照桜




お照は儚げな娘だった。
やつれて、貧相で髪も振り乱していたのに瞳が綺麗で――。
そしてその綺麗な瞳で愁いある表情をしていたので、村の男は皆お照の虜になった。
明るい名前なのに陰りのある娘。
村のどの家の娘とも違う雰囲気をお照は持っていた。
虜になって求婚するはいいが、男達はお照に何もしてやらない。
継母に苛められているのは確かだったのに、男達はお照に求婚するだけだった。
またそれが継母のむかっ腹の原因となってお照は苛められる。
――もしかしたら、男達はお照が母に苛められるのを楽しんで見ていたのかもしれない。
しかし、今となってはそれはどうでも良い事。
だって、お照は桜になってしまったのだから――。

これはそんなお照のお話です。





「お照!アンタまた盗み食いしたね!」
「違います!違います!それは留吉が――!?」
「お黙り!あたしの可愛い留吉がそんな事する訳ないでしょう!」
「違います!違います!」
「まだ言うかいこの売女ッ!アンタなんか今日も晩飯抜きだよ!」
「違います!違います!」

――悪いのは、留吉なんです



お照は重い荷物を背負って坂道を歩いていた。
今日は留吉の誕生日。
祝事がある日なのでご馳走を作らねばならない。
そのご馳走を作る為には材料がいる――。
だから、いつもより優に三倍を超える食材を背負ってお照は進んでいた。
あまりにも重いので、途中で息が切れて休んでしまう。
そして直ぐにまた歩き出す。
あまり長く休んで遅くなると、義母様にぶたれてしまうから。
息も絶え絶え、足もおぼつかなくなりながら、お照は必死にあるいた。
「これはまた、可愛らしいお嬢さんがどうしたのですか?」
「――え?」
顔を上げると、男が立っていた。
長い髪を束ねて、安い女物の着物を気長している。
彫りの深い顔に笑みを浮かべながら、お照に手を差し延べていた。
「――あ、貴方は?」
「これは失礼。妾は景俊座の座長を勤めておりまする、玉川朝矩滋と申します。」
芸人らしいはきはきとした口調で、澱みなく朝矩滋は答えた。
恐らく旅芸人の一座だろう。
「わ、吾はお照と申します。玉川さん、初めまして。」
「お照ちゃん。良い名前ですね。」
にっこりと朝矩滋は微笑んだ。
まるで瞳に吸い込まれそうである。
「玉川なんて堅苦しい事は言わず、朝矩滋で結構ですよ。」
「それでは、座長さんとお呼びして構いませんか?」
朝矩滋さんと言うのも気が引けた。
お照がそれを口にすると、朝矩滋は微笑む。
すると、ひょいと朝矩滋はお照の背負っていた荷物を取った。
お照が驚いて目を丸くすると、またお照に微笑み掛ける。
「ご安心を。荷物を盗ったりなんて致しませんから。お照ちゃんの荷物があまりにも重たそうだったもので。」
「困ります!」
お照は慌てた。
このような事が義母様に知られたら――。
怯えたお照を見て、朝矩滋はお照の頭に手を置いた。
「村の近くまで運んだら貴方に渡しましょう。」
何もかも見透かされているようだった。
茫然とするお照の頭を朝矩滋は撫でる。
「当たりでしたか。」
朝矩滋はすっとお照の背中を押した。
その手は柔らかい。
「急がないとお母様か小母様に怒られるのではありませんか?」
「――はい。」
言われるままにお照は歩き出した。



