後ろ向き行進曲



 かつてこんな少女がいただろうか。





 野々宮マリエ。いつも淀んだ空気を纏っている美少女。
 話し掛けたら酷く怯えるし腕なんかが触れたら泣き出しそうになる。そんな気の弱い美少女でもあった。
「シン、弱ぇなぁ。」
「うるへー。」
 ただ今、オレはババ抜きで十三連敗中だった。近くでは野々宮マリエが双子の姉に怒られている。
「そろそろ罰ゲームだよなぁ。」
「勘弁してくれよぉ。」
 罰ゲームって言ったってアキラは何考えるかわからない。前なんかゴキブリ百匹捕獲の罰ゲームを出されて泣いたヤツがいる。
 今度はどんな罰ゲームか。オレは冷や汗だらだらでアキラの言葉を待っていた。
「どうするか?」
 アキラはリュウキとタカトににやけ顔を向ける。
 こう見えてもオレはボクシングとかプロレスが苦手なんだ。だから、そういうのは止めてくれよ。
 やがて。しばらくするとアキラとリュウキとタカトが一斉にオレを向いて不敵に笑った。
「野々宮マリエをオトセ。」
「はァ!?」
 オレは、一瞬唖然となる。
「落とせって馬鹿か!いくら罰ゲームでも人に怪我負わせる気か!?」
「違ーよ。」
 アキラは唇を尖らせる。それが憎らしい。
「落とせってのはそういう意味じゃなくて、お前に恋させろって事。」
 鯉。故意。ばっち来い。
「えっと・・・。」
「野々宮マリエにキス出来たら終了。」
 頭がまだ追い付かない。オレは、馬鹿なんだろうか。下から数えた方が早いアキラより馬鹿なんだろうか。
「簡単だろ?谷村先輩と付き合ったお前なら。」
 こいつ。まだ根に持っていたのか。それに。
「だからあれは違うって。」
「何が?」
「だから一緒に目薬買いに行っただけだって。」
「どうして?」
「先輩に誘われて。」
「あら嫌だ。タカトさん、聞きました?自分がもててるみたいな言い方止めて頂きたいわよねぇ。」
「そうですねぇ、アキラさん。ちょっと顔好いからってシンさんたら調子こいてんじゃぁないのかしら?」
「・・・。」
 完全に勘違いをしている。でも、オレは奴らにそれを気付かせられるだろうか。
「ま、野々宮マリエも顔だけだったら可愛いし。」
「そんな人の心を玩ぶような真似はしたくない。」
「いっつもしてるくせに。」
 だからしてないんだって。オレは心の中で叫ぶ。奴らには聞こえないけど。
「罰ゲーム達成しない間はずっと使いっぱだからな。」
「せいぜい頑張れよ。」
 そっちの方がどんなに楽か。だけど一生は嫌だ。奴ら、人使いが荒い。
 うなだれている野々宮。彼女を落とすのは、難関に思えた。
 だけどゴキブリよりはマシだ。オレは野々宮に心の中で謝って、決意した。



 野々宮はいつも屋上で一人で弁当を食べているらしい。屋上なんて不気味な噂があるせいで誰も近付かない。
 話すなら今しかない。オレは購買で買ったパンを持って屋上へと向かう階段を上る。
 腰が痛い。野々宮を利用する事を思うと、罪悪感で腰が痛くなった。ヘルニアを持っているのでは、と思う事も時々ある。
 一段一段、階段を上る足が重い。
 気は重いが、いづれは目的地に着いてしまうもので。オレの前にはオンボロの扉が何故か仰々しく聳えていた。
 この扉がそんな風に見えるのはオレの心のせいだろう。溜息を吐いて、オレは扉を開け放った。

