魔王様、暴れたくなる
「魔王様!」
トレアは息を潜めてスティルが通り過ぎるのを待っていた。
今見付かってしまったら八つ裂きにされる。
そんな恐怖がトレアの心の奥底で震えていたからだ。
「隠れても無駄ですよ!」
確かに無駄かもしれない。
しかし、今日はリーアを迎えに行くと約束した日なのだ。
今捕まる訳にはいかない。
「魔王様!」
トレアはこっそりと――抜き足差し足で――歩き始めた。
四つん這いになるようにして身を屈める。
今日は愛しい娘であるリーアとの再会の日。
スティルに邪魔されたくはない。
「魔王様!」
トレアはスティルから十分に距離を取ると走り始めた。
「リーア!」
トレアは力一杯リーアの部屋の扉を開けた。
しかし。
其処にはリーアはいなくてトレアは辺りを見渡す。
ならば執務室かと執務室にも足を運んだがリーアはいなかった。
笑可しい。
いつもトレアが迎えにいくと言った日には自室で待っていてくれた筈なのに。
リーア所か誰一人としていない。
いや、トレアがいるから逃げているだけなのだが。
そして、トレアは逃げ遅れた女に声を掛ける。
「其処の女!」
「はい!」
その女は余程驚いたのか返事をすると固まった。
目を大きく見開いて口から心臓が飛び出て来そうな顔をしている。
「リーアは何処だ?」
「あの、女王陛下は先程聖界の使者の方と一緒に聖界に向かわれました。」
「何?」
トレアは苛立った。
約束をすっぽかされた事に苛立った。
それより、聖界を優先させられた事に苛立った。
「全く。魔界に帰ったら魔族としての心得を叩き込まねば。」
ルネルナ大臣辺りに頼んで。
間違ってもスティルには頼まないようにしよう。
トレアとしても娘が泣くのは見たくない。
「して。リーアはいつ帰って来る?」
「それが――。」
女は泣きそうな顔になる。
そんな女の表情にトレアは不快感を表した。
情け無い。
そんな表情を作る暇があるのだったら早く答えて欲しい。
「聖界の使者様が女王陛下は聖魔戦争が終わるまで預かると――」
その途端、城の窓に填められている硝子と云う硝子がトレアから走るように破れた。
人間でも目に分かるような邪悪な殺気がトレアを包み込んでいる。
つまり、リーアは体の良い人質として聖界に連れて行かれたのだ。
「おのれ聖人め。」
トレアは向きを変えて聖界に向かおうとする。
と。
「魔王様。」
真っ白なユニコーンに乗ったトレアの部下、ダクーシャがいた。
ダクーシャはユニコーンから降りるとトレアを通り過ぎた。
そしていつの間にか倒れた女を同じ女であるにも関わらず、軽々と抱き上げて壁に凭れ掛からせる。
恐らくトレアの殺気に当てられたのだろう。
「そんなに殺気を放ってどうされたのですか?」
「また聖人だ。リーアを助けに行く。」
「了解しました。」
するとダクーシャはトレアの前に跪く。
「お供致します。」
「うむ。」
そう返事をするとトレアはユニコーンに跨がった。
ダクーシャ以外は乗せたがらないユニコーンだが、トレアだけは別である。
己の主が仕える者をちゃんと知っているのだろう。
「失礼します。」
ダクーシャはトレアの後ろに座った。
そして手綱を握る。
「聖界へ!」
ダクーシャの一言でユニコーンは純白の翼を広げ羽ばたいた。
真っ白な世界にトレアとダクーシャがいた。
此処では全ての輪郭が曖昧になる。
ダクーシャのユニコーンも純白でダクーシャが手を当てていなければ何処にいるのか分からなくなりそうだ。
あまりにも曖昧で、自分と云うものが消えてしまいそうだ。
「何度来ても気味が悪いのぅ。」
「魔王様、どう致しましょう?」
