異邦人
 そんな道をあれだけのペースで、それも人間を抱えて走って、何故トウヤはけろりとしているのか。
 ――化け物か。
 言葉にこそしなかったものの、宗一と俊駕は全く同じ感想を抱いていた。
「と、トウヤさん……。それで、彼は、一体……」
 膝に手を突き、肩で息をしながら宗一は切れ切れの声で訊ねた。
「そうでござったな、案内するでござるよ」
 言って、トウヤは二人に背を向けて歩き出す。もうしばらく休憩したい二人だったが、行こうぜ、という俊駕の言葉で、宗一も歩き始めた。
 予想通り、街はかなりの賑わいを見せていた。大都会という程ではないが、夕刻にもかかわらず往来には人が溢れ、活気に満ちている。
「ここでござる」
 しばらく三人で歩いていると、真白い外壁の建物の前で不意にトウヤが足を止めた。二階建てのその建物は医者の家――病院ではなく診療所のようなものだ――のようで、病院独特の空気の所為か、宗一は既視感のようなものを覚えていた。
「どうした?」
 診療所を見上げる宗一を不思議に思ったのか、訝しげに俊駕は訊ねる。
「いいえ、なんでも……」
 その答えに納得はしていない俊駕だったが、早くするでござるよ、と急かすトウヤの手前、それ以上追究する事は出来なかった。
 トウヤ、俊駕、宗一の順に扉を潜り、医者と思しき初老の男性に会釈をして奥の部屋へと進んでいく。そして、トウヤが扉に手をかけて、そのまま開け放った。
 白で統一された病室。その片隅にあるベッドの上で、“彼”は上半身を起こしていた。ゆっくりと、彼はたった今部屋に足を踏み入れた三人組に視線を向ける。
 三人は、呆気にとられたように彼の姿を見つめていた。人目を惹く、白い肌と対照的な黒い髪のコントラスト。だが、彼らが魅入っていたのは、彼の瞳だった。
 黄金の瞳が、じっと彼らを見つめていた。
 その黄金の瞳に眩暈すら覚え、引き込まれるような不思議寄った。
 白い唇が確かめるように薄く開き、風のような無声音が聞こえる。それはやがて音となり、“彼”の口から溢れ出た。
「私の名は雪慈。先ずは助けてくれた事に礼を言おう。」
 低く、滑らかなよく透る音色。偉そうな口振りなのにそう思わせないのは“彼”――雪慈が放つ気のせいか。
 雪慈はゆったりとした動作でベッドから降りる と三人の元へ歩み寄った。
「――そんな馬鹿な。」
 宗一の掠れた声に驚き、俊駕は振り向いた。冷汗さえ流して呆然と宗一が雪慈を見詰めている。
 眼鏡の奥の汗を拭うと、宗一は独り言のように呟いた。
「あの怪我をこんな短時間で――。不可能だ。人間の治癒能力にも限界がある。」
 確かに言われてみればそうだ。たったの数時間前に死にそうになっていた“彼”がもう元気に歩いている。
 この世界の医療が宗一には考え付かない程進歩しているのか、それとも――。
 雪慈の放つ言い知れぬ感覚。それがこの回復の早さに関係あるのだろうか。
「失礼ですが――。」
 宗一は銀縁の眼鏡を押さえた。
「貴方は、何者ですか?」
「妖しだ。」
「アヤカシ、でござるか?」
 桃耶は聞き慣れない事に眉を顰めた。聞いた事の無い種族。しかし雪慈は外見からは人間としか思えない。
 そんな思考を察知したのか、雪慈は左手を擡げた。
「妖し。人で非ず、神で非ず。自然の力を使う者。」
と、急に窓が開いて突風が雪崩れ込んだ。風が髪を無茶苦茶に掻き乱し、服の間を縫う。
 そんな状況で雪慈だけが平然と立っていた。擡げていた左手に風を巻き付けると降ろす。
 風が消えた。
「無茶苦茶だ。」
 俊駕は掃き捨てるように言うと捲れた服を撫で付けた。短髪ながらも少々髪が乱れているようなので俊駕は髪を無理矢理押さえ付けた。
 妖しとは話だけ聞かされたら信じられないだろうが、突風まで見せ付けられては信じない訳にもいかないだろう。
 俊駕は折角押さえ付けた短髪を掻いた。
「そんなに凄いのに何で雪慈は血塗れで倒れてたんだ?」