 澄み渡った青い空。一番、天に近いだろう。手を伸ばせば太陽ですら届きそうだ。
 心地好い風が吹いている。その風に遊ばれて、目の前の美少女の髪が舞っていた。
 酷く驚いた表情。ふっくらとした下唇が下がり、ただでさえ大きい眼を更に大きくして、こちらを凝視している。
「や、・・・やぁ。」
 な、何を言ってるんだ。野々宮と同じくらいオレは動揺していた。
「今、一人?」
 見たらわかるだろう。オレは自分にツッコミを入れる。そうしないと喋れない。
 怯えた目で野々宮は頷く。必死にオレから目を逸らそうとしているようだった。
「一緒に、良い?」
 沈黙。痛い沈黙だ。
 断ってくれ。そうしたらオレは、野々宮を傷付けずに済む。
 なのに。
 野々宮は頷いた。その大きな瞳でしっかりとオレを見ながら。
 責められている。そう、感じてしまった。
「いっつもここで食べてるの?」
 野々宮は頷く。オレから少し、離れるように正座を崩して。
 会話が続かない。その割に、野々宮はその大きな瞳でオレを凝視している。
「風があって、気持ちいいな。」
 また、野々宮は頷く。まるで、――外見も――人形に話し掛けているみたいだ。
「野々宮。」
 と、野々宮は初めて首を横に振った。オレは驚いてしまって言葉を失う。
 薄い野々宮の唇。ずっと見つめていると、野々宮は明後日の方向を見ながら唇を動かした。
「マリエ。」
「・・・。」
 何を言っているのか、わからなかった。
 オレが呆然としていると野々宮はその雪のように白かった頬を薔薇色に染めて俯く。
「マリヤちゃんも、野々宮だから。」
 そうか。
「ごめん。マリエって呼んだ方が良い?」
 こくりとマリエは頷く。その姿は何だか、かわいらしかった。
「じゃあオレもシンって呼んで。」
「し――!?」」
 マリエは顔を真っ赤にする。瞳を潤ませて、俯いた。
「マリエ?」
「む、無理です。」
 消え入りそうな声だった。
「だってそれじゃ、不公平じゃないか。」
 名前で呼ぶのなら、名前で返してほしい。それが、普通。
「マリエ。」
 マリエの艶やかな黒髪がその表情が隠れていた。失礼だとは思ったけれど、オレはマリエの髪を避ける。
 潤んだ瞳。頬を真っ赤に染めて。唇が微かに震えている。
「し、・・・。」
 風に消されてしまいそうだった。
「シンくん。」
 でも、オレにはちゃんと聞こえた。息が掛かるくらい、マリエの側にいたから。


 それからオレは、マリエと一緒に昼食を食べるようになっていた。同じクラスだけれども、それしかマリエと一緒にいる機会はなかった。
 一週間。オレが一方的に話しかけるだけ。だけど、楽しかった。
 怯えたような瞳が段々と優しいものになっていく。それが、嬉しかった。


