異邦人
 店内はカウンター席が五つとテーブル席が四つという見た目以上の狭さだった。だがテーブル一つ一つはそれなりの大きさだし、壁に挟まれた窮屈さは感じない。存外に店の主人はセンスが良い人なのだろう。
「パォメン知らないんならなおさら頼めよ。ミレイはサラダセットで良かったっけ?」
 彼らを席に座らせるなり、ルースは勝手に次々と注文をしていく。時々ミレイやマイティが口を挟んで訂正したり追加したりするが、桃耶はもちろん俊駕や宗一が横から何かを言う隙は全く見当たらなかった。雪慈だけは我関せずと優雅にウェイトレスが運んできたお茶を啜っている。
 運ばれてきたパォメンなるものを見たときの宗一の感想は「なるほど」だった。俊駕は「うまそー!」と声をあげ、ルースに負けないくらいの勢いで食べ始めた。桃耶と雪慈は物珍しそうに観察しながら、それでも「美味い」と言って食べている。
「だろ! ココのは絶品! 街のパォメンはもう食えないよ、お前ら」
 ルースの言うとおり確かにそれは頬が落ちそうなほどの美味さだ。宗一にしてみれば柔らかい餃子の皮で作ったラーメンに思えなくもない。ラーメンにもピンからキリまであるように、これもそうなのだろう。スープもまろやかな塩味に似ていた。
「実は食通?」
 俊駕は麺を頬張りながらルースの方へ顔を向けた。意外な一面を見てしまったこの気分は何だろうか。
「寝ることと食べることに関しては誰よりも煩いのよ。いつも以上にね」
 ミレイが呆れたふうに言うとルースは当然とばかりに二人を見た。
「生物としての基本だろ、きほん。俺からしてみれば肉を食わないミレイの方がオカシイ」
「えっ肉を食わないのか!?」
 思わず声を上げた俊駕をミレイは心外だとばかりに睨んできた。
「当たり前でしょ! 懸命に生きる生命を殺してまで生きたくはないわ」
「しかし植物は良いのでござるか? 草と言えども立派に生命を育んでいるでござるよ」
 桃耶が聞くと、ミレイは今度は首をぐるんと回して桃耶を見る。
「ハービアの神の元ではサラダは神聖なる食物よ。私の命のためにその身を捧げてくれるもの。いいこと、私の目の前でブタやらウシやらを食べないでちょうだい。天罰を下すから」
 ミレイの視線を直に受けた桃耶の背中に冷たい汗が流れた。天罰を下すというよりは呪い殺されそうな勢いだ。
「こういう時にミレイが僧侶だと思い出すんですよね」
 ハハハ、と面白そうに笑うマイティの声がその場を一段と冷たくさせたように思われた。
「さて、そろそろ時間だよ」
 マイティは一人にこやかに席から立ち上がった。

 ――舞台は、再び武闘場へと移る。
 会場の中央では、二人の男が向き合っていた。白い肌の痩身の男と、褐色の肌の巨漢。体重差は倍程もあるだろう二人だが、痩身の男――雪慈は、その体格差のハンデなど微塵も感じていないような薄い笑みを口許に浮かべていた。

「おい、雪慈のヤツに戦わせていいのか?」
 心配そうに、俊駕は共に観戦している二人に訊ねた。無論、心配しているのは雪慈の身の危険ではなく、対戦相手の命のことだ。
「大丈夫ですよ。雪慈さんは俺達のことを信用してくれたんです。だったら、俺達も雪慈さんが相手を危険な目に遭わせずに勝ってくれるって信じましょう」
「宗一殿の言う通りでござる。あれで雪慈殿は礼に厚い人でござるから、心配はいらないでござるよ」
 人じゃねえけどな、と俊駕は苦笑しつつ二人の言葉に頷いた。  命懸けでその信頼を勝ち取った宗一が言うのだから、間違いはないだろう。

