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四章 氷の女王


「王妃は死んだし、誰もカミーユ即位に反対を唱える者はいないだろう?」
「――此処で重大発表があるのですが。」
 クロードはその鋭い目付きをそのままに首を傾げた。
「カミーユは死んでいます。」
「はァ!?」
「ルーシュ家がその隠蔽工作を行っているんですよね。」
 我が祖先ながら嫌になる。
「……。」
「……。」
「……。」
「俺の資料に一から訂正が必要じゃないか!」
 急にテオドールがテーブルを叩き付けた。桶の水が大きく揺れて零れる。
「落ち着け。」
「落ち着てられるか!あの酒場で無理矢理愛想振り撒きながら情報を集めたのにカミーユが死んでいるだって!?」
「テオが愛想振り撒いてる所、見てみたいわ。」
「そうだ。どうせ不気味な作り笑いだろう。」
「不気味だろうが何だろうが今まで使っていない筋肉を動かすのがどんなに大変か分かってるのか!?あァ!?」
「分かった分かった。頼むから静かにしてくれ。」
「お前はどの神経で落ち着けとか言ってんだ!手前尻の穴から手ェ突っ込んで――!」
「奥歯ガタガタ言わせてみようか?」
 キアラは右手に手袋を嵌めた。
「楽しみぃ。本当に出来るか、世紀の実験だね。」
 ずぃとキアラはテオドールに詰め寄る。
「だから、テオドール?頑張ってね。」
「――とにかく、俺が言いたい事はどうしてカミーユは死んでいる。どうしてキアラがそれを知っていて黙っていたんだ。」
 知っていたのはキアラだけでなくてシルヴェールもだ。
 そんな風にキアラを責めて話題の転換を計る気か。ならばキアラも乗ってやろう。
「ルイーズにお誘い受けたの。それにシルヴェールも知っていたわ。」
「――。本当にキアラの祖先はろくな事をしていないなぁ。」
「まともなのは私くらいよ。」
「――。」
「魔術師の中ではな。」
 クロードのその言い方が釈に触ったがキアラは何も言わなかった。
「カミーユが死んだ事も入れてまた資料を作り直すよ。」
「じゃあ今日は解散ね。」
「また明日。」
「――一日で良いの?」
「俺を嘗めるな。」
 テオドールの瞳が一瞬光ったように思えた。
 キアラは桶を置いたまま部屋を出た。片付けくらいは自分でやって欲しい。
 部屋に帰ると、ナジェージュダが朝食を並べていた。此処はキアラも大人になろう。
「ありがとうございます。」
 ナジェージュダはキアラは一瞥した。
 前よりもその紺碧の瞳に憎しみが増しているように思うのは気のせいではないだろう。
 そして、ナジェージュダは分かるか分からないか程度に頭を下げただけだった。
 その態度にキアラの頬は引き攣る。
 言いたい事があればあっきり言えば良いのに。
 ナジェージュダに掴み掛かる映像がキアラの頭に流れる。
 いつの間にか握っていた拳を解いて、キアラは部屋に入った。
 帰ってみればベッドのシーツは新しいものになっていて、扉も閉まっていた。
 仕事は果たしているのだが、あの態度はどうにかならないのか。キアラは凭れるように椅子に座った。
 考えなければいけない事やしなければならない事が山積みだ。せめて、ご飯を食べる間だけは幸せな気分でいたい。
 と、何処かでノックの音が聞こえる。ナジェージュダが朝食の準備が出来た事を伝える為にノックしているのだろう。
 キアラはあのナジェージュダの顔を思い出した。
 嫌な気分になるくらいならば自分から出て行こう。
 キアラは座ったばかりの椅子から立ち上がって扉を開けた。と、同じように出て来たローズと目が合う。
「奇遇ですね。」
 本当は、違う。
「本当ですね。もう朝食ですか?」
 と、ナジェージュダの姿は消えていた。
「えぇ。座って皆を待ちましょう。」
 ローズはソファーに座る。わざわざ間を開けて座るのも厭味なので、キアラはローズの隣りに座った。
「ねぇ、キアラ?」
「何ですか?」
「この間教えてもらった白魔術と黒魔術の違いについて質問があるのだけれど――。」