下では留吉の誕生日を祝って祝宴会が開かれている。
お照は麦飯と鰯を食べ終わると、微かに明かりが漏れる隙間から宴会の様子を伺った。
村中総出で留吉の誕生日を祝っている。
何と言ってもお照の村は小さな村。
祝事は村人皆でするのが当たり前である。
すれと、留吉が天井に向かって嫌らしい笑みを浮かべた。
勿論お照が覗いている事等知らない。
ただ、羨ましがっているだろうお照を嘲っているだけである。
羨ましくない。
そう言ったら嘘になる。
だが、今はもう馴れて羨ましいとはあまり思わなくなった。
お照は茶碗と皿を片付けて、布団を敷いた。
薄っぺらい布団なので夜が深まれば寒くて眠れなくなる。
お照は布団にくるまった。
さして目を閉じる。
瞼の裏では朝矩滋が笑っていた。
――あんな風に優しくしてもらったのは久しぶりだった。
お照の母親が亡くなったのはお照が四つの時。
朧気ではあるが、それがお照が優しくされた最後だったと思う。
それから父様はお照と口を訊いてくれなくなった。
毎日酒に溺れる日々。
そして父様が後添えを貰ったのがお照が六つの時。 ――そう、地獄の始まりだった。
義母様は先妻の忘れ形見であるお照が気に入らないのか、よく暴力を振るった。
そして口汚なく幼いお照を 。
何を言われているのかは分らなかったが、お照は泣いた。
ただ義母様の悪意が伝わって来たのは覚えている。
留吉が産まれてからはそれに拍車を掛けた苛めようだった。
子供――しかも男子を授かった事で、先妻を抜いたとでも思ったのだろう。
その頃からは最初は庇ってくれていた父様も義母様の苛めに何も言わなくなった。
お照が九つの時である。
しかしお照は留吉を憎いと思った事は無い。
ただ、そうだったから。
お照は瞼の裏で笑っている朝矩滋を穴が空く程見つめた。
――玉川朝矩滋。
もう会えない一度限りの縁だったかもしれない。
しかし、お照は幸せだった。
「座長さん――。」
お照は呟いた。



米を買いに隣り町に向かった。
義母様がお照を追い出したかっただけかもしれないが、丁度良い。
お照は縮緬の財布袋を持って、当たりを見渡しながら進んだ。
玉川朝矩滋に会うため――、である。
だが朝矩滋はいなくて、お照は町に着いてしまった。
もしかしたらあまりにも疲れ過ぎていて白昼の夢を見ていたのかもしれない。
しかし、そうだとしたらあまりにも悲し過ぎるではないか。
「座長さん。」
呟いてお照は米屋に向かった。
と。
「呼びましたか?」
お照は感激の余り口を押さえる。
長い間忘れていた涙が溢れそうだった。
「座長さん!」
「お照ちゃん、何かご用で?」
「――座長さんに、会いたかったんです。」
お照は恥ずかしそうに俯いた。
朝矩滋はそんなお照の顔を上げさせる。
「そうでしたか。さぁ、お照ちゃん、こっちにいらっしゃい。」
朝矩滋に導かれた先には、簡易の劇場が建っていた。
役者と思しき面々が表に出て客引きをしている。
朝矩滋に気付いた一人の役者が声を上げた。
「座長!」
その一声にわらわらと役者が集まる。
「何処で油売ってたんですか!」
「開演まで時間無いんですよ!」
「捜し人をね。」
「捜し人?」
皆の役者が一斉にお照に注がれる。
――怖い。
「大丈夫だよ。」
「座長さん。」
はっとお照は顔を上げた。
皆、優しそうな人ばかり達である。
「こりゃ、凄い別嬪さんだな。」
「何処で引っ掛けてきたんですか。」
「真逆、隠し子!?」
「 言うんじゃありません。お照ちゃんが真に受けたらどうするんですか。」
「へぇ。お照ちゃんって言うのかい。」
良い名前だ。
可愛い子だ。
お照は皆に撫で回された。
「ほら、皆。もう始まりますよ。」
へぃ、と役者達は引っ込んで行った。
残ったお照に朝矩滋は笑顔で手を差し出す。
「見て行って下さいよ。」
「でも、吾はお金なんて――。」
「大丈夫。お照ちゃんは可愛いから特別に無料だよ。」
お照は恐る恐る中に入った。
人が沢山座っている。
お照は朝矩滋に一番前の席に案内された。
朝矩滋はそのまま舞台に上がる。
「皆さん、景俊座によくご来場下さいました。」
声がよく響く。
「只今より御船をご覧頂きます――」
舞台が始まった。