「取り敢えずリーアを見付け出して首謀者を見付け出して私刑する。」
「仕事ですか。」
ダクーシャが問い返すと満足そうにトレアは頷く。
「――私刑で十分ですか?」
「拷問はスティルを思い出させて嫌いじゃ。」
「確かにそうですね。」
ダクーシャは頷くとトレアと歩調を合わせて歩き始めた。
トレアはダクーシャと比べて身長が低いので、必然的に歩みも遅い。
「リーアは一体何処かのぅ。」
「アンリにでも訊きますか?」
「いや、自分で捜す。」
「はい。」
トレアは真っ直ぐ歩く。
しかし不思議な事に今は不在の聖王の宮殿が見えても、聖人の姿は見当たらなかった。
罠か。
一瞬はそう思ったが別に聖人のする事なので気にしない事にした。
たかが聖人のする事なので気にする事はない。
「リーア!」
宮殿の前に来たので一回呼んでみた。
しかし当たり前ながら返事はない。
「リーアは何処じゃ?」
誰が答えるとも思わずにトレアは問う。
そして誰も答えないのを確認すると宮殿に足を踏み入れた。
――本当に誰もいない。
そんな気味の悪さがあって、トレアは挙動不審に辺りを見渡してしまう。
「どうかなさいましたか?」
「気持ちが悪い。」
「罠と考えるのが妥当かと存じ上げますが。」
「分かっておる。」
ダクーシャはそれ以上何も言わなかった。
トレアも無言で唯突き進む。
しかし。
あまり進まないうちに誰かの喋り声が聞こえて来た。
その喋り声は一方的なようにも思える。
それは、その喋り相手の声が全く聞こえないからだ。
だがその声には聞き覚えがある。
「のぅ、ダクーシャ。」
「恐らくそうでしょう。」
トレアとダクーシャは頷き合って話が聞こえた方の扉を開けた。
「どうしてこうなってしまったのでしょう。私は婚約者に会いに行っただけですよ?確かにその方は私を騙していたんですけれど――。でも、本当にそれだけなんです。それがこんな事になるなんて全く思わなくて。それに私の同意が無くてそんな事は果たして可能なのでしょうか。確かに私の意思なんて関係無いかもしれないですけれど――。でも、少しくらいは尊重してくれても良いと思いませんか?」
「リーア。」
「大体私は人間なんです。それに女王なんです。私には国を治め繁栄させ平和を作り、その平和が続くようにと子も成さなければなりません。なのにこんな事態になるなんて――。全くの想定外です。」
「リーア。」
「認めますよ。国民にも臣下にも猫を被っていた事は。でも私はまだ成人して間もないし女なんです。そうやって媚びを売る以外にどんな方法で国を治めろと言うんですか?私は身分は高くそれなりの教養は受けていますがそれだけなんです。ヌグリみたいに天才ではありません。私は国を治めるだけで手一杯なんです。なのに――」
「リーア!」
トレアは話す事に夢中で全く気が付かなかったリーアの耳元で叫んだ。
するとリーアは驚いて椅子から飛び上がり転がる。
目を大きく見開き、何が何だか分からないと云う風にトレアを凝視していた。
その隣りでアンリが椅子に逆向きに腰掛けてトレアに手を振っている。
「リーア、帰るぞ。」
「・・・。」
「アンリ、世話を掛けたな。」
トレアはリーアの手を引いて向きを変える。
「お気を付けて。」
ダクーシャもアンリに一礼するとトレアに続いた。
「全くお前と云う奴は。人間では知らない者には付いて行くなと教えると聞いたがどうなのだ?」
「確かに教わりますが――。でも聖人の方ではございませんか。」
その時トレアは腸が煮え返るように感じた。
人間は聖人の事を賢く慈悲深い嘘を吐かない正直者だと言う。
しかしトレアに言わせてみれば聖人は馬鹿なのだ。
欺く知恵も嘘を吐く知恵も無い馬鹿なのだ。