「何処か解りに難い所がありましたか?」
 ローズが口を開きかけると扉が開く音がした。その瞬間、ローズは顔を輝かせる。
「シルヴェール!」
 シルヴェールを先頭に、テオドール、クロードと入って来た。シルヴェールはローズの隣りに腰掛ける。
「おはよう。」
「おはようございます。」
「おはよう。」
「おはよう。」
「おはよう。」
 そう云えば、クロードやテオドールとも朝の挨拶を交わしていなかったか。
「ローズ、昨日はよく眠れたか?」
「えぇ。」
 ローズは微かに頬を染めながら言う。と、ローズは口に手を重ねて当てた。
「そうだわ!」
 そしてシルヴェールからキアラに向き直る。
 それと同時にクロードがローズの隣りに、テオドールがキアラの隣りに座った。
「昨日は何処に行っていたの?」
 少しだが含まれている責めるような口調。
 困ってしまってキアラは頭を掻く。
「女王陛下とお話していたんです。」
「今度遅くなる時は連絡頂戴ね。」
「努力します。」
「そんな事より早く食おうぜ。」
 そう。過ぎ去った事より今の食事。悔しいがキアラも同意だ。
「食べましょ食べましょ。」
 そう言ってキアラは積んであった皿を取り分ける。
 今日の朝食は果物と牛乳――しかし牛とは限らない――のようだ。
 キアラは真っ先に苺に手を伸ばす。と、テオドールも苺を手に取った。
「――。」
 クロードは葡萄を手に取り、シルヴェールはローズの皿にパイナップルを載せる。
「苺ってさぁ――。」
 唐突にテオドールが口を開いた。
「キアラに似てるよね。」
 キアラは思わず、苺を取り落としてしまいそうになった。しかしそれより酷いのがクロード。口から牛乳を吹き零している。
「き、汚っ!」
 一応クロードにそうは言ったがキアラの声も震えていた。
「色が似ている。」
「わ、私のは髪とかもっとくすんでるし。」
 キアラの髪や瞳は苺のように鮮やかな赤と緑ではない。
「種類によってはあるかもしれないだろ?」
 と、ローズの鈴を転がすような笑い声が聞こえた。
「テオ、キアラはクロードのものだから口説いても駄目ですよ。」
「いや、俺も人妻との禁断愛はちょっと――。」
「お前酔ってんのか!」
 ついにキアラは、テオドールが隣りに座っていたと云う事もあって掴み掛かった。
「極めて正常だよ。そんなに人妻って言った事が嫌だったんなら謝るよ。」
「謝れ!」
「新妻。」
 キアラはテオドールの横っ面を張り倒した。気味の良い音が響く。
 テオドールは肩を竦めた。
「そんなに本気にならなくても。」
「朝から重い冗談持って来るな!」
 キアラは浮いていた腰を下ろすと林檎にかじり付いた。そして席を立つ。
 朝食終了。
「キアラ、悪かった、そんなに怒るなよ。」
 テオドールがキアラの肩を掴む。
 仕返ししてやれ、とキアラの中の誰かが呟いた。
 目に涙を溜めて、そして左手で口を押さえながら振り向く。
「だって――、私、テオの事が好きなのに!」
 顔面蒼白で固まるテオドール。皿を落とすシルヴェール。まぁ、と濃い恋愛劇を見た小母様のように言うローズ。そして、顔を引き攣らせているクロード。
 関係の無い者も巻き込んでしまったようだが、上手く言った。
 キアラは両手で顔を覆う。
「テオ、酷い。」
 と、急に笑いが込み上げて来た。それを押し殺すと、それは鳴咽にも聞こえるかもしれない。
「冗談だろ?」
 呟くように言ったクロード。キアラは両手を外した。そして舌を出す。
「ご名答!」
「き、キアラ!」
 漸く顔色が戻ったテオドールは目を白黒させる。
「これで引き分けよ。」
「は、はは。完全に俺の負けだ。」
 そう言ってテオドールは元いた場所に座った。
 キアラはクロードに向かって親指を立てる。クロードは顔を歪めた。
 ぶつぶつと三角関係がどうのこうのと言っているローズ。彼女は放っておこう。
 キアラも座ると、シルヴェールは冷や汗を拭うのが見えた。
「キアラなら女優にもなれる。」
「ありがとう。でも私は魔術師一本ですから。」
 キアラは笑った。