 いつものようにパンを買って、オレは屋上へ向かった。いつもと違うのは、時間が20分も遅い事。
 アキラのヤツ、自分が指名されたのに後片付けをオレに押し付けるのは間違っている。まぁ、今のオレは使いっぱなんだけど。
 屋上に着くと、マリエは俯いていた。水色の水筒に、ピンクのかわいらしい弁当包みが並んでいる。
「もう、食べた?」  マリエは首を横に振る。待っていてくれたのかもしれない。嬉しかった。
「今日さ、アキラに――、村上の事な?化学の後片付け押し付けられて。ごめんな。」
 ただ、マリエは首を振る。
「ありがとう?食べよっか?」
 マリエは頷く。そして弁当包みを広げた。
 いつもながらキレイな弁当だ。色彩々のおにぎりに、型で抜かれたゆで卵やニンジン。デザートはりんごのうさぎで、ハンバーグがくまになっている。
「それってお母さんが作ってるの?」
 マリエは首を振る。横に。
「わたし――。」
「マリエが作ってんの!?」
 オレは素っ頓狂な声を上げた。だって。とても、驚いたから。
「わたし、これぐらいしかできないから――。」
「マリエ、すげぇよ!」
 この小さな弁当のために一体何時間かかっているのか。
「そんな事、ない。」
 風に紛れて消えてしまいそうだ。マリエの髪が顔を隠す。
「オレん家なんかさ、共働きだからって弁当なんて作るとしたら塩味の形が崩れたおにぎりだけだし。それより何倍も愛情がこもっててすげーよ!」
「・・・。」
 ちょっと、力説しすぎてしまったか。顔は髪で隠れているけどマリエは黙ったままで、怖い。
 沈黙。重い。
「・・・。」
 黙ったままかと思った。でも、微かにマリエの声がオレに届く。
「・・・良い?」
「ん?」
「シンくんのお弁当も、一緒に作って良い?」
 少しだけマリエが顔を上げる。さらりと髪が流れて、マリエの顔が見えた。真っ赤だ。
 嬉しい。とっても嬉しい。オレは頷いた。
「ありがとう。本当に良いの?」
「うん――。」
 弁当と呼べるものなんて初めてだ。自然と頬が緩む。
 あぁ、嬉しい。
「マリエ、お礼に、明日付き合ってくれない。」
 マリエは肩を震わせた。怯えた目をする。
「美味しいケーキの店があるんだ。補習の後に、おごらせてくれよ。」
 マリエは首を横に振る。
「わたしなんかが、そんな。」
「お願いだよ。」
「・・・。」
 マリエはじっと上目遣いオレを見る。オレもじっとマリエを見返していた。
「・・・。」
 やがて、こくり、とマリエは頷いた。
「じゃ、決まり。」
 オレはマリエに向かって小指を出す。その小指を凝視したままマリエは後退さった。
 その意味がわからないのか、マリエはオレの小指を見つめたまま。
「指切り。」
 オレがそう言うとマリエは納得したのか、恐る恐るオレに小指を近づける。
 その小指をオレは小指で引き寄せるように、力強く握った。
「ゆびきり げんまん うそついたら はりせんぼん のーます! ゆびきった!」
 歌ったのは一方的にオレ。だけど、マリエは笑っていた。楽しそうかはわからないけど、笑っていた。
 嬉しい。初めて見た、マリエの笑顔。自然と笑顔が零れる。
「約束だからな。」
「うん。」
 約束。
 オレとマリエは、それから急いで昼食を食べた。



「最近楽しそうぢゃん。」
 アキラがつまらなそうに頬を膨らませて言った。口にはオレに買いに行かせたジュースのストローがくわえられている。
「なんだよ、オレが楽しんだらいけないのかよ。」
 使いっぱにはそれすら認められていないのか。毎日悲観して生きろとでも言うんだろうか。
「だって罰ゲームだしぃ。」
 あぁ、マリエの事か。
「その事なんだけどさ。」
「何?」
 タカトが面倒臭そうにオレを見る。
「他のに変えてくれる?」
 途端、タカトがノートを閉じて立ち上がった。
「ダメ!」
 人にそんな事言う前にさっさと宿題を終わらせてほしい。提出期限が今日なのに。
「どうして?」
「これ放棄したらお前、裸踊り学校三週だぞ!」
「・・・。」
 タカト、良いヤツだな。
 そう思うと同時にオレはアキラを睨みつけていた。へらへらと、底意地の悪い 笑みを浮かべている。 「裸踊り、やるか?」  横でゲラゲラと笑い転げているリュウキをオレは張り倒した。カバンを引っつかむ。
「くそったれ!」
 オレは向きを帰る。
「おい、どこ行くんだよ?」
「ケーキ屋!」
 アキラはきょとんとした顔をした。

