異邦人
「あれだけ血塗れでところかまわず殺気を出していたところを見ると、一人で大勢のものと相手にしていたでござるな?」
「あ、貴方は……」
「ん、そうでござったな。拙者は佐々木桃耶と申すものでござる」
「佐々木――」
「桃耶でよいでござるよ。さて、どうでござる、まだ話す気にはならぬか?」
 桃耶は一度も雪慈の方を見なかった。雪慈は視線を月に戻し、目を細める。その先にあるのは暗い闇でしかない。まるで未だあの時に居るようだ。
「人間に話すことなど、何もない」
 断定的に呟く。
「そうでござるか」
 桃耶はあっけらかんと明るい声で言った。
「まだお主は病み上がりでござる。今日は充分休むでござるよ」
 それだけを言うとさっと立ち上がり、付いた土を手で払う。ずれた刀を定位置に戻すと座り込んだままの雪慈を見下ろした。彼の背中はなぜか儚げで、桃耶はただ微笑む。その肌のようにいつか消えてしまいそうだった。
「…たこそ」
「ん?」
「あなたこそ、どこの誰なのだ」
 一度も振り向かないその背中に向かって桃耶は満面の笑みを向けた。
「拙者は佐々木桃耶、侍でござる。猪に追われて川に流されてこっちへ来たのでござる」

 俊駕は空腹によって起こされた。思えば猪の肉を食ってからまともなものを口にしていなかった気がする。だるい身体を起こして状況確認をする。隣のベッドには綺麗に畳まれた布団が丁寧に置かれていた。まるで患者が退院したあとの躾の見本のようだ。窓から差し込む光がすでに朝を迎えていることを知らせてくれている。
 俊駕の頭がようやく昨日までのことを整理し始めた頃にドアがノックされた。
「あ、起きられましたか。皆さんはすでに食べ終えていますよ」
 人の良さそうな初老の男性が顔を覗かせた。どうやらここは彼の診療所だと気づく。俊駕は軽く会釈をしてからベッドを降りた。
「ようやく起きたでござるか。よほど疲れていたのでござるな」
 俊駕が案内されて部屋に入ると桃耶が一番に声を掛けてきた。俊駕はそれに「おう」とだけ返事をした。続けて宗一にも挨拶を返して席に着く。雪慈は壁際に座り窓の外に顔を向けたままだ。
「これからどうします? いつまでもここに居座るわけにもいきませんし」
 宗一は俊駕、次に桃耶、雪慈に視線を送って尋ねた。
「んーでも当てもなしにっつうのはなぁ」
 俊駕は出された食事を口に運びながら過去のことを照らし合わせる。当てもなく異世界を回ることがどんなに危険かは身をもって体験していた。あの時は運良く乗り切れたが、あの時のような奇蹟が毎回起こるわけはないないのだ。
 そこへ飲み物を運んできた年配の女性が部屋へ入ってきた。にこやかな表情の彼女はこの診療所の所長夫人なのだとすぐに分かった。
「私たちのことならかまいませんよ。それに今はハーバンの月祭だから、楽しんできてくださにね」
「はーばんのつきさい?」
 桃耶が不思議そうに聞き返す。夫人はそこで、彼らはこの国の人間ではないのだと思い出したようだった。
「ええ。ハーバンはこの国の国教、ハーブス教の神の一人です。今月はハーバンの誕生月なんですよ」
「へぇ、面白そうだな! な、何かイベントとかあるのか?」
「そうねぇ、今日は特にないけれど……あ、でも月祭の最終日に大きな花火が打ちあがるわ。それはとても美しいんですよ」
 夫人は思い出にふけるようにうっとりと微笑む。俊駕も桃耶もそれぞれに想像し、さぞ綺麗なものなのだろうと早速楽しみで仕方のない様子だった。
「雪慈殿も行ってみるでござろう?」
 雪慈は視線を景色から外し、曖昧に微笑んだ。微笑んだといっても僅かに口端が上に釣っただけだ。とても笑顔と呼べる表情ではない。だが俊駕も桃耶も強引に雪慈を引っ張って外へ出た。宗一はその後をゆっくりと付いて行く。
 外は快晴だった。昨日森から見えた建物はこの街の外れにある山か丘の上に立っているものだった。今は霧もなくはっきりとその姿を現している。頭が円状になっているそれは、どこか神々しくこの街を見下ろしているようだ。