「――人間には気分の悪い話だ。」
 命の恩人に人間を滅ぼしたと言えようか。言える訳も無く、雪慈は腕を組んだ。
 死した同胞達の顔。守りたかったのに守れなかった。胸が締め付けられる。
 と、眩暈を覚えた。此処最近、ずっと――。
「大丈夫ですか?」
 銀縁の青年が心配そうに雪慈に駆け寄った。雪慈は首を振って頭を押さえる。
「大丈夫だ。」
「しかし雪慈さんはまだ病み上がりです。一応大事を取って休まれた方が良いです。」
「怪我人は寝るでござる。」
 そう、雪慈は満面の笑顔の青年に背中を押された。それでもまだ雪慈がベッドに戻るのを渋っていると大きな目をやや吊り上がらせている青年も雪慈の背中を押す。
「別に変な事しようって訳じゃねぇから。」
「大人しく寝るでござる。」
 半ば無理矢理ベッドに寝かし付けられると二人は満足そうな顔をした。何が満足なのだろう。
 人間でないと知りながら初対面の者に此処まで親切にしてくれるとは不思議だ。
 雪慈がベッドに入るのを見届けると、三人は何処かへ去った。

「元気になってて良かったな。」
「そうでござる。それも宗一殿の応急処置のお陰だと先生が言っていたでござる。」
「凄いな、宗一。もしかして医者か?」
「…、俺は――。」
 宗一は言葉を濁らせた。医者であった事は消し去りたい過去である。しかし――。
 人の命が救えたのは嬉しい。――否、人ではなく妖しだが。この喜びは医者だけに与えられた特権なのだろう。
「宗一?どうした?」
「いえ、何でもありません。」
 俊駕は、はぁっと息を吐くと相手をまっすぐ見て、
「別に、深く聞きはしねェけど。俺だってお前たちに隠し事あるし。でも、もう少しうれしい顔してもいいんじゃねェの?」と、文句ありげに質問する。
 しかし、顔に出さないということ以外にひそかにうれしくとも今はあまり聞きたくない言葉だった。うれしいという感情は自信をつけさせる。それが以前、自分にどんなことを与えたか身をもって知ったばかりだったからだ。だから彼は、
「うれしいことはうれしいですけど、それじゃあ拭い切れないんです」
「拭い切れない?」
 宗一は少し顎を引いていたので、表情は伺えずコクンとうなずいたことしかわからなかった。俊駕は深くは追求しないとはじめに言ったので、わかったとだけ答えそれ以上は何も言わなかった。
「まあ、俺たちが一緒にいるのなんてほんの少しだけの時間かもしれないからな。もしその間にいえるんならはなしてくれよ」
「あ、うん」
 今の微妙な心待ちは、そんな言葉しか口から出てこなかった。
「どうも俺たちの中じゃ年上に見えるのに、控えめというか内気というか」
 それから診療所の表で壁に寄りかかりながら、彼ら二人はは少し話をした。
 どうして、昨日の夜あそこにいたのかと聞いたのは俊駕だったが、答えたのは俊駕だった。
「俺はチェグムにおいていかれたんだ」
「チェグム、ですか?」
「クルマだ」
「クルマ、ですか?」
「そ。俺をおいていっちまった」
 宗一はその意味を理解するのにチェグムは自我を持つクルマという単語が必須のものだった。
「で、宗一は? 話したくないところは省いていいぞ? 俺もいろいろ省いてるし、別に誘導尋問じゃねェから」
 宗一はそもそもの理由がその理由に含まれてしまうので、
「気が付いたら、ここにいました」
 としかいえなかった。
 宗一の世界でクルマはしゃべらないし、自分で動くこともしない。そのお互いの相違点を俊駕に伝えると、その矛盾から、すこしSF、あるいはオカルト的な考えが頭をよぎる。自分が一人の医者というリアリストだというのに。
「あの、これは一つの仮説なんですが――」
「ま、ここは俺たちどちらの世界でもない世界というわけだな」
 すんなりと相手は受け入れているようだ。
「信じられるのですか?」
「信じるも何も、俺の世界じゃ、もう少しすれば当たり前になるし。どうやら、科学の進化も違うようだな、俺と宗一じゃ」