 校門に出ると、マリエが待っていた。俯き気味でカバンをスカートの前に押し当てている。
「ごめん、待った。」
 ふるふるとマリエは勢いよく首を横に振る。その様子は、まるでリスのようだった。
「じゃ、行こっか?」
 マリエは頷く。オレも頷いて、歩き始めた。
「マリエは何ケーキが好き?」
「ベイクドチーズケーキ・・・。シンくんは?」
 オレは一瞬、ア然としてさまった。だって。だっていつもは、オレがマリエに問い掛けるだけだったのに。今は、マリエがオレに聞き返してくれている。
「――シンくん?」
 あぁ、いけない。マリエが不安そうな、怯えた目でオレを見ている。
「いちごのショートケーキ。」
「・・・。」
「コーヒーと食べるのが大好きでさ、誕生日の時にさ、ワンホール全部食べたら姉ちゃんにめっちゃ怒られたんだよ。」
「ふふ。」
 笑った。マリエがオレに笑ってくれた。
「シンくんのお弁当、たくさん作らなきゃ。」
「甘いものは別腹なだけ。」
「そう言えば、シンくん、パンは菓子パンしか食べてないね。」
「甘いもの大好き。」
「でも、お野菜も食べないと。」
「野菜ジュース飲んでるからいいの。」
「ダメ、だよ。」
 そう言ったマリエの顔はどこか淋しそうだった。
 食べなければいけない、という事はわかっている。だけど、好きでもないし出される事はない。
「・・・。善処シマス。」
 はにかんだような、だけど満面の笑み。かわいい。本当に、そう思う。
 きりり、と胸が痛んだ。その理由をオレは知っている。だけど、考えたくはない。
「いっぱい食べような。」
「でも、そんなに食べたらシンくんに悪いよ。」
「いや、食べてくれた方が有り難いよ。」
 その店は「フランス菓子マリー」という店。マリー・アントワネットから名付 けているらしい。
 とても美味しいオレの大好きな店。夜は高級菓子店だが、昼には別の顔がある。
 オレはドアを開ける。目に飛び込んで来るのは様々なケーキ、ケーキ、ケーキ。
 手の指先を中に向けて、オレはマリエに中に入るように促した。呆気にとられたマリエは操られたように中に入る。オレもその後に続いて中に入る。
 中に入ると黒板に、手書きで「昼限定特別ケーキバイキング実施中!!! お一人様2500円(紅茶付き)」と書かれていた。
「あら、シンくん!今日はお二人様ですか?」
 すっかり顔なじみになった塚本さんがにこにこ笑いながらオレに問う。
「うん。今日はデート。」
「かしこまりました。いつもの席でいい?」
「うん。」
 いつもの席。ケーキが置かれている一階とは遠い二階のバルコニーの一番隅の席。
 このケーキバイキングが人気だから座れるだけでもありがたい。それに、塚本さんは申し訳なさそうだけど、オレはあの席が好きだった。
 大きな大きな窓。そこから目に入る夕焼け。マリエにも早く見せてあげたい。
「シンくん。」
 不安そうにマリエはオレを見上げる。
「大丈夫なの?」
「大丈夫。オレ、バイトやってるから結構金持ちなんだよ。」
 ここでケーキを食べるためだけに始めたバイト。だからとても貯まっている。
「だからいっぱい食べような。ここ、凝ってるのも美味しいけどやっぱり一番シンプルなのが美味しいんだよ。」
 席にカバンを置くと、オレはマリエの手を引いて急いで一階に下りた。
 オレはトレイの上に皿を三つ置く。だけど、マリエは一つしか置かなかった。
 まずはショートケーキ。もちろんいちごの。三つ入れる。それからティラミスにモンブラン、桃のタルトにみかんのタルト、おまけにブルーベリーソースのチーズケーキ。
 皿がいっぱいになったので、ふとマリエの方を見るとマリエは控えめに皿の上にベイクドチーズケーキと抹茶ケーキだけだった。
「それだけ!?」
 オレは驚いて目を丸くしてしまう。
「うん――。お腹空いたら、もっと食べる。」
 オレとマリエは席に戻った。テーブルにはミルクティーが二つ、置いてある。塚本さんだ。
「マリエ、乾杯しよう。」
「うん。」
 乾杯をして、オレとマリエは一緒にミルクティーを飲んだ。それから、ケーキを食べる。
「学校のみんなには内緒な?」
 おれはいちごのショートケーキを頬張りながらマリエに言う。マリエは俯いた。頷いたのだろうか。
「二人だけの秘密。この店、他の誰にも教えるなよ?」
「うん。」
「また、来週来よう。」
「そ、そんな――。悪いよ。」
「だって一人で食べるよりマリエと食べる方が美味しいもん。」
 オレの皿からはいつも以上のスピードでケーキが消える。マリエは、遅い。
「マリエ、チーズケーキちょうだい。」
「うん。」

