異邦人
 蒼白い月の光に照らされて朱色が浮かび上がっていた。
闇の中にはただ朱、紅、緋。様々な赤色が鮮やかに、暗く、混ざり合っている。
 状況を理解する前に俺は眩暈を覚えた。
 闇の黒と月の白と赤が歪み、濁り、解け出す。
「・・・。」
 眩暈を無理矢理抑え込み、俺はその場に膝を着く。ぬめりとした感触が地に置いた手に触った。
 一体この感触は何だ。
 俺は確かめるように両掌を見下ろした。
 ――血だ。
 己よりも愛した同胞達が血に塗れていた。戦う力の無い者ばかりが朱に塗れ倒れている。
 俺は近くに倒れている同胞を抱き起こす。口に掌を当てたが全く息をしていなかった。何故。
 思い浮かぶのは疑問ばかり。やり切れない思いが俺の頭を駆け巡る。何回でも答えは同じ。
 何故。
「何が――、あったんだ。」
 自分の声とは思えない掠れた声が喉から漏れた。いつもの威張った態度はどうした。そう、自分を叱咤しても情けない自分ばかりが姿を表す。
 情けない。何が長だ。守るべき者達を守れずに何が。何が長だ。
 生まれて間もない子供達の姿が俺の視界に入る。目を逸らせない。寒気が一気に背中を這い上がり、眩暈がする。
「――申し訳ありません。」
 俺は落ち着いた高い声に振り向いた。誰の声だか分からない。
 ――何と感覚が麻痺しているのだろう。
「半数しか守り通せませんでした。」
「いや、お前はよくやった。悪いのは私だ。」
 少し考えれば分かる事だったのに。戦力のいない集落を襲う等、卑劣な人間が好き好んでしそうな事だ。
 そもそも何故集落を亜珠一人に任せた。一般常識に考えて最低五人は配置するべきだっただろう。
 悪いのは俺。予測出来なかったのは俺の咎、守れなかったのは俺の罪。
 俺は自分の無力さと一緒に唇を噛み締めた。
 何をするべきか。亡くした者達を弔うには何をすれば良いのか。
「――。妖しと人間の戦に終止符を打つ。」
「若長。」
「私は神子の祠まで行く。亜珠は皆と彼等を弔ってくれ。」
「――分かりました。」
 亜珠は複雑そうな顔をした。奮起と悲しみと愁いの混ざった顔。
 つまりは泣きそうな顔だった。――俺は驚く程亜珠のこの顔に弱い。
 俺は極力亜珠の顔を見ないようにして空間を飛んだ。神子達のいる祠に向かって。
 一瞬の暗闇を抜けると、人間で云う少女の姿をした神子達が黄色い振り袖と青色の振り袖を着て手遊びをしている。禿に切り揃えた髪が揺れている。
 俺は二人の間に手を置いた。二人は驚いたような顔をしたが、忽ちにそれは笑顔へと変わる。
「兄様!」
 青色の振り袖を着た少女――潮を俺は抱き上げた。黄色い振り袖を着た少女――夕凪も羨ましそうに潮を見上げている。
 俺は右手だけで潮を抱き抱えると、左手で夕凪を抱き上げた。
 二人の顔が嬉しそうに輝く。妹のような存在の二人の笑顔は心が和む。
「兄様、どうして一ヵ月も来てくれなかったの?」
「食事係りは口が効けないし。寂しかったわ。」
「――それどころでは無くなった。」
「倒頭人間を滅ぼすのね!?」
 嬉々として俺の首を抱き締める潮を手で諫めた。喩え人間だと云って、一応は同じ世界に生きる者だ。軽々しく絶滅を喜ぶ事では無い。
「私は人間を滅ぼす。が、お前達には西へ逃げて欲しい。」
「どうして?」
「神子の私達がいれば直ぐに終わるのに。」
「そうよ。兄様の為に直ぐ終わらせてあげる。」
「駄目だ。お前達には戦えない者を守って欲しい。」
「嫌。」
「どうして弱い者を守らなければならないの?」
 これだからこの二人には困る。悪意で言っているのなら未だしも、それが当然だと思っているのだ。
 俺は二人を地に下ろした。潮が物足りなさそうに縋り付く。
「兄様。」
「――私は長だ。」
「・・・?」
「長の務めは妖しを守る事。」
「分かった。兄様の役に立てるなら私は皆と西へ行く。」
「ただ、兄様も直ぐに追って来てね。」
「いや。全てが終わったら呼び戻す。」
「待ってるからね。」
 ――三十年にも及んだ妖しと人間の戦。簡単に終わらせる事等出来ないだろうがそれが俺の役目だ。
 先代の長からの願い。なのに俺は十年も何をやっていたのだろう。礼儀を持たぬ人間に礼を尽くす必要は無かったのだ。
 俺はまた飛んだ。今度は西の長の元へと行く。
 西の集落にも北と同じような光景が広がっていた。ただ違うのは、人間が其処にいると云う事。
 ――目障りだ。
 俺は吐き気を感じて、軽く空気に左手を払った。人間が身体の戦を歪めて消えて逝く。
