魔王様、おねだりをする


「魔王様!」
スティルの声にトレアは身を竦めた。
何故こんなに早く分かってしまったのだろう。
トレアは頭を掻きながら床を這ってスティルに見付からないように進んだ。
匍匐前進は何十年ぶりだろう。
トレアが一生懸命芝生を進んでいると、何者かがトレアの首根っこを掴む者がい た。
「な!?」
「魔王様!」
トレアを易々と持ち上げる線の細い青年。
それはスティル。
スティルは怒った目でトレアを睨んだ。
「今日は人間界に勉強に行くと言っていませんでしたか?」
「・・・。」
もう駄目だ。
トレアは諦めて大人しくした。
「さぁ。」
スティルはトレアを担ぎ上げたまま、王宮に向かった。



柔らかな金髪に夕暮れ過ぎの空の色の瞳。
整った顔はふっくらとしていて、瞳が妙に大きい感銘を受ける。
不機嫌そうに王座に座って頬杖を突いている天使。
それがスティルの主君、トレア・アンビリソ・ウダーサーナ・ナキリ・ベンバチ カナだった。
前の世話係が旅に出てスティルにお鉢が回って来てから早数十年。
スティルはこの魔王の自由奔放な性格にはほとほと困り果てていた。
今もトレアは、スティルに駄々を捏ねていた――。
「別にこんな鬱陶しい金ぴかの服じゃなくてもいいじゃないか。」
「と、云いますと?」
「人間と同じ服で良い。こんなのを着ていたら魔族だとバレて面倒な事になる。 」
「別に傷を付けられる訳でもあるまいし。いいじゃないですか。」
「余は、面倒事が嫌いなんだ!」
「面倒の何が嫌いなのですか?百しか生きていない若僧の癖に楽を覚えてはいけ ません。」
「若僧?」
トレアが優美な線を描いている眉を吊り上げた。
流石魔王とあってプライドが高く、若輩者の扱いをされると腹を立てる。
「スティルが歳を取り過ぎているだけではないか。この数千歳。」
「そうきましたか。」
スティルも年寄り扱いされると癇に触る。
外見年齢はまだ二十代後半なのだが。
「トレア。」
スティルは外套を脱ぎ捨てた。
条件反射でトレアはスティルから身を守ろうと構える。
「剣を抜きなさい。」
「――。」
「私が勝てばあと数十年我儘は言わない。トレアが勝てば数十年好きにしていい 。」
トレアは神妙な面持ちで剣を抜いた。
――こうして、スティルはまんまとトレアを人間界に向かわせる事に成功したの である。



つまらなかった。
人間界を見て回るのは、何てつまらないのだろう。
父さえ病死しなければ。
兄さえ馬から落ちなければ。
姉さえ駆け落ちしなければ。
兄さえ川に落ちなければ。
兄さえ恋人に刺されなければ。
末子のトレアが魔王を継ぐ事は無かっただろう。
そう思ったら何処までも故人を怨みたくなる。
「魔王様、あれが屋台です。何か買われてみては?」
トレアは返事もせずに屋台に向かった。
「熱燗と鮭を。」
スティルはトレアを殴っていた。
「貴方は十代前半。お酒は二十歳から。これがどう云う事か分かりますか?」
「――余は百二十八歳だ。」
「二十八?十四が良い所でしょう!」
トレアの首根っこを掴んでスティルは引き摺る引き摺る――。
スティルの前では魔王様であるトレアも無力だった。
「スティル、放せ!」
人気の無い路地裏でやっとスティルはトレアを放した。
「魔王様、貴方はいつも私の話を聞いていなかったのですか?」
「聞いていた。飲酒喫煙は二十歳からであろう。」
「人間界でそれは外見の話です!」
「スティルは余が二十歳に見えぬと云うのか!」
「どう見ても鼻垂らして遊んでいる近所の餓鬼にしか見えません!」
「何と!?」
驚きの余り口が塞がらないトレアを見て、頭が痛くなってしまった。
どうしてこの魔王は自分中心にしか物事を考えられないのだろう。
教育を誤ったのだろうか。
それならスティルのせいではない。
前の教育係のせいだ。
そう云う事にしておこう。
「魔王様――!?」
スティルは振り返って絶句した。
トレアがいない。
「・・・。」
してやられた。
「あんの糞餓鬼がふざけんじゃねぇよこの野郎!」