 夕焼けが見える程粘れなかった。マリエが、お腹いっぱいだと言う。
 店を出ると、店の周りはカップルでいっぱいだった。
 その白く細い腕と組みたい。そう思うけど、オレはマリエと並んで歩く。
 俯いていて、顔が見えない。それはいつもの事、だけど――。
「マリエ。」
「何?」
「マリエさ、絶対髪切った方がかわいいよ。」
 オレはマリエの前髪から横髪を纏め上げる。とても柔らかい髪だ。どうしてそれなのに真っ黒なのだろう。
「し、シンくん――。」
「あぁ、ゴム持ってたら結んであげられたのに、オレ、姉ちゃんの髪結うの得意なんだよ。」
 もっとマリエの顔が見たい。
「それにさ、オレンジとか黄色とかのキャミソールとかさ。」
「シンくん。」
 少しマリエは眉毛を顰め、何を考えているのかわからなかった。でも、オレとマリエは見つめ合っていた。
 潤んだ大きな瞳。とってもキレイだ。どんな宝石より。ブラックダイアモンドより。
 永遠だった。その瞳だけで、オレの一生は終わりそうだった。
 どこからか聞こえた車のクラクション。ふっと我に帰り、視線を逸らす。
「来週は私服で行こう。」
 そうすれば、マリエにあの夕焼けも見せてあげられる。
「な?」
 マリエが微かに頷く。嬉しい。
「約束。」
 こうしてオレとマリエは二度目の指切りをした。