 そのまま俺は西の長に会いに行く。西の長の気配を辿ると、深いが微弱な生命力が感じられた。――西の長に何かあったのだろうか。
 奥へ進めば進む程、血の臭いが濃くなった。無粋だ。ぬらりとした血溜まりが俺の足を取ろうとする。
 噎せ返る血の臭いに眩暈を覚えて、俺は血と、人間の死体を消した。妖しの死体は弔う為に残しておく。
 血の臭いと共に人間の数も多くなった。俺に気付いた人間は槍を向ける。槍だけを残して俺は人間を消した。――もう血は見たくない。
 一通り人間を消すと、どす黒い血に塗れた西の長の姿が見える。右手を上げて、俺は西の長に向かった。
「北の。一体どうしたんじゃ?」
「人間と最終決戦を行なう事にした。だから暫く神子と数十名を預かって欲しい。」
「――矢張り若いと血気盛んじゃの。儂等はもう秘境に隠れると云うのに。」
「どれだけ人間が祈祷師を集めていたとしても、人間が強くなっていたとしても、私にはまだ最後の一手が残っている。」
「――。」
 西の長は深く、長い溜息を吐いた。何を言わんとしているのかは分かっている。
 しかし、俺には西の長みたいに保守的に事を進める事は出来なかった。秘境に引き籠もると云う事は太陽の光を浴びる事も子孫を残す事も出来なくなる。
 秘境は天国と言われているが、俺にとっては地獄でしかなかった。あの辛さは一度行った者にしか分からない。
「預かって頂けますか?」
「此方にも条件がある。あの術を使うのであれば、西の人間も全て消して欲しい。」
「約束します。一滴の血も流さずに人間を消し去りましょう。」
「頼んだぞ。」
「それでは是にて失礼させて頂きます。」
 俺は飛んだ。取り敢えず山の頂に戻ると、氷雨が立っているのが見える。
 いつもは一つに括っている水色の髪を解き、緑色の瞳で遠くを見つめている。狩衣はだらしなく開けて真っ赤な血を浴びていた。
 立ち入ってはいけない雰囲気に押され、俺はその場から立ち去ろうとした。一歩踏み出すと石が音を立てて転がった。
「若長。」
 凍り付いた寒々しい声が夜空に響く。振り向くと、氷雨が此方を見つめていた。
 白い月の光に照らされ、水色の髪が異様な光を放っている。
「どうした?」
「西へ旅立つ神子から聞いた。人間を全て殺すのか?」
「もう共存は無理だと分かった。」
「だったら俺に任せろ。凍らせてしまえば良い。」
「いや、お前が途中で力尽きてしまったらどうなる?暴走したお 前の力を制御出来る者はいない。」
「若長なら大丈夫だろう。」
「無理だ。忘れたのか?昔から私は氷雨に勝った事が無い。」
「大丈夫だ。若長が本気を出していなかったのは分かっている。」
「私は本気を出していた。」
 どれだけ本気を出しても氷雨には勝てなかった。氷雨は一体何を言っているのだろう。
 本当ならば長になるのは俺でなく氷雨だったのに。俺は強運を持っていただけだ。――その強運も今日で終わりかもしれないが。
 俺は自嘲気味に頭を押さえ、氷雨の目を見る。美しい湖と同じ色の瞳。
「だから人間を滅ぼすのは私だ。」
「若長?」
「あの術で人間を消そうと思う。あの術ならもし暴走しても私一人に跳ね返るだけだ。」
「亜珠が泣いても良いのか?」
「――いつも私が亜珠を泣かせてお前に怒られていたな。」
 俺は髪を掻き乱した。いつの間にか伸びていた暗い髪が目に掛かる。
 髪を払い除けると前から髪を撫で付けた。細い髪が嫌に指に絡み付く。視界が広くなり、氷雨の顔がよく見えた。
「もう決定した事なのか?」
「西の長には話を付けて来た。」
「東と南には俺が――」
「止めろ。南は青二才の長が何かするのを気に入らないし、東は北からあの術の被害を受けた事がある地だ。反対されるのは目に見えている。」
「そうだな。俺は後始末は苦手だぞ?」
「上手くいけば奴等は何も言わないだろう。」
「上手くいく事を願っているよ、若長。実行はいつだ?明日か?」
「今からだ。」
「今は縁起が悪い。月が紅くなっている。」
「別に構わない。氷雨は亜珠を押さえてくれ。」
「そうはいきません。」
 凛と、紅い月に声が響いた。朱色の瞳を怒りに燃えさせ亜珠が俺の腕を掴む。
「聞いていました。あの術を使うと云う事はどんな危険を追うか分かっているのですか?あの術を使った過去二人共が力に飲み込まれて死んでいます。」
「お前も氷雨もいる。私一人が死んだ所で集落は滅びない!」
「私も氷雨も、何故貴方だから仕えていると分からないのですか?」
 亜珠の言葉の意図が読み取れなかった。亜珠も氷雨も、俺だから仕えている。
