異邦人
「まだそんな元気が残ってるなんてね。……けど、そろそろ終わりにさせてもらおうかしら」
 言って、女は右手を高く掲げた。指輪に付いた大粒の宝石が陽光を受けて煌めいている。けれどその口許は、豪奢な宝飾具とは裏腹に、獣めいた凶暴さを孕んで三日月型に歪んでいた。
「ダブルロックガン!」
 中空に、二つの巨大な岩石の塊が突如として出現した。宙に浮いていたそれらは、女が指揮者のようにその手を振り下ろすと同時、桃耶目掛けて一斉に落下した。
 重力を味方に付け、ぐんぐん加速していく。
 突然、二つの岩石がさらに加速した。グァンジウの影響を受けているのだ。そしてそれらが桃耶を押し潰す寸前、桃耶の口が小さく動いた。
 雷鳴のような、巨大な破砕音を響かせて二つの岩石は粉々に砕け散った。無数の飛礫が散乱し、砂埃が辺りを埋め尽くす。

 観客全ての視線が、砕けた岩石の残骸へと向けられていた。
「桃耶さん……!」
「おい、いくら桃耶だってあんなの食らったら――」
 宗一と俊駕が声を挙げた。俊駕はその言葉の先を口にはしないが、誰もが彼の言わんとしていることを理解していただろう。
 相手を殺してはいけない、というルールは殆ど建前でしかない。その事を、彼らはその身を以て痛い程に味わわされている。
『このような催しの模擬戦といえど、戦いであることに変わりはない。戦いとは敵を殺すことだ』
 先程宗一に向けられた雪慈の言葉は、ある意味で正しい。
 この大会では、事故が起こる。力量の差がはっきりしているならばともかく、実力が伯仲している場合には、死者という事故が発生し得るのだ。
 これまで勝ち残ってきた者達は、皆腕に覚えのある強者ばかり。そのような強者同士の戦いであれば、模擬戦であろうとも殺し合いさながらの攻防になるのは必至だった。
「流石だな……」
 マイティは顎に手を当て、感嘆したように小さく頷きながら呟いた。
 あまりにも穏やかなその声音が気に障ったのだろう、椅子から立ち上がり、俊駕がマイティの胸座を掴んで引き寄せた。
「なんでそんなに落ち着いてられるんだよ……! 桃耶が死んじまったかも――」
「大丈夫さ」
 俊駕の言葉を遮ったのもまた、マイティだった。
「俺が流石と言ったのは彼女に対してじゃない」
「え……?」
 俊駕は思わず舞台に視線を移した。マイティの胸座を掴んでいた手が緩む。微笑してその手を解き、マイティはそのまま舞台の一角――立ち尽くす女の背後を指差した。
「彼――桃耶さんに対してですよ」
 宗一、俊駕、雪慈の視線が一斉にそこへと向けられた。
 あ、という掠れた、けれど喜色を滲ませた声は誰の物だったのだろう。
 そこには、桃耶がいた。

 桃耶はこの大会で初めて、息を切らせていた。膝に手を突き、喘ぐように大きな呼吸を繰り返す。額には大粒の珠のような汗が浮かび、顎を伝って落ちていく。
「流石に、無茶を、しすぎた……で、ござる、か……」
 切れ切れに声を発して、桃耶は姿勢を正した。その間も大きく深呼吸を繰り返し、呼吸を整える。
 肺を圧迫された酸素欠乏の状態で全身の瞬発力を総動員して移動したのだ、本来ならば意識を失ってもおかしくはない。流石の桃耶といえども、その体力を大きく消耗していた。
「……よく避けられたわね」
 忌々しげに言って、女は桃耶に向き直った。
「そうそう簡単に負けるつもりはないでござるよ」
 既に桃耶の呼吸は整っていた。流していた汗も殆ど引いている。それは、桃耶の強靱な体力だからこそ為せる業だった。
「どうやったの? あんな一瞬でこの距離を移動するなんて」
 岩石の残骸と今の桃耶の位置とは、殆ど舞台の端から端までの距離に等しい。女の疑問は尤もだった。
 しかし、そこに手品の種などは存在しない。魔法なしに桃耶の脚はそれを可能にする。
「跳んだだけでござるよ」
「跳んだ……?」
 怪訝そうに女は眉をひそめた。当然だ、それはもはや人間業ではない。彼女とて一般的な人間の限界を遙かに超越した動きを可能としているが、それは身体能力だけではなく、魔法や体術といった、技術の要素によるものだ。
