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四章 氷の女王


「逃げるのか?」
 見張ってたのか。クロードが窓の外に立っていた。
「……。」
 キアラはそれを無視しようとする。きっと、クロードも本気で止める気は無い 。
「キアラ。」
 真っ直ぐにキアラを見ていた。
「何よ。」
 キアラは立ち止まる。
「話は終わってないだろう。」
「……。終わったわ。」
「お前は終わったつもりでもこっちは終わってないんだ。」
 早く此処から消え去りたい。
 逃げる訳ではない。そう自分に言い聞かせてキアラはクロードを睨み付ける。
「――何?」
「はいかいいえで答えろ。お前は此処が嫌いか?」
「――いいえ。」
 クロードは誘導尋問でもしたいのだろうか。
「ローズは嫌いか?」
「いいえ。」
「テオドールは嫌いか?」
「いいえ。」
「シルヴェールは嫌いか?」
「いいえ。」
「ローズもテオドールもシルヴェールもお前が好きだ。お前の家族と違って傷付 けたりしない。それでも行くか?」
 好き。傷付けたりしない。
 嘘だ。この男は嘘を言っている。
「ふざけないでよ。」
 キアラだってそれくらい知っている。
「私が好き?傷付けない!?嘘も大概にして!そんな嘘吐いて何がしたいの!? 」
「――歯ァ喰い縛れ。」
 この男は何を言っているのだろう。
 身体が、僅かながら宙を浮く。
 頬が痛い。
 何。
「何で人の気持ちが分からねぇんだ。」
「……。」
「どうして自分が大事に出来ねぇんだ。」
「……。痛い。」
 キアラはいつだって自分を大切にしている。自分本位だ。だから、だから此処 にだって来た。
「他人がお前を心配してるってどうして分からないんだ」
「嘘吐き!」
 キアラは叫んでいた。
「嘘吐き!私なら大丈夫とか私なんてどうでも良いとか思ってるんでしょ!」
「思っていない。」
「嘘吐きよ!見え透いた嘘なんて吐かないで!」
「嘘じゃないっつってんだろ!」
 クロードに両肩を掴まれた。驚いてキアラはそれを振り払おうとする。が、逆 に強く握られた。
 目が怖い。今までに無い真剣なクロードの目が怖かった。
「自分に自信を持てば良いじゃないか。」
「五月蝿い!」
 腹が立つ。嫌いだ。
「私は自分が大好きよ!?自信だってある!何が言いたいの!?」
「良い加減自分を見ろ!」
 大きく肩が揺れる。
「此処では誰もお前を傷付けない!いたとしても俺が、テオやシルヴェールも守 る!」
「うそばっかり、わたし、しってるんだから!」
 震えている声。いつの間にか呼吸が荒くなっている。
「どうせあんたも私の事可哀相とか哀れとか思ってるんでしょ!同情なら要らな い!そんな私に同情して良い人にでもなりたいの!?」
「なんで同情なんだ。」
「だったら何よ?利用?そうね、どうせ負けるけどローズは勝つ気でいるものね !」
「だからなぁ。」
 欝陶しい。汗を掻いた時にへばり付く汗のように感じた。
 そんな綺麗事を並べて何がしたいと言うのか。
 キアラはどうして此処にいるのだろう。無駄だ。こんな事をしているのは無駄 だ。
 キアラは禁書を小脇に抱えた。
「さようなら。」
「俺はお前を友人だと思っている!」
「――?」
「多少口は悪いがお前は真っ直ぐだ。そんなお前を俺は、友人だと思っている。 」
「――。」
 穴が空く程キアラはクロードを見詰めていた。
「友人?」
「あぁ。」
「本当?」
 嘘だ、と叫びたかった。けれども口では全く違う事を言っていた。
「嬉しい。」
 慌ててキアラは口を押さえる。
 どうしてそんな惨めな事を言ってしまったのだろう。
 キアラが唖然としているとその手をきクロードが掴んだ。
「冷えるだろ。帰るぞ。」
 此処にいて良いんだろうか。キアラは此処を去らなければならないのに何故だ かとても温かい。
 引き返すなら今だ。転移と口にすれば直ぐに逃げられる。
 なのに――。
「キアラ。」
 辛い目に遇うのは分かっているのに、キアラはこの初めての感覚に身を任せた かった。



