異邦人
「さあ、トウヤにやられた日ごろの恨みを晴らしましょう」
 厄介なものは厄介なものに弱い、トウヤがいくらが厄介でもユタカの厄介さにはかなわない。それにしたがってトウヤはユタカに少々恨みを持っているのは紛れも無い事実。そして、署員がトウヤに少々恨みを持っているのも事実だった。それもそのはず、トウヤだって十分破天荒だからだ。

「お、あのビルを駆け上がっていくのは栗鼠(リス)に似てるなぁ。良し、獣足“栗鼠”だな」
 第2東京タワーの高いところでスコープを使い、高みの見物をしていたユタカが言う。
 桃耶はビルに駆け上がるとそのヘリコプターを愛刀で切り刻み、中の人だけを無傷で助け出す。
「ありゃあ、あれだな馬っぽい。桜が散ったみたいだし。木之太刀“櫻馬(おうま)”だな」
 そう言って、どんどん勝手に名前をつけていき、どうやってあいつに覚えさせようか考えていた。
 そんな時、
「なんで、拙者がこんな目にあわなければならないのでござるか」
 沸々と桃耶でも怒りをあらわに出してくる。
「つぇい」
 ビルをたてから真っ二つに切り裂く。お、あれは竹を割ったみたいだな“竹狼(ちくろう)”にしよう。と、楽しそうだった。
 すッごく高いところで笑っているような気がする。そうすると、自然と一番高いところに目がいった。
『あそこに絶対いるでござる』
「ん? なんかこっちを見て――やべっ、見つかった!!」
 おそらくここまで獣足“狼”あるいは“獅子”でやってくるであろう。そう考えているうちに桃耶はもうすぐそこまで近づいていた。
「奥義は拙者が考えてもいいでござるか?」
 彼は元の世界で勉学はまるっきりダメであったが、大好きな言葉があった。ユタカの命名の仕方はわからなかったが偶然にも動物でたとえるところは似ていた。
 そして、ユタカがエレベーターで急いで降りている頃、もう彼はふもとに来ていた。
 ユタカは武術に関して知識を得なかったが、彼がものすごい気迫を放っているのは十分うかがえた。
「うわぁ、おこってんなぁ」
 でもなぜか、怖いというものは感じなかった。桃耶の場合、殺気は放たないし、気配も消すことは容易だ。ただ、自分の中にある活気だけは消すことはできなかった。
ユタカは彼の活気を感じたのだろう。だから、
「奥義――」
 第2東京タワーが九つの衝撃を受けて、ただの鉄の塊になっても、笑って許せることができた。


「くうっ。ほんっとうにあの時は苦労したでござる」
 彼は思い出して、拳を握り締めながら目を閉じていた。
「な、なんかあったのかい?」
「い、いや、こっちの話でござる」
 話を聞いたわけでもないのだが、彼の態度を見る限り過去に大変なことがあったらしい。と、見ることができた。
「まあいいわ、さっさとけりをつけましょう」
 構えに殺気がこもる。
「そうでござるな」
 桃耶も拳を軽く握り構える。
「その手刀がお主の十八番でござるか?」
「おはこ?」
「得意とするものでござる」
「――まさか、今まで習得した武術全てよ」
 そういうとまた、ブリスローといいながら両手の手刀で攻撃してくる。桃耶はその攻撃を後ろに引きながらよけ、顔には攻撃せず腹にけりを叩き込もうとするが、よけられ間合いを取られてしまう。
「本当によく練成されているでござる。その鮮麗な格好からは思えないほどに」
「容姿にだまされないでとしかいえないね」
「かっかっかっか、十分だまされているでござる」
「そ、そう」
 どうしてここで笑うのかわからないといった表情だ。
「じゃあ、おぬしもだまされてみるでござるか?」
「――はぁ? さっきから戦いを見てるけどそんな魔法使っているの見て無いわ」
「いやいや、そうではござらん。狸と狐に、でござるよ」
「狸と狐ぇ?」
「――獣足、狸!!」
 音は無く、女は後ろに吹き飛ばされた。腹を抱え片膝をつきながら。しかし、会場から見て桃耶はまったく動いているようには見えなかった。
「け、けほっ。一体何を――魔法?」
 そういって、またすぐに立ち上がる。
「いま、どうしたんだ?」
「わかりません。突然あの女の人が後ろに下がったとしか。雪慈さん何があったかわかります?」
「――いいや、特には」
 宗一はマイティたちを見ても、どうやらわかっていない表情に見えた。岡目八目とはよく言うが、第三者でも確認できないようだ。
 彼女がまた構え間合いを取ると、
「獣足、狸」
 の言葉とともに、また後ろに吹き飛ばされる。そこで、宗一はあることに気づく。