 桃耶のように、一足飛びでそれをやってのける自信は彼女にはなかった。
「獣足・唐獅子。脚に蓄えた力を一気に爆発させる技でござる。――このように」
 桃耶の体が沈んだ。限界まで押し縮められた撥条のように、その両脚に力が蓄えられ、
「獣足、唐獅子――!」
 その姿が消える。刹那、女の体が宙を舞っていた。いつの間にか、彼女がいたはずの場所には桃耶が現れている。
 その場にいた誰もが目を疑ったことだろう。僅か一瞬の内に桃耶は女に肉薄し、蹴りを叩き込んで吹き飛ばしたのだ。目にも留まらぬ速さ――否、目にも映らぬ速さで。
 女の体は数度バウンドを繰り返し、やがて止まった。
 その間に千切れたのだろう、地面には眩く輝くネックレスが散乱し、彼女の身に着けていたチャオ族の民族衣装は所々が破れ、白い肌が覗いていた。
 あまりの光景に静まり返っていた観客が一斉に沸き立つ。
 ――だが。再び、その歓声は跡切れることとなった。
 女は、立ったのだ。自らの両脚でしっかりと。だらりと両腕を下げてはいるが、拳は固く握りしめられている。
「流石でござるな。咄嗟に両腕で防御した上、自分で後ろに跳んだでござるか」
 渾身の一撃を防がれたにもかかわらず、かっかっか、と桃耶はさも嬉しそうに声をあげて笑っていた。
「当たり前でしょ。こっちもそう易々と負けるわけにはいかないのさ」
 ぶら下げていた腕を持ち上げ、僅かに顔をしかめながら女は構えを作った。その口許には、楽しげな笑みが浮かんでいる。
 二人は笑みを交わすと、同時に地面を蹴った。
「・・・どうなってんだ?」
「ってかあんな試合ありか?」
 ルースが口を尖らせて言うと、ミレイがルースの頬を抓った。
「ちょっと黙ってて。」
 と、むくりと桃耶が身を起こした。痛そうに擦っている。それと対照的に女は寝転がったままで顔を真っ青にしていた。
 暫く時が流れる中で、漸く女が立ち上がる。
「あんたには敵わないよ。」
「倒頭降参でござるか?」
「いや。」
 女はふっと微笑むと審判に向かって手を上げた。降参はしないと強がっているが、綺麗な顔が強張っている。
「タイム。」
「たいむ?」
「こんな楽しい試合に水を注したくないんだけどね。さっきので右足が折れちゃった。」
「大した精神力でござるな。」
「お褒めに預かり光栄ですよ。」
 おどけながらそう言うと女は右足を引き摺りながら桃耶の横を擦り抜けた。
 桃耶も俊駕や宗一達の所へ走って戻る。
「ミレイ殿、拙者もどうも左腕の調子が悪いでござる。見て下さらぬか?」
 ミレイは無言のままで力強く桃耶の腕を掴んだ。小さく桃耶は呻き声を上げた。それでもミレイは気にする様子を見せない。
 ――今もだが末恐ろしい少女である。
 ミレイは暫く桃耶の腕を掴むと急に離した。そして杖で軽く二三度叩く。
「ヒビが入ってるみたい。戦えない事は無いけど止めた方が良いわ。」
「そうはいかぬでござるよ。」
 桃耶は先程まで対戦していた女に目線を送った。回復魔法も使ったのだろうか右足には包帯を巻いている。
 そしてミレイに視線を戻すと桃耶はからからと笑った。
「あの者も拙者もこの試合が楽しくて仕方無いでござるからな。」
「馬鹿みたい。治す方の身にもなってよ。」
 そう、溜息を吐くとミレイは桃耶の左腕に思い切り杖を振り下ろした。
「リカバリー!」
「い゛!?」
 桃耶は素頓狂な叫び声を上げて仰向けに倒れ込んだ。その桃耶の顔を俊駕が覗く。
「大丈夫かぁ?」
「ヒビを治すには折って治すのが一番なのよ。」
「ミレイ、嘘を教えない。」
 そう言うとマイティは軽くミレイを小突いた。ミレイは軽く舌を出す。
 それを見てルースは恐ろしいと言わん許りに肩を抱き締めて言った。
「俺がやったら確実に殺られてるよ。」
「黙りなさい。トウヤ、一応治したけど痛い時があるから。」
「かたじけない。」