 キアラは嫌だと言った。
 だってそうだ。それではまるでキアラが本当に子供のようになってしまう。
 けれどもそうされた。何だかんだと理由を付けられて。
 今、キアラの首根っ子にはクロードの逞しい腕がくっついている。
 逃げないと言ったのに信用ならないから、と。
「やっぱり私一人で行かせてよ!」
「いいや。この事は最年長である俺の監督不行き届きだ。俺も行くのが道理だ。 」
「もうクロードは行ったんでしょ!?それに監督不行き届きって何よ!お前は私 の親父か!」
「その親父がいないんだから俺が代わりを勤めるのは当たり前だ。」
「たった三つしか違わないのに何が親父だ!」
「だから代わりだ。」
 もう嫌だ。こんな子供染みた事。
 今までだってキアラは一人で何でもやってきた。なのに今になって赤の他人と 一緒に謝るなんて。
 本当に嫌だ。
「本当に勘弁して。」
 呟くように懇願したキアラを無視し、クロードは勝手に前へ進んで行った。
 先に行かれてしまったのは仕方無いがせめて一人で謝らせてほしい。
「クロード!」
 キアラが不覚にも泣きそうになっていると優しい声がクロードを呼び止めた。
 狡い。
 クロードが立ち止まると微かに顔を紅潮させたシルヴェールが走っていた。
「待て。」
「どうした?」
「テオに聞いたぞ。陛下に謝りに行くんだってな?」
「あぁ。」
 キアラはクロードの片眉が跳ね上がるのを見た。それはそうだ。キアラだって シルヴェールのその意味が分からない。
 クロードの力が少し弱まる。
 しかし振り払う事はせずに、キアラはシルヴェールの次の言葉を待った。
「私が行く!」
「はァ?」
「魔術の面に於いてキアラの面倒を見ていたのは私だ!だからキアラの魔力の暴 走は私にも責任がある。」
「あのな、要するにキアラが悪いんだからお前が行く必要はないんだ。」
「いいや。私が行く。」
「……。」
 親権争いだろうか。キアラはいつか演劇で見たそれを彷彿とした。
 どいつもこいつもキアラを子供扱いして。キアラはその隙にさっさと行こうと した。
「キアラ。」
 が、一歩踏み出した時点でシルヴェールに呼び止められてしまう。
「クロードは帰っててくれ。」
「だから俺が行く。」
 こう云う場合、キアラの時代の他国では子供に作文を書かせて選択させ、最終 的には判事が選択するのだ。
「一人で行くからどっちも帰って。」
「駄目だ!」
 シルヴェールが何故だか今日は異様に怖い気がする。
 この後で説教をくらうのだ。この優しいシルヴェールから。
 そう思うとキアラはとても悲しくなった。
「ちゃんと――。ちゃんと言っておかなかった私が悪い。」
「もう私が悪いんだからそんな責任の取り合いするな!」
 キアラはクロードに突っ掛かった。
「付いて来るとか隣りの庭にボール投げ込んだ訳じゃないんだからそんな必要無 いでしょ!」
「何だそれは。」
 ジェネレーションギャップとはまさにこの事だろう。
「とにかく!帰って!」
「いいや。」
「断る。」
 こんな時にだけ結託しやがって。
「もう良いでしょう。」
「何が良いんだ。」
 とても情けない気持ちになってしまう。
「キアラ=グレース=ルーシュ。」
「へ?」
 シルヴェールに名を呼ばれたと思った。しかしその声はシルヴェールのものよ り高く、張り詰めている。
「――女王陛下。」
 今会いに行こうとしていて、今一番会いたくなかった人。
「すみませんでした。」
 その間に頭なんか下げたくないけど四人が此処にいられなくなっても困るしで もそんな屈辱的な事したくないしあぁでもやっぱりこんな閉鎖的な国民性の中に 放り出されても死ぬかもしれないし、と云う葛藤がその短い間にあったのを知る のは彼女自身キアラのみだろう。
「私だけなら出て行きますから四人は置いていただけますか?」
「だから一人で行かせたくなかったんだ。」
「そうだ! キアラがいなくなったら私達はどうすれば良い!?」
「シルヴェール、お前少し黙ってろ。」