『桃耶さんは魔法が使えない。なら――』
「降参するでござるか?」
 桃耶は膝をついている彼女を見下げている。
「ふざけないで。そんなわけ無いじゃない」
 また女は急いで立ち上がり跳躍して距離を置く。しかし、今彼女はまったく状況をつかめていないようだ。
「しょうがないでござるなぁ」
 桃耶は笑いながらやれやれといった風に態度をとり、彼女を見る。
「今度はちょっと面白いでござるよ?」
『面白い?』

「これ、何の魔法なんだ?」
「視力を上げるんですが、静止視力ではなく動体視力を上げる魔法です」
「それが――あ、もしかして」
「アロク。はい、桃耶さんの場合これしかないかなと」
 アロクは動体視力を上げる魔法である。雪慈にアロクをかけながら俊駕の質問に答える。すると、4人も気づいたようで自分に魔法をかけた。
「おそらく、スピードに緩急をつけているんだと思います」

「獣足、狐!!」
 たしかに、宗一の予想は当たっていた。今の彼らには桃耶がただ女の周りをでたらめに走っているようにしか見えないが、もし魔法をかけていなかったら、桃耶の姿は何重にもみえ、あたかも分身をしているように見えるであろう。獣足“狸”も要領は同じだ。
 すばやく自分が立っている位置から彼女のところまで行き、蹴りをいれ、すばやく同じ位置に戻る。そうすることでまるで動いていないように見えたのだ。

