄妹の面倒も見なければならないなんて。」 「仕方ありません。周囲の反対を押し切って最高司令官に任命したのは私なのですから。」 「何を血迷ったんですか。」 「彼程戦術に長けている者はこのヴェルディー帝国にはおりませんから。」 つい本音が飛び出たが――。アレクセイは、優しい人なのかもしれない。 「でもレフは、戦い方を見るにからに荒っぽいと思うんですけど。」 「それを私が御するのです。」 レフは暴れ馬、と云う事か。 ついキアラは想像してしまった。赤い馬を乗りこなす、アレクセイの姿を。 急に笑いが込み上げてきてキアラは賢明にそれを隠そうとする。 「何が可笑しいのです?」 少々腹立たしそうにアレクセイが言う。 「いえ、つい暴れ馬になったレフを想像してしまいまして。」 「違いはありません。」 アレクセイはカップに口を付けた。 キアラはクッキーを口に運ぶ。 「それにしても、どうしてヴェルディー帝国にだけ魔物が出るんでしょうね。」 「他の地域の魔物が滅んだ訳ではなく、この地に集まって来ているのです。」 アレクセイは溜息を吐いた。 「まるで、何かに魅き寄せられているとしか――。」 アレクセイはもう一度、大きな溜息を吐いた。 「私も暇な訳ではありませんし、調べようとしても調べられませんし。」 「出来る限りですが私が調べましょうか?」 キアラはもう一枚クッキーを放り込む。 「暇な時間も沢山ありそうですし。」 アレクセイは大きく目を見開く。紫の瞳が揺れていた。 そんなに驚かれても。キアラは頭を掻く。 「良いのですか?」 「勿論。」 「……。お願い致します。」 「代わりにと言っては何なんですが。」 キアラは咳払いをした。 「レフを貸して下さい。」 アレクセイはカップを置いて、姿を正した。厳しい目をしている。 「仕事に差し支えると云うのなら構いません。ただ、彼に興味があるんです。」 アレクセイは微動だにしない。しかし、裏を反せばそれはまだ答えが出ていないと云う事。 「しかし酒場等で問題を起こす暇があれば、私に貸して頂いても構わないかと思います。」 「確かにそうですね。」 アレクセイはその細く艶やかな髪を指でなぞった。 「分かりました。しかし、直ぐに連絡が取れるように交換をしませんか?」 交換。 キアラはその言葉を口に出さずに様々な魔術を頭に浮かべる。しかし該当するような魔術は一つとして現れない。 「私の言い方が悪かったようですね。鏡に魔力を覚え込ませれば、いつでもその鏡を媒体に話す事が出来るのです。」 キアラは目を見張った。アレクセイは今、何と。 「そんな便利な魔法がヴェルディー帝国にはあるんですか。是非教えて下さい。」 「エドュルアルド王国には無いのですか。分かりました。」 そう言ってアレクセイは立ち上がった。 キアラはアレクセイを目で追う。 至ってシンプルな、腰を絞っているだけの濃紺のドレス。アレクセイは瞳に青が含まれているからかよく似合う。キアラは濃紺のドレスを着ようとしたら散々な目に遇った事があった。 私的な応接室の役割を果たしているのか、此処にはソファとテーブルとインテリアのようなグランドピアノしか無い。 アレクセイは茶色い扉で隔てたもっと奥の部屋に行く。 この部屋の構造は二重構造か三重構造か。ヴェルディー帝国の知識に乏しいキアラには難しい問題だった。 ふと、キアラはグランドピアノを見遣った。 幼い頃、キアラも貴族の教養だとか何とかでピアノを習っていた事がある。キアラの場合一ヶ月も続かなかったが。 それに反して、姉はほぼ一日ピアノの前に向かっていた。そう云えば、駆け落ちした相手は音楽家らしい。 黒くない茶色のピアノ。届く筈も無いピアノのキアラは手を伸ばす。 「お待たせ致しました。」 キアラは反射的に手を引っ込めた。 アレクセイが元の場所に座る。 