異邦人
 まだ気になるのか、宗一はちらちらと後ろを気にしながら診療所に戻った。
 だが二人が戻ると桃耶と雪慈が共にリビングから出てきた。
「どうしたんだ、二人で。珍しいな」
 俊駕が可笑しそうに聞くと桃耶はキョトンと首をかしげた。
「何を言っているでござる。もう11時を回ってるでござるよ。早く行かなければ決勝に間に合わないでござる」
 桃耶が当然だろうというように言うと、俊駕は驚きのあまり体を仰け反った。
「え! 俺、飯まだ食ってないんだけど!?」
「しょうがないでござろう。それに食べてないのは宗一殿も一緒でござる。大丈夫、今日も拙者と雪慈殿で終わる予定でござるから!」
 わはは、と自信たっぷりに笑う桃耶に俊駕は項垂れた。
 宗一の腹の虫が遠慮がちに鳴ったのは宗一だけの秘密である。
「今日は空が青いでござるなぁ。豚汁を食べるときっと美味し いでござる。」
 そう言って桃耶が見上げた確かに真っ青だった。雲一つとし て浮かんでいない 。本当に何処までも青い空だ。
 俊駕と宗一は空を見上げる。爽やかで、大丈夫だと語り掛け ているようだ。雪慈ですらその空をじっと見詰めている。
 ――だが矢張り腹は減るものであって。
 宗一は苦笑を浮かべながら下腹の辺りを押さえた。
「試合が終わったら豚汁を食べるでござるから腹を空かして おくでござる。」
「それはどうかな?」
 急に身体が重くなり、宗一は驚いて振り向いた。ルースが宗 一の背中に乗っている。何故。
「悪いけど優勝は渡せないよ。」
「それは此方の台詞でござるよ。豚汁は譲れないでござる。」
「こっちだって学費に当てるんだからな。」
「地味ね。」
 そう言ってミレイの杖がルースの頭を叩いた。ルースは唇を尖らせて恨みがましくミレイを見る。だがミレイはそんなルース等何処吹く風と言った様子だった。
 微かに頬を赤らめながら、ミレイは雪慈に近付く。それは正に恋する乙女で、ルースは呆れたような表情を浮かべる。そんなルースの脛をミレイが思い切り蹴り上げた。
「痛っ!」
「あの、雪慈さん。昨日一生懸命ツァイタスを作ったんです。 食べて下さい。」
 そう言ってミレイが手渡したのはお菓子のような物だった。クッキーのようなのだがそれにしては厚く、スコーンにしては甘そうだった。
「・・・礼を言う。」
 その雪慈の言葉にミレイが喜んだのは束の間だった。
 雪慈はそれを無造作に宗一に手渡した。宗一は驚いて雪慈と ミレイを交互に見る。
「腹が減っているのだろう?俊駕と食べろ。」
「・・・。」
「本当に良いんですか?折角雪慈さんがミレイさんに貰ったの に――。」
「私は構わん。」
「雪慈さんがそう言うんだから、私は――。」
そう言うミレイの顔は少し泣きそうだった。流石にこれは可 哀想ではないかと思う。宗一が申し訳無い気分になると、ルースが物知り顔で頷いた。
「こんなミレイの顔初めて見た。」
「放っといて。」
「あの、雪慈さん!責めて一つだけでも食べて下さい。」
「そうだ、雪慈。食え!」
「拙者も一つ欲しいでござる。」
「お前は駄目だ。」
 俊駕は指を咥えそうな桃耶の首を持って遠ざけた。桃耶がい ては折角の宗一の心遣いも無駄に終わるかもしれない。
「お前はなぁ。空気読めって。」
「何でござるか。拙者は何もしておらぬでござるよ。」
「そうじゃなくて――。」
 ふと、俊駕は固まってしまった。
 昨日の今日で、自分は何をやっているのだ。桃耶の持ち物を 盗んで捨てたと云うのに。
 罪悪感が無い訳ではない。なのに、桃耶の顔を見ると、忘れ ていた。普通は罪悪感で胸が痛む筈なのに。
「――俊駕殿?どうしたでござるか?」
「何でもねぇよ。」
 俊駕は桃耶から顔を背けて宗一の方を見た。すると丁度雪慈 がツァイタスを口に運ぼうとしているところだった。俊駕は雪慈が大人しくツァイタスを食べ、余計な事を言わないように祈る。
 雪慈はツァイタスを口の中に放り込んだ。そして咀嚼し、飲 み込む。
「――案外美味いな。」
「いやぁ、徹夜した甲斐があったなぁ。」
「ルース!」
ミレイはにたにたと笑いながら肩を叩くルースに杖を振り上 げる。其処でふと宗一は気が付いた。
「ところでマイティさんとユリウスさんはどうなさったんです か?」
「ん?マイティは姉ちゃんのお守りでユリウスは一人で調整中 。」
「それで私達は暇だから迎えに来たって訳。」