「お照、遅かったじゃないかい。」
義母様に髪を掴まれ、お照は前に倒れ込む。
胸を足で押さえ付けられ、激しく咳き込んだ。
苦しそうにする照を見て、義母様は満足そうに微笑む。
「米一つ買うのに一体どんだけ掛かってんだい!このうすのろ!」
義母様はお照の腹を蹴った。
苦しくて息が止まる。
「真逆、立ちん坊でもしてたのかい!この売女ッ!」
散々蹴ると、義母様はお照の髪を持ってお照の顔を水瓶に漬けた。
――息が出来ない。
水瓶から顔を上げられると、お照は咳き込んだ。
咳き込んでいる途中にまた水瓶に顔を漬けられて、水を飲む。
「この恥さらし!」
何をされても今日は平気だ。
だって、朝矩滋に会えたから。
「何とか言ったらどうだい!この !」
平気だ。
もう大丈夫。
お照は呪文のように自分に言い聞かす。
大丈夫。
だって、朝矩滋と会ったから。



「おや、今日も来たのかい?」
お照は見知った役者の一人に問われ、頷いた。
「入りなよ。」
「でも、お金無いから――。此処で見ます。」
「こんな処じゃ座長も見えないよ。」
知っているのか。
思わず顔が真っ赤になるのを禁じ得なかった。
「大丈夫。入りなって。」
「でも――。」
「辛い事。あったんだろ?」
どうしてそれを。
お照は不思議そうな顔をした。
思わず役者は苦笑する。
「顔見りゃ分かるよ。」
役者はお照の背中を押した。
「俺達の仕事は人を幸せにする事さ。」
半ば突き飛ばされるように中に入ると、最前列に朝矩滋が座っていた。
当然のようにお照に手を振る。
お照は朝矩滋に駆け寄った。
「どうしたんだい?」
朝矩滋はそれが当然であるかのようにお照の頭を撫でた。
柔らかくてとても気持ち良い。
「今日から毎日来て良いよ。」
お照は頷いた。
そして、その言葉通り毎日通い詰めた。



お照は驚愕した。
分かっていた。
ずっと、この日が来る事は分かっていた。
「行ってしまわれるのですか?」
「妾達は旅芸人。次の町にもうそろそろ行かなければならないのでね。」
「行かないで下さい!」
お照は初めて自分から朝矩滋の肌に振れた。
縋り付くお照を宥めるように、朝矩滋は背中を撫でる。
「妾は行かなければならないんですよ。」
「辛いです。」
朝矩滋がいなくなる生活なんて考えられない。
一度朝矩滋に触れてしまったから、もうあの生活には戻れない。
「お照ちゃん。」
朝矩滋はお照を抱き締めてくれた。
放さないで欲しい。
このままずっと――。
「朝矩滋さん。」
お照は初めて朝矩滋の名前を呼んだ。
そして、久しぶりに泣いた。
「来年、桜の咲く季節になったら帰って来ます。」
「半年も先――?」
「半年なんてあっと云う間ですよ。」
お照はやっと朝矩滋から身を放した。
頬は涙で濡れている。
美しい瞳が潤んでいた。
「約束ですよ。」
「約束します。」
お照と朝矩滋は指切りをした。
桜の季節に戻って来ると云う約束。
約束を違わぬように。
「そうだ。」
朝矩滋は凜、と髪紐を外す。
ふわりと、朝矩滋の長い髪が舞った。
七色の紐で鈴が着いた綺麗な髪紐である。
「これは何でも願いが叶う髪紐なんだよ。」
「何でも?」
「そう。お照ちゃんには特別にこれをあげよう。」
お照は早速髪紐を着けて見た。
朝矩滋が微笑む。
「とっても似合うよ。」
照れながらお照は微笑んだ。
顔は真っ赤になっている。
「やっと笑った。」
朝矩滋が微笑むのを見て、お照は朝矩滋に背を向けて走り出した。
まるで涙を渇かすように。
そして振り向かずに立ち止まる。
「約束ですからね!」
桜の舞う季節に。
渇かす筈の涙で、頬は濡れていた。