そして、アレクセイはテーブルに銀色の手鏡を置いた。鏡の縁には薔薇の装飾がしてある。 「触ってみて下さい。」 キアラは縁ではなく、鏡に触れた。 途端に指先から電撃のようなものが走る。魔力だ。 「攻撃的な魔力ですね。」 キアラは額の冷や汗を拭いながら言う。 「ヴィルの魔力ですから。」 アレクセイは少々疲れたように言った。 「この鏡と貴方の鏡に貴方の魔力を注げば、私の鏡と貴方の鏡はいつでも繋がっています。」 しかしそれには大きな問題点がある。キアラは腕を組んだ。 「実は――」 「だから何で俺があの女の指図を受けなきゃならないんだ!」 「あの女じゃなくて陛下よ!」 「あの女はあの女だ!ただ今あの女が玉座に座ってるだけだろ!」 「ふざけんじゃないわよ!アンタみたいなド阿呆の野蛮人が分かったように言うんじゃない!」 「はァ!?分かったような口効いてんのは手前だろうがッ!手前にあの女の何が分かるんだ!」 「良い所がね!」 「それが間違いだよ!」 耳に飛び込んで来た怒号。思わず頬が引き攣る。 キアラの記憶力が正しければ、この声はレフとリュドミーラのもの。 と、アレクセイが瞳を凍らせて立ち上がり、勢い良く扉を開け放った。 「客人の前で何たる醜態の曝しようですか!?」 アレクセイが一喝すると、二人は静かになった。 「も、申し訳ありません!」 頭を垂れて非礼を詫びるリュドミーラと、腕組みをしてアレクセイを睨み付けているレフ。 「入りなさい。」 負けじとかアレクセイもレフを睨み付けている。 「嫌だな。」 「貴方の大好きなキアラがいますよ。」 と、部屋に駆け込んで来たレフ。アレクセイが扉を閉める。 本当に、動物のようだ。 「まだ決着が着いてないなぁ?」 獣染みた笑みを浮かべ、剣を抜き放ちながらレフはキアラに近付いて来る。 キアラは紅茶を口に含んだ。 「こんな夜中に、しかも女王陛下の部屋で決闘を申し込むような人とは戦いたく無いわ。」 「――。いつにする?」 レフは剣を引っ込める。この辺りは話が分かるようだ。 「そうねぇ。」 キアラはわざと考え込むようなふりをする。 そう言っただけでレフは苛立った表情を見せた。 「明日は用事があるしぃ。」 クロードにでもたかって鏡を買って貰うとか。 「明後日は調べ物があるしぃ。」 魔法についての徹底調査だ。 「明々後日は――。明々後日はどう?」 調べた魔法についての実践。 「あぁ。時間と場所は?」 「魔物が出るかもしれないから行き当たりばったりで。」 「逃げるなよ。」 「そっちこそ。」 レフはそのまま、去ろうとした、が、足元が凍り付く。 「アレクセイ!」 「貴方には言っておかなければならない事が沢山あります。」 アレクセイは無表情のまま言った。 レフは睨み付けたが、アレクセイが動じる様子は無い。 このままいたらお邪魔虫、と言うより空気が全く読めていない事になってしまう。 キアラはカップの紅茶を飲み干すと立ち上がった。 「それでは私は失礼します。」 「申し訳ありません。」 「いいえ。それでは。」 キアラは部屋を出る。と、リュドミーラがいた。 「お部屋まで案内致しましょうか?」 「お願いします。」 と、アレクセイの部屋から冷気が漂って来た。 目覚めるとまだ辺りは暗かった。 ヴェルディー帝国は日が短いので、多分もう城の者達は活動を始めているだろう。 隣りの部屋のベッドではローズが穏やかな寝息を立てている。 ローズが一人では不安だと云う理由で部屋を繋ぐ扉を開け放って寝ているのだ。 それにしても寒い。キアラの頭は起きようとするのだが身体がこの温かい毛布から出ようとしない。 頭は身体に言い聞かせる。ローズに着替えを見られても良いのか、と。 すると身体は素直に頭の言う事を聞いてくれた。 城で与えられる服は皆普段着用だがびらびらしたドレス。