「本当に。心臓が止まるかと思った。」
 皆の手が自然と止まる。皆、もう要らないのか。
 一番先に立ち上がったのはクロードだった。
「軍の訓練に顔出して来る。」
「いってらっしゃい。」
 ひらひらとキアラは手を振る。と、後ろ向きだがクロードは手を上げた。
「じゃ、俺達も行こうか。」
 テオドールは膝を支えにして立ち上がる。
「シルヴェール、俺とキアラは昼食も食べて帰るから。」
「やったぁ。」
 つい満面の笑みが零れる。高いのにしよう。
「じゃ、毛皮着て南門で待ってる。」
「あぁ。」
 そう言うとテオドールは振り返りもせずに出て行った。
「お二人はどうするんですか?」
「大技を使える場所を把握したいから図書館に行って地図でも見て調べようと思う。」
「では私も一緒に図書館に行きます。」
「そうですか。じゃあ私もテオにたかれるだけたかって来ます。」
「……。」
 ローズは何か言いたそうだった。しかし乙女思考に走られては困るので気付かないふりをする。
 部屋に入ってクローゼットを開ける。コンスタンチンと作った蒼銀の毛皮。自分としては良い線いってると思う。
 動き易い服にもなった。
 味わうように毛皮を羽織るとキアラは南玄関に向かった。
 普通王城と云うものはその口の一番暮らし易い気候の地域にあるものだ。しかし、このヴェルディー帝国は違った。
 ただでさえ寒い地域なのに最北の町が王都だった。
 彼らの考える事は分からない。しかし、彼らの歴史を少しでも覗けば――。他の人種に迫害された彼らが北を選んだのも少し分かるかもしれない。
 エドゥルアルド王国は他民族国歌だ。この時代は白人種が多いが、キアラの生まれる二年前にはもう白だろうが黒だろうが黄色だろうが関係無く暮らしていた。
 それに今のエドゥアルド王国とて肌は違うが人種は様々だ。クロードの髪は緑だがテオドールの髪は茶色。シルヴェールのものは黒だがローズのものは薄紅色。
 ヴェルディー帝国は民族国家だ。それを、敢えてストヴィーラ民族ではなくストヴィーラ人種と呼ぶ辺りに悲しみが伺える。
 一つ目の門を潜ると、既にテオドールがいた。
「待った?」
「待ち過ぎて足が凍りそうだ。」
「其処は嘘でも待ってないって言う所でしょ。」
 テオドールは肩を竦めた。
「キアラの魔術で行かない?」
「私を誘った目的はそれですか?」
 私は馬ではない、とキアラは口の中で呟いてみる。
 しかし前描いた移転陣もあるのに歩きで行かせるのは酷だろう。
「手、貸して。」
 キアラは自分の手をテオドールに差し出してひらひらと振った。
 テオドールも手を出すとキアラはしっかりとそれを握る。
『Metastasis』(転移)
 もう随分昔のようだ。路地裏に描いた転移陣。まだ形が残っていた。
「テオは何買うの?」
「……キアラは笑うか?」
「さぁ?物によるけど――?」
 と、テオドールは顔を伏せた。
「感情を――、怒りや憎しみ等を魔力に変換して人を呪う事が出来るかどうか、と云う本なんだ。」
「それ、もし本当だったら凄い発見じゃない?」
「そう。あくまでそれは理論の段階だ。けれども俺はそれを実践の段階に持って行きたい。」
「――誰を呪うの?呪いは難しいよ。」
 その力が大き過ぎても相手が自分以上の魔術師でも呪いは自分に反って来る。人を呪わば穴二つ、だ。
 黒魔術でも呪いは負の感情を扱うものであるから取り分け難しい。
 その制御の細かさと言ったら黒魔術と云うより白魔術に分類するべきだ。
「ルイーズ=グレース=ルーシュを呪いたい。」
 そう言ったテオドールの、少年のような目は何と澄み渡っていた事か。
「あの女は何かと庶民の俺に突っ掛かって来るからな。」
「悪いけど術反されてはいさようなら、よ?」
「キアラは浪漫と云うものが分かっていないなぁ。」
 無茶な事が浪漫なのであればキアラは一生分かりたくない。
 それに。
「呪いが浪漫とか言ってたら全世界の魔術師が腹を抱えて笑うわ。」
「だからシルヴェールには話していないんじゃないか。」