「迎え、でござるか?」
 桃耶が不思議そうに問い返すとルースが頷いた。
「会場は同じなんだけど決勝は多少魔法で外観が変わってるか ら。分かんないかなぁって思って。」
「ご親切にありがとうございます。」
「いえいえ。だって対戦相手がいなかったら始まらないからね 。」


 ――そう言ってルースとミレイに案内された所は、とても昨 日と同じ会場だとは思えなかった。
「確かに迎えに来てもらえなかったら迷ってた。」
「私の真心に感謝しなさい。」
「違う、ルース君の真心。」
「ミレイ殿、ルース殿。感謝するでござるよ。」
 会場は入場するところから他の街から来た人達、或いは別世界から来た人達には到底分かるはずもなかった。
 その会場へ入場する方法は、このハーバンの月祭のパンフレッ トの一番最後にどれくらいの匠の業であるか分からないくらい小 さい時で、
『今年の大会決勝会場は前日行なわれていた会場のうらの壁を触 ってから50歩あるいてから転送されます』
 と書かれてあった。
 これはこの街の長の趣味で、この街で開催されるイベントはす べてこのように初めて訪れた人達にはわからないように小さい字 でかいてあるのだ。
 長はそうやってこれない人達を見るのがイベントの中で一番の 楽しみらしい。
 しかしそれだけで会場自体が厳かになることはなく、まるで人 間の筋力で言う力だけでは到底作れないというような盛大なつく りになっていた。
「お、おおぉぉ」
 桃耶は初めて自分の力で空を飛んだ鳥を見るような感動で心が 埋め尽くされ、それでもあふれるものは声になってもれていた。 それは宗一、俊駕も同じであり雪慈でさえ少し目を見開いていた。
「す、すごいでござる」
「い、いやなんか、びっくりした」
「そうかぁ? 王都の大会見に行ったことあるけどそこほどすごくはないよ」
 しかし、ルースはちょっぴり自慢げだった。
「ほらほら、早く行くわよ。ただでさえ、人通りが多いんだから」
 やはり、どの会場でも似たようなつくりは変わらなかった。会 場のつくりは外から武舞台はおろか観客席でさえ見えることはな く、武舞台を囲うように段々に観客席が作られているのだ。会場 の中の観客席は観客に被害が及ばないよう、視界には決して見え ることのないバリヤーが張られていて、熱、冷気、音、水など、 ありとあらゆる魔法が通じないようにできていた。もちろん砂埃 、土埃だって観客に及ぶことはない。ただ風、空気はいくら強固 なバリヤーでも通すらしい。しかし、このバリヤーだけはルース たちの想定外だった。
「でも、去年は観客席から見てたけど、こんなんになってなかっ たぞ?」
 会場へ入っていく際、壁にこの会場のつくり、案内、プログラ ム、掲示板がある場所で宗一が読むに当たって、みんな読んでい た。ただ、桃耶だけは何が書いてあるのかもわからなかったが。
「彼が言ってたんだよ」
 突然後ろで声がしたので全員振り向くと、昨日の主審が憤然と 仁王立ちをしていた。
「宗一が?」
「あの規約だと、抜け穴が多すぎて、中級魔法で上級魔法並みの ことをする輩が出てくるかもしれない、とね」
 それだけ言うと、男は通路を奥へ進み消えていった。
「宗一ィ、ダメじゃんかぁ。そんな事いったら、今度から既定が 厳しくなっちゃうだろう?」
 ジト目でルースは宗一を見て、攻め立てる。
「こうでもしないと、絶対に事故につながりますし――」
「怪我で泣く人が出たら、お祭りを十分楽しめないでござるから なぁ」
 桃耶が宗一の言葉をつないだ。
「でも、その分今回だけは激しく戦えますよ」
「……おいおい」
 俊駕が宗一の肩をたたいてみせた。
 その後、全員会場へ向かおうとするのだが、ふいにミレイが口 を開いた。
「桃耶さん、昨日何かありました?」
 しかし、桃耶は返事をすることなく先へ先へ歩いていて、聞こ える距離なはずなのに振り向くことはない。それに気づいた宗一 が彼の肩をたたいても反応なはく、宗一は桃耶より先にあるいて 正面から呼び止めようとして、素直に諦めたように元に戻った。
「たぶん、ぜんぜん聞こえてませんよ」
「だから、宗一が行ったんじゃないの?」
 俊駕がそういうと宗一の表情が複雑な顔をしていたので思わず 俊駕も宗一と同じ動作をしてまた歩みをみんなと合わせた。
「確かに」
「どういうこと?」
