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四章 氷の女王


 キアラは店に視線を送る。
「別に包装なんて良かったのに。」
「一応贈り物だからね。」
 妙な所で律義な所もあるものだ。
 テオドールが歩き始めたのでキアラも付いて行った。
 町行く人々は、奇妙な目でキアラとテオドールを見る。まるで罪人のような気 分だ。テオドールがキアラを誘ったのも頷ける。
「こんな調子で貿易とかどうしてるんだろ?」
「ヴェルディー帝国は様々な宝石の産地である上に加工技術も素晴らしいから他 国から頭を下げても貿易してもらうよ。」
「エドュルアルドは頭を下げて今の食品を輸出して宝石を輸入すると云う貿易を 手に入れたのね。」
「あぁ。でも食料危機になったら一番に困るのはヴェルディー帝国だ。」
「でもヴェルディー帝国は属国から巻き上げれば良いじゃない?」
「そうしたらその国も反旗を翻すだろう。そうしたらやはり戦争をしなければな らないからヴェルディー帝国が困る。」
「そう云えば今、イージス暦何年?」
「1252年だけど?」
「……。」
 詳細は徹底的に隠されているが、今年はヴェルディー帝国で内乱が起こる年だ 。
 しかし、今考えてみると――。何と無く、レフが関係している気がする。
「ねぇ、テオ。」
「何?」
「暫く避難しない?」
「それは無理だ。」
「私、戦なんて嫌いよ。」
「戦が好きな人間はいないだろう。」
「いるよ。」
 キアラは即座に答えていた。
 思い浮かんだのが、キアラより鮮やかな赤い髪を持つ男と、ルーシュ初の女当 主。それから黒い髪を伸ばしたい放題伸ばしたあの男。
「エドュルアルド王国からの客人とは云えお忍びだし、色々拙い事あるじゃん。 巻き込まれないなんて保証は、何処にも無いよ。」
「ローズは必ず誰かが守り切るよ。」
「――テオも、シルヴェールもクロードも。一人だって死んだら意味無いじゃん 。」
「ま、そうかもしれないね。役割分担している部分もあるし。」
「――そう云う意味じゃないんだけど。」
 でも、キアラは、呪いをかけた相手が分かったら――。殺す。
「テオってさ、死ぬ覚悟とかあるの?」
「覚悟の無い騎士なんていないよ。」
「だからって死に急ぐ事はないよ。」
 と、キアラは立ち止まった。沢山本の置いてある店。
「此処?」
「此処でも良い。」
 言うのが早いかテオはその店へと入って行った。
「どれ買うの?」
 魔法書のコーナーへ足を進めながらキアラは問う。
「うん。」
 テオドールは生返事をしながら目は宙を彷迷っていた。
「あ。」
 テオドールが手に取ったのは茶色い革の包装がしてある本。
 キアラはテオドールの手からそれを取って本を開いた。読もうとするが書かれ てある言語は恐らくこの国の言葉。
 キアラは眉を顰めた。
「読めん。」
 こんな物を買っても読めないのでは意味が無いではないか。
「貸して。」
 テオドールがキアラの手から本を取って開いた。
「先ず魔法使いが言う魔力とは何の事か。知人の魔法使いに問うた事がある。自 然かと問うたら否、己かと問うたら否、魔物かと問うたら否、又、故人かと問え ば否。私はこう考える。魔法使いとは、何かを魔力に換える装置のようなものを 体内に――」
 頁をめくろうとしたテオドールの手をキアラは押さえた。
「全然違う。買わない方が良い。」
「何処が?」
 テオドールの質問にキアラは答えられなかった。
 魔力が何かは分かる。しかしそれは水が水であると云う至極当然な事で、キア ラは何と答えれば良いのか分からなかった。
「とにかく違う。」
「……。あぁ、やっとルイーズが呪えると思ったのに。」
 諦めてテオドールは本を元あった場所に戻した。
「でもテオ、何で読めたの?」
「――まぁ、母方の祖母がヴェルディー人だったんだよ。」
「ふぅん。あぁ、だから逃亡先にヴェルディーを選んだの?」
「それも確かにある。」
「寒いし暗いけど良い国ね。」
「――それは褒めているのか?」
「褒めてる。」
 と、キアラは本を一冊手に取った。
 書かれている言葉は分からない。しかしこの白と黒の本のセット。