「リーアよ。」
「はい。」
「主には教育が必要じゃ。」
ルネルナではなくスティルに頼もうか。
トレアの心の中にはそんな意地悪な考えが少し浮かんでいた。
人間は何でもかんでも聖人が正しいと考える。
何方かと言えば人間は魔族の方に近いにも関わらず。
トレアは勝手に自分一人で怒りながら宮殿を出た。
そんなトレアを見てリーアは――自分の身を案じて――心配そうにトレアを見詰めている。
その数歩後ろでダクーシャは剣を引き抜いていた。
「・・・。」
不意にトレアが立ち止まった。
「――あの、トレアさ」
「ダクーシャ。」
「畏まりました。」
前へ出ようとするダクーシャをトレアは引き止めた。
「余がやる。」
何を、とは問えなかった。
トレアとリーアの目の前には武装した聖人の軍勢が在ったからだ。
「ダクーシャはリーアと先に行け。」
するとトレアの命を受けてダクーシャはリーアの手を握った。
「此方です。」
「はい。」
ダクーシャとリーアは歩いて去った。
しかし聖人達は二人を追おうとはしない。
二人が遠くまで行ったのを見届けるとトレアは聖人達に向き直る。
「さて。」
トレアは微笑んだ。
それは天使のように無邪気であり、魔王のように邪悪である。
しかし、聖人の大半が前者と取ったに違いなかった。
「どう料理してくれようか。」
トレアの回りを黒く濁った《力》が渦巻き始める。
「リーア王女。」
「はい。」
ダクーシャに名を呼ばれてリーアは身を強張らせた。
「貴方は人間とは云え魔王陛下の娘です。少しはその自覚を持って下さい。」
「――。」
説教されているのだろうか。
この優しそうな、とても将軍とは思えない女性に説教されているのだろうか。
そう思うと少しだけ悲しくなった。
人間であるリーアの感覚としては聖人と関わる事は至高の喜びなのだ。
――魔族にとっては最も忌むべき事なのだろうが。
「リーア王女。貴方は決して賢くない事はありません。分かって頂けますか?」
「――はい。」
それは自分でも驚く程細い声だった。
その声は果たしてダクーシャに届いただろうか。
不安になってダクーシャを見上げると、ダクーシャは微笑んでいた。
「それではスティル様の嫌味――、失礼。説教は免れるように魔王様に口利きしましょう。」
「――んがっ!」
変な声が出てしまったが気にならなかった。
スティルの説教を食らう事になっていたかもしれない。
それに匹敵する恐怖がこの世の何処を捜したらあるだろうか。
そう考えると自然と身体が震えて来た。
聖人と関わる事はつまりスティルの関わる事。
そう思えば、リーアが人間でも聖人と関わるのは嫌になった。
「リーア王女、大丈夫ですか?」
「あ、はい。」
「そうですか。では、暫くお待ち頂けないでしょうか?」
「はい。私は一向に構いませんが――。」
リーアの返事を聞くとダクーシャは剣を抜き放って走り始めた。
何も無い所に斬り付けたかと思うと、聖人が現れた。
ダクーシャは片っ端から聖人を斬り付ける。
それがあの穏やかな女性とは思えない程に機敏で大量に。
一人でも十分なように思えた。
しかしダクーシャは一人だ。
一人で全て片付けられるように見えて、無傷で終わらせるのは難しいだろう。
ダクーシャの肩を聖人の剣が掠る。
避けたのだが、一つに括っていた三つ編みだけは取り残されて解けた。
何の差し障りも無いような事なのにダクーシャの動きは止まった。
目が大きく見開いていた。
肩で息をしていた。
服が裂け、肩からダクーシャの血が滲む。
今が好機と言わん許りに聖人はダクーシャに斬り付けようとした。
が。
ダクーシャはその剣を素手で止める。