キアラが今まで着ていた臍出しルックは着れる訳無い。 しかしキアラは元よりパンツスタイルかミニスカートが好きだし魔物と戦わなければならない状態でドレスは嫌である。 によって一昨日と昨日はドレスで我慢した。 キアラはそっとクローゼットを開けた。男物の服が入っている。コンスタンチンの着ていたような服の細身のものだ。 踝に届くくらい長いパンツに太い毛で出来たセーター。そして外套までが着いていた。 それは着てみるとキアラにぴったりで悲しい事によく似合う。 やはりキアラはパンツスタイルが好きだ。 「キアラ――?」 ローズが寝ぼけたような声を出す。 「おはようございます。」 寝乱れていてもそれはそれで妖艶なローズは笑みを浮かべた。 「おはよう。キアラ、とっても似合っていますよ。」 「ありがとうございます。今日は何を着ますか?」 驚いた事に、当然と言えば当然だがローズは一人でドレスを着る事が出来ないのでキアラが手伝わなければならない。 「そうね。選んでおくから顔を洗って来て。」 「分かりました。」 丁度顔が洗いたいと思っていた所。 ローズの分も持って来る為にキアラは桶を持って井戸へ向かう。 毎朝凍っている表面の氷を石を投げ入れて割るのがヴェルディー帝国の習わしらしい。その為に縄に石を括っているのだから面白いと以外は中々言えない。 水を汲むと先ず桶を満たす。それからキアラは自分の顔を洗った。 冷たい。 過去に飛んでからは洗顔剤を使わずに顔を洗っている。しかし何と無く肌の調子が良いような気がした。 桶を持ち上げてキアラは部屋に帰る。 今日は一体どんな服を着たいとローズは言うのだろう。 「あ。」 キアラが部屋に帰ろうとすると向かいからテオドールが歩いて来た。 テオドールもキアラに気付いたのか、歩く速度を速める。 「おはよう。」 「おはよう。キアラ、その服似合ってるね。」 「ありがとう。」 テオドールの賛辞にキアラは思い切りの笑顔で返した。 「ローズが昨日、中々キアラが帰って来ないって言ってたけど何してたの?」 散歩にしては長過ぎるだろう、と言いながらテオドールは欠伸をする。 「陛下とお茶してたの。」 「気に入られてるね。」 「有意義な時間だったわ。」 キアラはアレクセイに貰った図書館への紹介状を思い出した。 「そうだ。」 そう言ってテオドールは頭を掻く。 「今日、町まで買い物に行こうと思うんだけど、一緒にどう?」 キアラは驚いた。買い物するには先立つ物が必要である。 「何処で盗んで来たの?」 「――。俺さ、あの酒場で働いているんだけど。」 ならば。 にやりとキアラは笑った。鏡を買ってもらおう。 「付き合ってあげるけど何か買って。」 「良いよ。」 こんなにあっさりとは、拍子抜けだ。 「朝食食べたら行こう。」 キアラは踵を返す。テオドールはキアラと並んで歩き始めた。 まさかキアラに会いに此処まで来たとは思えない。 「行かなくて良いの?」 「キアラの持っている桶の水で洗わせてもらうよ。」 「ローズの後ね。」 「分かっているよ。」 そう言ってテオドールは両手を上げた。 桶の中で水がちゃぷりと跳ねる。 しかしテオドールはこんなか弱い少女が重い物を持っていると云うのに気にならないのだろうか。 「シルヴェールとクロードはまだ寝てるの?」 と、テオドールの表情が固まった。ついでに両足も。 二人にもしかしたら何かがあったのか。 キアラは半ば睨み付けるようにテオドールを見る。 「テオ?」 「……。今、シルヴェールって言った?」 「言ったけど?」 「それ、元のに直した方が良いよ。」 「シルヴェールがそう言ったんだから直したら失礼でしょ?」 「俺は忠告した。」 そう言うとテオドールは足速にキアラから離れて行った。 足の長さが違うので水を零さずに追い掛けるのも面倒である。言っておくが足の前に慎重が違うのだ。 