 遅い。オレはケータイを広げて時間を見た。
 いつも、マリエはオレより先に来てオレを待っているのに。
 ポケットの中には姉ちゃんから借りたオレンジのゴム。それを指で転がす。
 今日、ちゃんと教室にはいたのに。ふと、不安になる。
 土曜日に余計な事でも言ってしまっただろうか。それで怒らせてしまっただろうか。
 不安になる。怖くなる。
 オレは立ち上がった。マリエの様子を見に行こう。きっと、何か理由があるはずだから。
 階段を下りる。
 そう言えば死んだ少女の呪いがあると言われている屋上。いつの間にか怖くなくなっていた。
 そんなことを思い出しながらオレは教室へ急ぐ。
「何とか言えよ!」
 オレとマリエの教室から、聞き覚えのある怒鳴り声が聞こえた。
「チョーシこいてんじゃねぇ!お前みたいな根暗、シンが相手にするワケねぇだろ!」
 谷村先輩だ。オレが教室に踏み込もうとしたその時。
「お待ちなさい!」
 マリエだ――否、その姉の野々宮マリヤだ。野々宮マリヤはマリエを庇うように谷村先輩に立ち塞がっている。
 同じ顔のはずなのに豪華だ。髪を巻いているだけでそんなに違うのか。圧倒的に威圧感がある。
「野々宮マリヤ――っ!」
 明らかに谷村先輩は動揺していた。
「性格が不細工な貴方がそのシンとやらにフラれるのは当然の事でしょう?なのに、わたくしのマリエに八つ当たりしないで下さる?」
 言った。
「チョーシこいてんじゃ――!」
「あら?貴方はそれしか言えないの?自らの無知と語彙の低さをさらけ出しているに過ぎないわ。」
 本当の事だ。それに、谷村性格はひどいと思う。でも。
 言い過ぎだ。
 耳まで谷村性格は真っ赤になっていた。そして、指輪で飾られた右手を振り上げる。
「下僕!」
「オレの名前はマキなんだけど。」
 あれは――。泉谷だ。泉谷真紀。彼が、谷村先輩の右手を掴んでいた。
 女の噂は数知れず。そんな泉谷が野々宮マリヤの下僕に成り下がっていたなんて。
「マリエだけでなく、わたくしにまで手を上げようとするなんて。万死に能いします。」
 ぱぁん、と気持ちのよい音を響かせて野々宮マリヤは谷村先輩の頬を打った。パーで。
 それから更にグーで野々宮マリヤは谷村先輩の鳩尾の辺りを殴り付けた。そうでないだけに、痛そうだ。
「マリエも気がないのならさっさと離れなさい!」
「でも――。」
 マリエはしっかりと何かを抱く。ブルーのスカーフに包まれた、何か。
「シンくんは――。」
「さっさとお言いなさい!」
 やっと、オレは理解した。オレは今、ここにいてはいけない。
 マリエには野々宮マリヤがいる。だから、オレは屋上で待つしかできない。何も知らなかったように。
 せめて。せめて、キレイに髪を結おう。マリエに一番似合う髪型に。
 悲しかった。こんな事しか出来ない自分が。
 マリエには野々宮マリヤがいる。その真実を改めて突き付けられた事が。
 屋上に上がってきたマリエ。何でもないと言うように、野々宮マリヤと話していたと言った。
 オレの隙間がない。
 お弁当は本当に美味しそうで。少し傾いていたのは、たぶん、谷村のせい。
 嫌がるマリエの髪を無理矢理結ぶ。似合わない、と言っていたけど前髪を上げた方がかわいかった。
 明日も、と約束をする。お弁当と、髪の事。
 いつもの楽しい昼休み。だけど。オレの胸は壊れてしまいそうだった。
 今日も昼休みが来る。さぁ、早く屋上へ、マリエの元へ行こう。
 マリエはさっき、オレが朝に結んだ髪を揺らしながら屋上へ行っていた。
 水筒を掴んで立ち上がる。と。
「シンくん。」
 リュウキがオレの腕を掴んだ。ニヤニヤしている。
「最近冷たくない?」
「別に。」
「自分だけ女の子と楽しんでさぁ。」
 こいつ、何が言いたいんだ。オレはリュウキの手を振り払う。
「うざい。」
「待てって。」
 リュウキがオレに耳打ちをする。
「キス、した?」
「してねぇよ。」
「アキラがさ、期限は今日までだって。」
「いつそんなこと決まったんだよ!」
「今さっき。」
 振り向くと、リュウキと同じくニヤニヤしているアキラと、心配そうなタカト。
「アキラ!」
「デートにまで行った仲なんだろ?」
「しかも好きでもないケーキ屋。」
 どうしてケーキ屋に行ったって知ってるんだ。しかも、オレはケーキが大好きだ。
「うるさい!」
「まさかマジで惚れた?」
「・・・。」
 惚れた。オレは、マリエに惚れたのか。そうなのか。
 頭が混乱する。オレは確かにマリエが好きだけど――。そういう好きなのか。
 現に、オレは谷村先輩からマリエを助けられなかった。見ていただけだ。
「あらら。図星?」
「シンん。裸踊りだぞぉ。」
 どうしてタカトが一番泣きそうな顔をしているんだ。オレが泣きたい。
「やめよう。」
 やめよう、罰ゲームなんて。傷つくのは、マリエ。
「一番辛いのはマリエじゃないか。」
「・・・。」
 どうして。オレは叫びたくなった。どうしてアキラはそんな冷たい表情をしているんだ。友達じゃ、なかったのか。
「罰ゲームやめる?」
「やめる。」
「じゃあ、別の罰ゲームにしよう。」
 空気が重い。胃の辺りが、痛かった。
 裸踊りでも仕方がない。マリエを傷つけたくはない、から。
「野々宮マリヤの下僕になって。」
「お前はマリエが嫌いなのか?」
 自然と、口を突いた。
 リュウキが目を大きく見開いている。
「アキラが嫌いなのは野々宮マリエじゃなくて――」
「リュウキ!」
「お前、野々宮マリヤにフラれたんだな?」
 空気が、固まった。それはもう確信だった。
「アキラ、そうだったのか!」
 みんなが弁当を食べているにも関わらず、タカトが大声を上げる。
 教室がしん、と静まり返る。このままだと、会話を聞かれてしまう。
「じゃ、オレ飯食ってくるからまた放課後な。」
「逃げるなよ。」
「それでアキラ、それって・・・」
「うるせぇ。」
 タカトはいいヤツだ。真面目なわけじゃないしノリもいいけど、いいヤツ。だけど、少し見えていない。