 キアラの憶測が誤っていなければ、これは魔術師が一番最初に読む魔術書だ。
「これ、読んだ?」
「読んだけどさっぱり。」
「じゃあもっと論理的で下のは――。」
 これより下を見付ける、と云う時点で不可能に近い。
「テオみたいな人が魔術使うには、使い魔を使役するのが一番早いと思うんだけ どな――。」
「魔術師でなくても使い魔を持てるのか?」
「うん。大体は魔力を引き合いに出して契約するんだけど命とか血とかで納得す る魔物もいるらしいよ。」
 偉そうに言ってみたがこれも全て本の知識。
「それが良い。どうやって使い魔にするんだ?」
「さぁ――?私も使い魔欲しいから、出来たら教えてあげる。」
 キアラはてっきり図書館を後にするのかと思った。キアラは踵を返したが、テ オドールはキアラとは逆方向に歩き出す。
「キアラ、こっち。」
 テオドールはキアラの手を引っ張った。
「何処行くの?」
「デュトルエルで非買の本を探す。」
 勉強熱心だ、と言うべきだろうか。
「ごめんね、手伝えなくて。」
「良いよ。俺が探す間これ読んで大人しくしといて。」
 そう言って渡された分厚い本。開いてみると、辞書。
「……。テオ?」
「入ってた所其処だから。別の読みたくなっても此処にいて。」
「……。」
 キアラは思い切り顔を歪ませる。子供扱いするな。
 そんなキアラに気付かないのか気付かないふりをしているのか、テオドールは さっさと何処かへ言ってしまった。
 詰まらないがキアラは大人しく辞書を開いた。
 有り難い事に――ヴェルディー帝国を基準にすると――逆引きで、キアラの慣 れ親しんだ言葉が順番に並んでいた。この辺りの配慮はあるらしい。
 しかしキアラは辞書を読んで喜ぶ人間がいれば変人だと思う。
 だがテオドールに此処で待っているように言われた。これしか読める本は無い のでキアラは面白くないのを我慢して辞書に目を通した。
 全く見た事のない言葉の数々。キアラは欠伸を噛み殺した。
 テオドールはいつ帰って来るのだろうか。大して時間も経っていないのにキア ラは首を回してテオドールの姿を探す。
 こんな誰もいない所に一人置いて行かれたら少し心細い。
 大きくはない本屋だが小さくもない。中の上の広さだ。大規模な書店でないの に魔術書を置いているのは――ドゥトルエル王国では――珍しかった。
 此処は外国だ――。キアラはそれをつくづく感じた。
 アレクセイが言葉を統一している為、分かってはいても感じられなかった。し かしこの文字の家ではそれを痛い程感じる。
 そうだ、図書館に行ったとして書いてあるのはヴェルディー帝国の言葉だ。読 める筈が無い。
 人は、貪欲でなければならない。キアラは自分にそう言い聞かせてもう一度辞 書に目を落とした。
「――。」
「■■■。」
 一瞬、耳障りな音が聞こえた。キアラはそれを無視して文字を追う。
「■■■。」
 それでも気になってしまった。何処かで感じたような――。
「キアラ。」
「テオっ?」
 キアラは驚いて辞書を閉じてしまった。
「早かったじゃん。」
「……。二時間くらいかかったんだけど、早かった?」
 キアラは閉じていた辞書を見下ろした。確かに、指が挟まっている位置は半分 を越えている。
「遅かったじゃん。」
「さっき早かったって言ったばっかりだろ。」
 そう言ってテオはキアラの手から辞書を取って元に戻した。
「食べたい物ある?」
「オクローシカってのが食べてみたい。」
「分かった。」
 キアラは会計を済ませようと向かうテオドールの半歩後ろを付いて行った。
 レジの近くまで行くとテオドールが買い終えるのを待つ。
 高い音が鳴り、テオドールが金を出して商品を受け取るとテオドールはキアラ の元まで歩いて来た。
「行こう。」
「うん。」
 本屋を出るとテオドールは片手で本を抱えた。一体何冊買ったのだろう。片手 で持っているのが不思議なくらいそれは量があった。
 テオドールはポケットに手を突っ込み、懐中時計を取り出す。ローズに貰った と云う薔薇が彫られた金の懐中時計だ。シルヴェールの物だけが銀なのだ。