スティルを出し抜いてやった、と思ったトレアは高く拳を突き上げた。
このまま人間界に留どまって、面白笑可しく遊んでやろう。
さあ、何して遊ぼうか。
久しぶりにスティルから開放されて宙にも浮く気持ちで足取りも軽く、トレアは 市場に出た。
金細工の店や肉屋に八百屋、瓶屋や雑貨屋――。
トレアは一件の果物屋に目を留めた。
真っ赤な美味しそうな林檎が置いてある。
トレアはそれを口に運んだ。
「泥棒!」
短時間の間に沢山の人間がトレアを取り囲む。
うんざりしてトレアは舌を出した。
「魔族だとバレたか。」
林檎を金を払わずに食べるのはしてはいけないと云う観念はトレアには無い。
金と云う存在自体、トレアは知らないのだ。
「卑小な人間共よ。」
トレアは人間共に右手を翳した。
面倒臭い事になったら更に面倒臭い事になる前に始末する。
スティルに教わった大事な事の一つだ。
「余に歯向かった事を後悔するが良い。」
かくて、トレアは半径五十メートル以内にいた人間を始末したのである。
――全く良い迷惑だ。
そしてまたトレアが歩き出そうとすると、一人の少女が焼け野原に立っていた。
驚いた様子で挙動不審に辺りを見渡している。
それ以上に驚いたのがトレアだ。
何故攻撃に当たらなかった。
「其処の。」
少女は驚いたようにトレアを凝視した。
「何故魔王である余の攻撃が堪えん?」
少女は黙ったままだ。
トレアは少女に近付いた。
「たかが人間である主が何故余の質問に答えぬ?」
やっとトレアに気付いたように少女は口を開いた。
「――ボク、お家は何処?」



やっとトレアのいる場所の情報が手に入った。
何と王宮にいるらしい。
迷子とでも間違われたのではないのだろうか。
スティルは苦笑を浮かべた。
あの我儘暴虐の限りを尽す糞魔王が。
帰ったら泣かす。
そう心に誓ってスティルはワープした。

其処に着くと女人がトレアと困ったように対峙していた。
それが女王であると気付くまでにあまり時間は用さなかった。
灰色の瞳。
それが彼女が何であるかを語っている。
「魔王様。」
スティルが声を掛けるとトレアが肩を震わせた。
そしてトレアは女王を指差す。
「養子にする。」
「はぁ?」
言うのが早いか動きが早いか。
ついスティルはトレアを殴っていた。
「何をする!?このサディ――!」
言いかけてトレアはしまったと口を継ぐんだ。
しかし、もう言いたい事は分かっている。
「サディストですか。それならお望み通りもっと痛め付けて差し上げましょうか ?」
「そんな事は言っておらん!」
「ならば大人しく帰りましょう。」
「それとこれとは話が別だ!」
トレアは女王を指差した。
「リーアを養子にするまでは帰らぬ!」
「先程しばらくの間我侭は言わぬと約束したばかりなのに、貴方はどれだけ阿呆なのですか?」
苦笑混じりのスティルの溜息にもトレアは答えない。
トレアは仁王立ちになってスティルを睨み付ける。
「リーアは魔力が効かぬのだぞ。その様に珍しい者を手中に収めぬ手は無い!」
「人間なんて直ぐ死ぬんですから。そんな事をしても無駄です。」
「だから養子にするのだ!スティルは か!?」
「――もう一度言ってみなさい。」
迷惑な事に、人間界の王宮で魔族同士が争うと云う大変な事になってしまった。
しかしスティルの頭には人間の迷惑など小指の垢程も無い。
トレアを泣かす。
それが今の第一目標だった。