 階段を一気に駆け登る。そこには、マリエがいた。
「ごめん、遅くなって。」
 何回も何回も、マリエは首を振る。
「そんな――。」
 そして、マリエはぽつりと言った。
「わたしの方こそ――。シンくんが、わたしなんかと一緒に食べてくれて――。」
 マリエが一体何を言っているのか。頭が真っ白になった。
「シンくんはわたしなんかと違って友達がたくさんいるのに――。わたしなんかに気を使ってくれて――。」
 違う。オレがマリエと一緒に食べたいだけなんだ。
 それにマリエがわたしなんかって――。どうしてそんなに自分を卑下しているんだろう。
「違うよ。」
 違う違う違う。
「オレ、マリエと一緒に食べるのが楽しみなんだ。」
 そう。
「マリエのことを知れるのが――」
「お黙り。」
 嬉しい、と言おうとした。でもそれは野々宮マリヤに遮られて――。
 いつものように威風堂々と、胸を張って野々宮マリヤは立っている。
 後ろに引き連れているのは下僕の泉谷。そして、アキラ。
 体から血が引く。全て、吸血鬼にでも血を抜かれてしまったみたいだ。
 アキラの頬には青痣がいくつもできていた。でも、そんなこと関係ない。
「罰ゲームでわたくしのマリエを騙そうとするなんて・・・。」
 貴方は最悪ですわ、と吐き捨てるように野々宮マリヤが言う。
 そう。オレは最悪な人間。しかも、それを正当化する理由をずっと探していたんだ。
「貴方にお弁当を作ることも貴方とケーキを食べに行くのもマリエは楽しみにしていたのに――!」
 返す言葉もない。マリエ、ごめん。ごめん。
 野々宮マリヤがオレに歩み寄ってくる。彼女はオレに罰を与えてくれるんだ。本当にごめん。マリエ。
「黙ってないで何か言ったら?」
「君は、見苦しい言い訳を望んでいるか?」
「いいえ。」
 きっぱりと、野々宮マリヤは言い放つ。そう。
 野々宮マリヤは手を振り上げた。女の弱い力でそれが罰になるのか、心配だ。
 マリエ。ごめん。
 野々宮マリヤの掌が真っすぐ、オレに向かって振り下ろされる。オレは、ゆっくりと目を閉じた――。
「マリヤちゃんやめて!」
 確かに。確かに、叩かれる音がした。でも、どこも痛くなくて。
 恐る恐る目を開ける。と、オレと野々宮マリヤの間にはマリエがうずくまっていた。頬を押さえている。
 オレは瞬時に理解して、マリエに腰を屈めてマリエの肩を起こした。
「マリエ!」
「マリエに触らないで!」
「いいの・・・。マリヤちゃん。」
 よくない、全然よくない。
「マリエ、貴方何言ってるの!?」
「わたしなんかがシンくんみたいにかっこよくて人気者とお喋りできただけで幸せだから。」
「マリエ、オレはそんなんじゃ・・・」
「シンくん、ごめんね。わたしのせいでいっぱい我慢させて。」
 そんなことない。言おうとしても、喉に何かが詰まる。
「わたしなんかみたいなつまらないのと、一緒にお弁当食べてくれて、ありがとう。」
 マリエは立ち上がる。
 さようなら。マリエの口はそう言っているように見えた。
 行ってしまう。
「違うんだ!」
 違う。
「確かに、最初は罰ゲームだったけど、オレも楽しかったんだ!」
 楽しかった。
「罰ゲームのは、本当にごめん!でも、オレ、マリエと一緒にいたいんだ!」
「随分自分勝手でなくて?」
 それはわかってる。わかってるんだけど。
 オレは土下座した。何か――たぶん野々宮マリヤの足――がオレの頭を地面にすりつける。
「マリヤちゃん!」
 マリエの悲鳴のような声が聞こえた。
「この男は貴方を騙したのよ?何をかばう必要があるの?」
「いいの!いいの!」
「マリエ、よくないよ。」
「だって、だって――!」

