異邦人
 それは、もう一つのルールの穴。自分が空を飛ぶことは制限されていても、物が空を飛ぶことは制限されていない。
 鋼鉄の斧剣が地面から飛び出し、巨大な刀身はそのまま一枚岩の盾と化す。
 もはや、拳の軌道を変えることは不可能。雪慈の拳は斧剣の刀身を粉々に砕き、同時に拳が纏っていた岩石も砕け散った。
 速度を失った拳は男に易々と躱され、
「シュッ!」
 交差法で逆に男の拳が深々と雪慈の腹に突き刺さった――かに、見えた。
 雪慈の左手が、男の拳を受け止めていた。その慣性で雪慈の体が後退する。だが、その手は男の巨大な拳を握って離さない。
 雪慈の口許に、薄い笑いが浮かんだ。
「何故、私がこれまで左手を使わなかったと思う?」
 雪慈の左手が淡く輝く。
 相手に致命傷を与えずに戦闘不能に陥らせるには、どうすればいいのか。その答えは、既に宗一と俊駕が教えてくれていた。
 相手の動きを、封じてしまえばいいのだ。
「――ヴァイン」
 瞬間、雪慈の手から飛び出した無数の蔓が、男の体を締め付けていた。ぎりぎりと四肢を締め付け、自由を奪う蔓の束縛は、決して男に自由を与えはしない。
 男は咄嗟に呪文を唱えようとするが、開いた口に向かって蔓が伸び、猿轡のようにその口を塞いだ。
 そして、
「それまで!」
 勝利を下す審判の声が、高らかに告げられた。
「雪慈!最高だ!」
 俊駕は観客に紛れて雪慈に声援を飛ばした。――いつの間にか会場の声援は雪慈の一点に絞られている。と、ルースが意味あり気に呟いた。
「やっぱり格好良い男はモテるなぁ。」
「ユリウスとかマイティとか?」
「そ。ユリウスとかマイティとかルース君とか。」
「だから、ユリウスとかマイティでしょ?」
「うん。ユリウスとかマイティとかルース君。」
 ――そんなミレイとルースの不毛な言い争いを止めたのはユリウスだった。迫られたら怖いような無表情をルースに近付けている。ルースは微笑みながら首を傾げた。
「何?」
「雪慈と戦りたい。」
「ユリウスから興味を示すなんて珍しいじゃないか。」
マイティが本当に珍しいものを見るように手を合わせた。ユリウスは次の相手を待っている雪慈に目線を移す。
「ユリウスには悪いけど、雪慈さんとは俺も戦いたい。」
「ま、俺も戦いたいけど作戦的にはユリウスと雪慈さんを当てるのは賛成だね。」
 マイティは腕を組んで雪慈を見詰めた。と、丁度雪慈の前に次の対戦者が表れる。
「あの戦い慣れしたセンス。実戦経験豊富なユリウスじゃないと立ち向かえないと思 うんだよね・・・。」
と、審判が試合の始まりを告げた。

試合が始まっても、向かい合っている青年は動こうとしなかった。明るい髪や瞳の色とは対照的に陰を含む目をしたその青年はじっと雪慈を睨んでいた。今にも腰に差している剣を抜き放ちそうな雰囲気なのに、まるで一枚の絵画のように制止している。