リーアには良い迷惑だった。
いきなり少年に殺されかけて、どう見ても年下のその少年に養子に来いと言われ て。
それだけならまだしも、その少年の仲間らしき者が王宮に忍び込んで少年と好き 勝手に喧嘩をしている。
もう少しでこの王宮は使い物にならなくなってしまうだろう。
「トレアさん!」
リーアは我慢出来なくなって立ち上がった。
「これ以上王宮を破壊しないで下さい!」
しかしトレアはリーアの声を聞いていなかった。
まだ喧嘩を続けている。
しかもリーアの声が届いた様子もない。
「勘弁して下さいよぉ。」
リーアが両膝を付けた時、勝負は決まった。
トレアの仲間の方がトレアを踏み潰している。
胸を強く押されていてトレアはとても息が苦しそうだ。
リーアはトレアに駆け寄った。
「トレアさん。」
仲間の方は笑顔でリーアに会釈した。
「私はこの糞餓鬼の世話係のスティルと申します。」
「スティルさん――。トレアが苦しそうなのでもう許してあげて下さい。」
「泣くまで許しません。」
魔王を泣かそうとする臣下――。
とんでもない話だ。
「余が、一日に、二度も、泣く、訳ない、だろう。」
もう既に泣き済みか。
トレアも目に涙を溜めて、今にも泣き出しそうなのによく頑張る。
「トレアさん。」
「トレア、明日の分を繰り越して泣け。」
「余は、泣かぬ。」
「そうですか。」
すると、スティルは更に力を入れてトレアを地面に擦り付けた。
「うっ、う。」
魔王、臣下に泣かされる。
リーアはその瞬間を見てしまった。
「余は、魔王なのに。」



「魔王様、前例がありません。」
スティルに言われてトレアは膨れた。
「嫁にと云うなら三代、八代、二十九代とありますが養子については前例があり ません。」
「前例が無くてはならぬのか。」
「貴方にはまだ前例が無い物を作るような仕事の器量、人望、手腕等々が揃っておりま せん。」
「それをどうにかするのが主の役目であろう。」
「勘違いしてもらっては困ります。」
スティルは苛立たしげに眉を顰めた。
そしてトレアの横で挙動不審に驚いているリーアにも腹が立った。
「私は魔王様を補佐する立場ではありません。補佐して欲しい場合、宰相に頼む のが筋です。」
「奴は余を快く思っておらぬ。」
ならば勝手にしろ。
そう言いかけてスティルは言葉を飲み込んだ。
「私を宰相にして下さると云う誓約をして下さい。」
トレアは面食らった顔をした。
リーアはトレアがその要求を呑まぬように祈ってか、大きく目を見開いてトレア を凝視している。
「分かった。」
「トレアさん!?」
「リーア女王。」
スティルはリーアの肩に片手を置いた。
冷たい汗で湿っている。
「命令です。我が主の養女となりなさい。さもなければこの国だけで無く、近隣 国にも魔物が溢れる事でしょう。」
「何ですって!?」
「流石スティル!汚い手を使えば世界一だな!」
燥ぐトレアを一瞥して、スティルはリーアに視線を注いだ。
「三日しか待ちません。よく考えておいて下さい。」



「ですって!」
リーアは力の限り壁を殴った。
壁は少しへこみ、リーアの拳も赤くなっている。
「リーア。」
ヌグリは呆れて溜息を吐いた。
たかがそれだけの事ではるばる呼び出されたのか。
「養子になっちゃえば?」
「ヌグリ!」
リーアは顔を紅潮させてヌグリに拳を振り翳した。
「考えてもみなよ。半永久の命が貰えるんだよ?ボクだったら絶対行くね。」
「 じゃないの?私は女王なのよ。しかも子供も兄弟もいないし。叔父にこの
口を治めさせるなんて危険な事、出来る訳無いでしょ!」
「だったらボクを養子にすればいいんだよ。」
ヌグリが唇を尖らせて見せたが、リーアは頑として受け付けない。
甘えたような仕草で機嫌を取ろうとしたが、リーアは外方を向いていた。
「ねぇ、リーア。」
「そうですよ、リーア女王。」
男が窓枠に腰掛けていた。
長身の細面の男で、顔には満面の笑みを張り付けている。
「お兄さん、誰?」
「私はスティルと申します。トレア魔王の世話係です。」
「ボクはヌグリ。リーア様の善き相談相手なんだ。因みに同い年。」
「――貴方が彼の有名な錬金術師のヌグリ・ミハヤネですか。」
スティルはヌグリに微笑み掛けた。
その微笑みはあまりにも綺麗で、スティルが魔性の者だと感じさせる。
「十年前でしたか。貴方が不老の実験に成功したのは。」
「正確には九年八ヵ月前。嬉しいな。貴方みたいなエリート魔族さんにボクを知っていてもらえて。ね、《妖怪》さん?」
「私も有名になったものですね。人間にまで顔が知られているとは。」
「ボクの同業者なら顔は知らなくてもそれくらい知っているよ。名前はリーアから聞いたから直ぐに繋がったよ。」
ヌグリとスティルは二人だけしか分からない世界に入っていた。
チャンス到来。
トレアとスティルが魔界に帰るまでしばらく身を潜めていよう。
リーアは二人に気付かれないように、忍び足で部屋を出ようとした。
「待ちなさい。リーア女王、まだ私と貴女の話はまだ終わっていません。」
気付かれた。
リーアは冷や汗をたら垂らしながらその場に立っていた。
動けない。
「ヌグリ。」
「何?」
「リーア女王を魔王様の養子になるよう説得し、リーア女王が魔王様の養子になってくれれば、貴方の望みを一つ叶えましょう。」
「不死でも?」
スティルは不敵に笑った。
「半永久の生ならお約束出来ます。」
ヌグリは幼い顔に似合わず、細く微笑んだ。
やってられない。
リーアはヌグリに蹴りを食らわせて走り出した。