「始め!」
 審判の掛け声で、観客の視線は一斉に会場に向けられた。
「いくぜぇっ!」
 対戦相手の巨漢が、咆吼と共に疾駆する。一瞬で間合いはゼロになり、男が手にした巨大な斧剣が雪慈の体目掛けて振り下ろされた。
 もしも触れれば、雪慈の痩身など容易く千切れ飛ぶであろうことは明白なそれは、けれど鋭い風切り音と共に空を切り、鈍い轟音と共に地面を砕くに終わった。
 雪慈は今の剣戟を横に大きく跳躍することで躱したのだ。
「ストーンショット!」
 今の一撃で砕け散った岩石の破片が宙に浮かび上がり、無数の飛礫が体勢を崩した雪慈目掛けて殺到する。しかしそれを、
「グラヴフィルド」
 雪慈の魔法が叩き落とす。放射状に放たれた無数の岩石は、雪慈に届く前に失速し、地面に落下して砕け散った。グラヴの上位魔法であるグラヴフィルドは、一定空間の重力を操作する魔法だ。
「シャァッ!」
 裂帛の気合。僅か一瞬の内に、男の巨体が雪慈目掛けて迫っていた。体勢を崩した雪慈に、それを躱す手立てはない。妖しとはいえ、限界は存在するのだ。
 だが、雪慈はあくまで冷静だった。この一撃はどう足掻いても躱せない。無理に躱そうとすれば、足なり腕なりが根本から千切り取られるだろう。
 ――ならば、躱す必要はない。
「グロゥス――」
 小さく呟いて、雪慈は握り締めた右拳を男の斧剣目掛けて振り抜いた。巨大な質量を持った斧剣と雪慈の拳が激突する。
 そして次の瞬間、鈍い破砕音が響いた。鼓膜を破るのではないかという程の重い音。
 しかし、それは雪慈の腕の骨が砕けた音ではなかった。
 砕けたのは、男の斧剣。斧剣の刃が、雪慈の拳と激突した箇所を境に折れ、剣先がくるくると宙を舞っていた。雪慈の足許に、折れた剣先が深々と突き刺さる。

「おいおい、あの野郎、手加減ってのを知らねえのか?」
 雪慈の身体能力と、右手に宗一が書き加えた紋章のどちらかが欠けていたなら今頃は――。
 そう考えて、いや、と俊駕は頭を振った。そんなもしもはいらない。現に雪慈は無事なのだから。
 宗一や桃耶も、先程までとは心配のベクトルが異なっている。今までの相手と今回の相手はレベルが違う。万が一ということがあり得るのだ。
「そうよ、雪慈様の顔に何かあったらどうしてくれるのよ……!」
 約一名ピンポイントな心配をしている者もいるが、敢えて三人はそれを無視する。顔以外だったらいいのか。
「仕方ないんじゃない? 雪慈さんの強さを考えたら、手加減する余裕なんてないさ」
「むしろ、殺す気でなければ、俺だって攻撃を当てることさえ出来ないかもしれない」
 それ程に雪慈は強いのだ、と。ルースとマイティは戦士としてこの戦いを見ていた。
「だからって、程度ってもんがあるでしょう?」
 ミレイは声を荒げるが、ルースとマイティ、そしてユリウスはそれに首を振った。
 俊駕や宗一はミレイと同意見だったが、桃耶は三人の意見に賛成だった。
「元々雪慈殿は殺し合いを常としていたでござる。たとえ敵が殺すつもりであったとしても、雪慈殿自身がそれに非があるとは思わぬでござるよ」
 それに、と桃耶は言葉を句切り、
「この程度で負けるようなら、俺達の相手にはならない」
 ユリウスが、低い声音でそれを引き継いだ。