 桃耶はミレイに頭を下げると女の待っている舞台へと躍り出た。
 女は左足に体重を掛けて右足を庇っているようだが、勝ち気に笑み掛けている。
「あたし魔法使うの止めるわ。」
「おや?どうしたでござる?」
「さっき頭冷やしたらそうしたくなったの。」
 女は桃耶に向かって歩み寄る。桃耶は後退りもせず、歩み寄る事もせず、女を待っていた。
 一歩踏み出せば桃耶が触れる距離で歩みを止めると、桃耶に向かって手を差し出した。
「それにあたしフェアじゃないの嫌いだからさ。」
「言っている事とやっている事が時によって矛盾しているでござるよ。」
「そりゃ、あたしは女だからね。」
 何故か女は誇らしいとでも言うように胸を張って自信満々に言った。桃耶も桃耶で両手を打っている。
「なるほど。」
  納得しても良いのか。俊駕はそう思ったが深くは追及しない事にした。
「またあの人は訳の分からない事を。」
「マイティさん、どうしたの?」
「いや、気にしないでくれ。」
 そう言いながらもマイティの顔は疲れているようだった。何と無く気の毒に思える。
「でも、本当のことを言うとね、もう正直長くは戦えないって。うちの救護に言われちゃった。だから――」
「だから?」
「だからこれからは気を引き締めて、本気の本気でいくわ」
 ええ? あれ本気じゃないのかよ! というのが桃耶の後方――俊駕が――から聞こえた。
「本気の本気……ふむ。なら拙者もそうするべきであるな」
「やっぱり、あなたも本気じゃなかったのね」
残念なような、やはりというか迷う表情をする。
「当然でござる。ここは祭りの場でござるよ? 楽しくやるのがふさわしい戦い方でござろう。み、皆、違うのでござるか?」
「あ、あなた、本当に変な人ね」
 疑問に疑問で返されるが、
「うん。よく言われるでござる」
 彼はまたもや納得し、彼女の言葉に素直にうなずく。
「しかし、そうなると、この格好では身を引き締めた戦いはできぬのう」
 片袖の自分の着流しを見て指をあごに当てながら楽しそうに悩んでいる。
 タイムはとっくに切れているのに、相手は攻撃はせずに彼の悩み顔に首をかしげて覗き込んでいた。すぐに周りから野次がとんでくる。
「うむ。間に合うかどうかわからぬが……」
「……?」
 何か感じたのか彼女はすぐに彼と距離をとった。
「審判殿。今度は拙者が時間を置きたいでござる」
 そう言って、タイムを取り、俊駕のところへ戻る。
「ん。どうしたんだ?」
「ちょっと行ってくるでござる」
「どこへ?」
「拙者がここにたどり着いたところでござる」
 これをお願いするでござる。といって、桃の形をした数珠を渡すと飛び上がった。
「もし、時間内に戻ってこなかったら、代わりを頼むでござる」
 そういい残して、彼は会場を大跳躍で後にした。



「……そろそろ5分経つが、どうする、代わりの選手を出すかね?」
 審判が宗一の方を見て――にらんで――質問する。
「あいつ、なにやってんだぁ」
「おなか空いて、どっかで道草食ってるとか?」
 ありえるかも。 とミレイもうなずく。
「ああもう、しょうがねぇなぁ。じゃあ、雪――ん?」
 確かにわからない程度だったが俊駕と宗一にはわかった。雪慈が楽しそうに待ち望んでいるように見えるのだ。
「雪慈、さん?」
「なんだ」
 途端にもとの無愛想な顔に戻る。
「いえ、戻ってこないなら雪慈さんに出てもらおうかと」
「――わかった」
 しかし、雪慈は動こうとはせず、立ち尽くしているだけだ。
「では、時間が来た。代わりの選手でなさい」
 そういわれて、雪慈が――残念そうに見えたかもしれないが、もうすでに彼らの前にいたため背中しか見えなかった――闘技場へ踏み出そうとしたときだった。
「遅くなったでござるぅ」
 遠いところから小さな声が聞こえた。もう、みんなわかっているかのように上を見上げると、逆光のため黒い影が見える。雪慈はそれを見ると、くるりと翻し元の場所へ戻る。
 着地の音とともに彼、桃耶は戻ってきた。