「そうなの?話して笑ってもらえば良いのに。」
 ふと、通り掛かった雑貨屋。
「あぁ。」
 キアラは呟きを漏らして立ち止まる。
「此処で鏡買ってくれる?」
「鏡?」
 テオドールは眉を顰めた。
「キアラが鏡で外見を気にするようにはとても見えないけど?」
 キアラはテオドールの臑を蹴飛ばした。
「魔術に必要なのよ。」
「へぇ。」
 それでもテオドールは訝しげな顔をする。
「鏡には昔から不思議な力を宿せると考えられているの。呪いが好きなんなら魔術書に鏡を用いる術が何個も記されているって分かるでしょ?」
「そうか!」
 テオドールは目を丸くして納得したように頷いた。
「そんなに好きなんだったら、週一くらいにローズに魔術の理論だけ教えてるんだけど、一緒に聞く?」
 テオドールは大きく首を買って頷いた。何度も、何度も。
 じゃあ、と言ってテオドールはキアラの手を引く。
「買いに行こう。」
「えぇ。」
 入ってみるとその雑貨屋がアンティークに彩られている事が分かる。キアラの好みだ。
 小さな味のあるテディ・ベア。可愛らしい顔をしている。
「買うのはぬいぐるみじゃなくて鏡だろう?」
「ちょっと見るくらい良いじゃん。」
「キアラがそんな乙女みたいな事言うと気持ち悪いよ。」
「失礼な。」
 確かに、キアラもそう思う。しかしぬいぐるみなんて一度として買ってもらった事等無いのだから見るくらい良いではないか。
 しかしキアラはそのぬいぐるみを元あった場所に戻した。
 首を回して鏡が何処にあるか探す。見方によっては乱雑にも見えるこの店の商品の配置は鏡を探すのに困難を極めた。
 キアラが唇を尖らせていると、テオドールがキアラの肩を掴む。
「何?」
「君はイニャスを覚えているか?」
「イニャス――?」
 そんな名前、聞いた事が無い。眉を顰めて脳を探ってもそんな人物は出て来なかった。
「一緒に昼を食べようと謂って町まで転移して出会った。」
 腕を無くし、絶望の前に平伏していた男。
 キアラは小さく頷く。
「彼が言っていた軍事施設を、見付けた。」
 キアラは反射的に振り向いた。が、テオドールに肩を掴まれ戻される。
「イニャスが言っていた北は此処だったんだ。」
「他には誰かに言った?」
「まだキアラ以外誰にも。」
「どうするの?七割以上の確率でヴェルディー政府も一枚噛んでる。」
「その関係だけでも絶ちたい。」
 キアラは鏡を発見した。その場所まで狭い店内の品物に当たらないように歩く。
「国交が危うくなったらどうするの?」
「そうしたら――。ベランジェには死んでもらうよ。」
「人一人で片付くと良いんだけど。」
 キアラは鏡を手に取った。銀色の縁の、何の装飾も無い手鏡。
「こっちにしたら?」
 テオドールはキアラに鏡を差し出した。
 くすんだ金色の鏡の縁は葉のようなものが描かれていた。綺麗だ。
 裏に返すと深い赤い濁っている石が蝶の形を作り座っていた。その周りには訳の分からない図が散り嵌めてある。
「確かに綺麗だけど……。高そうだから止めておく。」
 キアラは鏡が置いてあっただろう場所を探す。
「受講料だよ。」
 しかしテオドールはその手を掴んで鏡を取った。
「これ下さい。」
 そう言ってテオドールは店の者に鏡を翳した。
「はい。」
 しかし店の者の疑いや不審に満ちた目。ベアヴェルディー帝国の者は客にでもそうなのか。
 聞き慣れない値段の単位。キアラはぼんやりとそれを聞く。
 鏡の隣りにある髪飾り。そう云えば、こう云った物をキアラは着けた事が無いな、と思った。
 お洒落なんてする暇も無かったし、しようとも思わなかった。
「キアラ。」
 不意に名前を呼ばれて振り向けばテオドールが入口でキアラに手招きをしていた。
 キアラは我に反って歩き出す。
「ごめん。」
「別に構わないよ。」
 テオドールの手には綺麗に包装された箱があった。赤と黒の妖艶な色遣い。
 黙ったままテオドールはキアラにそれを差し出す。キアラも黙ったままそれを受け取った。
 そして店を出る。感じの悪い店にはあまり長いしたくないものだ。