――まるでインドの寺院だな。
 宗一はテレビや写真でしか見たことのない神聖な建物を思い出した。だが街全体は白い家が隙間なく立ち並び、インドと言うよりはヨーロッパの町並みに似ていた。行き交う人々の服装はそのどちらにも当てはまらないようだが、それが唯一ここは異世界だと主張しているように感じた。
「よっ、兄さん。そんなとこで突っ立ってどうしたんだい? 良かったらウチのコを買ってくれないか」
 不意に声を掛けられ、ぼんやりと山を眺めていた宗一はハッと我に返った。いつの間にか俊駕たちとは逸れていたらしく、宗一の視界内に彼らの姿は確認できなかった。その上知らずと人の波に乗っていたらしく、出てきたであろう診療所も見えなくなっていた。今自分がどこにいるのか全く把握できない状態だと気づく。
「安くしとくからさ」
 声を掛けてきた男は宗一の腕を掴んで彼を道の端へ案内した。人ごみから外れて初めて宗一は男の姿を見た。面長の男は身体全体がひょろりと長く細い。だが肌は健康的にか不健康的にか茶色く焼けていた。細い眼をさらに細めて宗一を見下ろすその顔はまさに馬にそっくりだった。
「安くって、何をです?」
 宗一は自然と身体を強張らせて馬面の男を睨む。男は慌てて掴んでいた手を離すと、ひらひらと両手を顔の前で振る。まるで宗一を宥めるかのような仕草だ。
「おいおい、そんなに怒らなくたっていいだろう。ハービア派の教徒じゃあるまいし」
 馬面の男はどうやら宗一もこの街の人間だと思っているらしかった。宗一はそのことを否定する必要はないと判断したが、話を合わせることも出来ない。戸惑っていることを悟らせることはないが、宗一は途方に暮れた。
「宗一!」
 そこへ逸れた宗一に気づいたのだろう、俊駕と桃耶が駆け寄ってきた。
「どうした? ってか誰だ?」
 息を弾ませながら俊駕は馬面の男に目をやった。馬面の男はどうやら単純な思考回路の持ち主らしい。二人も新しい客が来たと嬉しそうな表情を浮かべた。
「今なら大サービスさ、好きなブタを1頭で、たったの10万だ!!」

「――は…?」
 馬面の男の言葉に、宗一は目を丸くする。
 ブタ。ブタというのは、豚のことだろうか。この世界には別のブタがいるのかもしれないが、馬面の男の後ろの柵の中で身を寄せ合っている桜色の塊達は、それ以外のブタには見えない。
「お、おい。宗一」
 唖然としていた宗一を我に返したのは、脇腹を突く俊駕だった。
「何やってんだよ。突然いなくなったと思ったらこんなとこで変なのに捕まってるし…」
「宗一殿は意外と集団行動が苦手なようでござるなあ」
「す、すみません…」
 呆れたように言う二人に、宗一は謝るしかない。集団行動が苦手という桃耶の指摘も事実なので、反論出来なかった。ただ一人、俊駕と桃耶に僅かに遅れて戻ってきた雪慈だけが、興味などなさそうに三人の姿を見つめていた。
「ま、いいけど。それで、豚がどうしたって?」
 俊駕は柵の向こうへと視線を投げ掛ける。
 ある者は地面を掘り返し、ある者はブヒブヒと鼻を鳴らし、またある者は地面に寝そべって日向ぼっこに興じている。俊駕にとって、豚と言えばスーパーでパック詰めにされている状態だ。無論それがどんな生き物なのかは知っているが、実物を目にした事など一度もない。興味深そうに俊駕は豚達を眺めていた。
 何も俊駕に限った事ではなく、宗一や桃耶、そして無関心にも見えるがその実、雪慈もまた桜色の塊を目で追っていた。宗一は動物園に行った事など一度もないし、桃耶の時代にそんな洒落た物はなかった。風聞してはいたものの、未来でも豚と出会う機会などなかったのだ。人間を嫌う雪慈に至っては、豚を目にする機会など殆ど皆無だったろう。
「普段なら十五万のとこ、今なら一頭たったの十万。どうだい、悪い話じゃないだろう?」
 そんな四人の事情など全く知らない馬面の店主は、にんまりと笑って自慢の豚を一瞥した。ぶひ、と豚もそれに応える。
「あの、ウチのコっていうのはやっぱり…」
「ん? この豚に決まってるじゃないか。他に何があるんだい?」