馬小屋。
此処まで来れば誰も追って来ないだろう。
リーアは不足している空気を目一杯吸い込んだ。
何処へ行こう。
馬小屋まで来たが馬を乗りこなせる訳で無く、リーアは困惑した。
馬の息がリーアに掛かり、悪臭がリーアを包んでいる。
臭い。
だから一刻も早く此処を出たいのだが、何処に行こうか検討も付かない。
――今日、婚約者の元へ行こうとしなければ。
そうすればこんな事にはならなかっただろうに。
いつも憎み疎んできた特異体質。
こんな形で仇となるとは、全く考えていなかった。
ノテァスに会いたい。
いつも支えてくれた愛しい彼に。
「会いたい――。」
「余がそんなに恋しいか?」
身体が跳ねるのが自分でも分かった。
光り輝く天使のような顔をした魔王が目の前に立っている。
「リーア。早く魔界に帰って養子縁組の手続きをするぞ。」
「魔王様!」
リーアは掴まれた腕を不利払った。
一瞬、トレアは呆気に取られたような顔をする。
「・・・。――何が不満だ?」
「私がいなくなれば、この国を継ぐのは叔父。叔父は民の事を家畜としか考えられない酷い方。その叔父に国を継がせる訳にはいきません。そして婚約者の存在。私は彼から放れたくはありませんから。それから貴方と私。貴方は魔族で私は人間です。」
「――それだけか?」
リーアは溜息を吐いた。
それは深く、切ない。
「もう一つ言うなら――。私は子供の養子になりたくありません。」
その時、轟音が響いて馬小屋が吹き飛んだ。
トレアの身体からは暗い紫の煙が立ち込め、渦巻いている。
――いや、あれは煙では無い。
《気》と呼ばれる液体でも固体でも気体でもないもの。
「――取り乱した。」
今までのトレアからは想像も出来ない、身の毛も与奪ような声がトレアから響いた。
怒っている。
平静を装う事も無く、静かに佇んで怒っている。
「余は気分が悪い。休む。」
リーアは一人取り残されて、恐怖を感じた。
トレア――魔王に対する身を刻まれるような恐怖。
今までトレアを魔王とは分かっていながら敬わなかった罪に対する恐怖。
幾らリーアに魔力が通じないとは云え、トレアはリーアの喉元に片手を当てるだけでリーアを殺す事が出来るのだ。
先の間にも、リーアの首をへし折るくらいは出来ていた筈だ。
恐ろしい。
「リーア。」
「ヌグリ。」
その時のリーアの顔は酷い有様だっただろう。
振り返る時でさえ、身体が上手く動かなかったのだから。
「悪い事は言わない。スティルさんが痺れを切らさないうちに養子になった方がいい。」
ヌグリの身体からも大量の汗が滴り落ちていた。
それが恐怖の冷や汗なのだろうと容易く想像出来る。
「魔王様は優しい方だ。けれどスティルさんは怖い方――。あんなに友好的に話していたのに、恐怖が迫り来た。あの時はさ、実はボクも悲鳴を上げて逃げたかったんだよ。」
恐ろしい恐ろしい恐ろしい。
あのヌグリでさえこんなに恐怖を感じるとは。
「ヌグリ――。」
リーアは頭を押さえた。
「少し、考えさせて。」
しかしリーアにもヌグリにも、選択肢が二つしか無い事は分かっていた。