   わたし、知っていた、から。

 ショックだった。何がショックだったのか、頭の中が混乱する。
「貴方――。本当に馬鹿ね。」
 それは呟きのように聞こえた。



 ケータイを開くと3時15分を指していた。待ち合わせは3時だったのに。
 何かあったんだろうか。待ち合わせの相手がマリエなだけに不安になる。
 電話をかけようと思ってもそれはできない。オレはマリエのケータイ番号すら知らないのだ。
 もしかしてすっぽかされたか。そんな不安も過ぎる。
「ご、ごめん!」
 それは本当に小さな声だった。振り向くとマリエがいる。
 くすんだ赤のシャツに、茶色いスカート。少しヒールの高いパンプスをはいていた。サイズはぴったりなんだけど、明らかにはき慣れていないのてマリエの物でないとわかる。
 顔を真っ赤に染めてマリエは俯いていた。いつもと違うのは。
「マリエ、髪切った?」
 さらにマリエの顔が赤くなる。表現は悪いけど、ゆでだこみたいだ。
 眉毛の上で切られた前髪はいつものように流していない。横と後ろは首で真っすぐ同じ長さで切られている。
「変――?」
 上目使いに問うマリエ。泣き出しそうに瞳は潤んでいる。
「全然。」
「や、やっぱり、変だよ。服も、スカート以外全部マリヤちゃんのだし、か、髪型だって――。」
 最期には声が震えていた。そんなことないのに。
「マリエはかわいいよ。」
 もっとやわらかくて明るい色の方が似合うと思うけど。
 本当にマリエはかわいい。そして優しい。
 オレはマリエに手を差し延べる。怖ず怖ずと、マリエはオレの手に触った。
「行こう。」
 あのケーキ屋に。
「うん。」
 マリエはとってもキレイでかわいい。でも、その分後ろ向きであって。
 わたしなんか、とか自分を卑下するようなことを言わないでほしい。
 でも、マリエは進んでいる。後ろ向きだって何だって進んでいる。
 現に今日だって髪を切ってオレと会ってくれている。
 マリエが後ろ向きにしか進めないんだったら、オレが前を見てあげよう。後ろ向きで進むのはとっても危ないから。
「来週は買い物に行って服買おうよ。」
「そ、そんな・・・。」
 オレの今の願いはただ一つ。マリエと一緒に進むこと。



すごく後ろ向きな女の子が書きたくて書いたんですが、あまりそうなりませんでした。
すぐに「ごめんなさいごめんなさい!」と謝る女の子をコメディ風味に書きたかったんですけど。
また挑戦します。
彼女の姉妹のマリエが主人公の話はこちら

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