「何!? お前だけキアラを説得する気か!?」
「だからややこしくなるんだ。」
「そうよ! 二人でどっか行ってなさいよ!」
「だからそれは出来ないって言ってるだろ!」
「何を言っているのですか?」
「はい?」
 何を言っている、とは。
 もしかしてもうさっさと出てけとか、そんな感じだろうか。
「何って。私、庭を目茶苦茶にしてしまったじゃないですか。」
「彼処には兵舎を建設する予定です。だから、彼処が盒地になったとしても、そ れは工事の一貫に過ぎません。」
「……。」
 何を。
 そして、思い浮かんだのは。
「それは――。戦争、ですか?」
 アレクセイのキアラを見る目が細くなった。この人には、もしかしたら先見で もあるのだろうか。
「始まるから、魔物に裂く人力が無くなるから、」
「キアラ=グレース=ルーシュ。」
 アレクセイがキアラを遮った。
「それ以上言えば――、私は――。」
 殺される。
 最後まで言わずとも、キアラはアレクセイが何を言わんとしているのか分かっ た。
「私はつまり、終わるまで魔物を狩っていれば良いのですか?」
「えぇ。」
 と、云う事は戦争が終わればキアラは危うくなってしまう。
「――最近、魔物の出現が少ないですね。」
 そう、キアラがこの城に来てから。
「まだ私の力を裂く余裕もあります。」
「――。」
 腹立たしいのと、情けないのと。
「キアラ=グレース=ルーシュ。」
「――はい。」
 そしてアレクセイは唇を開く。が、アレクセイは一瞬それを閉じた。
「執務が残っているので、私はこれで。」
「失礼します。」
 キアラはアレクセイと擦れ違った。まばゆいばかりの銀髪から微かに百合の芳 香が漂う。
 この人は。
 其処で、キアラは思考を止めた。考えても、悲しくなるだけだから。
「クロード、シルヴェール。行こう。」
「キアラ?」
「ほら。」
 囚われてはいけない。悲しみに。同情してはいけない。哀しみに。
 キアラは少しだけ、アレクセイに視線を送る。と、黒い影がアレクセイを包み 込んでいた。



「平和ですねぇ。」
 庭一面を包み込む真っさらな行き。ローズはそれを見ながら溜息を吐いた。
「そうですね。」
 一応同意はしたものの、キアラは辺りを見渡す。こんな時に限って奴は現れる のだ。
 テオドールは働いているあの居酒屋の仕込みを手伝うと言って出掛けている。 シルヴェールは嫌がるクロードに付いて訓練所に行っていた。
 もう直ぐこの純白の庭は赤く染まる。夕日がそらから落ちるのと、それと。
「キアラ。」
 この男と。
 やっぱり現れた。
 キアラはレフを睨み付けながらローズを背中に庇う。
「ぁん?」
「ヤろうぜぇ。」
 この男が言うと、卑猥ではなく暴力に聞こえる。まぁ、本人もそのつもりで言 っているのだから。
「あんたも懲りない人ね。」
「何に懲りるって?」
 分かってすらいない、か。
 キアラはあんな事があったものだから、呪文を唱えるのが躊躇われた。
 しかしレフは剣を抜き放つ。
 本当に、この男は。
「あ、アレクセイ!」
 と、レフは振り向いた。
 その隙にキアラはローズの手を握る。
『Metastasis』(転移)
 血の気の多いレフに、逃げるが勝ちと言う言葉は理解出来ているだろうか。
 しかしあんな簡単な手に引っ掛かるとは、レフもまだまだ子供だ。
 キアラがローズを連れて来たのは――。
「……。」
 不快そうな蒼い目。
「キアラ。」
 何故か、キアラはクロードの上に乗っかっていた。
「お前、何のつもりだ。」
 怒っている。いつも以上に怒っている。
「いや、あの。」
 倒れ込んだクロードの剣先は、見知らぬ男の首すれすれで地面に突き刺さって いる。
 これは拙い。
「ご、ごめん――。」
「其処に座れ!」
 何で。何で最近、キアラはクロードに怒られてばかりいるのだろう。
 キアラはクロードの上から飛び降りてその場に正座した。目の端ではシルヴェ ールがローズを引き寄せるのが見える。
「シルヴェール、お前もだ!」