 前の試合の興奮もその青年の冷たい雰囲気に押し流され、会場全体が静まり返っていた。
 ――この静けさに耐え兼ねて先に攻撃を仕掛けた者が何人いただろうか。だが、雪慈は今までの経験から本能的に分かっていた。先に仕掛ければ必ず圧倒的に不利になる。雪慈と青年。何方が先に動くかの勝負だった。と思われていた。
「俺の名前はホセと言う。」
 先に、青年が声を発した。それに名まで名乗っている。意図が全く掴めない。
「貴殿は?」
「――私の名を何故知りたい?」
 相手の意図が分からないからには迂闊に名を名乗るのは危険だ。雪慈は逆に問い返して、相手の伺い方を見た。雪慈の――、妖しの世界では名は絶大な力を持っている。
 名とはその者を表すスベテだ。名さえ知っていれば、その者を操る事も容易い。しかし、これは村長にしか伝えられない秘密だ。
 ホセは何も答えず、相変わらず雪慈を睨み付けている。騙された振りをするのも一つの手か。雪慈は試しに偽の名を名乗ってみた。
「ルース。」
ホセの剣が抜かれた。――それは剣と云うには余りに細く、透明に透き通っている。
その剣は真っ直ぐに雪慈に向けられていた。
何をする気なのか。
「ウラキオール。」
『憎め!』
 急に身体が重くなったかと思うと、懐かしい声が聞こえて来た。血に塗れた顔が雪慈を凝視している。
『これがお前の咎だ!一族を背負う者が人間一人殺せずにどうする!』
『お前が若長だ!人間を殺せ!』
『情に溺れるな!人間なんかに情けを掛ける必要は無い!』
『殺せ殺せ殺せ!』
「・・・。」
 過去に、人間に殺された者の叫び声が聞こえて来る。全て一人の声だ。
 雪慈は客席の方を見やった。颯に似ているあの少女――ミレイの姿を探す。ミレイの口は、雪慈を責めるように動いていなかった。それだけで安心出来る己が情け無い。
 雪慈は重い身体を無理矢理起こし、ホセを睨み付けた。
「恐らくウラキオール自体はムーンボルトサイコに撹乱作用を持つ幻覚を上乗せした程度だろう。しかし、《名》により人の過去を引き摺り出した。」
「その通りだ。」
 ホセが答えると同時に、審判が飛び出して来た。思い切りホセの肩を掴んで雪慈から引き離そうとする。
「その方法だと魔法の上限を越えている!」
「越えていない。」
 ホセは審判の手を振り払った。
「俺はそう云う特種体質なんでな。」
 審判は絶句した。確かに、数年に一度そう云う特種体質を持った者は表れるがそれを規制する規約はない。試合を続行するしかないのだ。
 と、急に雪慈は笑可しくなって腹を抱え込むように身体を折った。特種体質。その手があったのか。それならば雪慈がいつも使っている術を使っても問題無い筈だ。
「審判。特種体質は認められているのだな?」
「違反にはならない。まさか――!?」
 審判が雪慈のしようとしている事に薄々気付き、血相を変えた時だった。雪慈はすっと、左手をあげた。
 審判の予想は物の見事に外れた。気付いた時にはもう、雪慈はホセの後ろに回り込んで羽飼締めにしている。
「私の過去を覗いたのか?」
「・・・。」
「降参しろ。」
「断る。」
「お前のせいで私は頭に血が上っている。降参した方が利口だとは思わないか?」
それからホセが降参したのは間も無くだった。

 俊駕は冷や汗を拭った。一瞬でも雪慈が対戦相手を傷付けるのではないかと思った自分が恥ずかしい。
「良かった良かった。」
「快勝でござるな。」
「私が人間に負けるはず無いだろう」
 彼らの声が聞こえていたのか、少し振り向いて俊駕たちを横目には聞こえない声で独り言をはく。
「まあ、そうだろうな」
 と、俊駕もそういっているのではないかと思い独り言をはいた。
 彼は人間ではないのだ。人間ではないといっても、人間より弱いわけではなく、強い部類だ。もし、強さや高みを目指す戦士なら、戦いたくなるのかもしれない。
 現に俊駕は決して勝てないものの、少し戦ってみたい衝動にかられていた。少し力を手に入れた彼がこう思うのだ、マイティたちが戦いたくなる気持ちも良くわかる。
『桃耶はどうなのだろう』
 ふと、元気に応援している青年を見た。