「魔王様。」
スティルが部屋に入ると、トレアが目を輝かせて立ち上がった。
「どうだったか?」
「愚問はお慎み下さい。」
トレアは満足そうに頷いた。
スティルには今彼が考えている事は分かっている。
「養子縁組だけしておいて、この国に残しておけば宜しいです。私が感付かれないように夫を始末しましょう。」
「他の二つはどうする?」
トレアは縋るような瞳でスティルを見た。
何だかんだ言って、トレアが最終的に頼るのはいつもスティルだ。
スティルは十二分にそれを心得ている。
「リーア女王を幼くしましょう。貴女が大人の外見になるのには未だ数百年を要します。もう一つの方は養子縁組さえしてしまえばリーア女王も魔族。問題ありません。」
「スティル、感謝する。」
トレアは満足そうに微笑んだ。
そしてソファに凭れ掛かる。
「リーアには明日、余から話を付ける。明日にも帰れるぞ。」
「魔王様。」
トレアは頷いた。
「分かっている。直ぐにでも帰ったら宰相にする。」
「ありがとうございます。」
スティルは一礼をして、ワープをした。
リーアの一件は片付いたが、スティルにはまだしなければならない事がある。

スティルの着いた先は廃屋の玄関だった。
思わぬ到着地点に顔をしかめながらもスティルは廃屋に足を踏み入れる。
すると直ぐに不自然な床石を発見した。
足で踏みつぶしてその石を砕き、灰に変えると其処には階段が続いている。
細く微笑み、スティルは階段を降りて行った。
階段の両脇にはまるでスティルを導くかのようにランプが点々と続いている。
思いの他、階段は長かった。
降りるのはいいが錬金術師にこの階段を登れるのだろうか。
いや、ヌグリ程の技術者ならわざわざ階段でなくとも良かろうが。
階段を降り終えると、壁がスティルの目の前に立ち聳えていた。
スティルは軽くそれを押して破壊すると、前に進んだ。
急に明るくなった部屋にはガラスケースの前にスティルに背を向けてヌグリが立っている。
「ヌグリ。」
「スティルさん、お出迎え出来なくてごめんなさい。ちょっと研究が忙しくって。」
「私のクローンを作る研究が、ですか?」
ヌグリの向かっているガラスケースの中――。
それはスティルと瓜二つの女人だった。
暗い髪と、今は閉じられているがやはり暗いだろう瞳。
細面の顔には長い前髪が掛かっている。
少し青白いスティルの唇より桃色をした唇に綺麗な山を描いた髪の生え際。
身長はオリジナルより二回り小さくしてあって、オリジナルと同じ特徴的な深い鎖骨に細い首筋。
オリジナルより丸みがあって、オリジナルと違ってそれには両胸に膨らみがあった。
「私は私を超える を、今まで見た事がありませんでしたよ。」
「どうしてボクが なんだい?」
ヌグリは不思議そうに首を傾げている。
錬金術師とはこう云う種族なのだ。
「六億年前。初めて私が現れた時の姿を知り、尚且つそれのコピーを作ろうとする者を と呼ばずに何と呼ぶのですか?」
「 なんて酷いな。ボクはずっと貴女に恋い焦がれていたのに。」
スティルはヌグリの首に手を当てた。
それでもヌグリは嬉しそうに微笑んでいる。
「最後に一つだけ。あのリーア女王と仲の良いヌグリ以外に貴方のコピーはいませんか?」
「別体の《ヌグリ》はあれ一体だけさ。」
この狂人は幾ら己のコピーを作っているのか。
スティルは吐き気がした。
それはガラスケースの自分にも理由が十分あるが。
「何人殺せば《ヌグリ》が消えますか?」
「永遠に続く輪廻の輪。」
スティルは手に力を込めた。



ノック音が響いた。
まだ明け方。
太陽の上がり切ってない時間に訪れるのは――。
ヌグリかトレアしかいない。
リーアが扉を開けるように召使に命ずると、小汚ない一人の男が飛び込んで来た。
「・・・・こ・、・。」
息も絶え絶えで聞き取り辛い。
召使の一人が男の口元に耳を当てると青褪めた。
「リーア様。」
「言ってご覧。」
「貴女様の叔父上様が亡くなられました。」
「障害は一つ無くなった。」
リーアが叫ぶ暇を与えず、声が降って来た。
声の主、トレアがリーアに手を差し出す。
「伴侶が死ぬまでリーアは人間界にいて良い。だから養子に来てくれ。」
「はい。」
考える間など無かった。
リーアは何故そう言ってしまったか分からず、口を押さえる。
「では今直ぐ養子縁組だ!」
リーアは目の前が真っ暗になった。