家に着くと、義母様が狡猾そうな笑みを浮かべてお照を待っていた。
初めてお照に見せた、義母様の笑みは恐ろしくて、お照は買った酒瓶を落としてしまった。
「本当に駄目な子だねぇ。」
猫撫で声で義母様はお照の落とした酒瓶を拾う。
恐い。
「お照、良かったねぇ。」
義母様はお照の腕を掴む。
骨が折れるかと思う程痛かった。
「お前みたいな屑でも嫁に貰ってくれる人が表れたよ。」
お照は恐る恐る義母様の後ろに視線をやった。
誑しで有名なこの村の村長の息子が義母様と同じ笑みを浮かべて座っている。
嫌だ。
怖い。
「お前ももう十五。嫁に行けない歳ではないだろ?」
義母様はお照に耳打ちした。
本当に聞こえるか聞こえないかの声で。
「お前みたいな旅芸人と付き合っている淫婦でも嫁に貰ってくれるって言ってんだ。有り難く思いな。」
義母様に知られてた。
朝矩滋との時間を。
お照の人生の中で最も輝いていた時間を。
悔しかった。
何故、義母様が。
「だからお前にはこんな綺麗な髪紐も必要無いね。」
義母様はお照の髪紐を強引に解いた。
それは、朝矩滋に貰った――。
「駄目!」
お照は義母様から髪紐を引った繰って、大事そうに胸に掻き抱いた。
義母様はお照に初めて歯向かわれて、茫然とする。
しかし、直ぐにお照に掴み掛かった。
「何すんだい!それは元々あたしの髪紐だろ!」
嘘ばっかり。
嘘ばっかり。
義母様は嘘しか言わない。
いつも留吉が悪かったのに。
留吉が勝手に転んだ時もお照のせいにして。
いつもお照を苛めて。
お照は家を飛び出した。
この先の事なんて何も考えていたい。
ただ、朝矩滋に会いたかった。
「朝矩滋さん!」
転んで膝を擦り剥いてもお照は走り続けた。
朝矩滋の名を叫びながら、走り続けた。
しかし、もう其処には景俊座は無かった。
「――、朝矩滋さん――。」
お照は其処にへたりこんだ。
その他に、お照に出来る事があっただろうか。
お照、お照、と義母様の声が聞こえる。
追っ手だ。
お照は髪紐を見つめた。

――これは何でも願いが叶う髪紐なんだよ

「朝矩滋さん――。」
お照はそっと、髪紐を胸に抱いた。
目を閉じれば、瞼の裏で朝矩滋が笑っている。
「髪紐さん。」
願う事は決まっていた。
どんどん声が近付いてくる。
「吾を――」
「お照!」
「毎年朝矩滋さんに優しく舞い落ちる――」
「容赦しないよ!この粕!」
「桜の木にして下さい。」
義母様がお照の腕を掴むのとほぼ同じだった。
お照のいた場所に立派な大木が立っている。
「ひぃぃ!」
義母様は後図去った。
しかしまだ言う。
「お照!何処だい!出てきな!」
もう無駄なのに義母様は喚き続けた。





「お照――。」
朝矩滋は膝を付いた。
お照が、桜になっている。
桜となったお照はそんな朝矩滋を優しく包んだ。
朝矩滋に桜の花弁が舞い落ちる。
あまりもの事で朝矩滋は言葉が出なかった。
「お照、どうして?」
吾は幸せです。
そうでも言うように桜が風に揺れた。
何と可哀想な子だろう。
「他に、願う事は無かったんですか?」
「吾は貴男を掴まえられない。」
桜吹雪の中、お照が立っていた。
そして微笑む。
「吾は桜にならなければ他の人の妻になっていました。それは嫌でした。しかし吾は貴男と一緒になる事が未来永劫に出来ません。」
人と鬼。
永劫に交わる事の無い存在。
「しかし。お照ちゃん。妾はお照ちゃんと夫婦になるつもりがあったんですけどね。」
「吾は――。」
「分かってるよ。」
もう、陰となってしまったお照を朝矩滋は抱き締めた。
お照は幸せそうにまどろむ。
「こんな半端者の妻にはお照ちゃんもなりなくなかった。そうでしょう。」
「怖かった。」
お照の声が震えていた。
桜吹雪は一層に激しくなる。
「貴男に拒まれるのが怖かったのです。」
「妾もお照ちゃんも、駄目ですね。」
桜吹雪が止んだ。
もうお照はいない。
「毎年来ますよ。貴男が一番綺麗な時に。」
全ての花弁を捧げるように、照桜は舞った。




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