 すっ。と女は目を閉じた。
 視界から桃耶を消せば惑わされることもなく、何より暗闇は神経を尖らせるのに最適だ。何人もの桃耶が女を取り囲んでいるように思える外界から、女自身が身を引いた。そこに残るのは渦の中にいるような感覚のみ。桃耶の“気”が到底人間業に思えないほどのスピードで動いている。
 それと同時に、女は冷静さを取り戻した。――桃耶が決定打になるべき一撃を与えるよりも速かったことが、彼の失敗した点だろう。
「あっ」
 ミレイの声と共に女が動いた。女は目を閉じたままだ。それはゆっくりとした動きのはずなのに、桃耶の分身が少しだけ揺らいだ。尤も、俊駕らに見えた光景は全く違うが。
 桃耶は確かに円状に走っていたコースを変えた。それは女を狙ってのものだった。だが女はあたかも予想していたかのように、背後から迫った桃耶から身体をそらし、更に目的を失った桃耶の背中に肘鉄を食らわしたのだ。桃耶はよろめきながらも走る速さにそれほど影響を与えずもとのコースへ戻っていった。
 女がゆっくりと目を開ける。桃耶も走るのをやめた。
 ここまでで約10分程度。この時間が長いのか短いのか、この会場にいる誰も分からない。三回戦を立て続けに勝利し、なおかつ先ほどまで走りっぱなしの桃耶の息は軽くジョギングをした時よりも上がっていなかった。それも観客たちに時間の経過を曖昧にさせる要因に他ならない。
「なかなか、さっきのは効いたでござるよ」
 桃耶は背中を摩りながら苦笑を浮かべた。女は満足げな笑みは浮かべず、どこか自嘲気味に微笑んだ。
「まんまとあんたのペースに乗せられるところだったよ」
 桃耶自身にその気がなくとも、自分のペースを崩さない彼は知らず、相手のペースを崩していく。女はその状況を何とか理解し、脱出に成功した数少ない人物になった。案の定、桃耶は女のセリフに訳も分からずかかかと笑った。
 とたん、女が動いた。
 動いたというよりも消えたと言った方が正しいかもしれない。それほど先ほどまでとは段違いの速さだった。魔法を自身にかけて動体視力を上げた俊駕や宗一らでさえも、女の動く瞬間を捉えることはできなかったのだ。
 突然女が動いた。それ以上の表現が陳腐にしかならないほどの出来事だった。
 がっと桃耶の身体が前に倒れこむ。咄嗟に右足で踏ん張るが、今度はその足を掬い上げられ、情けなくも桃耶は跪くように倒れ伏した。
 桃耶が呆然と顔を上げると、そこに女の顔があった。ふぅ、と息をつくと片方の口端を軽く上げ、桃耶を見下げて冷ややかな目を向けた。
「もう降参かしら?」
 桃耶に被せられた言葉を繰り返す。桃耶は可笑しそうに笑って立ち上がろうとした。
 しかし女は彼に立ち上がることを許さなかった。
「グァンジウ!」
 女は一歩桃耶から離れると同時に叫んだ。
「ふぐっぅ!?」
 急に桃耶の身体が重くなった。まるで体が巨大な岩に押し潰されている感覚。桃耶を囲む空間の重力だけが一気に増した感覚が彼を襲った。胸が苦しく、息をするのもやっとなほどだ。
 ……やっかいな魔法を使う。マイティは眉を寄せて女を見やった。
 グァンジウは一般的に知られるグラヴ――本来は水中で一定空間の重力を操り走行できるようにする中等魔法――をチャオ族が勝手に応用したものである。この魔法の欠点は非常に効果範囲が狭いことだが、利点は解除魔法をかけない限り効果が続くということだ。
 しかし本来が水中でのみ使用されるもの。解除魔法がなくともある条件が揃えば自然に消滅する。この原理は中学校でグラヴを習う際に教わることだが、果たして魔力の持たない桃耶は気づくだろうか。
「――無理だな」
 思わず呟いたマイティに、皆が一斉に振り向く。
「桃耶が負けるって言うのかよ?」
 俊駕が怪訝な顔をして言った。マイティは瞬時に「まさか」と言おうとして、口を閉じた。始めの戦いだけを見れば女も他の相手と大差ないと思うだろう。だが今は明らかに違う。雰囲気からして別人のようだ。
 何も答えないマイティに俊駕は苛立った。てっきりガリ男のときと同様のことを言うものとばかり思っていたのだ。
「……立てよ、桃耶っ」
 そう願わずにはいられなかった。
 桃耶は相変わらず頬を地に付けて肩で息をしていた。心なしか掛かる重圧が重くなったように感じられ、頭がぼんやりとしてくる。軽い酸欠状態に入っているらしかった。腕に力を入れようとも、指先がぴくりと動くだけだ。
「速さを封じられた感想はどう?」
 女はせせら笑い、静かに指を立てた。
「かなりキツイものがあるでござるよ」
 桃耶が顔を歪めながら答える。女は満足げに立てた指を桃耶へ向け、一歩、下がった。
「インパルス」
 女の囁き声が甘く響いた。

 火薬が爆ぜるような音と共に、一瞬、空間がぶれた。
 地面に倒れ臥した桃耶の体が、電流を流し込まれたかのように大きく脈打つ。ただでさえ重力に押し潰されていた肺がショックでさらに押し潰され、桃耶の肺の中に微かに残っていた空気が絞り出される。
 チアノーゼを起こしているのだろう、桃耶の唇は紫色に変色し、その肌は見るからに青ざめていた。
 小刻みに指先が震えているのは、桃耶が力を込めようとしているためなのか、それとも痙攣しているためなのか。それは桃耶自身にしかわからないことだろう。あるいは桃耶も気付いていない、無意識の行動なのかもしれない。
「もう動けないかしら?」
 女は、ちらりと審判に視線を投げ掛けた。早く勝利宣告をしろ、という意味だろう。遠目に桃耶の姿を眺めた審判は右手を高々と挙げ、
「それま――」
「まだ、でござる……よ」
 その宣言を、桃耶の声が遮った。
 地面に肘を突き、膝を突き、尺取り虫のように全身を縮めて桃耶はどうにか体を持ち上げた。だが、のし掛かる重圧に逆らって立ち上がることは出来ないのか、四つんばいの体勢のままだ。その体勢を維持するのでさえやっとのようでさえある。
 今の言葉を声に出すことでさえ困難だったのだろう、桃耶の喉からはか細い呼吸音が漏れるばかりだった。
 桃耶の指先が地面を引っ掻く。ともすれば頽れそうになる体を叱責するように、桃耶は四肢に力を込めた。青白い肌に血管が浮き、しなやかな筋肉が隆起する。指先には血が滲んでいた。