リーアにはダクーシャの表情は見えない。
しかし、ダクーシャではない空気でわらっているように思えた。
「お前達さぁ。」
何かを楽しむような声。
「俺はダクーシャみたいに手加減はしないからな。」
ダクーシャではない。
「俺を目覚めさせて後悔するなよ?」
では一体誰だ。
「叩き起こしたのはお前達なんだから。」
あれは確かにダクーシャなのに。
それが動くと横顔が見えた。
ダクーシャがする筈の無い、卑下た笑みを浮かべていた。
優しそうな垂れ目ですら凶悪に見える。
あれは一体誰なのだ。
リーアが何も考えられずにそれを見詰めているとそれは忽ちに聖人を斬り伏せた。
ダクーシャの時とは違い、地に血が染み付いている。
「ダクーシャ――、さん?」
リーアが呼び掛けるとそれは振り向いた。
同じ顔の筈なのに、全く同じ顔には見えない。
「俺はダクーシャじゃねぇ。」
「でも、貴方はダクーシャさんでしょう?」
「俺はジゼルハイドだ。」
ダクーシャなのに。
「どうして?」
「知りたいか?」
ダクーシャの剣がリーアの喉元に突き付けた。
「知りたいです。」
「――。これはダクーシャの身体だ。ダクーシャの魂も入っている。でも俺の魂も入っている。」
「どうして?一人の身体に二つの魂が入る事は可能なのですか?」
「目の前の俺は何だ?」
「――。貴方とダクーシャさんの関係は何ですか?」
「兄妹だ。」
「兄弟――?」
「あぁ。もう聞きたい事は無いだろう?」
リーアは頷いた。
本当はこうなった経過とか、もっと聞きたい事があった。
しかし頷かなければならない。
ジゼルハイドはそれを強制しようとしていた。
「それじゃあサヨウナラだ。」
ジゼルハイドの剣はリーアの喉元を離れ、リーアの頭上に輝いた。
それが真っ直ぐとリーアに向かって降りて来る。
「――!?」
「リーア!」
その時、トレアの声が聞こえた。
何が行われようとしているのか気付かないのか、笑顔で手を振っている。
と、ジゼルハイドは急に剣を落とす。
かと思うと苦しそうに喘ぎながら胸を押さえて座り込んだ。
「ダクーシャ!」
苦しそうにジゼルハイドは呻く。
そして、倒れた。
「ダクーシャさん!?」
かと思うと、ダクーシャは目を開けた。
瞳にはいつもの穏やかな光が宿っている。
そしてリーアの肩を掴むと立ち上がった。
「――申し訳ございません。」
「いえ、そんな――。」
「ダクーシャ!」
トレアは手を振りながら息を切らせてやって来た。
白い頬が朱に色付いていて何とも愛らしい。
「帰るぞ。」
「畏まりました。」
「あの!」
ジゼルハイドの事を訊こう。
そう思って問おうとしたらダクーシャに肩を掴まれた。
その目は、ジゼルハイドと同じ目だった。
トレアは追い詰められていた。
誰に、と問われたらスティルしかいない。
スティルは微笑みながらトレアを追い詰める。
「魔王様。」
「な、・・・何じゃ。」
「実は、魔王様がお留守にしていた昨日はとっても大事な聖霊界のお客様がいらっしゃる日だったんですよね。」
「・・・。」
「どう責任取ってくれるんでしょうねぇ?」
「――。」
こうなったら逃げるが勝ちだ。
それしか道はない。
そうすればダクーシャが何とかしてくれるに違いない。
トレアは駆け出した。
「魔王様!」
ジゼルハイド再び。えぇ、結構気に入っています。
どちらかと言うと「リーア、暴れたくなる」でしょうか。
裏話◆この頃からリーアの存在に困り始める。◆裏話終了 もうちょっと民子的な女の子にすれば良かった。
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