「結構良い時間になったね。」
「どれどれ。」
 キアラは懐中時計を覗き込む。針は十一時半を少し回った所を指していた。
「本当だ。」
「オクローシカって何処に売ってるんだろう。」
 テオドールはきょろきょろと辺りを見渡す。
「スープ専門店とかには売ってそうじゃない?」
「そうだね。」
 来た道と逆の道を歩いた。キアラは時字読めないので、テオドールだけが辺り を見渡している。
 キアラも手伝えたら良いのに。少し負い目を感じながらもキアラは歩いていた 。
「キアラ、彼処は?」
 不意にテオドールが脇の店を指差した。
 スープらしき絵が描いてあるからそうなのだろう。
「行こう。」
「了解。」
 キアラとテオドールは並んで店まで歩いた。
 扉を開けようとキアラが掴んだ取っ手をテオドールが握る。テオドールは扉を 開けた。
 凍る店内。誰もが恐怖に満ちた目でキアラとテオドールを見ている。
 失敗した。此処は来るべき所ではなかった。
 テオドールもそう思ったのだろう。テオドールの取っ手を握る手が、再び強く なった。
「帰れ!」
「……。」
 何が起こったのだろう。視界が所々赤い。
 急激に起こる寒気。どうして良いのか分からずに浮いている手から、液体が滴 り落ちていた。
 目の前に桶を抱えているこの店の店主と思しき男性。
 そうか。水を掛けられたのか。
 何と言って良いのか、言葉も分からない。
 そしてやっと見付かった言葉。
「そう――。」
 キアラはテオドールの代わりに扉を閉めた。
「……。」
 此処までとは、思わなかった。
 悔しい、と思う代わりに空虚感に苛まれる。
「――ごめん。」
 キアラの肩を掴もうとしたテオドールの指先が震えていた。
「ごめん。」
「――別にテオがやったんじゃないんでしょ。」
 キアラはテオドールの胸に手を当てた。
An apparition of a victus alio of flamma(炎の精霊よ)
Tribuo mihi vestri estus(汝の熱を我に与え給え)
Tribuo lemma vestri estus(汝の熱を彼の者に与え給え)
 魔力を調節すれば体温が上がる。その熱は皮膚にのみ留まり、服を乾かした。
「キアラ。」
「寒いでしょ。」
 キアラの魔力はテオドールも包み込む。テオドールの服も乾いた。
 この地で水に濡れていたままでは命を失う危機に曝される。
「私やっぱりおやっさんの店でオクローシカ飲みたい。」
 これは、キアラの精一杯の配慮のつもり。
「――あぁ。」
 テオドールが悪いのではない。けれど。テオドールはとても寒そうだった。



 擦れ違う女官に手当たり次第声を掛けて辿り着いた図書館。
 その時にはキアラの顔は笑みで零れていた。
 開けっ放しになっている図書館の扉。その向こう茶色い景色に満たされていた 。
 キアラはアレクセイに書いてもらった髪に目線を落とす。
 よし。心の中で呟いてキアラは扉を開けた。
「済みません。」
 キアラは図書館の中に足を踏み入れる。
「……誰?」
 赤い絨毯と低い声がキアラを出迎えた。
 ただ、聞こえるのは声のみ。キアラは辺りを見渡す。
「あの、何処ですか?」
「――。ちょっと待って」
 と、カウンタの中の本が揺れ、一人の美女が現れた。キアラは唖然としてしま う。
 蒼白な程に白い肌。輪郭を縁取るだけでは飽き足らず左目を覆い隠している細 かく巻かれた漆黒の髪。髪よりも艶やかな黒の瞳。
 紅を注した様子は見られないが唇はそのように紅く、やや垂れ目ではあるが厳 しさを宿した目。
 肩は細く、滑らかに下っていて抱き締めれば折れてしまいそうだ。それよりも 細い首が彼女の華奢さをより一層深めている。
 黒い光沢のある装束に身を包み、彼女はその目でキアラを見ていた。
 否――。男だ。
「陛下の言ってたドゥトルエル王国からのお客さんかい?」
「はい。」
 キアラは紙を差し出した
 身長も高いし声も低いが立派に女の範囲。言ってみればなだらかな胸も――キ アラがそうであるように――有り得なくは無い。
 なのにキアラは彼――又は彼女――を男だと思ってしまう。