 チィ、という舌打ちと共に男は斧剣の柄を投げ捨て、数歩後ろに跳躍するようにして後退した。それを追うでもなく、雪慈は自分の右手を見つめている。
「……成る程。確かにこれは我々の術には出来ぬ芸当だ」
 雪慈の拳は、黒い岩石の塊で覆われていた。やがてそれはぼろぼろと剥がれ落ち、その下から雪慈の白い手が現れる。
 その手の甲には地属性の紋章がインクで描かれていた。紋章術で拳の外側を強化し、グロゥス――肉体強化魔法――によって全身を内側から強化する。元々人間を身体能力で凌駕する雪慈だ、そうすれば攻撃を受け止めることなど造作もなかった。
 尤も、相手の武器を破壊出来たのは雪慈にとっては嬉しい誤算だったのだが。
 妖しである雪慈は魔法とは異なる術を使うことが出来るが、この大会では魔法の名を口にしなければならないし、決められた魔法以外は使えないと定められている。
 自分の知っている術の方が遙かに効率的だと雪慈は思っていたが、身体強化や紋章術など、術には出来ないことも魔法というのは可能らしい。
 ――まさかつい先程知った魔法というものをここまで使いこなす方法を考えてみせるとは。
 雪慈は素直に感心していた。
 物覚えは悪いと言っていたが、複数の知識を応用するのは得意なのだろう。それを可能とするのは一体何なのか、と考え、慌てて雪慈は首を振った。何故自分が人間に対してそんなことを考えなければならないのか。
 毒されている、と思う。だが、同時に雪慈は、そんな変化を嫌っていない自分がいることに気付いた。
「ボルトガン!」
 その声にはっとして、雪慈は後ろに飛び退いた。瞬間、紫色の閃光が天から地面を撃ち抜き、刹那、世界はモノクロームに染め上げられた。一瞬遅れていたら、雪慈は消し炭になっていたに違いなかった。
 チィ、という舌打ち、ク、という呻き声。そして、ミシリ、という嫌な音。
 交差させた雪慈の腕に対戦相手の拳が叩き付けられていた。
 雪慈の胴程もある、丸太のような太い腕から繰り出された一撃は、そのまま骨を砕きかねない破壊力を秘めている。グロゥスの効果が切れていれば、あるいは本当に骨が砕けていたかもしれない。
 雪慈の体は、まるでゴム鞠のように軽々と宙を舞っていた。
 だが、雪慈は何事もなかったように空中で体勢を整え、地面に着地する。
「成る程、ラナンの紋章を予め書いておいたわけか」
 表面上は何事もなかったように取り繕って、雪慈は巨漢に訊ねた。
 答えのわかりきって問いには、時間を稼ごうという意図が隠されている。速度と体重を上乗せした男の一撃で、雪慈の腕には痛い程の痺れがあった。
「お前の仲間が始めたんだったな。上手いこと考えたもんだ」
 ルールの穴を突いた宗一の発想だったが、この会場にいた誰もがそれを目にしていたのだ。強い戦法を模倣するのは立派な戦術と言える。そもそも、戦術とは模倣と反復によって成立する物なのだから。
 魔法を使うのはおろか、戦闘その物が初めての俊駕でさえ無傷で相手を倒すことが出来た程なのだから尚更だ。
 尤も、俊駕の場合は相手がその戦法を知らなかったという条件があってこそだったのだが。
「全くだ。あれで根は甘いというのだから恐れ入る」
 微かに、雪慈の唇の端が持ち上がる。
 戦闘とは相手の息の根を止める過程に過ぎないという雪慈の考えを真っ向から否定し、雪慈の信頼を勝ち取るために満身創痍になるまで戦い抜いた、大馬鹿者。
 そんな大馬鹿者の身を心から案じた馬鹿と、そんな大馬鹿者の勝利を信じて疑わなかった馬鹿。
 彼らは、自分を“仲間”だと言う。本来相容れないはずの人間が、妖しを仲間だと――。
 ――それも悪くない。
 今まで知らなかった。人間と妖しは、信じ合えるものなのだと。
 きっと、彼らは少数派なのだろう。雪慈のいた世界では人間と妖しはいがみ合い、憎み合い、殺し合う関係でしかなかった。
 けれど。今この場所では、仲間達は、雪慈を信じているのだ。必ず勝つのだ、と。
「――ならば、応えねばならないだろう?」
 言って、雪慈は体を沈めた。雪慈も対戦相手同様、足にはラナンの紋章を描いている。
 限界まで低い体勢から、全身のバネを開放して疾駆し、
「グレヴ」
 魔法を唱える。体重を軽量化させ、速度を高めたのだ。俊足、など生温い。弾丸もかくやという速度で男との間合いを詰め、雪慈は右の拳を握り締めた。瞬く間に、右拳は黒い岩石の塊に覆われる。
 速度と全体重を載せた拳を振り上げ、グレヴの効果を解き、そして男の肩目掛けて振り下ろす――!
「――グレヴ」
 雪慈の拳が男に届くよりも、一瞬早く。男は呟いていた。
『慣れてくると触れなくても大丈夫ですが、最初は触ってから唱えてみて』
 雪慈の脳裏を、宗一の言葉が掠める。グレヴという魔法は、触れなくとも発動させることが出来るのだ。
 だが、もし雪慈の体重を増加させたとすれば、それは雪慈の攻撃の破壊力を高めるだけの結果しかもたらさない。振り下ろされた拳は重力を味方に付け、さらなる破壊を生み出すだろう。
 だから、男が重力を操作した対象は、別の物――先程折れた、斧剣の剣先だった。
『飛行魔法での空中戦は今回から禁止となりました』