「本当に ですね。」
スティルの小言が何時間続いただろう。
そろそろトレアにも限界が近付いていた。
愛しい娘のリーアだが、こんな時にスティルの小言を受けないで済むなんて憎らしい。
「ご自分でリーア王女の魔力の影響を受けないと云う特異体質を気に入っていらっしゃったんでしょう?だったら少しは分かるでしょう。そんな簡単な事に頭が回らない程愚かだったのですか?血統、身分の申し分無い貴方が なのなら、貴方に障害があるか幼い頃の教育が余程悪かったのですね。それとも末子だから教育が疎かにされていたと?それは違います。これは貴方自信の――」
こんな調子で並々と休む暇なくスティルは説教を続けている。
あんな些細な事でこれ程怒られるとは――。
「スティル。」
「弁解なら句読点を含めて四百字以内に纏めて下さい。」
「昨日、嫌な事があっただろう。」
スティルは特大の溜息を吐いた。
まるでトレアを心から軽蔑するように。
「リーアの純粋な恋心を弄び、あまつさえリーアを殺して国を乗っ盗ろう等言語道断。」
「ひ、ひぃぃ!」
トレアはノテァスの首筋に指を突き立てた。
壁に突き当たり、逃げ場を失ったノテァスはただ、泣き叫ぶ。
「余が成敗してやろう。」
「トレアさん!」
リーアがトレアの肩を思い切り掴んだ。
スティルはリーアの後ろで面白そうに、高みの見物を決め込んで宙に座っている。
「ノテァスに何をなさるのですか!?」
「お前を利用しようとしていた罰を与える。」
「――何を言っているのですか?」
リーアは首を傾げた。
何が何だか全く分からないと言うように、大きく目を開いてトレアを凝視して。
トレアは宙に指で円を描いた。
すると先程の二人の男が部屋に入って来た様子からがまた繰り返される。
リーアは食い入るようにそれを見ていた。
ヴィジョンが終わると、泣きそうな顔でノテァスを見つめる。
「嘘よ、ね。」
ノテァスは何も言わない。
「嘘よね!そうでしょ!」
リーアと視線を合わせる事無く、ノテァスは力無く首を降った。
「嘘よぉぉぉぉ!」
濁り無い灰色の瞳から大粒の真珠が零れ落ちた。
泣き崩れるリーアを見て、トレアはノテァスを睨み付ける。
魔王たる威厳を解き放ち、気力の失せたノテァスに近寄った。
「我が娘を泣かせた罪は重い。」



「スティル、一つ聞いても良いか?」
「何でしょう?」
「何故、精霊術ならワープ出来るのに最初にその事を言わなかった?」
スティルなにっこりと微笑んだ。
「貴方の 具合を調べようと思いまして。」 「は?」
「人間界で貴方の馬鹿さ加減には飽きれましてね。一ヵ月経っても気付かないようでしたらこちらから申し上げようと思いましたが。」
良かったですね、と言ってスティルコーヒーを啜った。
のんびりしているものである。
それとは対称的に、トレアは顔面を紅潮させて金魚のように口を動かしていた。
あまりもの事で言葉が出ないのだ。
「お二人共、喧嘩でしたら私の部屋の外でお願いします。」
リーアは疲れて、机に肩肘を付きながら言った。
しかし、それはスティルの耳には入っていない。
「文句があるのでしたら、お相手しますよ。」
「余はもう人間界で住む!」
トレアは瞳に涙を溜めながら走り出した。
スティルはその後を追い、リーアは疲れた笑みを浮かべる。
「魔王様!」



 魔王様シリーズ初めての作品でした。こうやって改めて見ると、欠点だらけです。でも、書き直しません。面倒臭いから戒めのために。
▼先の方のネタバレ▼
 最初はリーアも主要人物だったんですが・・・。
 トレアとスティルのキャラが全く定まっていません。実は、この時からダクーシャを出す予定だったんですが、力尽きました。
▲ネタバレ終了▲
 どうにもこうにも読みにくいので書式だけでも直したいとは思いますが、やめました。

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