それにしても変なテオドールだ。 部屋に着くとノックもせずに足で扉を開けた。 「お水持って来ましたよ。」 「ありがとう。」 キアラは床に桶を置いた。 ローズのベッドには深い桃色のドレスが置いてある。それに決めたか。 再び桶を持ち上げてローズの部屋のテーブルに置くと、ローズは顔を洗い始めた。 洗面所からタオルを持って来てローズに手渡す。ローズは顔を拭いた。 それから着替え。 着替えが終わると桶を持ってテオドールの部屋へ行く。 扉の前でキアラは思い切り扉を蹴る。 「テオ!水!」 するとテオドールが扉を開けた。 「入って。」 「手前が持って入りやがれ。」 しかしテオドールは扉を開けたまま部屋の中へ戻る。キアラは渋々桶を持って中へ入った。 と、クロードがいる。 「どうしたの?」 「今さ、作戦会議してるからキアラも入れてあげようと思って。」 テオドールが部屋の扉を閉める。 クロードがキアラの手から桶を取って顔を洗った。するとテーブルに置く。 「何の?」 「国に帰らせない為の。」 今度はテオドールが顔を洗った。 「エドュルアルド王国は今俺達が思っているより大変な事態みたいでね。今帰ったらローズだけでなく庶民の俺も処分される。」 「そっか。クロードとシルヴェールは貴族だもんね。」 そんな記述残ってないが。 「なぁ、キアラ。」 久々にクロードは真剣な顔付きをしていた。 「俺達はどうなるってお前の時代ではなってんだ?」 「――。二度逃亡して二度共連れ戻されてローズは他国の王子と結婚。他の三人の生死は分からず。」 「――そうか。俺達、死んでるんだろうな。」 「クロードがそんな事言うと不気味なんですけど。」 キアラは無理に笑った。 そうしていないとこの一番近い現実を笑えそうになかったから。 「要するにエドュルアルド王国に帰らなければ良いって事でしょ?」 「簡単に言うな。俺達はローズの意思に逆らえない。」 「どうして?」 「どうしても、だ。」 何だ、それは。キアラは腹が立った。 この腹立たしさを紛らわせる為に、キアラはクロードの頬を引っ張る。 「ローズが可哀相だから?」 「それもある。」 「ねぇ、ちゃんと答えて?」 「家臣が主君の意に従うのは当然だろう?」 キアラにはそれも違うように思えた。 「だったら私が言う。」 「キアラ。」 テオドールがキアラを張る。 「私、家臣じゃないし。」 「止めておいた方が身の為だ。」 さっきからテオドールは。 「私の事なんてどうでも良いの!」 キアラは声を張り上げた。 「覚えておいて。貴方達が貴方達の姫を大切にしているように、私にだって守りたいものがある。家族だろうが国だろうが 過去だろうがその人が幸せになる為なら何だって良い。私の命も簡単に差し出せるわ。」 テオドールは、深く、溜息を吐いた。 「キアラにはそう思える相手がいて羨ましいよ。」 「なら、ローズは?」 ローズはクロードやテオドールやシルヴェールにとって大切な相手ではないのか。 キアラは自分の胸に手を当てながらテオドールに訴える。 「確かに俺達はローズが大切だ。けれどキアラみたいな盲信的なものじゃない。」 頭に来た。 「キアラと言いシルヴェールと言い。どうして魔術師はそんなに一生懸命になれるんだ。」 「……。たった一人で良いからよ。」 一人で良い。 クロードとテオドールには伝わっただろうか。二人共、同じような格好で手を組んでいた。 「取り敢えず、ローズを此処に引き止める術を考えよう。」 「――なぁ。」 クロードが口を開いた。 「先にベランジェを殺してしまったら?」 「そうしたらローズが即位するしか無くなる。」 「まだカミーユやファブリスが残っているだろ?」 そうか、クロードとテオドールはまだカミーユが死んでいる事を知らないのか。 ならば教えなければならないのに、何だか気拙い。 |