「キアラ=グレース=ルーシュね――。貸出カードを作ってあげるよ。私は司書 長のピョートル。ペーチャと呼んでくれても構わない。」
 何処か眠たそうだ。しかし、気になる。
 もしそれがデリケートな問題なら聞かない方が良い。でも、気になる。
 ピョートルはカウンタの中へと入って行く。
 ヴェルディー帝国人ではないから名前だけで性別まで判断出来ない。
 と、ピョートルがキアラに視線を送っていた。
「……。聞きたい事があるのなら聞けば良い。」
 それならば遠慮無しに。本人もそう言ってくれている事であるし。
「ピョートルさんは女装趣味があるんですか?」
 ――言ってしまった。こんな風にではなく、もっと遠回しに言うつもりだった のに。
「――初対面で私が男だって見破ったのは君が二番目だ。」
 ピョートルは目を細めながら言う。
「そして、そんな風言われたのは初めてだ。」
「済みません。」
「いや、気にしなくて良い。」
 ピョートルは厚紙を取り出してそれに文字を書く。キアラ=グレース=ルーシ ュと云う文字だけが読めた。
「性機能はちゃんと男なんだがね。どうしても女装が好きなんだ。」
「――へぇ。じゃあ恋愛対象は女なんだ。」
「あぁ。」
 と、ピョートルの目線がキアラの目から下がった。ピョートルは、胸を、見て いる。
 嫌な気分だ。しかし隠す程のものでもない。キアラはただ顔を顰めた。
「見た所、君の胸は俎だ。私にもそのサイズの下着が何処で売っているか教えて くれないか?」
 キアラの中で二つの選択肢が浮かぶ。大人の余裕で受け流す、と殴る。しかし よく吟味する間も無く拳を握り、キアラはそれを思い切り横に振っていた。
 鈍い音がし、本が雪崩落ちる音がする。
「人を俎呼ばわりたぁ良い度胸してんじゃねぇか。」
「……。サイズも全部同じくらいだろうと思ったから――。」
「だからって何だァ!?あんたは男私は女!普通胸がずきっでうぅってなるでし ょぉ!?」
「そうは見えないけど――。」
「生憎私は傷付いて泣き寝入りする質じゃないからね!」
「――ごめん。」
 いやに素直に謝るものだ。キアラはいつの間にか掴んでいた胸倉を離した。
「私もこんな趣味があるから周りに気味悪がられて傷付いていた筈なのに――。 君を傷付けてしまって。」
 なんか、キアラが悪い事をしたようだ。
 神妙な顔で頷垂れているピョートル。許してやっても良いかな、と云う気持ち になる。
「――良いよ。」
「君となら下着店巡りも出来ると思う。」
 嵌められた、んだろうか。キアラはこれ以上嵌まらない為に敢えて無視した。
「所でお探しの本は何かな?」
「魔法書。あと、ドゥトルエル王国とヴェルディー帝国の辞書。」
「辞書なら一番奥の右端にある。魔法書は場所が違うから後で案内しよう。」
「ありがとう。」
 キアラはピョートルに言われた通りの場所に向かった。右端から順に本を開く 。ドゥトルエル王国の言葉があれば正解。
 訳の分からない文字の羅列。正直頭が痛くなる。
 しかし開いた場所に目を通すだけなのでそれは楽。キアラは次々と辞書を見て いった。
 単調な上つまらない作業の果てに見付けた逆引き辞書。キアラはそれを抱えて カウンタに戻る。
「ピョートルさん。」
「見付けたか?」
「勿論。」
 キアラはピョートルに向かって辞書を掲げた。
 こうして見ると、ピョートルの身長はシルヴェールと同じくらいだ。
「じゃあ行こうか。」
 ピョートルは図書館を出てキアラに手招きした。
「何処にあるんですか?」
「突き当たり。」
 そう言って指差された先では仰々しい扉がキアラを待ち構えていた。
 埃こそ被っていないが褪せた色が歴史を物語っている。
 その扉からは魔力が一切感じられない。これなら読みたがる魔法使いは正式な 手続きをせずともすぐに読む事が出来るだろう。
「なんか魔法使いには開放みたいな感じですね。」
「いや――。」
 ピョートルはが首を振ると同時に長い黒髪も左右に揺れた。
「悪いの前は司書長が魔法使いだったんだが今は見ての通り、魔法が使えない。 だから事後処理にはなるんだが――。」
 一息吐いてピョートルはキアラに首を向ける。