 シルヴェールも大人しくキアラの隣りに座った。
 あぁ、キアラのせいでシルヴェールまで怒られてしまうのだろうか。
「皆待機! 俺が帰って来るまで待つように!」
 何でだろう。何でクロードが仕切ってるんだろう。
「ごめんって。」
「良いから来い!」
 ずるずるとキアラは引き擦られる。
 何処に向かってか。不安そうなローズの顔が見えた。」
 何処へ行くのだろう。
 十分離れた場所で、キアラの背中は壁に打ち付けられた。
「キアラ。」
「悪気は無かったの!」
「当たり前だ!」
 そう返されるとは思ってもみなかった。
「どうして此処に来た!」
「だって咄嗟だったから!」 「――お前、咄嗟に転移なんか出来たか?」
「へ?」
「転移陣無しに、転移出来たか?」
 答えは、いいえ。
 身体の芯から冷えるような感覚にキアラは身震いをした。
 どうして。考えても段々と身体が寒くなる。
「シルヴェールと云い。魔術師はこんな短期間に、実力――魔力か?――が定着 するものなのか?」
「……。」
 何て答えたら良いのだろう。分からなくて、目の前が真っ白になる。
 違う、と答えては壊れる。そう、と答えれば崩れる。
「私達は――。」
 私達は。その先が思い浮かばない。
「魔術師だから――。」
 クロードとは違う。テオドールとは違う。ローズとは違う。シルヴェールとは 、違う。
「当たり前よ。」
「……。話を戻そう。」
 クロードは腕組みをした。
「だから咄嗟だったの!」
 何か言われれ前にキアラは叫んだ。
「それで済まされる事と済まされない事があるだろう。」
「……。」
 嫌な奴だ。キアラは目を細めた。
「こっちだってやっと受け入れられたのに。もう少しお前が転移するのが遅かっ たら、彼奴は怪我じゃ済まなかった。」
 怪我しなかったから良いじゃない。その言葉が、出てこない。
「じゃあ何よ。謝りに行けば良いの?」
「ほいほい魔術を使うのは控えたらどうだ?」
「は?」
「魔力だって体力と同じで底があるんだろう?魔物の為に節約しておけよ。」
「――嫌よ。」
 何でクロードにそんな事を指図されなけるばならないのだ。
「限界を感じてからで良いじゃない。」
「それじゃ遅いだろ。」
「知らない癖に勝手な事言わないで。」
「だからお前の心配して何が悪い?」
「は?」
 この男はきっと馬鹿なのだ。
「お前が心配だって何度言えば分かるんだ。」
「ねぇ、何で心配なの?」
 ねぇ、ともう一回キアラは言う。
 何回も何回も堂々巡り。
「友人だからだろ。」
 キアラは、クロードから言われるその言葉を聞きたいのかもしれない。
 キアラは、クロードから言われるその言葉に満足出来ないのかもしれない。
「クロード。」
 嬉しくて、嫌で、大切で、悍ましくて。
「魔術師は魔術師なの。魔術を使わなかったら、私、死んでしまう。」
 死にはしなくても空虚感に苛まれるのは否定し様がない。
「クロード、ありがとう。」
「キアラ。」
 その時のクロードの瞳は、初めて見る色だった。
 ひやりと、氷を背中に貼り付けられたような寒気を感じる。
「鍛えてやる。」
「何を?」
 お前の根性、と言われたならばキアラはきっとクロードを張り倒していただろ う。
「お前の身体だ。」
「はァ!?」
「身体を鍛えれば根性も少しは変わるだろう。」
「馬鹿、筋肉馬鹿、何でそんな阿呆な思考を!」
「剣を扱えるようになったらシルヴェールに近付けるぞ。」
「……。」
 シルヴェールに近付ける。その言葉にキアラは固まった。
 剣で強くなれば、騎士にも近付ける。
 そんな事を思っていると、クロードに手を掴まれた。
「先ず腹筋背筋百回ずつ!」
「出来るか!」



 テオドールは大袈裟に溜息を吐いた。それにクロードは頬を引き攣らせる。
 二人の間にあるのはチェス盤。勿論、テオドール優勢だ。
 またテオドールは溜息を吐きながら駒を動かす。今度はクロードが溜息を吐い た。
「参った。」
「参ったついでにキアラの訓練も止めてくれないかな?」
「断る。」
 また、テオドールは溜息を吐いた。