 どうやら俊駕の世界じゃ、理解の範疇らしい。
「納得するしかないようですね」
「聞こえる独り言は面白すぎるから」
 相手の独り言に笑いながら、太陽が沈んでいく。笑いが取れれば、つまりコミュニケーションが取れればこの話は終了だ。その証拠に、
「そういえば、あいつは?」
「桃耶さんですか?」
 もう一人を見れる余裕が見えてきた。
 しかし周りを見渡しても、あの奇怪な服装は見つけることができない。
「しかし、あいつはどうなんだろうな」
「え?」
「あんなところで」
「おそらく、この近くのヒトじゃないですよ」
「――?」
「周りの服装を見ても、全然共通点が見つからないし」
 彼の観察眼は周りのヒトとの摩擦を恐れからか、優れるところがあり、瞬時にこの土地柄とこの世界の今の服流行(はやり)も見分けることができた。まあ、この場合、町の人たちを一目見ただけで判断はできたが。
「意外に、あいつも別世界から来たクチだったりしてな」
「かも知れませんね。俺の世界で言うかつていた侍って感じでしたし」
「そのとおり」
「「!!」」
「拙者は侍でござる」
 飛び上がるほどではないが、心臓をはやらせるのには十分だ。 「ど、どこにいたんだお前」
「ありがたいことに、泊めてくれると言っていたでござる」
 二人のうでをむんずとつかみ、また、診療所の中へ連れていった。
「そ、そんなに強く引っ張るな」
「と、桃耶さんいたいです」
「昨日」
「人の話聞けよ、いたいって――」
「おなかが減っているのに、さほど食べず」
 一つ目の扉を体当たりであける。
「泊めてくれるって、ここにですか?」
「慣れていないのか、夜も満足に寝ず」
 二人は完全に後ろから歩く形で彼の後頭部しか見えない。
「朝はずっと歩き通しで」
 そこで俊駕と宗一はなにかぐらりと体にきたすものを感じる。
「昼から夕までかけて走りっぱなし」
 もう一つ乱暴に扉をあけ、こざっぱりとした部屋にはいる。そこには病人用のベッドが二つあった。
「おまけに今までずっと立ちっぱなし」
 二人をベッドに投げ込んだ。
「いてっ!!」
「つゥ!!」
「ある意味、雪慈殿より重症でござる。目に見えず、自覚がないぶんな」
 彼らは猛烈な眠気に襲われる。
「ここは昨日の寝床よりはるかに寝やすく、はるかに安心できるはずでござる。今日はゆっくりねて、明日に備えるがいいでござるよ」
 もう、彼ら二人は放り込まれた痛みを忘れ、まぶたが異様に重くなり、目を閉じた。

 どれくらいの時間が経ったのであろうか、しかし実は経っていないのだろうか。そんなことを考えながら、彼はまぶたを開く。目はずっと冷めたままなようだ。静かでくらいのだから夜であるに違いない。その証拠に、
「………」
 この世界でも同じように月が見えていた。昨日は確認はできなかったが、今は確かに月が二つ見える。むくりと起き上がり、ベッドからおり部屋を出た。月の光のもとで、風を受けたかった。
 そのままここから離れようと思ったが、たとえ人間でも――憎むべき対象だとしても――礼を通す必要があると思い、とりあえず庭に出ることにした。几帳面な自分の性格に嫌気をさしながら。
「まだ、寝ていたほうがよいのではござらんか?」
 月の光が指す縁側に、胡坐をかきながら月を仰いでいる先客がいた。
「いや、もう大丈夫だ。もう一度、礼を言う」
 ありがとうとだけは言わないようつとめた。
「それで、誰を殺すつもりでござる?」
「え?」
「倒れた後も、ものすごい殺気を感じていたでござる。森を抜ける間、実はおきているのではないかと思うほどに」
 雪慈がなにも答えなかったので、桃耶は自分の横に座るように促す。
「なぜ、あのように血まみれで倒れていたのでござるか?」
さっきも言ったであろう、人間には気分の悪い話だと」
「まあ、察するになにか個人的な戦でござろう」
 それを聞いて思わず雪慈は桃耶のほうを向く。