「また剣士、か」
 手加減して戦っているせいか、三人目も臆することなく雪慈に立ち向かってきた。そして、相手からは気迫が伝わってくる。
『ここの戦いには殺気がすくない』
 先ほどの巨漢とホセはおびただしい殺気が伝わってきたが、この相手からは感じられない。やはり、大将はこの武術大会がどういうものかをわかっているのだろう。
 異種族との戦いでは常に殺気が感じられるものだと思っていた。この感じはとても心地よく、ついアヤカシ同士の戦いと勘違いして手加減を忘れてしまうことのないよう心がけた。
『特殊体質ということはもう言ってあるからな、大丈夫だろう』
「むん」
 相手の剣を二本指で白羽取りをする。
「くっ」
「どうした、最初の男のほうが力があったぞ」
『しかし、大将だけあって技術はこいつが一番いい。私の目をみながら、次の攻撃を予測するとは』
 雪慈はそのまま逆の手を相手に向け、風を巻き起こそうとするが、そのときにはもう男は剣を離していて、片足を突いて、両手を地面いついていた。
「グロック」
 呪文が発動し、雪慈の立っている地面がせりあがり、爆発音と共に、地面が砕けた。
 相手はもう既に雪慈の近くにはいず、距離をおいていた。雪慈は爆発すると同時に後ろに飛びあがり、くるりと宙返りをして、着地する。剣はまたつかんだままだ。
『とっさの機転もまあまあだ……ん?』
 雪慈の右頬から一筋の血が流れていた。外野では観客席を飛び出しそうな女性をとめようとしているものたちがいたが、雪慈には見えていなかった。
「もうすこし、場数を踏めば――」
『良い戦いが……』
 そこで考えを断ち切り、剣を相手の足元に投げつける。
『おかしな考えはよそう。もし帰れたら、私はやつらを滅ぼせなくなる。』
 今の世界と元の世界では、根本的にアヤカシを良く思っている人間は圧倒的に少ない。
『この世界だけだ。この世界だけ』
 相手の剣を難なくかわし、この感情だけは忘れないように努めた。
「ボルトガン」
「――」
 体をそらし、すれすれでよける。
「ふん。魔法に重点をおいてきたな」
「じゃなきゃ、魔法剣士の昇段試験を受けた意味がないからな」 『言っている意味はわからないが、先の2人と組んでいるのが不思議なくらいだ』
 ラナンと聞こえていた。相手の身体には何も紋章が描かれていないのだろう。
 背後から気配を感じる。
「殺気は消せても、気配が消せないとは」
「――!!」
「甘いな」
 今の今まで自分が持っていた剣の剣先が自分の咽についていた。
 勝負は決まった。

「なあ、次の相手、見なくていいのか?」 
 闘技場を魔法で整備し終わり、次の仕合が始まろうとしていた。おそらくこの戦いもレヴェルが高いだろう。俊駕がつぶやいた。
「仕合が始まる頃には戻ってくる」
 もじもじしながらお茶に誘おうとしているミレイをよそに雪慈は消えてしまった。

「俺はどちらでもいいですが、まだ曖昧なものがあるので――」
 腕にかけてある、白衣をチラッと見る。
「じゃあ、俺たちが教えてやろうか?」
「まだわかりませんが、決勝で当たるかもしれない相手にですか?」
「いや、もう教えてるし」
 ルースも自分が書いた呪文を見る。
「なんか、本当に魔法のことについて何にも知らない感じだったし」
 マイティも会話に参加した。
「別に、中学卒業程度までなら――」
「雪慈さんもいないから暇しね」
 それを聞いたとたん、また誰かのしょんぼり度が上がった。
「攻撃魔法も覚えておかないと、俺たちと決勝であったら勝負にならないぞ」
「あの、さ」
 俊駕がふと疑問がでてきたらしく、次の仕合のことは頭から離れだす。
「小学校ってこっちにもある?」
 そういうと、馬鹿にされたような目線を二人から浴びた。ユリウスは、ぽんっとミレイの肩をたたき、無言でなぐさめている。そして二人の反応から、小学校があることを認識する。
「つまり、あれ? 小学校で習うのが下級魔法で中学で習うのが中級魔法?」
 今度はまた2人から違う、疑問の目線を浴びる。そして宗一は俊駕と同じ疑問の視線で2人を見た。ようは二人ずつ向かい合っている形になる。
「いや、まあ、そうだけど」
 ここで、ルースは嫌でも疑問が多いことを意識しないわけにはいかなくなった。パォメンを知らないし、小学校、中学校のことも曖昧。そして、魔法の知識も曖昧。おおよそ田舎の一言ではすまなくなってきた。すこし、質問してみようかとマイティとアイコンタクトする。
「こんどはこっちから」
「なんですか?」
「ここの国名は?」
 今度は俊駕たちがお互いに顔を見合わせ、自分たちが何も話していないことに気づく。
「俺たち4人はこの世界の人ではないんです」
 宗一はそれぞれ要点だけ説明した。自分たちがどういう状況でこの世界に飛ばされたことは省いて。桃耶は話がややこしくなると判断したのかその場に座り込んでしまった。
「それ、本当?」
「冗談じゃなくって?」
 話した後の二人の始めの言葉だった。