「それは、そう…ですけど」
 この馬面が紛らわしい言い方をするからいけないのだ。宗一自身が関わった事は当然の事ながらないが、人身売買という行為の存在は知識として知っていた。勘違いした宗一も短絡的ではあったが、この店主の言葉だけを聞けば、多くの人間が誤解するに違いなかった。
「豚でござるか。薩摩や琉球では上等な食料として好まれていたというでござる。一頭もらうでござるよ」
 猪を食べた事はあっても、豚を食べた事はない桃耶だ、興味があるのだろう。だが。
「ちょ、ちょっと待てって!」
 慌てたように――いや、事実かなり慌てて俊駕が言う。
「そうですよ、桃耶さん。俺達にそんな金なんて…」
「ん? なんだい、兄さん達。文無しかい? 文無しに売れるもんはないよ。ほら、行った行った!」
 四人が金を持っていないとわかったとたん、店主は手の平を返したようにその態度を一変させた。追い払うように手を振る。店主のその仕草に主に俊駕がむっとするが、金など一切持っていないのは事実、文句を言う権利など彼らにはなかった。
「残念でござるよ――ん?」
 がっくりと肩を落とす桃耶は、雪慈を見て小さく首を傾げた。雪慈は三人と店主のやりとりなど何処吹く風といった様子で、じっと遠くを眺めていた。
「どうしたでござるか、雪慈殿」
 雪慈は無言で桃耶を一瞥して、視線を元に戻す。む? と唸るように言いながら桃耶が雪慈の視線を追う。
「あちらが随分と騒がしいが、一体どうしたのだ?」
 雪慈は言うが、ハーバンの月祭である今、街は至る所で騒がしい。振り向けば無数の人々の往来を目にする事が出来る。物思いに耽っていたとはいえ、ここまで宗一が人の波に流されてきた程なのだ。
 雪慈の視線の先も勿論騒がしいのだが、桃耶達に違いはわからなかった。
「あちらでは、何か?」
 取り敢えず宗一は馬面の店主に訊いてみる事にした。この街の人間であり、店を出している程なのだ、月祭での催し物にも詳しいに違いない。
「ああ、あっちかい? 確か、四・五人一組の武術大会やってるとか言ってたな。確か優勝賞金が十五ま――」
「本当でござるか!?」
 ずい、と桃耶が店主に詰め寄った。十五万あれば、豚を一頭買っても五万のお釣りが来る。診療所で世話になった礼をしても路銀くらいは作れるだろう。
 桃耶の迫力に気圧されたのか、店主は首を何度も上下させる事しか出来ない。その答えに満足したのか、桃耶が振り返る。その顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
「ま、まさか…」
 嫌な予感がする。俊駕は内心で冷や汗をかきながら、それでも一応訊ねてみる事にした。
「その武術大会とやらで優勝するでござるよ!」
 嫌な予感というのは得てして当たる物で。桃耶の中では、既に優勝は決定しているようだった。
「そうと決まれば早速行くでござる。」
 俊駕は抵抗を試みようとしたが、その前に桃耶に腕を掴まれてしまった。暴れて離れようとするが桃耶の手は俊駕を放さない。
 ふと横を見れば雪慈も同じような状況に陥っている。仲間。この二文字が俊駕の頭を駆け巡り、雪慈に妙な親近感を覚えた。
「出るったって戦えるのはお前くらいなもんだろ!」
「雪慈殿も立派に戦えるでござる。」
「俺は戦えない、宗一も戦えない!それに雪慈は武術専門じゃねぇだろ!」
「雪慈殿、戦えるでござるな。」
 桃耶に問うように見付けられて、雪慈は困った。正直に言うべきか、偽るべきか。
 しかし偽る事で雪慈が何か得をすると云うのは有り得ない。雪慈は短く、
「あぁ。」
と答えた。
 それを受けて俊駕は顔を轢き吊らせ、桃耶はにんまりと笑みを浮かべた。二人の表情の差が何処となく笑可しい。
「さぁさぁ!宗一殿、今度ははぐれないよう注意するでござる!」
「嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!」
 桃耶は断末魔の悲鳴を上げている俊駕と雪慈を引き摺って走り出した。