 俺は真剣な亜珠の瞳を見返した。泣きそうな亜珠の顔。唇を一文字に結んで堪えている。
 眩暈で亜珠の顔が歪んだ。容赦無く頭痛が俺の頭を締め付けた。
「私は氷雨に仕える気はありません。だからと云って自分が長になるつもりもありません。」
「俺も亜珠に同じだ。」
「若長だから――、雪慈だから私は貴方を長と認めているのです!それは皆も同じでしょう!」
久々に呼ばれた俺の名。雪慈。
 亜珠が俺の腕に縋り付く。滑らかな白い肌を伝う大粒の真珠。亜珠の顔は、歪んでいても美しい。
「逝かないで下さい!貴方がいなければ北の妖しは皆死してしまいます!」
「――亜珠が其処まで言うなら約束する。俺は生きて帰るから待っていてくれ。」
「必ず生きて帰ると、俺にも約束してくれるか?」
「誓約書に名を書いて手形を押しても構わない。」
「では俺達の変わらない友情に誓おうか?」
「そうだな。」
 氷雨が指を鳴らすとその場に巨大な氷の塔が現れた。暑くはないが寒くもない気候に解け出す気配は全く見せない。
 本当は派手好きの氷雨がやりそうな事だ。繊細で豪華な塔には俺達三人の名前が彫られている。
 何故だかそれがあまりにも笑可しくて苦笑を漏らす。
「約束の印だ。ついでに言うが、誰かが死ぬと崩れるからな。」
「一々鬱陶しい術を――。」
「全くだ。」
 俺は浅く笑んだ。
 肩で切り揃えた夜色の髪に燃え立つような朱色の瞳。人間で云う女の豊かな肉体と見栄えのする派手な顔付きなのだが、決して性格は派手でない。物静かに息までを潜めるようにその場に存在する亜珠。
 使う術のように寒々しい顔立ちの猫のような湖の目と亜珠より長い水色の髪。亜珠と肩を張るくらい白い肌をしている氷雨。
 俺は二人の姿を脳内に焼き付けた。もし記憶を失っても二人の姿だけは覚えているように。
 飽く程亜珠と氷雨の顔を見ると、俺は月に向かって上昇した。
 山を見下ろせる高さを保つと俺は半眼で指を組み、人間の村を見下ろした。これが最後の瞬間だ。
 俺は心を穏やかにすると溢れ出す言葉を呟く。ある指定した存在を無に返す禁術の呪文。
 呪われた言葉を身体の中から外へ吐き出す。
 ――吐き出した言葉が多くなれば多くなる程、紅い月が紫の雲に隠れた。雲は渦巻き、俺を中心に広がる。段々とその雲は伝説上の動物――龍の形を取った。
 呪文の詠唱が終わると、龍は唸り、口を開いて飛び回る。見なくても穏やかになった空気でで分かった。人間達が消えている。
 何とも言い知れぬ感情で俺は眩暈を感じた。眩暈眩暈眩暈。
 無理矢理眩暈を抑えた時に、目の前に術の龍がいた。黄金の瞳で俺を睨んでいる。龍は鋭い牙を剥き出しにして天に向かって高く吠えた。七色の光が龍を包み込む。
「一体これは――!?」
 乾いた音を立てて何かが破れた。何が破れたのか、視覚で捕らえられるのに分からない。
 夜に入った亀裂。
 亀裂に目を取られていると、俺は何かに身体を押し出される感覚を感じた。振り向くと龍の尾が俺の身体を押し出している。
 力の暴走。そんな言葉が俺の脳裏を過ぎった。
 力一杯左手を広げ、俺は全神経を左手だけに集中する。暴走した力は自分の中に納めるのが基本だ。
 龍は吠えて身を捩り、俺から逃れようとする。しかし逃がす訳にはいかない。これは妖し所かこの世界の存続に関わる。
 ――捕まえた。
 そう思った時、俺はその場から突き飛ばされた。眩暈がし、目の前が真っ黒になった。
 手足が強い力で引っ張られ、頭が締め付けられるようである。 胸を競り上がって来る吐き気。地に落ちるような浮遊感。
 俺は力に飲み込まれてしまった事に気付いた。しかし、生きている。暴走は食い止められたし俺は生きている。
 と、身体中を激痛が襲った。激痛に耐えると倦怠感が俺の身体を包む。
 ――ゆっくりと俺は目を閉じた。倦怠感に任せて浮遊を楽しむ。
 俺は引力に従ってただただ落ちた。





 生きている。
 そう実感したのは明るい夜空の下だった。月は浮かんでいないが星が所狭しと光っている。
 身体中が悲鳴を上げ、ぬらりとした液体が俺の下にはあった。それが血なのか、只の水なのか――。俺には知る手段が無い。
 しかし、俺は生きている。
 震えている唇を横に吊らせ、俺は微笑んだ。寒いからか血液が不足しているのか。とにかく手足が麻痺したように動かなかった。
 星の輝きの眩しさに耐えられず、俺は目を閉じた。死ぬのでは無いだろうかと云う不安。だが眠い。
 思えば、最近ゆっくりと眠った事はなかった。直ぐに俺は微睡ろむ。
 綺麗な夜空。それが最期の景色にならぬよう祈って。