 少し、怒りを見せて、杖をにぎりしめながらミレイが綺麗な瞳 を彼らに移す。そうすると、彼ら二人は顔を見合わせてしばらく 無言の後、やはり俊駕が答えた。
「めちゃくちゃ楽しそうなんだ」
 そういっても、彼女の杖の握りは弱まることなく、コツンと桃 耶の頭を突いて、彼を気づかせた。
「何でござるか?」
 振り向いた彼を見ると、雪慈がこんな顔をしたら卒倒すると思 わせるほど見事で、かつさわやかな笑顔だった。雪慈の笑顔が月 夜に似合う物静かなものであったならば、彼の場合は夏の夕立を も吹き飛ばしてしまうようなものであった。人間――この場合ア ヤカシも然り――の笑顔は顔の構造関係なく、美しいことは疑問 の余地はなく、笑顔が汚いと言うものがいればその人の本質を見 抜いていない証拠である。彼女の場合は惚れている惚れていない 関係なく素直に感心して、紡ぐはずの言葉を一瞬失ってしまった。
「何でござるか、ミレイ殿?」
「あ、ええ。昨日何かありましたか?」
 ふっと、表情を戻し考えてみる。
「うん。あったのう」
 それを聞いて、宗一たちも耳を傾ける。
 今度はすっと桃耶は歩みを遅め、事実迷うことなくここまで来 て、若干の余裕があったので特に問題はなかった。
「なにがです?」
「ルース殿たちと友人になったでござる」
 いくらなんでもそれではないだろうと俊駕たちは思った。
「ちがいます! 昨日の夜、試合が終わった夜の話です」
 ぽんっと手を打ち思い出す。俊駕と宗一が少し陰りを見せたこ とは言うまでもなかったが、二人とも隠すということに関しては うまかった。
「ふむ。あったでござるよ。マイティ殿とティア殿と祭り見学を したでござる」
「何かティアさんを怒らせるようなことはした?」
 そっと、ルースは俊駕と雪慈と宗一にティアとは誰か教えた。 彼らはまだ、彼女の名前を知らなかったからだ。
「うーむ」
 そこでもう一度、ない知恵を絞って立ち止まり腕を組んであご を引き考える。
『あの時は、拙者が喧嘩を買わなかったから怒っていたと思って いたが、あれは本当に怒っていたのだろうか。もしかしたらほか に何か拙者が怒らせたことが? むむ。確か、あの時は胸倉をつ かまれて』
 組んでいた腕を解き、自分が置かれた状況を――この場合軽く 自分で自分の胸倉をつかむ――してみせる。
『ふむ、胸倉をつかまれて、だらしがないといっておったのう。 しかし、それでそこまで怒るでござるかなぁ?』
「な、なんかケムリ出そうなくらい考えてるな。大丈夫か桃耶?」
 俊駕がそう聞いても、桃耶はぶつぶつと聞き取れない声で「チ ャオ族ならあるいは」とか、「あの者たちを助けた、いや、その 時は既にいなかった」などと言って、反応はなかった。そして、 ちょっと時間を置いた後、ぽんと手のひらとこぶしを上下であわ せてから顔を上げ、ミレイを見た。
「わかったでござる」
「ティアさんになんて言ったの?」
 人の往来が激しい中、この人数が立ち止まるのはいささか迷惑 な話だが、止まっている彼らは大して気にしていなかった。それ に彼らは顔、スタイルともに上級に入っていたために、彼らがと まると同時に回りも何人かが立ち止まっていた。もちろん、彼ら の話の内容自体は聞き取ることはできなかったが。
「ぷらイどってなんでござるか? と、聞いたら怒って殴られた でござる」
 彼らの周りだけ無言が流れる。
「――それだけ?」
「ハァ? それだけ?」
 ミレイと俊駕の問いに桃耶はこくりとうなずく。
「なんで、それでお前は殴られたんだ?」
「うーむ。拙者が馬鹿だからかのう。以前の世界でもよくそれで ぶたれたでござる」
 殴られたことに関して、特に気にする風もなく答えた。
「まあ、拙者の世間知らずが問題であるしミレイ殿たちが気にす ることは全く以てないでござるよ」
 そう言って、カラカラ笑って見せてまた前へ進もうとする桃耶 をみて、まだ知り合ってそんなに時間を置いていない宗一は 『もしかして、桃耶さんものすごい勘違いをしてるんじゃあ』
 ふとそんなことを考えて、後で言おうかどうか考えながら歩み 始め、みんなもそれにならった。

 キーンという電子音は、もちろん音量魔法の調節によって出るものなのだろうが、それがあまりにも宗一の知っている電子マイクの割れた音に似ていたので、思わず笑いそうになった。